2014年11月21日金曜日

カプリ島&ナポリの街角にて

カプリ島の港近くから対岸を望む。対岸の左の方に白く見えるのがナポリ市街、右の山がベスビオ山。そして右の方にソレント半島が続くのですが、下の写真はソレント半島の先端部がカプリ島のすぐそばまでのびてきています。またまた下手ですが三つの写真を連ねてみました。半島の右側面がアマルフィーがある側です。雲が低く見ずらいですが、半島の右の方には、イタリー半島の長靴の先の方に続く陸地がぼんやりとですが、ズーット見えていました。写真はクリックすると大きくなります。
カプリ島では波が高く、残念ながら青の洞窟には入れませんでした。洞窟の中に入ったら船頭さんの代わりに歌ったらなんてけしかけていた、我が連れ合いさん、実はカナズチで洞窟へ入る際、小舟に乗り換えることをすごく恐れていました。つまり、乗り換えずに済んで、心からホッとした表情をして居りました。
カプリ島から再びナポリに帰り、午後は賑やかなところを散策。にぎやかと言っても安全なところなのでしょう、ひったくりをしそうなオートバイにも出くわさず、のんびり歩いてきました。
夜は、ホテルからあまり離れてないレストランで実においしいピッツアを4人で堪能。食後はその日は演じられてなかったのだけど、ちょっとだけオペラハウス(テアトロ サンカルロ)を見に行ったら、残念なことに、工事中とのことで覆いをかぶって居りました。

2014年11月12日水曜日

遥かなりサンタ・ルチア

若い時から何時かは訪れたいと思って居たナポリに来ました。遥かなりの感があります。
サンタ・ルチア港、昔はナポリの出入り口、その近くにあるホテルに泊まりました。朝食は最上階で、そして屋上からの素晴らしい眺めを得ました。サンタルチア港から、ベスビオ火山、ソレント半島、カプリ島の眺めをフォトフィルターを使って繋いでみました。光の加減で見づらいところもありますが、以下に示します。クリックすると大きくなります。

地図もクリックすると大きくなります。左上にナポリの街、すぐ右にベスビオ火山(風向きが逆だったら、ナポリがポンペイに代りに埋まったのですね。真ん中下の半島がソレント半島、そしてその先にカプリ島です。

Santa Lucia luntana(遥かなるサンタ・ルチア)という歌があります。この曲はアルゼンチンに移住したナポリっ子が故地を懐かしんで書いた曲で、それがナポリ民謡として受け入れられたとのこと。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イタリアやスペインから多くの人がアルゼンチンなど南米に移住しました。Addito a Napoli(さらばナポリ)も移住する人の気持ちを歌ったもののようです。ナポリのサンタ・ルチア港からも沢山の人が出航して行ったのでしょう。
出発地はジェノバだけど、アルゼンチンの移住成功者の家へ家政婦として出稼ぎに出かけた母をマルコ少年が追い求める話、「母を訪ねて3千里」はその頃の話です。
20世紀初頭には北米にもイタリア人は沢山移住して、広い分野で活躍しています。ナポリターナということになっている、カタリ・カタリで始まるCore 'ngrato(つれない心)はそんな移住者の一人カルディルロが作曲して、メトロポリタン歌劇場に出演していたカルーソーに献呈したものと聞きます。
サンタ・ルチア近辺での写真を動画にしました。着いた日の夕食、前菜、主蔡を夫々とって分け合ったのですが、量が多いのには閉口しました。でも残さなかった。三つ子の魂生きてます。
ナポリ民謡を歌ったらこの人だなーと思う、ジュゼッペ・ディ・ステファノが歌う、Santa Lucia luntanaとともに。

2014年11月5日水曜日

世界遺産の街;アルベロベッロ&マテーラ

左、アルベロベッロの建物トゥルッリ群。どんなものか目の当たりにしてみたいものと思って居ました。これは東地中海地域にオリジンがあるそうです。そして、もともとは円錐屋根ではなく円筒形をしていたとのこと、そしてお墓のためのものだったとか。それが今のような形になり、人が住むようになったのだそうです。17世紀になってアルベロベッロや南イタリアにも建造されるようになったのだそうです。
中がどんな風になっているのか、興味があり、見せてもらえるのかどうか、ガイドさんに尋ねたら、あるお宅で見せてくれるとのことで、見せてもらいました。中々簡素で、心地よく住めるような気がしました。但し、断捨離せねばならんでしょうね。 壁の厚さが2m-3mと言うのには驚きました。写真をクリックすると大きくなります

マテーラは旧市街のサッシ(洞窟住居群)が世界遺産の対象。アルベロベッロとは打って変わって、角ばったごつごつした家屋群で岩を切り出し洞窟状にした住居群の集まりでした。展示してあった部屋は同じ洞窟内に家畜も入れたような展示でエッと思いました。
アルベロベッロとマテーラの間は数十キロ程度だと思うのですが、こんなにも違う住居のありように驚きました。どういう文化的な背景の違いがあるのか?

ビデオにまとめてみました。
そうそう、マテーラの街角に、コンサートの広告が出ていて、連れ合い殿、目敏くアコーディオン奏者として有名なCOBAさん(小林靖宏氏)の名前を見つけて早速写真を撮ったのでした。

2014年11月4日火曜日

ナポリ周辺の旅I 概観

もうそろそろ年貢の収めどきかなと思うほど疲れましたが、ナポリ周辺を旅してきました。若い時に入れ込んだ、あの美しいナポリターナの数々を生んだ地域を是非見ておきたいと思ったのでした。
10月22日、午後1:30に成田を発って、ローマへ直行、そのあとすぐ乗り換えて、バーリへ、そこからバスでアルベロベッロへ行き宿泊。23日現地の朝から行動開始と、ちょっとシニアにはきつかったが、頑張ってみることにしました。ところが、ローマへの機中で発病された方がいて、医師を募って居ました。ローマに着いても、病人を救急車に移すまで、残りの客は機中に足止め、そのうえ乗り換え機のローマ出発が一時間遅れて、アルベロベッロに着いたのは現地時間夜中の2時近く。成田からは約19時間30分の旅でした。
翌朝からあるアルベロベッロ、マテーラを経てナポリ(2泊)その間にカプリ島へ行って、ナポリ、ベスビオ火山、ソレント半島の景色を堪能(波が高くて青の洞窟には入れずじまい。)、ナポリの旧市街をみたり、翌日はポンペイ、ソレント半島をぐるっと回って、アマルフィ―泊、翌日も景色を楽しみながら、ローマへ(2泊)ローマではB級グルメの食べ歩き、夕食をしながらカンツオーネを聴いたり。
残念至極だったのは、ナポリでも、ローマでも夜ゆっくりできた日は、オペラの演奏がない日だったこと。
まず概略をビデオに作って見ました。
アルベロベッロのトゥルッリは外観だけでなく、あるお宅が中までみせてくれました。広くはなかったけど、簡素でとても好もしいものでした。次回載せましょう。
カプリってギリシャ語でイノシシを意味するそうで、カプリ島にはイノシシがたくさん生息していたとのこと。
ナポリ、心を入れ替えたのでしょうか、きれいとは言えないが、聞きしに勝るなんてことはなく、ゴミ捨て場をもうちょっと整理すりゃ、普通のヨーロッパの町と云った感じでした。言われるほど汚くなかったです。
ローマの統一宮からの眺めはゴージャスでした。