2012年5月28日月曜日

蒔田&弘明寺

吉良上野介で知られる吉良家は足利家の有力な庶流で三河国幡豆郡吉良庄に拠って、足利氏にとっては東国と都との中間にある重要な兵站拠点をなしたと考えられる。
この一族の一部が別れ、世田谷豪徳寺辺りから奥沢のあたりまでを領有したようで室町時代には、関東では鎌倉公方(足利氏)、関東管領家(上杉氏)に次ぐ家格を有していたらしい。世田谷勝光院や目黒の東光寺に一族の墓がある。
しかし戦国時代末期になると、小田原の後北条家に組み込まれることになり、横浜の蒔田に城を作って本拠を移し、蒔田御殿と呼ばれたらしい。城跡の丘には横浜英和という学校がたっているが、丘のふもとには竜禅山勝国寺が菩提寺としてなごりを残すこの吉良氏は、江戸時代には蒔田氏と改姓して徳川家に高家として仕え、吉良上野介義央の代で吉良の本宗家が断絶した後は、蒔田氏が吉良に復姓した。

蒔田の地をちょっとブラっとした後、弘明寺に出た。弘明寺は座間の星谷寺と同じく坂東三十三観音の一つで、第十四番霊場であるが、それとは知らず、私は小学校にあがった頃はこの辺をかけずり回っていたのだった。
門前をまっすぐ伸びる商店街も、アーケードつきとなって賑わっていたが、ちょっと東にあった、立派な太ーい欅が無くなってたのは残念至極。

2012年5月21日月曜日

金環日食、雲のおかげで写真

曇天で駄目だろうなーとあきらめてたら、日食眼鏡を持ってゴミを捨てに行った我が君が、バッチリ見えてると下から呼ぶ。

下まで走って降りて、雲のおかげで日食眼鏡なしで見えました。素晴らしいタイミングで雲が少し薄くなり、バッチリ!!
 
 
 

2012年5月18日金曜日

横山公園のスズラン

陸上競技場の北東側(プールそば)で、今年もスズランが咲いてます。もう終わりに近いかな。葉の陰にうつむいて、恥ずかしげに咲いてます。

2012年5月16日水曜日

背の君生誕の地へ。自炊の巻き

昨日は背の君は、実弟と父親の法事にと生誕の地へ出かけて行った。母は存命なのだが、もう動くことは困難と姉弟で出かけて行った。良い機会だから、いろいろ話しておいでと、日帰りでなく温泉に泊まってくることになった。
サテ見栄を張ったが、自分でなんとかせねばならない。夕食、作り置きしておいてくれた、厚揚げとジャガイモ、玉ねぎの煮物は食べるとして。あとは自分で!
写真は夕食、こどもの頃の贅沢な食べ物だった、ハムエッグを作ったが、技術が落ちてて、お皿へ移す時失敗して、卵がこわれた。そのほかはブロッコリーとレタス。それに昼食に半分だけ食べたアボカァドの残り半分をマッシュして、練りワサビをまぜたもの少々。チョット残ってたシシャモにビール。お汁はインスタント、てへへ!これで仕舞。
練りワサビ入りマッシュトアボカァド、ポテトチップスやクラッカーにつけて、チョットしたつまみにもなるかも。

2012年5月14日月曜日

総会終えて

本日、理科で遊ぼう会の総会を終え、そして引き続いての茶話会をおこないました。
最初からの会員の酒仙人さんが世界の教育と対比しつつ日本の現状の問題点など話をされ、参加者が思い思いの意見を交換し、にわかに結論じみたことが出るようなものではなかったですが、互いの認識を知る機会は大変有意義でした。

夕方、”霞を食って生きてる”とのたまうわが君を、たまには霞ならざるものをと、小さなフランス風家庭料理の店に誘い出し、しばしくつろぎました。感じのいい夫婦二人で営むこじんまりとしたお店。ホッとしてたこともあって、テーブルワイン一杯だけでいい気持になってしまいました。”主人の誕生日が一週間前で、それも兼ねて”なんていらざることを言うもんだから、気を利かせたお店の奥さん、お宅のバラをちょっと持たせてくれました。帰宅後しばしうたた寝。

さあ、明日からは棚にあげてあった事に取り組まないと!

2012年5月6日日曜日

5月5日、相模原公園で

雨っぽいGWでした。忙しいこともあってずっとくすぶってたが、5日はカラッと晴れ。
午前中は横山こどもセンターでおもちゃ病院。午後、相模原公園を散歩しました。持って出た笛でちょっと練習。






アイリッシュフルートは指孔間隔が広くって、指が短いので中々うまくいきません。時間かけて頑張ろう。新作の八本調子篠笛、篠竹で作った、横笛尺八(1尺6寸版)も持って出ました。下手ですみません。

2012年5月4日金曜日

虹の彼方にって、昔のこと?

雨上がりの夕刻、虹が横山公園の方からでてました。some day over the rainbow・・・なんて歌ったっけ。
いや!これからもう一度鍛え直して、若い時に歌いたくっても果たさなかった曲を歌うのだ!これ次の目標。