2021年10月20日水曜日

鉛筆まで消毒、そして持って帰る??

投票所で使う鉛筆を消毒して渡し、持ち帰るようにする?????
信じられません。鉛筆を消毒するための人件費、時間、鉛筆を投票者の人数分買う費用も無視できないほどの額のはず。無駄な金を使わないでほしい。鉛筆は共有し、使用後の手の消毒は各自がやるので十分ではないか!!!
こういうのは自己責任で良いのです。

2021年10月16日土曜日

「KYな人」

もう古臭い表現になってしまったが、「KY」という文字が人々の間ではやった時期がありました。「空気を読む」というやつです。いやなフレーズで、嫌いでした。まさに「同調」者のベタベタした感じがして嫌いでした。私は自分の名前(苗字ではない)にちなんで、E-メールアドレスなどに、KYを時々使います。気持ちは「空気を読まない」のつもりで。
現役の頃の話ですが、授業が終わってから良く質問に来る学生がいました。時にとても良い質問で、他の学生達も共有出来たら良いのにと思い、「良い質問だと思うので、他の人とも共有したかったね、質問は出来るだけ授業中にしてくれないか、他の人にとっても参考になると思うんだが。」と促したのですが、彼は拒否しました。目立つからいやだというのです。彼は空気を読んだのでしょう。でも社会の改善へのほんのちょっとした一歩にも寄与してくれませんでした。すごく残念な気持ちになったことを思い出しました。
子どもの世界のいじめも、同調者同士が群れて、群れに馴染まない異質な人を疎外し傷つけたりするということのようです。質的には上記の事と同じなのかなと思います。

我々の社会はどうも、異質を嫌う傾向が強いようです。でも異質は社会にとって、とても大切だと思うのです。異質な存在があると、多くの人が気付かない別の観点に気づく可能性が多くなるはずです。
何度か紹介したことですが、「アリの世界の話で、働きアリの軍団とは別に何処をホッツキ歩いている分からないようなはずれ者のアリがいる集団の方が、優秀な働きアリだけの集団よりも栄える」というコンピュータシミュレーションがあります。ホッツキ歩いているアリが、セッセとエサを運ぶ働きアリと無関係に新しいエサの在りかを見つけてくるというわけです。

少しづつ社会の様子は変わりつつあるようですが、少しでも早くオープンな風潮の社会になってほしいとつくづく思います。特にイジメによる悲話を聴くたびに強く思います。大人がオープンな心で接する社会を形作ろうと努力し、身を持って子ども達を教育していくしかないのではないかと思うのですが。

2021年10月7日木曜日

内橋克人 未来への遺言を視聴して

少し遡るが9月23日にNHKTVによる「追悼 経済評論家 内橋克人 未来への遺言」という25分番組がありました。氏の若いころからの活動の軌跡が25分に纏めてありましたが、幾つか心に残る言葉がありました。

「人間復興の経済学」、現在社会に吹き荒れている市場原理主義=新自由主義からの脱却です。社会がそう云うことが無理なく出来る状況で無いのに、自己責任という言葉が先走っていることに私自身腹立たしい思いがしていました。

「人間の命のために経済があるのであって、経済のために人間の命があるのではない」と表現されていたと思いますが、上の話と関連して印象に残る言葉でした。

「習熟し、深く知ることから、新たな発想、創造する力がでる」ネットを通して、一日毎に契約して、それ毎に仕事をこなす、一日契約社員の在り方への警鐘です。これは効率的かもしれませんが、習熟は失われます。そう云う社会状況は社会の実力を下げるだけといえるでしょう。このような形態が若い層に浸透していくことは大変危険で、未来社会の姿を思い浮かべるのが怖いぐらいです。

NHKが最後に選んだ言葉は
「頂点同調主義への警鐘」社会の先頭に立ってる人(頂点)の言うことへ疑問を述べる勇気が中々出ない、頂点へ同調してしまう心です。これは戦前に在って、この心の傾向が戦争へ突き進むことを許してしまったわけですが、果たして戦後今まで、変わっているでしょうか。戦後もずーっと頂点同調の傾向は相も変わらず我々の中に在ると思います。異議を述べることを恐れる心、異質であることを恐れる心、これを脱却しないと、もと来た道を歩むのではないでしょうか。
権力の側には立たず、何時も背筋の通った話をしておられた、内橋さんならではの重い遺言ですね。心して常に社会の在りように流されず、おかしいと思うことはおかしいと言う勇気を持たないといけないとつくづく思いました。そうしないといつまでたっても、日本人は学ばないと云うことになってしまうと思うのです。「戦争は嫌だ」と言うつぶやきはよく聞きますが、言うだけでは力にならないと思います。頂点に同調しない強さが問われているのだと思います。

さて、折も折、岸田新首相は「新自由主義からの脱却」を標榜しました。時機を得た発言とも言えます。ちゃんとやってくれるかどうか、池田勇人さんのようにちゃんとやるかどうか、我々はしっかり見張りましょう。

古い人の名前が出たのでついでに、池田勇人さんの少し後に首相になった佐藤栄作さんは退任するとき、記者会見をして、自分の実績、経済的繁栄を誇りつつ、それでも社会にある不満に苛立ち
「繁栄の中の貧困感」と社会の状況を評しました。私は違うと瞬間に思いました。人々の心はちっとも豊かになってない。佐藤さん間違ってるよ、「貧困の中の繁栄感」だよと思いました。
岸田さん、「人間復興の経済学」を実践してくれますか?

2021年10月3日日曜日

首相がまだ決まってないのに!

衆院は未だ開かれてなく、首班指名も行われてないのに、TVの速報で「xxxx氏のyyy相での起用が固まる」なんてやってる。自民党総裁は決まったのだから、首相も決まったようなものだけど、でも未だ正式に決まったわけではない。なのに、yyy相内定とはこれいかに???
自民党の中で、総裁が首相になったら、xxxxさんがyyy相を担当すると、決めるのはおかしくないけど、表に出すことではないと思う。決まったようなものではあっても、緊張感はしっかり持ってやってもらいたいように感じる。自民党の奢り、弛みはちっとも改まってないし、それを容認して放送してしまう、TV局の緊張感のなさにも困ったものだ。
けじめと云うか、慎みと云うべきか!