2013年8月27日火曜日

手ずかみ捕獲 蝉14匹

今日、午前中小山小でサマースクールのお手伝い。帰路仲間数人で昼食をとって、私は横山公園ですこし歩きました。自分で設定したグニャグニャ歩いて一周約2700歩のコース。三周して約8100歩。

歩いている間に蝉が随分低いところに留っているのに気付きました。左写真、一つの例ですが、赤い矢印で示した蝉3匹が映っています。ツィいたずら心が起こって、手で捕獲できるかやってみることにしました。

三周する間の戦果、アブラゼミ12匹、ミンミンゼミ2匹。この頃は昆虫採集をする子が居なくなって、蝉はトロくなっちゃったのだろうかと、いぶかっていましたが、内訳をみるとメス12匹、オス2匹。圧倒的にメスが多い。
なんでかな―と思って歩いていましたが、ふと思いました。メスは多分、木に卵をうみつけてるんじゃないか、生むのに夢中になってて、私に簡単につかまっちゃったのじゃないか?じゃ何故そんな低いところにいるんだろう?もしかすると卵から小さな幼虫になって地中に潜るには卵の位置は木の低い方が良いはず。そうだそうに違いないなんて妙に感心してました。だって、誰に教えられもしないのに、危険な低いところで産卵する。遺伝子の中に組み込まれてるのかなー?
そうだとすると、生物の知恵の伝承、すごいものがあるなー、なんて勝手に感動してました。

勿論、残された時間は短いはずですから、精一杯生きてもらおうと、直ぐ手放しました。

2013年8月24日土曜日

高田橋_花火大会_2013.8.24

我が家のベランダからの眺めです。 フィナ―レがとても綺麗だったらしいのですが、撮りそこないました。残念。
綾瀬の花火も見えてました。

キャロル・グラック女史

8月20日 朝日新聞 オピニオン欄(第13面) 「米国から日本を見つめる歴史家 キャロル・グラックさん」 と題してインタビュー記事が載っていた。
 深い理解がないまま日本を取り巻く事象に右往左往する海外メディアの日本理解の浅さを女史は指摘していた。なるほどと思ったが、その後ろに続く、所謂歴史認識に関連した広い視野からの発言が大変興味深かったし、重みを感じた。 

女史によると、歴史認識の問題が世界中で顕在化したのは、EU統合にあたって、ホロコーストがヨーロッパ共通の記憶となり教育も行われたのであって、今に始まったことではない。日本のまわりで歴史認識がうるさく言われるようになった背景に、次のようなことがある:日本が太平洋戦争後、米国の庇護下にあって、アジア隣国との間で戦争の記憶に関してなにもしないですまされていた。敗戦後70年たつというのに「戦後」という言葉が語られるのはどれほど、居心地のいい時代だったかともいえるのではないか。それが、冷戦の崩壊を通じて、日米関係だけが唯一の重要な国際関係ではなくなり、アジアと向き合わなければならなくなった。日本政府が戦争の記憶と正面から取り組まなければならなくなった。本当は敗戦直後から向き合わなければならなかった問題を先延ばしにしてきた、今頃になって対応せざるを得なくなっているのだと。

「謝る」のが正しいかどうか考えねばならないが、やったことはちゃんと認めるべきだと私は思う、ほっかむりをし続けるべきではない。そして若い人たちにも正しく伝える事こそが将来に間違いが起こらないためにも必要と思う。

「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いにしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分達の話す日本語は海外では全く理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンに直ぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」という女史の言葉にも傾聴に値する。

首相の内向き発言ばかりが目立つこの頃にうんざりし、首相たるもの世界の中の日本をどうするかということにこそ力を込めてほしいのに。鎖国の時代ではないのですから。

女史は更に、安倍首相より危険なこととして、日本を含む、東アジア諸国の若者の間に見られる、互いに抱く嫌悪感、ヘイト・ナショナリズムを指摘する。将来を考えるとき確かに危険なことだ。今の指導者の思慮深い、将来をも見つめた、落ち着いた言動が非常に大事ではないだろうか。 

憲法改正に関しても、「仮に今、憲法改正に着手したら政治のエネルギーを吸いつくしてしまうでしょう。中韓や東南アジア諸国との関係をどうするか、世界でどんな役割を果たすべきか、そんな課題がやまずみだというのに」と疑問を述べている。
現憲法のもたらす問題点は常に頭に置いておかねばならないが、改定を考える余裕がないほど、日本は複雑な構造を持つ国際社会の真っただ中に置かれている。容易なことではないように思うが、女史は日本にグローバルプレーヤーたれと言う。世界の中で他国が難しくっても、日本にはできるようなことを探るべきなのだろう。
独創性と賢さが求められる。


 なお8月22日には第11面に「歴史認識 解決を探る」と題して、国家の謝罪を研究してきたジェニファー・リンド准教授のインタビュー記事が載っていた。これも考えさせられる。
ヨーロッパでどのように乗り越えたのか、学ぶべきことは多い。

2013年8月16日金曜日

ペットボトル風車試作

ネットのお仲間からペットボトルの風車でモグラの畑荒らしを防ぎたいという相談をいただき、見よう見まねで作ってみました。
使ったペットボトルは断面が6角形状のもの。作業がしやすそうなのでこれを採用。工作の準備として線を引きます。
実線に沿ってカッターで切る。そして点線に沿って折り曲げる。
ペットボトルの蓋に穴を開けるのは簡単だが、ペットボトルの底のまん真ん中に穴を開けるにはかなり力が必要。半田ごてで開ける手もあるけど、今回は錐とファイルソーで穴を開けました。
下左側の写真は出来上がり。針金はガーデニング用の細い針金。ボトルの底側に付いているのはビーズ替わりにペットボトルの蓋2個を張り合わせたものを使っています。下右図はその張り合わせたもの(まだ穴を開ける前)。

朝そよ風のもとの様子と、夕方ちょっと強い風が吹いた場合をムービーに撮りました。

2013年8月14日水曜日

プーシキン美術館展@横浜美術館

ソ連が崩壊する少し前、1990年の11月に欧州滞在後の帰路、熱心な誘いを受け、モスクワに立ち寄った。一週間滞在して、かなりすさまじい状況を垣間見た。
泊めてもらったホテルの部屋は一応しっかりしたものだったが、朝食たるや、インスタントコーヒーと堅めのパンとその他に何があったろうか?コーヒーカップについてくるスプーンもアルミ製。何度か顔を合わせ、向かい合って座ることになった、若いアメリカ人と肩をすくめて、見聞したことを話しあったものだった。夕食は毎晩ホストの家に招かれた。豪華ではないが、ごく普通に過ごさせていただいた。町の中のマーケットの物のなさに比べれば豊かだったように思う。

ソ連の崩壊によって、世界トップクラスだった国としての数学の力が、ガクッと落ちたという話を聞く。知り合った若い理論物理学者の数学の力は素晴らしく、舌をまいたものだったが。彼はその後どうしているだろう。

滞在中、空いた時間にホストの娘さんがプーシキン美術館に案内してくれた。この国の美術だけでなく、音楽など芸術への力の入れ方は並々ならぬものがあるとは思っていたが、プーシキン美術館の世界中から集めた古代の文物から始まる、コレクションは素晴らしく、圧倒された。
その、プーシキン美術館から、フランス絵画が66点も来ているというので、昨日横浜に住む友人夫妻と昼食を共にした後、我々はみなとみらい駅そばの横浜美術館に寄って、しばし、堪能してきた。
下は展示されていた絵で左ゴッホ、右マティスの作品の絵ハガキ写真。なお2枚の写真を夫々クリックするとパンフレットの表と裏が夫々表示されます。
とっても良い展示だと思います。9月16日まで展示しています。

2013年8月4日日曜日

クマゼミ:姿は見えないが鳴いていました

今朝7時ころ横山公園を散歩。おとといに比べてミンミンゼミが随分鳴いてるなーと思いながら歩いていると、クマゼミの鳴き声が聞こえてくる。メタセコイアのあたりだ。ちょっと撮ってみました。
クマゼミのオスだけでも2,3匹はいたような印象。だけど姿は見えない。ミンミンは姿を見せてサービスしてくれました。注意深く聞いていると、羽を震わせている音も聞こえますね。

2013年8月1日木曜日

今年は蝉が不作だそうです

久しぶりに横山公園を散歩。相模線に沿った崖上の桜の木四本に夫々風鈴が一個づつ取り付けてありました。公園を管理してくださってる方達の計らいとか、涼風に揺れて涼やかな音が流れていました。粋な計らいですね。
 
今年はなかなか蝉が鳴かないなーと思っていたのですが、今はすごく賑やかです。ほとんどアブラゼミ。時々ミンミンゼミやニイニイゼミも聞こえてきます。そう言えば先日北の丸公園に行った時、クマゼミが鳴いてましたっけ。

松に蝉の抜け殻二つ。右はサービス精神旺盛な蝉君この近さまで我慢してくれました。このあと液体を飛ばして飛んで行きました。写真はクリックすると大きくなります。
 

そうだ、メタセコイアのところへ行けば、沢山の抜け殻に会えるかと思って行ってみました。下の写真もクリックしてみてください。もう少しはっきり見えます。

蝉の抜け殻は鈴なりでした。でも公園管理の方に「蝉の声をなかなか聞かなかったんだが」と声をかけたら、今年は少ないですよとの答えが返ってきました。