2013年12月30日月曜日

長津田発大井町行直通急行

昨日は東横線都立大学駅最寄りのお寺にお墓参り。
普段だと、長津田から田園都市線で二子玉川まで行き、そこで大井町線に乗り換え、自由が丘で東横線に乗り換え都立大学で降りる。2回乗り換えなのですが、昨日は長津田始発の急行で、二子玉川からそのまま大井町線に入って、大井町まで行く電車。おかげで自由が丘で1回乗り換えるだけで楽ちんでした。
横浜から和光市まで乗り換えずに行ける時代ですから、全く不思議のない話ですが。

2013年12月26日木曜日

モーターキットの箱作り;大きな写真の印画紙で

これまで、授業で使う手作りモーターキットは薄茶の袋に入れて渡しましたが、出来上がったモーターを袋に入れて帰るのでは破れたりして、どうもなーといろいろ考えていました。生産管理のNさんがA4の紙2枚で作るシンプル・ボックスを考案してくれました。箱にキットを入れて渡し、出来上がったら、それをそのまま箱にしまって持ち帰れる。
次なる問題は紙集め。厚紙は多数集めるのが容易ではないなど思案していたら、お仲間のQさん、別のお仲間のWWさんから使わなくなったA4大の写真の印画紙を沢山もらってくださった。ちょっと薄いかなと思ったが、長く使うわけではないので十分に目的を果たせます。
2月に行う授業用に約100個強必要ですが、一人10個作れば11人で出来てしまいます。
わざと写真の面を箱の表にして、きれいで、手ずくり感一杯の箱ができました。WWさん有難うございます。今後もよろしくねー!

ニュー・マグカップ;クリスマスに

クリスマスイブの食卓に新しいマグカップ。これから物を減らしていかないといけないのになーと思いつつ、気分転換にクリスマスの日を選んだあたり心憎い。

2013年12月18日水曜日

ラックスアンプキット LUXKIT A1033 の配線図

だいぶ前のことだが、ラックスアンプキットLUXKIT A1033を紹介したら、配線図をもう少し詳しく出せないかという注文がついた。ところがその図がなかなか見つからずお見せできなかったが、今日見つかったのでpdfに焼きました。興味のある方はご覧ください。A3の用紙を半分に分けてスキャンした2ページになっています。以下をクリックしてください。

追伸
56 LUXKIT のすべて
LUXKIT回路図集
なんて言う本(176ページ)が出て来ました。私が今持ってても価値ないし、でも捨てるのもったいないような。

2013年12月16日月曜日

先生の演奏会@シルク博物館(横浜)

ボイトレを受けている小沢先生が横浜市民広間演奏会の一員として参加する演奏会がシルク博物館イベントホールで行われました。他にサックスの田村さん、電子ピアノの北村さんの3人による若手演奏家による演奏会。サックスのラテンものもなかなかいいです。人の声には一言多い家内も小沢先生の歌には満足の体。楽しく過ごせました。

帰路、港に出ると大きな船が停泊。飛鳥IIでした。見ている間に出航していきました。右上に白い月が見えます
少し寒かったけど、よく晴れていて、港の象徴的なビルも、夕日を照り返していました。
写真はクリックすると大きくなります。

2013年12月14日土曜日

初冬の丹沢山塊

久しぶりの投稿。11月から12月初めまで、ちょっと忙しかったです。11月初めに、4日たて続けに小学校で授業、中旬から12月初めの間にこどもセンター4か所、公民館の子供祭り支援1か所。それらのための準備もあるのでちょっとくたびれました。 昨日は、朝9時に家を出て、近くの工場のオーナーさんにモーターの部材を切り出して作ってくださるようにブリキ板を持ってお願いに行きました。快く引き受けてくださり、そのうえ、「ブリキ板買わなくっても、うちの廃材で作れますよ、今度は指示してくれるだけでいいですよ。」なんて、嬉しい 申し出をいただきました。教材の単価が安くなればなるほど、子供たちのチャンスは増えるはず。

さてその足で、横山公園散歩、初冬の空は良く晴れて、大山も、蛭ヶ岳など丹沢山塊がくっきり見えました。


横山公園のテニスコート脇のもみじ、朝日を浴びてきれいでした。約1時間歩いて、そのあとは高校時代の友人たちとの会合に出かけ、夕方、帰宅。楽しいひと時でした。

2013年10月31日木曜日

7月28日の集中豪雨の爪痕(山口北部ー島根西部)

出雲を出て山口県の東萩へ向かったが、島根西部の益田と山口北部の奈古の間が列車は不通で、バスによる代替運行が行われていた。これは今年7月28日にこの地域を襲った局地的な集中豪雨による災害のためだという。
益田駅でバスに乗り換えたころはまだ明るかったのですが、10月も下旬となると、日が暮れるのも早い。バスが約45キロ離れた奈古駅に着いたころはすっかり暗くなっていた。途中、バスが走っていた国道191号線も片道通行の区間が少々あった。
途中、スーツケースを持った60代後半といった年恰好の女性がバスに乗車した。乗客は少ないので、すぐ目に入るのだが、旅行中の人とは見えなかった。
奈古駅からの列車の中は高校生が多く、その女性と我々はわずかに空いていた一隅に一緒に腰掛けることになった。 何とはなしに、我々は件の集中豪雨のことを話題にしようとしたが、その女性はむしろ、東北や大島の災害を口にする。しばらくそんな話をしたあとで、彼女は遠慮気味に件の集中豪雨のことを、ぽつぽつと語り始めた。集中豪雨の被災者だったのだ。
家が住めなくなるほどの破壊を受けたそうで、萩の息子さんのところに身を寄せて、後片付けに通っているのだとのこと。スーツケースは出てきたもので重要なものを入れるの持っていくのだという。 この災害は未曽有の東北の大災害に比べれば小さい規模のものでしょうが、7月28日から3か月経つというのに、汽車がいまだ開通していないのも驚きですが、被災者も通いながらかたずけをしているような状態に驚きました。

東萩駅で乗り合いタクシーを待つ間、観光案内所の人と家内が雑談をしたのですが、現地の人たちも復旧が遅すぎる、お金が回ってきてないと感じているようでした。

極端な言い方をすれば、列島の中心を通る山地のヘリにへばりつくようにして我々日本人は暮らしています。 関東地方は比較的広く、普段はあまり強く感じないですましていますが、気象、地象による山から、川から、海からの攻撃に晒されているという 現実を、今更ながらに強く感じました。

神在月(今日は最終日だけど)出雲にて

10月は出雲は神在月、今日は最終日になってしまいました。出雲では神々が集まって縁結びの会議をするのだそうで。
大和朝廷が統一した形で成立するにあたって、征服された有力な王圏の中心が出雲にあったということは大方の見方。被征服者の長が祀られているのが大社らしい。被征服者をこそ丁寧に祀るのが、古来からの日本文化の特徴の一つなのだろう。古代の国譲り神話では、各地から有力者が集まって会議をした(戦もあったでしょうが)ということになっています。神々の会議の話は上記と無縁じゃないのでしょう。
この辺の話はまだまだわからないことが多くって諸説が紛々としているらしいけれど、今回は歴史博物館に寄って、どんな風に考えられているか、雰囲気を感じてきたいという事がありました。
宍道湖西岸近く「荒神谷遺跡」で1984年 - 1985年の2年間の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土したというのです。銅剣は見事に整列した形で。
さらに1996年に、荒神谷遺跡から3kmぐらいしか離れてない加茂町(現雲南市)岩倉で日本最多となる39個の銅鐸が出土したというので、新聞にも出ていたことを思い出します。私たちは若い時、銅矛、銅剣文化圏、銅鐸文化圏といった二つの文化圏があったように習いましたが、ここでの発見も含めて、そのような分類の仕方は揺らいでいるようです。銅鐸の作成時期は弥生時代ですが、歴史的にはすでに天智天皇の頃に発掘されていて、その時から用途は不明だったとのこと。銅鐸インゴット説の本もあったり(笑ころ図書館)で、銅鐸は分らないことが多いようです。
昔のお社の柱と銅鐸の写真を。左の写真は太い木を三本まとめて一つの柱にして大社を作っていたらしいが、その柱の根っこのところが展示されてました。このような柱が一組ではなく多数使われていたのですから、巨大な建物が上にできていたのではないかと想像され、その建立は壮大な事業であったろうと想像されます。また、銅剣、銅鐸の展示は壮観そのものでした。
写真を撮ってくるのを忘れましたというか、壮観さに見入ってしまって撮るのを忘れましたが、360本近い数の銅剣が壁一面に展示されているのはすごかったです。加えて銅鐸が一度に出土した数も今のところ最高とのこと。これらを埋蔵したというのはどういう発想からなのか。

お墓の中から副葬品として発掘されたことはなく、村外れたの丘陵の麓、或いは頂上の少し下の方からの出土がほとんどで、しかも浅い穴を掘って横たえた場合がほとんど。個人の権力の象徴でもなさそうです。

2013年10月28日月曜日

京王電車5000系@一畑電鉄(出雲)

あれっ!どこかで見たような電車!!!そうでした京王電鉄で5000系として走っていた、電車でした。
出雲の一畑電鉄で、姿のみならず塗装まで変えずに走っていました。形式ナンバーだけ2100系に変えて。どこの電鉄から入れるか、決定にはどんなことが決め手になるんでしょうね。京急だって広軌だけど。

一畑電車では南海電鉄からも電車を導入していました。最初、昔、東横線で走ってたやつじゃないかなんて思ったのですが、そんなはずないか、私が中学の頃のことですから。実際中に入ってみて、壁の説明を見て、南海電鉄からと知りました。東横線のはもっと濃いグリーン一色で、少し下膨れだったかな。それにそんなはずないのは、東横線は狭軌だった。
南海電鉄で21000系だったのが一畑電鉄では3000系として走っていました。

2013年10月26日土曜日

松江城付近にて

松江城付近をぶらっと歩きました。
松江城は現在重要文化財に指定されているが、地元では国宝への昇格を狙って頑張っているとのこと。天守閣は地味ですが、すきっとした状態で建っていました。最上階からの眺めも素晴らしいものでした。ただ雲が多くて伯耆大山を見ることができませんでした。

搦め手から城外に出て、北側にある、中級武家が住んだ屋敷があるあたりに出ました。そこに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が住んだ家、及び小泉八雲記念館がありました。記念館で心打たれたのは、夫人の小泉セツがハーンとのコミュニケーションのために猛烈な努力をしていたこと。独自に作った単語帳(英単語をカタカナで書き、日本語の意味をひらがなで書いた対照表)の展示があったりした。彼にあてたセツの手紙も展示してあったが、まるで英文のような語順でカタカナ単語が並びます。
セツとハーンの交流に触れた一文がネットに出ていたので、それを紹介した方がよいと思います。<--訪ねてみてください。胸打たれます。

お堀端のお休み処で一休みして、中級武家の屋敷、塩見家が住した、武家屋敷が公開されていました。玄関わきには応接の間、武者隠しもあり、その奥に、当主、夫人、子供の部屋が、さらに納戸、仏間、厠、風呂場といった具合。簡単なもので、100石取りクラスがこの程度だから、下級武士は大変なことだったのでしょう。 塩見氏はその才覚が認められ家老格まで上り詰めたらしく、その名が道路にまで塩見縄手として残っていました。
最後に松江歴史館に立ち寄って駅に出て、出雲へ移動しました。歴史館は城の大手門近く、旧家老屋敷跡地に建てられていました。

撮ってきた写真の一部を動画仕立てでまとめました。

2013年10月25日金曜日

鳥取ー安来

10月19日出発の予定だったのだが、以前に属していた合唱団の演奏会を聴き終わってからでは、鳥取への最終便に間に合わすことは無理なので、19日夜、羽田前泊して翌日早朝の鳥取行に乗りました。機体は退役が間もないB737。よく頑張って飛んでくれました。 まずは、話のタネにと鳥取砂丘に。予想していたよりも規模の大きい砂丘で、風が作った岡がいくつかあり、若い人は海側の大きな丘に歩いていました。下の写真左側。右にある図の矢印のところから矢印の方向を見たのが、左側の写真です。写真はクリックすると少しは大きくなります。
すぐに汽車で安来に移動すべく、鳥取駅へ。砂丘そばの美術館では砂による像の展覧会が催されていましたがパス。駅頭にミニチュアがでていました。下の写真左。天気は悪く、大山が見えない。汽車の駅名だけでもと撮ってきました。
安来の目的は足立美術館。笑ころ図書館に登録されていた、美術館創立者足立氏に関する本をお借りして読んでいたので、興味を持って訪ねたのでした。横山大観とその仲間たちという特別展も開催されていて、楽しんだのですが、ここはお庭自慢のところで、さすがに実にがっちり作った庭は見事でした。過去五年間庭園に関するジャーナルで日本一に輝くのもなるほどと思うほど、手入れもよくて、庭に込めるエネルギーはすごいものがあると思いました。写真の合成技術ダメですが、借景の一部が以下のごとくです。 ただ、もし私が好きかどうか聞かれたら好きではないと答えます。そう広くないところに作りこみすぎていて、何かゆったりした気持ちにはなれませんでした。
喫茶室で食べた抹茶アイスにぜんざい風の暖かい小豆ソースをかけるスイーツ上品な甘さで、とてもよかったです。

夕方遅く安来から松江へ移動。松江城、武家屋敷、旧小泉八雲宅などを訪れます。

2013年9月26日木曜日

久しぶりに横笛尺八

昨日、雨が降る横山公園のあずま屋で久しぶりに横笛尺八を吹いてみました。さぼりありあり。 又少しやって見るかなー。1尺6寸版、春の海を吹くには最適らしいが、この分では覚束ないな。

2013年9月24日火曜日

湯たんぽ??

23日に東光寺のお墓参りに。
背の君のところに送られてくるフランス観光関係の情報メール中にフランスレストランウイークの紹介があり、お寺のすぐそばのレストランが紹介されていた。都立大学駅から歩いて数分、落ち着いた感じの良い店、chouette。いつもはお参りの前にエクセルシオールで昼食を済ますのだが、今般はこちらで昼食。ほんの少し濃いめだが中々良い出来の料理を手ごろな値段で出していた。と言っても、翌日以降大いに節約する必要を感じるが。
その店の壁に柄のながーいお鍋のようなものが飾ってある。ふたには穴が開けてある。「これ何?」って聞いたら、「いや実は湯たんぽなのです。」「お鍋の一種と思ってお土産に持ってきてくださった方がおられて、うちでもそう思って飾ったのですが、実は調べたら・・・」なのだそう。「どうやったら湯たんぽとなるのか?」「なぜ柄が長いんだろう」「昔は金属の入れ物に炭を入れて、アイロンとして使ったが」なんてひとしきり。未だ解は無い。

東光寺には、奥州探題から転じて武州世田谷豪徳寺付近に土着し、鎌倉公方に仕えた吉良氏の当主の夭折した子の墓三基がある。後に蒔田氏と呼ばれた。
江戸期に、吉良宗家が例の事件で絶えてから、吉良に復姓した。 私が子供のころには、ケヤキの大木などかなり多くの樹木が寺領を覆っていたが、だいぶ切ってしまわれたようだ。

2013年9月22日日曜日

姥沢にて_H25.9.20

散歩のついでに寄った姥沢。ヒグラシの鳴き声を収録しました。
カナカナぜみが とーくでないた 
ひよこのかあさん うらきどあけて
  ひよこをよんでる ごはんだよ 
やっぱりおなじだ おなじだな

2013年9月18日水曜日

姥沢でヒグラシを聞いた

陽が少し傾き始めた頃、笛を4本持って姥沢へ散歩に出かけた。作ってから日時が経ってしまっている笛の調節を兼ねて、吹く練習も。
持参したヤスリで歌口、指孔を少し削って調節。赤い花白い花、野菊、おぼろ月夜、・・・・・。 しばらく吹いていないので運指を忘れている。
さあ帰ろうかなと思う少し前から、なんとヒグラシが鳴き始めた。何年振りに聞くんだろう!! 少なくとも去年も一昨年も聞いてない。数匹が呼応して鳴いていたようだった。カナカナを聞きながら帰り支度。

笛の写真は下3本がハ長調のドレミファ笛(八本調子篠笛)、一番上がそれらより半音低いロ長調のドレミファ笛(7本調子篠笛)。一番下のは初期につくったもの。

そうだ、サトウハチローの童謡の詩 ♪夕方のおかあさん を思い出した。記録しとこっと!
カナカナぜみが とーくでないた 
ひよこのかあさん うらきどあけて
  ひよこをよんでる ごはんだよ 

やっぱりおなじだ おなじだな

2013年9月15日日曜日

スカンクの発する臭い

今夕のNHKの「ダーウィンが来た」は米合衆国の中西部の街を舞台にしたスカンクの生態の話だった。スカンクの発する臭いを研究している人もいるのですねー。
北米、最強のアメリカライオン、ピューマも一度その臭いに接すると、以後恐れをなして近づかないという。いやこのにおいたるや、すさまじいのです。
でもスカンク君、伝家の宝刀は簡単には抜かないらしい。しっぽを立てて自分を大きく見せる。更には逆立ちまでして大きく見せたり、両前足で地面をたたいて威嚇したり。そしていよいよの時にぶっ放すのだそうです。それは気体ではなくって、液体をしかも的確に相手の顔に向けて。


かれこれ35年も前の古い話、米カリフォルニアのサンノゼ(San Jose)に約一年間滞在したことがあり、家族の気晴らしを兼ねて、時折、近くのヨセミテ公園に出かけた。といっても、野越え、丘越えドライブして行くのだが、あるとき丘陵地帯を走行中、前を走っていた車が突然止まったかと思うとすさまじいスピードで走りだした。
車が走り去ったあとには道路上に動物が横たわっている。おそるおそる徐行して近づいて行くと異臭が!「窓しめー!!!」と叫んで、そばを急いで通過したが、通過するや否や凄まじい臭いが室内に侵入。家族4人「ウギャー!!」と大騒ぎ。ちょっと離れてから窓を開け放って走ったが、なかなか臭いは去らなかった。車輪や車体底部に臭いが着くのでしょうね。

スカンクは特別の例だけど、平原地帯を走れば地リスがごろごろ転がっていたり、山間部で大きな鹿が横たわっているのも見た。生きた小熊、親熊は見たけど、熊が横たわっているのだけは見なかった。

2013年9月12日木曜日

東京オリンピックII (2020) えー!

2020年の東京オリンピック開催が決まっておめでたいことではある。招致の実現には多くの方の努力があったし、IOC委員会でのスピーチの数々も大きな意味をもったであろう。
そしてIOC委員の立場から見れば、「放射能汚染水の影響は原発港湾の0.3平方キロメートルに完全にブロックされている」という首相の言葉はひびいたであろう。だけど、現実を考えた時、大丈夫か?と思はざるを得ない。首相は本気で言ったのだろうか?その内、世界的な信頼が徹底的に失墜せねば良いがと思ったのだった。

今朝、ダイアモンドオンラインの山田厚史氏による、世界かわら版「あえて熱狂・東京オリンピックの死角を問う」が載っていた。
それにしても大胆な発言だった、という文言から始まる氏のコラム。
・汚染水は制御不能になっていると言う印象だったのに、首相が「コントロール下にある」と言ったのは「嘘をついた」ことにならないか。
・「原発事故などたいしたことではない」と世界に公言したようなものである。
・2011年には高濃度の放射能物質が外洋に流れ出ている。日本原子力研究開発機構のシミュレーションによれば、来年にはハワイ沖に達するという。いずれ国際的な問題になるだろう。
・「完全にブロックされている」と事実に反する発言をした責任を問われることになるかもしれない。
ということらしい。
首相の国内への人気取り策、ここに極まれりの感がある。

 「日本では「政治家のことば」は聞き流されるが、世界は「政治家の嘘」に厳しい。」と言う氏の言葉は先月採りあげた キャロル・グラックさんの論評と重なってズシンと堪えた。

興味があれば山田氏の発言に。

2013年9月8日日曜日

お茶で嘘が暴露できる、ブラックマネー詐欺

理科で遊ぼう会の仲間の1人がブラックマネー詐欺に関する新聞記事を知らせてくれましたた。読むと裏金というようなものではなく、まさに黒く染まってしまった紙幣或いは紙幣大の紙。詐欺グループは「失敗してこんなになっちゃった紙幣を元に戻すには特殊な薬品が必要。薬品購入の資金を出してくれれば、報酬を支払う」と言ってお金をだまし取るのだそうです。
実際に真っ黒な紙幣を”薬品”に漬けて見せてこの薬品が高いんですよと、騙すそうな。ネットで調べても手口の例が出てきます

そんな怪しげなものに引っ掛からないように注意しましょう。うまい話には乗らないことが安全です。
実はこれヨードチンキをかけて酸化された紙幣が黒くなったのをビタミンCを含む液体に浸すと還元作用でヨウ素の色が消えて元にもどるという化学反応を利用したものだそうです。

実は理科で遊ぼう会では、物質中のビタミンCの量の多少を比較する実験を一つのテーマに選んでいます。ヨードチンキと同じくヨーソを含むうがい薬を薄めて、ビタミンCを含む資料液をたらして、ヨーソ液が無色になるに必要な資料液の量を、いくつかの資料液間で比較してビタミンCの含有量の比較をする実験です。夏休みの終わりごろに依頼を受けて小学校のサマースクールで実験を実施しました。実験を通して子ども達は、一般にビタミンCが多いと思われているレモンや野菜などよりも緑茶のビタミンCの含有量がはるかに大きいことを知って驚くのです。

そこでですが、上に書いたような話が来たら何食わぬ顔をして、黒い紙にお茶をひっかけてください。黒色が簡単に消えるのです。証拠を見せます。
写真左は、うがい薬をティシューに含ませて、紙に塗り付けたもので、2か所とも同じものが塗られています。黒くなっているところ2か所がそれです。
次に緑茶を入れてそれをティシューに含ませて、2か所のうちの右側に覆いかぶせて、濡らせました。
1分も経たたないうちに、右側の写真のように、緑茶をかけた黒い部分は綺麗に消えます。高価な 薬品なんて必要ありません。悪いことはできないのです!

印刷への影響は?という疑問には下の4枚の写真を比べてください。(a)実験前、(b)うがい薬を塗り付けた写真、(c)緑茶をしみこませたティシュウ―をかぶせて液を付ける、(d)液を乾いたティシューで吸い取ったあと。文字はちゃんと見えてます。

2013年8月27日火曜日

手ずかみ捕獲 蝉14匹

今日、午前中小山小でサマースクールのお手伝い。帰路仲間数人で昼食をとって、私は横山公園ですこし歩きました。自分で設定したグニャグニャ歩いて一周約2700歩のコース。三周して約8100歩。

歩いている間に蝉が随分低いところに留っているのに気付きました。左写真、一つの例ですが、赤い矢印で示した蝉3匹が映っています。ツィいたずら心が起こって、手で捕獲できるかやってみることにしました。

三周する間の戦果、アブラゼミ12匹、ミンミンゼミ2匹。この頃は昆虫採集をする子が居なくなって、蝉はトロくなっちゃったのだろうかと、いぶかっていましたが、内訳をみるとメス12匹、オス2匹。圧倒的にメスが多い。
なんでかな―と思って歩いていましたが、ふと思いました。メスは多分、木に卵をうみつけてるんじゃないか、生むのに夢中になってて、私に簡単につかまっちゃったのじゃないか?じゃ何故そんな低いところにいるんだろう?もしかすると卵から小さな幼虫になって地中に潜るには卵の位置は木の低い方が良いはず。そうだそうに違いないなんて妙に感心してました。だって、誰に教えられもしないのに、危険な低いところで産卵する。遺伝子の中に組み込まれてるのかなー?
そうだとすると、生物の知恵の伝承、すごいものがあるなー、なんて勝手に感動してました。

勿論、残された時間は短いはずですから、精一杯生きてもらおうと、直ぐ手放しました。

2013年8月24日土曜日

高田橋_花火大会_2013.8.24

我が家のベランダからの眺めです。 フィナ―レがとても綺麗だったらしいのですが、撮りそこないました。残念。
綾瀬の花火も見えてました。

キャロル・グラック女史

8月20日 朝日新聞 オピニオン欄(第13面) 「米国から日本を見つめる歴史家 キャロル・グラックさん」 と題してインタビュー記事が載っていた。
 深い理解がないまま日本を取り巻く事象に右往左往する海外メディアの日本理解の浅さを女史は指摘していた。なるほどと思ったが、その後ろに続く、所謂歴史認識に関連した広い視野からの発言が大変興味深かったし、重みを感じた。 

女史によると、歴史認識の問題が世界中で顕在化したのは、EU統合にあたって、ホロコーストがヨーロッパ共通の記憶となり教育も行われたのであって、今に始まったことではない。日本のまわりで歴史認識がうるさく言われるようになった背景に、次のようなことがある:日本が太平洋戦争後、米国の庇護下にあって、アジア隣国との間で戦争の記憶に関してなにもしないですまされていた。敗戦後70年たつというのに「戦後」という言葉が語られるのはどれほど、居心地のいい時代だったかともいえるのではないか。それが、冷戦の崩壊を通じて、日米関係だけが唯一の重要な国際関係ではなくなり、アジアと向き合わなければならなくなった。日本政府が戦争の記憶と正面から取り組まなければならなくなった。本当は敗戦直後から向き合わなければならなかった問題を先延ばしにしてきた、今頃になって対応せざるを得なくなっているのだと。

「謝る」のが正しいかどうか考えねばならないが、やったことはちゃんと認めるべきだと私は思う、ほっかむりをし続けるべきではない。そして若い人たちにも正しく伝える事こそが将来に間違いが起こらないためにも必要と思う。

「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いにしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分達の話す日本語は海外では全く理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンに直ぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」という女史の言葉にも傾聴に値する。

首相の内向き発言ばかりが目立つこの頃にうんざりし、首相たるもの世界の中の日本をどうするかということにこそ力を込めてほしいのに。鎖国の時代ではないのですから。

女史は更に、安倍首相より危険なこととして、日本を含む、東アジア諸国の若者の間に見られる、互いに抱く嫌悪感、ヘイト・ナショナリズムを指摘する。将来を考えるとき確かに危険なことだ。今の指導者の思慮深い、将来をも見つめた、落ち着いた言動が非常に大事ではないだろうか。 

憲法改正に関しても、「仮に今、憲法改正に着手したら政治のエネルギーを吸いつくしてしまうでしょう。中韓や東南アジア諸国との関係をどうするか、世界でどんな役割を果たすべきか、そんな課題がやまずみだというのに」と疑問を述べている。
現憲法のもたらす問題点は常に頭に置いておかねばならないが、改定を考える余裕がないほど、日本は複雑な構造を持つ国際社会の真っただ中に置かれている。容易なことではないように思うが、女史は日本にグローバルプレーヤーたれと言う。世界の中で他国が難しくっても、日本にはできるようなことを探るべきなのだろう。
独創性と賢さが求められる。


 なお8月22日には第11面に「歴史認識 解決を探る」と題して、国家の謝罪を研究してきたジェニファー・リンド准教授のインタビュー記事が載っていた。これも考えさせられる。
ヨーロッパでどのように乗り越えたのか、学ぶべきことは多い。

2013年8月16日金曜日

ペットボトル風車試作

ネットのお仲間からペットボトルの風車でモグラの畑荒らしを防ぎたいという相談をいただき、見よう見まねで作ってみました。
使ったペットボトルは断面が6角形状のもの。作業がしやすそうなのでこれを採用。工作の準備として線を引きます。
実線に沿ってカッターで切る。そして点線に沿って折り曲げる。
ペットボトルの蓋に穴を開けるのは簡単だが、ペットボトルの底のまん真ん中に穴を開けるにはかなり力が必要。半田ごてで開ける手もあるけど、今回は錐とファイルソーで穴を開けました。
下左側の写真は出来上がり。針金はガーデニング用の細い針金。ボトルの底側に付いているのはビーズ替わりにペットボトルの蓋2個を張り合わせたものを使っています。下右図はその張り合わせたもの(まだ穴を開ける前)。

朝そよ風のもとの様子と、夕方ちょっと強い風が吹いた場合をムービーに撮りました。

2013年8月14日水曜日

プーシキン美術館展@横浜美術館

ソ連が崩壊する少し前、1990年の11月に欧州滞在後の帰路、熱心な誘いを受け、モスクワに立ち寄った。一週間滞在して、かなりすさまじい状況を垣間見た。
泊めてもらったホテルの部屋は一応しっかりしたものだったが、朝食たるや、インスタントコーヒーと堅めのパンとその他に何があったろうか?コーヒーカップについてくるスプーンもアルミ製。何度か顔を合わせ、向かい合って座ることになった、若いアメリカ人と肩をすくめて、見聞したことを話しあったものだった。夕食は毎晩ホストの家に招かれた。豪華ではないが、ごく普通に過ごさせていただいた。町の中のマーケットの物のなさに比べれば豊かだったように思う。

ソ連の崩壊によって、世界トップクラスだった国としての数学の力が、ガクッと落ちたという話を聞く。知り合った若い理論物理学者の数学の力は素晴らしく、舌をまいたものだったが。彼はその後どうしているだろう。

滞在中、空いた時間にホストの娘さんがプーシキン美術館に案内してくれた。この国の美術だけでなく、音楽など芸術への力の入れ方は並々ならぬものがあるとは思っていたが、プーシキン美術館の世界中から集めた古代の文物から始まる、コレクションは素晴らしく、圧倒された。
その、プーシキン美術館から、フランス絵画が66点も来ているというので、昨日横浜に住む友人夫妻と昼食を共にした後、我々はみなとみらい駅そばの横浜美術館に寄って、しばし、堪能してきた。
下は展示されていた絵で左ゴッホ、右マティスの作品の絵ハガキ写真。なお2枚の写真を夫々クリックするとパンフレットの表と裏が夫々表示されます。
とっても良い展示だと思います。9月16日まで展示しています。

2013年8月4日日曜日

クマゼミ:姿は見えないが鳴いていました

今朝7時ころ横山公園を散歩。おとといに比べてミンミンゼミが随分鳴いてるなーと思いながら歩いていると、クマゼミの鳴き声が聞こえてくる。メタセコイアのあたりだ。ちょっと撮ってみました。
クマゼミのオスだけでも2,3匹はいたような印象。だけど姿は見えない。ミンミンは姿を見せてサービスしてくれました。注意深く聞いていると、羽を震わせている音も聞こえますね。

2013年8月1日木曜日

今年は蝉が不作だそうです

久しぶりに横山公園を散歩。相模線に沿った崖上の桜の木四本に夫々風鈴が一個づつ取り付けてありました。公園を管理してくださってる方達の計らいとか、涼風に揺れて涼やかな音が流れていました。粋な計らいですね。
 
今年はなかなか蝉が鳴かないなーと思っていたのですが、今はすごく賑やかです。ほとんどアブラゼミ。時々ミンミンゼミやニイニイゼミも聞こえてきます。そう言えば先日北の丸公園に行った時、クマゼミが鳴いてましたっけ。

松に蝉の抜け殻二つ。右はサービス精神旺盛な蝉君この近さまで我慢してくれました。このあと液体を飛ばして飛んで行きました。写真はクリックすると大きくなります。
 

そうだ、メタセコイアのところへ行けば、沢山の抜け殻に会えるかと思って行ってみました。下の写真もクリックしてみてください。もう少しはっきり見えます。

蝉の抜け殻は鈴なりでした。でも公園管理の方に「蝉の声をなかなか聞かなかったんだが」と声をかけたら、今年は少ないですよとの答えが返ってきました。

2013年7月29日月曜日

青少年のための科学の祭典 2013 全国大会

田安門近く、北の丸公園にある科学技術館において、7月27-28日に青少年のための科学の祭典 2013 全国大会が開かれました。理科で遊ぼう会も71の出店の一つとして、出案者のMさんを代表講師として「くるくる型・グライダー型の種模型を作ろう」を出店しました。

代表講師のほか、会から2名ずつ参加、それに高校生の実験補助者が27日は3名、28日は4名参加してくれました。とても熱心で気持ちの良い少年達でした。
両日とも途切れることのないお客様で、9時30分から午後5時近くまで、交替で食べに行った昼食時を別のすると、ほとんど立ちっぱなし、28日の閉店近くには、450人分近く用意した教材も、一部には無くなってしまうものもありました。

韓国からの小学生の団体が来ていて、流暢とはいかないが、英語で説明する高校生も。そうなんですね、英語が上手に喋れることより、なんとか伝えようとする心が大切なんですね。
全体を見て回りましが、私達にとっても参考になる実験がかなりありました。