2008年12月31日水曜日

大晦日に

横山公園より、暮れゆく相模原の2008年です。


相模のもののふ 和田氏 その2を続けて書くつもりでしたが、ちょっと重すぎるので間をおいてまた来年に書くことにしました。

5月に開始した、気まぐれなブログを見ていただき、そしてコメントをいただきありがとうございました。
これからも、子供たちと理科・工作で遊ぼう、郷土史、笛、花・樹木など興味のおもむくままに書いていきたいと思います。自己流ですが、笛作りにはちょっとばかりのめり込みました。来年は是非、尺八らしきもの、龍笛らしきものを作りたいと思っています。プラスティックの尺八を買って、しばらく練習していたのですが、1週間ぐらい前から、どうも音らしいものが出るようになりました。是非、尺八もどきを作って吹いてみたいと思っています。

決して楽観できない日々が待ち構えていると思いますが、健康に留意し、たじろぐことなく前向きに行きましょう。

2008年12月30日火曜日

相模のもののふ 和田氏 その1

10月29日に永井路子著の”相模のもののふたち”を紹介し、三浦大介義明と三浦党のことをふれた。(ここをクリックしてください)
三浦党は半島周辺の海運をおさえた大きな動員力をもった集団であったが、その棟梁、三浦大介義明は「剛毅と冷静な判断力」を持つ「鎌倉時代の幕開けを飾るにふさわしい人物」と永井路子さんは評価されている。そして、その”冷静さ”が嫡男(実は次男、長男が若くして死んだため)義澄、その子義村に受け継がれ、”剛毅さ”が、若くして死んだ長男義宗の子、和田義盛に受け継がれたと書いておられる。

和田義盛(左写真「相模のもののふたち」より)の父、義宗は始め三浦の重要拠点、海の城塞、怒田城を任された。その後、鎌倉の東南、杉本城(今の杉本寺があるところ)に拠って杉本太郎義宗と名乗った。この杉本城、紛争が絶えなかった鎌倉党(大庭、梶原氏など)に対する三浦党の最前線と位置づけられる。つまりは義宗の「勇猛さ」を物語っているといえよう。義宗は若くして亡くなったので、三浦の嫡流は義明の次男義澄の系が継ぎ、義宗の長男、義盛は三浦半島の相模湾側にある和田に拠って和田義盛を名乗り、この地域の開拓を行った。杉本城はと云うと義盛の弟義茂が継いでいる。(三男義秀の項は間違ってました)

和田氏は嫡流ではなかったが、三浦党の中で非常に重要な集団であったばかりか、鎌倉幕府が開府した後は義盛が侍所の別当(いわば長官)を担い、本家をしのぐ勢いであった。三浦党が源頼朝に重用されていたことは確かで、例えば頼朝が征夷大将軍に任じられた時、勅使から辞令を受け取る大役は義澄が担っている。
和田義盛は積極果敢の人であったらしいが、時に私情を前面に出してしまう面もあった。その意味で本当に侍所の別当に適任であったかどうかは疑問の余地があるが、所司(次官)に性格が正反対ともいえる梶原景時を配したあたり、頼朝の絶妙の人事と永井さんは云う。実際、幕府を開くのに欠かせなかった数ある豪族達の棟梁の中から侍所の別当を選ぶのもなかなかの困難があったであろう。別当人事は旗揚げに敗れて安房で合流した時の約束と云うことになっている。頼朝と云う人は聡明な人であったらしい。和田義盛は平家討滅戦のみならず、奥州平泉の藤原攻めにおいても活躍している。

鎌倉幕府は開府以後も豪族間の勢力争いは絶えなかった。それでも頼朝がトップにいる間は抑えが効いていたが、その死後は弱小集団北条が政治権力を握っていく。外戚北条時政の政治的陰謀によって次々と有力武士団が葬られた。頼朝の妻、北条政子と弟義時は父時政には一線を画したが、頼朝の子供たち頼家も実朝も頼朝が示した”源氏”の坂東武士団に対してなすべき役割、その位置づけを理解せず、結局、母、政子と義時が力を発揮することになった。
しかし、北条が本当の意味で政治権力を確立するには、鎌倉のすぐそばの三浦半島にがっしり根付いて、動員力絶大の三浦党の排除が必要だった。北条の優れた指導者、義時、その子泰時、その孫時頼の代の間に三浦党は追い詰められ滅ぶ。その手始めが和田合戦であったといえよう。

明日に続きます。

2008年12月28日日曜日

目黒区八雲の東光寺

昨日、お墓の掃除に目黒区八雲にある東光寺へ行きました。
このお寺、曹洞宗の禅寺で、吉良氏菩提寺と説明があり円に二引両の紋が山門についていました。吉良氏と云えば足利将軍家の庶流ですので、円に二引両と云う紋が使われていました。
東光寺を開いた吉良家は実は世田谷吉良と呼ばれていました。吉良家はもともと三河に根を張り東条吉良、西条吉良に分かれて吉良の庄を支配していました。南北朝時代に東条吉良の一部が北畠氏を中心とする南朝勢の抑えのため奥州探題として東北に行き、同じく奥州探題だった斯波氏の勢いに負け、武蔵に戻り、世田谷城(豪徳寺)に拠りました。関東では鎌倉公方、関東管領に次ぐ地位にあったようです。
世田谷吉良家の菩提寺は豪徳寺付近にもあるのですが、東光寺には西側の丘の上に3基の宝篋印塔があります。
私の子供時代は、欅の大木が沢山あって、夏には蝉取りをして遊んだのですが、夜はうっそうとした森のせいで傍を通るのが薄気味悪かったことを思い出します。今はずいぶん切ってしまって欅がぽツンポツンとあるだけで残念な状態です。ただ非常に立派な銀杏が山門の傍に頑張っています(写真上:今の銀杏、下:夏の銀杏)

とうの世田谷吉良家は戦国大名にはなり得ず、小田原の後北条に組み込まれ滅びます。ただ江戸時代になって、たぶん源氏の流れを重視されたのでしょう徳川家の旗本にとりたてられ名が残ったようです。世田谷出身の吉良と云う人に会ったことがありますが、その当時は由緒ある名前だな~ぐらいにしか思はなかったのですが、もしかすると世田谷吉良の末裔だったかもしれませんね。

そうそう、本題はお墓掃除でした。二人で草をむしり、石を水で拭いて、花を生け、線香を手向けて帰ってきました。帰り道、二子玉川を渡る国道246号線の橋の上から、少し傾きかけた太陽の光を浴びた見事な富士山を見ることが出来ました。

2008年12月23日火曜日

JAXA相模原キャンパスの展示

今日、奥方について買い物に出た帰り、淵野辺公園の傍を通りました。OさんのブログにJAXA相模原キャンパスにロケットの実機が展示されてると案内されてたのを思い出し、公園のすぐ傍のJAXA相模原キャンパスを訪れました。

守衛さんからもらったパンフレットを添付します。
30.7メートルのM-Vロケットの実機は迫力がありました。M-3SIIロケットの原寸模型も展示されてます。パンフレットに映ってるロケットはM-3SIIロケットの原寸模型のようです。

今日は休日なので展示ロビーは閉まっていて人工衛星の模型などを見ることが出来なかったのですが、これは再度試みる価値ありと思いました。

2008年12月22日月曜日

ラックスキット 

自室の整理をしていたら、懐かしいものが出てきました。26年前にキットを買って組んだアンプLUXKIT A1033の組み立てマニュアルです。4半世紀前に作った真空管式のアンプですが、今も働いてくれています。あまり酷使していないからでしょうか。写真左の下の部分がそれです(上はDENONのCD装置)領収書兼保証書も挟まっていました。80800円でした。随分安く上げた気分が残ってますが、どうなんでしょ。それにしてもダイエーがキットを売ってたのですね~。レジャータイム課が発行しているのが面白いです。(もしかすると、電気屋で買うより、ダイエーで取り寄せてもらった方が安かったのかもしれません)




今売ってればいくらぐらいかと考えたが、そんなことありえないか、何せ真空管式だから。目次と裏側の配線の様子。マニュアルから採取です。とにかく未だに働いてくれる、いかつい顔をしたカワユイアンプです。

面白がる方もおいででしょうから配線図をのせます。私は組みましたが、良くは分かってません。まあ出来あいを買って聴くより、自分の労力をつぎ込んで安くあげたという、まっ!組み立て家具を買ったのと同じ意味あいです。



当時は既に真空管が得にくくなりつつあったことは確かです。そして上等の半導体式は凄く高かった。真空管式は安での半導体式より、比較的安価でよいものが得られると云う判断はありました。
画像をクリックすると少し大きくなります。
p。s。 http://wwwonce-on-a-while.blogspot.jp/2013/12/luxkit-a1033.html にもう少し大きく見える配線図を載せました。

2008年12月21日日曜日

お隣の柿の木に鳥の群れが

ここのところ屋内に、自分の版図を広げ過ぎ、領土的に連れ合いさんが不満を持ちそうで、ここ数日身の回りを整理しています。今日も北側の部屋で頑張ってると、「鳥よ!」とのたまうので、窓から外を眺めると、お隣さんのお庭の柿の木に鳥が群がって柿の実を啄ばんでいます。柿の木は3本あるのですが、この1本だけに群がっています。他の2本とどう違うのか私にはわかりませんが、鳥はちゃんと区別できてるようです。一羽がピーと鳴いたと思うと、急にパッと飛び立って電信柱に鈴なりに。ちょうどカラスが二羽通り過ぎたのでした。また再び同じ木にもどって啄ばんでいました。
鳥の種類は何だかわかりません。

本の整理、昔からの研究資料の整理、「子供たちと遊ぼう」のために頂いたり、買った材料の整理・・・・まだまだ忙しいのですが、そのさなか、ホッとする一場面でした。

2008年12月20日土曜日

追伸:子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)纏め

纏め、ある意味で報告書の意味を持つと思いますが、の中身を見ていただいた方がやったことをよりよく伝えられると思い、実施に参加して下さったもう一人の方の了解を得てpdf形式のファイルを公開しようと思います(ここをクリックしてください)
オリジナルとは表紙のマンション名がぼかしてある点と著者名がハンドル名に替えてある点が違います。

ご意見などいただけると、今後に役に立つと思うのでよろしくお願いします。

題材はほかにも準備中ですが、こんなものは如何といったアドバイスも大歓迎です。

高学年の子たちに対する内容も当ブログの6月に触れています。あわせて見ていただけるとありがたいと思います。

2008年12月18日木曜日

子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)纏めを作りました

時々経過を報告していた、「子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)」の某マンションでの実施は12月5日で終えましたが、その纏め”遊んだことを記録しておこう”を作りました。左図は表紙です(ちょっと変えてますが)。今回はお仲間のTOさんとの合作です。写真が多数入ってますがA4で6ページです。書いていくと、反省点が浮き彫りになり、今後行う実施に役に立ちそうです。

低学年の子供たちには難しい内容を含んでいましたが、面白い、不思議、どうしてだろう、といった印象が強く残ってくれることを祈っています。実施においてもこの観点を意識して問いかけ、纏めもそんな点に留意して作りました。これで、一段落となりました。

これを子供たちや「遊ぼう」のメンバーに配りました。実施の場所探しの際のデモンストレーションにも使うつもりです。
雰囲気も伝わらないかも知れませんが、記録に含めた写真の一部をのせます。写真はクリックすると大きくなります。




2008年12月15日月曜日

中津川フィールド そして 遺跡調査開始

中津川フィールドに行って、Wさんと遺跡調査。鎌倉時代に遡るのだろうか?大変楽しみである。急がずゆっくりとやっていくことに。

お昼にはとれたてのなめこ(写真上左)で、なめこ汁をいただく。アウトドアでの、おにぎり、おでん、なめこ汁。とても美味しい。そのうえ我家へも、なめこのお土産をどっさりいただいた。
フィールドの中を巡回してみたが、川原で、ちょっと物騒なものに行き当たった。イノシシらしい(写真上右)。畑は荒らされていなかったが、川を渡ってやってきて、土をひっくり返して帰って行ったのだろうか。気をつけるにこしたことはない。
夕方4時ごろ、帰宅へ。中津川フィールドも冬の様相をきたしていた。
写真をクリックすると大きくなります。

2008年12月13日土曜日

富士見子どもセンター おもちゃの病院

相模原市中央にある富士見小学校の北西に隣接して富士見子どもセンターがあります。ちょうど小学校を隔てて逆側に中央公民館があります。偶数月の第二土曜日午前10時から12時まで、当子どもセンターでおもちゃの病院が開院されます。本日も開院され、私はここへは初めての登院しました。ドクターになっても良いという方が見学にこられ、仲間に入られる模様。サポセンへ行って、この組織を知ったとか。
今日は4件のおもちゃが持ち込まれました。中には、音はするけど回転していたものが動かないというのがありました。可能性としてはいろいろ考えられますが、まず調べるのは電池。案の定、電池の起電力が落ちてました。電池を入れ替えれば動くことを確認して帰って行かれました。他に2件は治癒して持って帰られましたが、残念ながら1件は治療不可。もう一件はベテランドクターが半田ゴテで悪戦苦闘。時間が来たからどうぞ帰って下さいと促され帰ってきたが、どうなったかな~。

私は、センターの職員の方に「子供たちと理科・工作で遊ぼう」について説明して、少しデモもして帰ってきました。

2008年12月10日水曜日

柊 はたまた 柊木犀

上溝本町でみかけました。柊の花それとも柊木犀?微香性の良い香りを醸しておりました。写真をクリックすると大きくなります。

グーグルと、ともにモクセイ科。柊木犀は銀木犀と柊の雑種で柊の花と同じような白い花を咲かすそう。

葉のギザギザ度:金木犀はほとんどすべすべだが、金木犀< 銀木犀 < 柊木犀 < 柊 (ギザギザ)

開花時期も 金木犀 → 銀木犀 → 柊木犀 → 柊

とある。柊木犀の開花時期は10月末から11月初め頃らしいので、多分、柊ではないかと思うのだが。町の街路にあるのは、柊と云うより柊木犀が多いとか。ハテサテ

2008年12月9日火曜日

長池公園

多摩の尾根幹線そばのグリーンウォークモールの傍に長池公園があります。電車だと京王堀之内か南大沢からバスか歩きで楽に行けます。

12月7日は我が連れ合い殿の誕生日(そう、宣戦布告の日)。彼女がサークル活動で知ったレストランで昼食を一緒にどうだという。それは長池公園のすぐ傍、見附橋、のところにあるランチ&カフェ専門のところで、隣で結婚式もできる建物を持っている:LA BETTOLA da Cortona。LA BETTOLA da Ochiaiは銀座にある有名なイタリアンレストランなそうで、シェフの落合氏が時たまここにも来るとのこと。件のCortonaの方はイタリアの田舎町のレストランといった雰囲気に仕あげてあると見た。
7日(日)は避けて8日(月)にお伴つかまつった。オードブルとパスタ+デザート&ワインで1人、2000円也。特別だからまーいいか。おいしかったです。とても。
我々は1時半からの予約にしたが、早番の11時半の方に予約すべきでした。1時半までにメニュウの一部が品切れになっちゃうので。

食後、長池公園を散歩。谷戸を抱える里山からなり、田んぼが作られてました。雑木林も続き、小山田緑地に負けない散策地帯です。木瓜が咲いてました。

池でカワセミに出会い、下手ですがなんとか撮りました。真ん中にいますが分かりますか? クリックすると大きくなります。

2008年12月7日日曜日

橋本台リサイクルスクエアー(おもちゃの病院)と相模原北公園

本日、橋本台リサイクルスクエアーで、おもちゃの病院が開催され、ドクター見習いの私も参加した。私も一台直すことが出来た。ベルトコンベア式の装置で何かを上に運びあげる玩具。動かないと云う。スイッチを入れるとモーターは動いてるようだ。たぶん歯車の障害と思って分解すると、はたしてプラスティックの歯車が割れてモーターの動きが伝わらなかった。病院側のストックの歯車を二つ交換。軸の太さに合わせて歯車の穴を少し大きくするのに苦闘したが、何とか直せた。歯車2個分の代金100円なり。坊やの「ありがとうごじゃいましゅ」でこちらの疲れ吹っ飛ぶ。上の写真は会場の後片付け風景。


帰りに相模原北公園に寄ってみた。Oさんがブログの中で案内されている通り、なかなか綺麗だ。冬空のもとの丹沢の山並みのながめもなかなかのものだった。寒かったせいか、人影はまばらに見かけるのみで、それも池の周辺が目立ったくらいだったが、若人はサッカーの練習を元気に楽しんでいた。

写真はクリックすると大きくなります。




おもちゃの病院でのひとコマ:お隣の席のドクターのところにお孫さんのおもちゃをもちこんだご婦人。おもちゃは部品の問題で治らなかったのだが、よもやま話をして帰られた。家のいろんな故障を直してくれていたご主人を最近亡くされたとのこと。いろいろ”不便”ですと何気なく言われた。正直なところでしょうね~。あとで、お隣の席のドクター私に「・・・・さん。道具!道具!」。うんうん。
でもふとその後で、これをわが身に置き替えて、私が残っちゃったらと考えてしまった。普段から料理のみならず、頼らず、進んでいろいろやらないとね・・・・・。((やれてないのによう言うは(どこからか聞こえてきそう)))

2008年12月5日金曜日

子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)終了

私と同じマンションに住む小学生低学年を対象とした、”理科工作で遊ぼう”は全部で6回で一応終了しました。今日は
1)先週始めた反射式プロジェクターを完成させること。
2)http://wwwonce-on-a-while.blogspot.com/2008/07/blog-post_07.html に載た自転車のベルを分解してみようでした。歯車の仕組みを理解しようということです。
以下2枚は、牛乳パックを切り取って、内側にアルミ箔を貼り、レンズ系の取り付け穴を作ったところ、と組み上げたところです。(クリックすると大きくなります)



光学系を取り付け、後ろから懐中電灯を取り付けたところです。

子供たちそれぞれの懐中電灯、ルーペ持ち寄りで、一人ひとり作りあげました。簡単にその原理(凸レンズの機能の説明はまだ無理と避けました)を説明して、思い思いに描いてきた絵を夫々の映写機で映して、リンゴだ、ウサギだ、サンタクロースだ、天使だ、サッカーボールだ・・・・と当てっこをして楽しんでいました。光がどんなふうに当たるのか、理屈が分かった子は何人だったかわかりません。分かんなくっても、不思議だな~、面白いな~と皆が思ってくれたら、と念じつつです。

これで疲れてしまって、もうおしまいにしたいと言い出すかもしれなかったのですが、ベルの分解をやるかいと水を向けると、ヤリタイヤリタイと云うので、やってごらんと、ベルを二つ渡しました。ドンドンやって歯車を全部はずした子、上蓋を外すだけで、やめてしまう子様々でした。歯車の理屈の理解はそれぞれだったと思いますが、ベルのノブを1回まわすだけで、一番上の金具が何回も廻って、リリリンとなるようになっていることは分かったと思います。

今夏、上級生シリーズの方に参加していた、小6の少年が助手として参加してくれ、さらにサークル活動から珍しく早く帰ってきた、連れ合い殿まで、いつの間にか入ってきて、子供たちと遊び始め、思ったより早く終了できました。

最後に、みんなで写真を撮って、解散しました。来年からはこの活動をマンションの外に出すことが課題であり、抱負でもあります。

2008年12月2日火曜日

夕暮の横山公園(08_12_2)



久しぶりに横山公園を散歩。上溝中学から横山公園にかけてとてもきれいでした。どこも、去年より鮮やかな感じですね~。










横山公園のイルミネーションの準備が出来てましたが、必要ですかね~。

人気がほとんどなかったので、新しく作った横笛、八本調子をちょっと試し吹きをしてみました。まあまあの音です。次にはもっといい音色のを作りたいものです。

2008年11月26日水曜日

レオナール・フジタ展(上野の森美術館)


昨日は、江戸東京博物館に里帰りした浮世絵を見に行くつもりだったのですが、実は休館日。急遽行く先を変えて、上野へ。これも主に里帰りしたレオナール・フジタ(藤田嗣治)展を見てきました。没後40年とのことですが、こんなにたくさんの作品がまとまって展示されるのは初めてではないでしょうか。写真を撮ってこれなかったので、ネット上の見出しと会場でもらったプログラムの一部を載せました。
展示は4章に分かれ、第1章 スタイルの確立、第2章 群像表現への挑戦、第3章 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ、第4章 シャペル・フジタ からなり、日本画の技法を取り込んで確立し、絶賛を浴びたという乳白色の裸婦画、群像の絵もさることながら、晩年カソリック教に改宗して描いた宗教画、礼拝堂のために描いたフレスコ画の習作やステンドグラスなど心に残る作品が多かったです。
概要はhttp://leonardfoujita.jp/にお任せしましよう。

陸軍軍医総監の二男に生まれたが、父の許しを得て画家となった。反骨、熱血の人と云う印象。第2次大戦終了後フランスに帰化した。

このような展覧会が開かれるチャンスはなかなかないと思います。お勧めです。

2008年11月24日月曜日

大きな篠竹の収穫&日本竹ファンクラブ参加

昨日は中津川フィールドで開催された日本竹ファンクラブの催しに参加してきました。真竹林の間伐とBBQ。普段の運動不足がたたって、今朝も筋肉痛が残っています。でも、晩秋らしい雰囲気のなか、すがすがしいひと時を過ごしました。
右は真竹林ですが、一生懸命に切ったつもりですが、ベテランとの差はいかんともしがたく、どれだけ効果があったかな~です。
BBQのメニューはサンマ、鮎の網焼き、岩魚、イモの串焼き、焼き鶏、ハンバーグ、そして炊き込みごはん、焼きソバ、トン汁、漬物、さらに柿のデザートまであって、とても食べ切れませんでした。いただいたものはどれも、とても美味しかったです。
切った真竹を使って、食器を作りそこにもって食べます。箸も、斧で切ったり削いだりして作るのですが、初めてのこと、大変面白い体験でした。野趣に富んでいて、いや実に楽しい一日でした。
中津川フィールドでWさんと大きな篠竹を見つけました。簡易版の尺八にも使えそうです。11月の篠竹を、大きなのプラス横笛用も少々収穫してきました。しばらく干します。

2008年11月21日金曜日

万笛博覧会2007 神戸で開催されたの今頃知りました

世界の笛が集い奏であう音楽イベント、「万笛博覧会2007 神戸」なんてのがあったのですね。去年の秋ですが、公式ホームページ(クリックして見て下さい)もあって、連動コンサート「タテヨコナナメ笛三昧」なんてのもYouTubeに乗っていました。尺八関係で
尺八講師 安田知博氏の演奏(この前をクリックできます)

尺八講師 安田 知博氏と中国笛講師 楊 雪元氏の、中国と日本のコラボレーション(この前をクリックできます)
を引用しておきます。面白いです。いろんな楽しみ方があるのですね~。

話題を変えて、ネプチューンさんとかthefluteakerなど外国の人がかなり尺八に興味を持っていると知りましたが、今日は David Zasloff 氏(この前をクリックできます)の演奏を引用してみます。これも聴いても見ても興味深いです。

2008年11月18日火曜日

紅葉

日曜日に高尾山に紅葉を見に行きましたが、紅葉はもう少し後の方がよさそう、人の多さにはびっくり。外国人が多いように感じました。それでも所々きれいに色づいていました。ケーブルカー1時間待ちで、帰ってきたときは日はとっぷり暮れていました。
本日は、我が連れ合いどの、何か集中してすることがあるらしく気がたっている様子。私はうろちょろしない方が良いようなので、午後から外へ。ちょっと作ってみた、唄用の八本調子の横笛を試そうとて道保川公園へ。その後、横山公園を歩いてきました。両公園とも紅葉がとてもきれいです。写真を撮ったのは3時頃から4時過ぎの間。紅葉は夕陽に映えますね。








2008年11月16日日曜日

サグラダ・ファミリア(聖家族教会)

今回の旅の締めくくりの主題の前に、日本とスペインの浅からぬ関係を如実に語る写真をまず。
柿をKAKISとして売っていました。勿論語源は日本語の柿そのもの。コンペートウ、屏風も共通するらしいですが。

さて、スペインならばどうしても紹介しなければならないのはバルセロナに建設中の聖家族(イエスキリストの家族)に捧げる贖罪教会、サグラダ・ファミリアの状況でしょう。

1882年に着工し、翌年、ガウディが設計をやり直して1926年に亡くなるまで設計建設をすすめました。
スペイン戦争で多くの資料が消失したにもかかわらず、その苦難を乗り越えて、その意思が継承されて建設が進められています。
日本人の外尾悦郎氏が現在、彫刻部門の指導的立場であられるのはご存知の方も多いと思います。

左はキリストの生誕を語る東側の「生誕の門」の上部で、外尾さんが彫刻に多くの寄与をされています。
西の「受難の門」は東に比べると現代彫刻でイエスの受難があらわされています。


詳しい説明はネットに出ていますのでやめておきます。
東西の門、中や外の工事の様子、上の方から見た工事現場と、街の景色などをスライドにまとめました。とくとご覧ください。すごいことを考えるものだな~と云うのが感想です。

この壮大な建物の完成はあと10数年とか、いやいや2256年前後までかかるという説があるそうですが、はてさて、すごいものです。

全くの素人の目ですが、私は10数年と云うのはどう見ても無理で、2256年前後と云わないまでもオーダーとしては100年はかかりそうな気がします。










2008年11月15日土曜日

グラナダ

4日目、5日目をまとめて
セビリヤでフラメンコを楽しんだ翌朝は町の中を見て、カテドラルへ

1)ホテルの中庭でスペイン独特の風景;糸杉とオリーブ
2)カテドラルの眺め
セビリヤを出て
3)海辺の町ミハスによって、ぶらぶら丘の上から地中海を眺める
一路グラナダへ。グラナダ泊。
4ー9)アルハンブラ宮殿とヘネリーフェ庭園をみる。インドで見た
ムガール朝のタージマハールなどのイスラム建築も巨大でかつ繊細な
とても美しい建物群と思ったが、味わいがちょっと違う美しい建物群
であった。
バレンシアへ向けて移動、
10)途中の街道沿いの丘の上にあるホテル&レストランで昼食。
11)イカの墨煮。肉厚のイカがとても柔らかくて、少し塩辛かったが
丸々の部類。美味しかった。
12)バレンシアのホテルではシーフードパエリヤとのフレコミだったが
大量生産のためか、食前酒のサングリアつきだったが、今一。
それでバルセロナで再挑戦となったわけでした。









2008年11月13日木曜日

バルセロナ 辻音楽士 & パエリヤ

スペイン旅行の最終日:バルセロナのカタルーニャ広場付近をぶらぶら。
あまり買い物はせず、娘一家にこまごました物プラス孫の服、家内の財布がひどいことになってきてたので記念にちょっと張り込んで、私は前出のFlabiol。

ピカソ美術館でピカソの若い時からキュービズムへと変化するあたりの作品を見て、またカタルーニャ広場に戻ってきたら、辻音楽士達がなにか不思議な楽器で音楽を。太く長くそしてぐにゃっと曲った管楽器と鍋みたいな楽器で演奏。CDを買う人たちがかなりいた。(サイレンがうるさく聞こえているが、一辻先で旗を持った集団が集まって、盛んにサイレンを鳴らせていた)

その後広場近くのレストランでちょっと早い夕食。それでも午後7時をまわっていたが、通常、彼らは8時頃に夕食を摂るらしい。パエリヤを取ったが、バーで飲んでたおっさんが今頃何を食ってるのと云わんばかりに近くまで覗きに来た。
スープもパエリヤもコクがあって辛口の白ワインとともに大変おいしかった。

帰りは中央駅の上にホテルがあるので、そこまで地下鉄(1枚で2人分の切符)。地下鉄は比較的きれい。改札は日本同様読み取り式。




これとは別に、スペイン風オムレツを2回試みる機会があったが、私が紹介したJuan(ホアン)氏のレシピよりもう少し淡白に作ってあった。きっとじゃがいもは油で揚げてないのだろう。
私はホアン氏の方がコクがあって好き。

2008年11月11日火曜日

FLABIOL

バルセロナのカタル―ニャ広場近くランブラス通りにある楽器店でカタロニア地方特有の笛を購入しました。Flabiolと呼ばれているようです。木をくりぬいて作っています。短いので高い音しか出ないでしょうが、どうやって吹くのと聞いたら片手で吹くと云います(この店は英語が通じました)。あとでネットで調べたら、片手で笛、もう一方の手で体に取り付けた太鼓をたたくようです。(クリックすると写真が大きくなります。写真のエンジェルは笛を吹き、小太鼓をたたいてます)
表が5穴、裏が3穴、これを片手で吹きこなすのは至難の技のように思いましたが、面白いのでつい散財しちゃいました。菅頭部分に吹き口があって、音をだすのは容易ですが、音階を手繰る指技は大変そうです。楽器店のオヤジさんに吹いてみてと云ってもうんと言わなかったのは、彼もこなせてないからでしょう。
カタロニア語、カタランで書かれた説明書(上の写真)も買いましたが、カタランは私には当然ながら何も語ってはくれません。運指の図と音符の対応を見ながらちょっとだけ吹いてみました。片手で安定させるのからして容易ではなく、これをこなすには時間がかかりそうです。楽しみは増えましたが・・・。


2008年11月9日日曜日

スペイン旅行_3

トレド ― コルドバ ― セビリヤ まずスライドで
1~2:トレドを出発してまず、ドンキホーテに因んで、ラ・マンチャ地方の風車と古城がある丘を訪問
3:途中寄ったお店でコーヒーを飲んで一服
4:昼食を摂った村の名前を忘れちゃいましたが、ちょうどナポレオンとの戦いがあった記念日とかで、旧式の銃や大砲の空砲を放つ式典に出くわした。

コルドバはローマ人の時代からの歴史を持つ古都の一つ。
5-10:メスキータを内覧。イスラム教の寺院として建設され(8世紀)、後にカトリック教徒により(13世紀)礼拝堂が設けられたり、カテドラルが横に新設された、イスラム式とキリスト教式が同居する珍しい建築。イスラム式のアーチの柱や、その奥に礼拝堂があったりする。そして、イスラムのドームやキリスト教式のステンドグラスが混在。
11:町を歩くと古くからの建築をそのまま生かし、パティオを持つ住宅、お店が見られる。夏涼しく、冬暖かく過ごせるらしい。石の文化の世界とわが木の文化の違いを再度実感。
12:国際イスラム教大学がある。
13:グアダルキビール川を隔てて見るメスキータ。壮大な建築物を見たという感じ。(現地ガイドのイザベラさん、少し歳を召していたが、日本語独学でべらべらの美人)

セルビアに夜着
14-15:フラメンコディナーショウ、踊りも楽しめた。











食べることと見ることに気を取られて、ムービーは肝心の座長の女性の踊りが映ってなかったり(彼女の踊りはなかなか素晴らしかった、フィナーレのところで、真中で赤い服を着て手をたたいてる)、副座長格の女性が歌いそして踊ったのですが(踊り手が歌うというのは珍しいと添乗員氏(頼りになりました))、踊りの部分がほとんど映ってないです。横向きに撮っていたり、むちゃくちゃですが、出しちゃう事にします。雰囲気だけでもです。


2008年11月8日土曜日

スペイン旅行_2

マドリードに着いた翌日、休む間もなく朝からプラド美術館、国立ソフィア王妃芸術センターを訪問。
プラド美術館では王室が持つ絵画を公開しており、世界3大美術館の一つとか。ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコらのスペインの画家を中心に絞って見るのがやっと。国立ソフィア王妃芸術センターで見たピカソのゲルニカとそれにかかわる習作が何といっても見応えがありました。
バスから町を見て、トレドへ移動。
スペインは、古くはローマ時代、そのあとゴート族の支配、更にアフリカから侵入したイスラム文化、そしてハプスブルク文化と興亡を繰り返したことによる、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の文化の混合の反映が印象深い。
トレドの町は3方をホタ川に囲まれた丘の上に出来た天然の要害を利した古都として、今も大切に保存され世界文化遺産となっている(何とかタワーなんて、どこかの国の古都にある異物みたいなものはありません)。丘の上から下に降りて来て川を渡り、バスでホテルへと移動したが、前日からの疲れは大きかった。











川を隔てて外から見た街が、夕日に染まっている姿が印象的でした。

2008年11月4日火曜日

スペイン旅行_1

前回のスペイン風オムレツとは全く関係ないのですが、だんだん行けなくなりそうだという判断から、国外の旅行に出ました。スペイン、ツアー参加です。31日昼に成田発、マドリードに当日の現地時間で夜遅く到着しました。KLMの利用ですが、成田を発って、まっすぐ北上、新千歳空港の上空を通過、増毛近くで日本海に出て、ロシアへ。シベリアの北部、北極海をかすめながら、バレンツ海を渡って、スカンジナビア半島を縦断して、アムステルダム・スキポール空港に一旦降り、そこから別のKLM便に乗り換えて、マドリードへ着きました。これはきつかったですね。ぼちぼちこんなきついことはしにくくなるのでしょうね。でも私より10歳年上の方が娘さん付添ですが、かくしゃくとして頑張っています。
今日は第一日目のスライドです。
(1)成田発、A300と思います。
(2)KLMの機内食もずいぶん質素になりました。でもお魚料理でしたが、決して味は落ちてない。左上はデザートですが、これも上品な甘さで。見た目より味に力が入っていました。
(3)座席が主翼の上で、景色はあまり見えませんでしたが、これは斜め前方、スカンジナビアの山なのか、雲の山脈なのか?
(4)主翼は反り返って、巨体を持ちこたえてくれています。
(5)アムステルダム着陸直前。水郷ぶりを旋回中に楽しめました。
(6)着陸すると、当然翼の反りは解消
(7)アムステルダムで、EUへの入国審査。空港にはすしバーがありました。
(8)アムステルダムからマドリードまではボーイング737.B737は日本では飛んでましたっけ?外国ではまだまだ見かけます。アムステルダムからマドリードで出たサンドイッチも悪くなかったです。
(9)マドリード空港;荷物が出てくるのを待つ間、日本語での歓迎を見ました。










マドリードから古都トレド、南部セビリア、グラナダ、地中海側バレンシア、バルセロナといった旅程で、今ちょうど中ほど。日本での気象予測はほとんど雨で、げんなりしてたのですが、雨はほとんどなしで、天候はまあまあと云ったところ。総勢26名のツアーはちょっと多いですが、今のところ順調に旅しています。

2008年10月30日木曜日

スペイン風オムレツ レシピ

男の料理教室で、私が出来るまともなのは唯一で、それは家族や友人からも褒められたと云ったのですが、それがスペイン風オムレツでした。机の周りを整理してたら、レシピが出てきましたので、自分の備忘録を兼ねて載せることにしました。友人(スペイン系スイス人)から伝授されたものです。

3-4人分の材料は以下の通りです。

ジャガイモ  1Kg
タマネギ   2-2.5個
卵       6個
塩、胡椒   少々

1)全てのじゃがいもの皮をむいて、ジャガイモとタマネギをサイコロの大きさに切る。
2)それらに塩をして混ぜる。
3)普通の大きさのフライパンに油を加える。底から半分ぐらい。これを熱し、それからフライパンが一杯になるまでジャガイモとタマネギで満たし、焦げ目が付くまで(ジャガイモに竹グシがすっと軽く通るぐらい)揚げる。
4)卵6個をボールの中に割って落し混ぜる。
5)油で揚げたジャガイモとタマネギを取りだし、油を切って卵が入っているボールに入れる。
6)しばらく置いてから、塩、胡椒を加えて味付け(お好み)、混ぜる。
  (ベーコンを切って残りの油で揚げて具として混ぜてもよい)
7)再びフライパンに油をひき、弱火であっため、ボールの中の具をフライパンに入れて焼く。ひっくり返して、裏からも焼く。レアーからウェルダンまで、焼き具合はお好みに合わせて。

キッシュみたいな感じの出来上がり。切り分けて食べて下さい。

多分6)がキーかも。これなら男性でも簡単に出来るでしょう。私も3,4回作ったことがありますが、外れたことはありません。お勧めですよ~。

2008年10月29日水曜日

相模のもののふたち (永井路子著)

久しぶりに郷土史。表題は永井路子さんが書かれた著書(有隣新書)で、だいぶ前に読んだのだが大変面白かった記憶がある。

通常は源頼朝の反平氏旗揚げをもって日本の中世の始まりとするのだが、永井さんは頼朝のと云うより、頼朝を担いだ関東武士団のクーデターと捉え、その時中心となって活躍したのは三浦一族とする。巻頭の章に三浦氏を選んだ所以はここにあるようだ。この一族、豪雨のための川の氾濫が災いして、頼朝の旗揚げに間に合わなかった。彼らが間に合ったならば、頼朝の軍勢は2倍に膨れ上がっていたであろう。

頼朝は大庭勢に敗れ、一旦、安房に渡海する。三浦一族は畠山重忠率いる軍勢に三浦半島のに端に追い詰められる。三浦一族の当主は三浦大介義明90歳。郎党を集め、ここは名より命を惜しめ、そして必ず頼朝を探しだし、一緒に武家の世を拓けとさとし、郎党はやはり安房へ落ちる。義明は足手まといとならぬため、立て篭もった衣笠城に残り、命を捨てるのである。「剛毅と冷静な判断力」を持つ三浦義明の描写がとても好きだ。永井さんは「鎌倉時代の幕開けを飾るにふさわしい人物」と云い切っている。その”冷静さ”が嫡男(実は次男、長男が若くして死んだため)義澄、その子義村に受け継がれ、”剛毅さ”が、若くして死んだ長男義宗の子、和田義盛に受け継がれたと書いておられる。

頼朝一派と三浦一族は安房で合流し、坂東の武士団を纏めながら、鎌倉へ入る。

私はこのブログに、平安時代末から鎌倉期初めに、八王子から北相にかけて活躍し和田氏とともに滅んだ横山党に関連して何度か書いたが、その同盟者の和田氏についても少し調べ、書いてみたいと思う。その始まりとしてこの本を紹介するのがいいのではないかと触れてみた次第。

この本は2章に和田氏、3章に土肥、土屋、岡崎氏、4章に曽我兄弟、5章に大庭氏、6章に波多野氏、7章に梶原氏など、8章に渋谷氏など、を取り挙げている。

東鑑に関する深い知識の上にたって、現地を探訪してかかれた歴史評論とも云うべき書物。史跡の見方など、示唆に富んだ、お勧めの一冊である。

2008年10月23日木曜日

一休み;ベランダの花

ちょっと一休みして、お花の話題。秋の花の内でホトトギスが好きな花の一つなのですが、近くのお宅のお庭にとてもたくさん咲いてます。お庭の傍を通ったので、写真を撮らせてもらおうとすると、奥さんが出ておられて、了解を取って、撮影。好きな花なのだと言ったら、「今年はあんまりきれいに咲いてないけど、よかったら一株位あげますよ。あとで取に来て」と云われた。翌日散歩に出た際に傍を通ったらやはり庭におられて、一鉢を用意してくださっていた。有難く頂戴して早速家に持ち帰った。
お庭に咲いたホトトギスと、いただいてきた一鉢、ついでにブーゲンビリヤ、夏には葉っぱが少なかったのに、今頃になって沢山葉が茂ってるアボカードをスライドにしました。










確かにホトトギスの咲き方がチリチリの感じですが、ホトトギスは強いので、花が終わったら、短く切って、来年を楽しみにすることにします。

2008年10月22日水曜日

篠竹の切り分け

笛の材料作りの次のステップとして、ベランダで干していた篠竹を切り分けました。午前中一杯かかりました。

左の写真のように、切る場所にはマスキングテープを巻きます。切り離すときにささくれだって端っこが不細工にならないようにするためです。
気を付けましたが、端っこがささくれだってしまったのが数本あります。

左の写真は細すぎて無理かなと思うのを別にした、切り分けられた竹で、43本出来ました。
左の7本は短めで、高音の古笛、竜笛に適します。
中ほどの28本は標準の中音用です。最初に笛を作るのには、この長さの笛を細工するのが適して居ると思います。
右の8本は勿論、中音用にも使えますが、低音の笛に使えます。中に1尺3寸、1尺4寸の尺八様の5孔の笛を作ることも可能です。細いのは縦笛には適さないと思いますが。

15本を子供たちの笛作り用に確保して、あとは、お仲間の希望者があれば、その方たちの笛作りに提供したり、自分の研究用に使おうと思います。

写真をクリックすると大きくなります。

2008年10月21日火曜日

手作り3極モーター

17日にアップした2極モーターの回転子を3極にする試みをしました。ホッチキスの玉4x6=24個を使いました。



3極にすると、電池をつないだ後、手で始動しなくてもモーターは動き出します。

Tさん案を採用して、このモーターを逆利用して、水力と風力の発電を試してみましょう。その前に、長い釘にコイルを二つ巻いて一方に電流を流して、磁石状態にして2次線の電流測定というのも考えたいですね~。何にも云わないで、測定をうながします。1次線のスイッチを入れたり切ったりした、その瞬間だけ2次線に電流が流れると云うのに気がつくかどうか。ファラデーが見逃さなかったことなのですが・・・。

2008年10月20日月曜日

小学中低学年の子供たちとの理科・工作の遊び(1)

先週金曜日夕方から、お仲間のTOサンの参加を得て、私と同じマンションに住む子供たち(小学校中低学年)8人と集会室を使って「子供たちと理科で遊ぼう」を開始しました。6-7月に高学年の子たちとやったシリーズの続きのような位置づけです。

紙で遊ぶのが当日のテーマで、デパートの包装紙や広告の紙を使って遊びました。構成は4年生2人、3年生4人、1年生2人でしたので4年生1人、3年生2人、1年生1人からなる2つのグループに分けて、小さい子はお兄さんお姉さんと遊ぶようにしました。

先ず、分子構造モデルから作った正八面体を見せながら紙でも作れるよと、例を示しました。驚いたことに一人の男の子がすでに作ったことあり、でした。楽しみですね~。
少し対称操作じみたことをして遊びましたが、1年生にはちょっと無理でしたね~。

次に、紙鉄砲。小さいのや、大きいのも作って破れるまで鳴らしていました。やはり男の子の方が面白がっていました。
「何であんなに乾いたパンと云う音が出るのだろう?」と聞いてみました。
かなりいい線まで言う子が複数いて、嬉しいことでした。すごく頭が動いている子もいます。私からの質問はずっと先への宿題としました。

次に2種類の折り鶴を渡して、「どちらでもいいから作ってごらん」と言ったら、みんな作ったことがないのをやると言い出したのも嬉しかったことでした。「それはあげるから、好きにしていいよ。おじさんは折り方を教えないよ」と言ったら、困ったような顔をしてましたが、誰かがほぐしてみようと云いだして、分解して、新たな紙で組み立てようとし始めました。

2個の折り鶴のちょうど中間のような、新たな変種を作った子もいました。次から次と質問がくるし、手を差し伸べる必要の子もいましたが、TOサンと手分けして、あっという間に1時間が過ぎたような感じでした。何をやるかはかなり自由にしたので、夫々が楽しんだようです。

ほぼ1時間で少し集中力が落ち始めました。私が持って行った化学モデルでコマを作って遊んでた子もいましたが、ちょうど集会室利用の終了時間がせまり、終わりにしました。ちゃんと後かたずけをして。

何もしない一枚の紙をそっと押すように放しても、ふらふらひらひらと落ちていくだけだけど、折り紙飛行機は飛んでいく。どうしてだろう、と問題提起して、来週は紙飛行機競技をしようということにしました。

TOサン、ありがとうございました。