2012年3月30日金曜日

ああ榎本喜八が逝った

大打者榎本を初めて知ったのは、私が中学2年生の時だったと思う。祖父母の家近くの駒沢球場(東京オリンピックを期して運動公園となり、東京オリンピックではレスリング会場に当てられた)で行われた東映フライヤーズ(今の日ハムファイターズ)対毎日オリオンズ(今の千葉ロッテマリーンズ)戦だった。彼は早稲田実業を卒業直後で既にオリオンズの3番に座っていた。それ以来、何故だかわからない、榎本のそして彼がいるオリオンズの熱烈なファンになった。天邪鬼の私、皆が騒げば騒ぐほど、セリーグ、特に巨人は眼中に入らなかった。そして、段々理屈を付けるようになった。バッティングの構えとフォームがすごくきれいと言うか、張りつめた凛としたようなものを感じたのだ。彼は左投げ左打ち。私は右利きだったが、それ以来、左打ちに変わった。勿論草野球だが。彼のようなライナーが打ちたかった。打てた時は、嬉しくって、あとはどうでもよかった。

王を育てた荒川博の一番弟子。打撃の完成度から言えば、王(榎本の4年後輩)を上回っていたと荒川の弁。成績は問題ではなく納得のいく打撃が出来たかどうかだけが問題だったという。王の場合は巨人という、勝たねばならない球団にいたので、打撃法だけを追求するわけにはいかず、心ならずのこともあったろう。榎本と同じチームでプレーしたかったと、王が述懐しているのを見た。

ああ榎本、真剣を振りながら打撃法を追求した人。あの川上をして、自分より榎本の方が打撃の神様と呼ぶに相応しいと言わしめた人。川上、山内に次いで、31才の若さで2000本安打に到達(最年少記録)したという、求道者にして天才打者。私の若き日の星が又一人消えた(3月14日)。享年75歳。心からご冥福をお祈りする。

2012年3月26日月曜日

今日の横山公園

しばらく行かなかった横山公園、ちょっと寄ってみました。サンシュウユ、シダレウメは咲きそろっていました。以下の写真はクリックすると少し大きくなります。

でも、白梅君、綺麗に咲いていましたが、まだ満開からは程遠い感じ。右下の桜はがくのところが黄緑に膨れつつありますが、開花はまだまだの様子。何時咲くのでしょう。

孫娘が中学生に

孫娘が、遂に中学生になってしまいました。幼い幼いと思っていたのに。我々も年を取るわけです。お兄ちゃんの時と同様に腕時計をプレゼントすることにして、昼に町田集合。まずはランチ。背の君は娘と孫娘を従えて品定めをしてますが、やはりどこか華やいでいました。その後で、今度は腕時計を物色。驚いたことにすごく安いのもあるんですねー。マー記念だからと、ちょっとはりこんでぶら下がってるのではなく、陳列ケースの中から選ばせました。よく考えて選んでいたなと思いました。
背の君は直ぐにバイバイとは言い難いらしく、口実を付けて、一緒にパソコンを見たり、携帯を見たり(左)。結局何も買わなかったけど。
私は相模原市役所に用事があって、そこでバイバイ。娘親子と背の君は別々の所で買い物と3組に分かれました。
それにしても、ついこの間まで、ビービー言っていたという印象が強いのに、もう12歳。後6年もすると番茶も出花のころですか。その頃は私は母が亡くなった年齢を越えてることになるが。やっぱりもう少し元気でいるべきかなー。
明日は、お兄ちゃんの方が私の所にやってきます。4月から高校生。何かを教えてほしいらしい。久しぶりに孫たちとの触れ合いの日々。

2012年3月24日土曜日

全国の桜集合

一昨日22日は、東京の目黒区にあるお寺にお墓参り。お墓の掃除をして、たまには街中へ出ようよという背の君の誘いに乗って、地下鉄を乗り継いで都心へ。
有楽町はルミネで、全国から集めた桜を束ねた、「桜を見上げよう」というイベント見物となった。5月に咲くはずのエゾ山桜まであって、驚いた。なかなか見事なものだった(3月25日まで)。かなりの数の老若男女が桜を取り巻いて写真を撮っている。遅れている春の到来を待ちかねているのだ。
被災地からのグッズが即売されていて、我々も一つ購入。左は大船渡からの桜。とても勢い良く咲いていた。2枚の写真はクリックすると大きくなる。
居酒屋風の地中海料理の店へ。2日前倒しのアニバーサリー。
AB型とO型の血液不適合の組み合わせ。共に、ボケ型ではなく、突っ込みタイプ。44年間良くもったなーとお互い顔を見合わせて、ニヤリ。どちらかが倒れるまで、この調子を続けることに相成るのでありましょう。

2012年3月17日土曜日

知ってて言ってるのでしょうが

今夕のニュース番組で、囲碁のプロ棋士が、5目置かせる、或いは4目置かせて、コンピュータソフトと対戦し、完敗だったとのことである。プロ棋士は勝つつもりだったらしいのだが、開発ソフト能力向上が素晴らしいことをあらわしているし、プログラム開発者の勝利である。おめでとうと言いたい。
が、しかし、報道陣って知ってていってるのですかねーと思うんだが、平気で主語となる勝者の名前を”コンピュータ”と間違った表現をするんですネ。絶対間違いで、ちゃんと”コンピュータプログラム”が勝ったというべきです。
所詮、コンピュータは”気が効かない愚か者”でしかなく、書いたプログラム通りにしか動けないんですから、たとえもし自己増殖的に論理を構築していくようにプログラムが書かれていたとしても、それはやはり、書かれたプログラムの論理に乗っているにすぎないです。プログラム開発者がプロ棋士に勝ったと言うべきでしょうね。
多分、そう書いたんじゃ面白くないから、コンピュータが勝ったと言ったのでしょう。でも、世の中の認識を惑わす元凶です。
面白くなくっても、世の中の認識を惑わすよりはずーっと良いことではないでしょうか。

それにしても、どんなプログラムが書かれたのだろう、興味津津。

将棋や囲碁のプログラム開発は人工知能開発の一環とも取れますが、人工知能の開発者には、高貴な精神が宿っていて欲しいものですネ。

2012年3月16日金曜日

それにしてもだ、どうしてアメリカで開発された原発をそのまま持ってきてしまったのだろう?アメリカは日本に比べ国土がはるかに広い、そしてはるかに地震小国なのだ。その上、核爆発に伴う実験を沢山行っており、多くのことを知っているはずである。日本は核爆弾被爆の経験はあるが、被爆当時の多くの重要な情報はおそらくアメリカへわたってしまっていて、日本に多くが残っていないであろう。原産国より厳しい自然環境なのに、それゆえもっと厳しい安全基準で設計されねばならないものなのに、そのまま持ってきてしまった。運転するのも原産国の人ほどの経験がなく、それゆえ厳しさの意識が薄いのではあるまいか。

2012年3月6日火曜日

ドーナッツ買ってきたら

今日はあったかというより、暑かっですね。横山公園の白梅がほころび始めました。

新たに作り出した八本調子篠笛の出来具合を試さんと、午後から姥沢に出かけて試し吹き。うん、これなら仕上げに入ってよろしいと判断しました。上の段にあがって横山公園に行き、少し歩き、肩の筋肉を伸ばさんとウンテイにぶら下がる。汗がでました。
上溝駅側に出て、ミスタードーナッツのところにきて、そうだこの間ドーナッツ作らない?って聞いたら、面倒だとのたまわった。それならと、ちょっと照れくさかったが、ドーナッツ入りの袋をぶら下げて帰ることに。

帰宅すると留守。そうか、”歯医者に行くといってたな”、汗を拭き拭き着替えて一休みしてたら、背の君も帰宅。曰く「ドーナッツ買ってきたよー」、「エエー!!」
というわけで袋が二つ並んだ。中身を見たら、全く同じではなかったが、両方ともほぼ同じタイプのが並んでた。



「携帯持ってるんだからサー、買ったのならそうと知らせなさいよー」やっぱり怒られた。目は笑ってたけど。
クリックすると、写真大きくなる。

2012年3月1日木曜日

雪の横山公園

車を車検に出し、代車は断って電車で帰ってきた。上溝駅で降りて、急に横山公園を回って帰ろうという気になって、上溝中学の入り口ところへ。雪消水が溝からあふれ出して流れている。横の照る手姫の道に入って、左に丹沢が開けてきた。久しぶりに雪道を歩く感覚を味わえるかと思ったが、ちょっとだけで、水溜りをよけながら歩くことになってしまった。
テニスコートの横を抜けて、プールと陸上競技のグランドの間の道に来て、驚いたことに、マテバシイの大きな枝が折れて地面に落ちていた。雪の重みに耐えかねたのだろうか。さらさらではない雪だからなー。

白梅のつぼみが膨らみ始めていた。先週、咲き始めてたピンクの梅が今もけなげに咲いている。そしてサンシュウユも黄色のつぼみを膨らませている。春の理。
雪が降ったけど、春なのだ。
(上の3枚の写真はクリックすると大きくなります)

駐車場のそばの広場では。3組の親子が雪だるまを作って、冷たいといいながら歓声を上げていた。小さな子達よ、四季折々のいろんなことを体験して、大きくなっていくんだよ。