2016年12月25日日曜日

直ぐバレバレのいたずら

なんだあれは、もうちょっと腕磨いて頂戴、って言われるでしょうが。

2016年12月6日火曜日

昨日、横山公園にて

紅葉がきれいだったのですが、カメラを持っていませんでした。携帯で撮りました。写真をクリックすると大きくなります。

2016年11月22日火曜日

市内の公園で紅葉を楽しむ

11月20日(日)、近くの相模原公園、麻溝公園をぶらぶら歩いてみた。
麻溝公園の中にある塔の上に登って眺めてみた。鮮やかとは言えないが、かなり木々が色づいている。
相模原公園を一回りして帰ってくる散歩をした。公園の東方の小径をたどり、北側に出る。随分赤くなったカエデがきれいだった。北のはずれの、相模原公園自慢の樹、ユリノキを再訪。落葉樹なのでほとんどの葉が落ちていた。そばにあった説明文によると、葉の形からは想像しずらいのだがモクレン科の樹木で、示してあった花を見ると、なるほどマグノリア系なのかなーと思わせる。開花時は5月中旬だそうで、見に来るのが楽しみ。写真はクリックすると大きくなる。
温室の正面にはベゴニアだけで作った装飾が案外鮮やかでした。

麻溝公園に戻ってきて、北西端近くで、私が好きなホトトギスが咲いていた。もう終わりに近いですね。

2016年11月20日日曜日

差別発言に思うこと

今、トランプというアメリカの次期大統領と決まった人の、選挙活動中に放った馬鹿な差別発言がもとで、アメリカの学校でとんでもない、ケネディー大統領以前の状態に逆戻りしたのではないかと思うような事が起こっている。選挙で選ばれるためには手段を択ばない仕方で、本人は分かっていて言ったのだろうが、今更「悲しい、やめてくれ」と言ったって、放たれてしまった言の葉は消せない。覆水盆に返らずだ。
浅はかな、近視眼的な人物なのだろう。

こんなことを考えていた時に、ふと今年の3月初めに、相模原の北辺の小さな小学校で行った理科実験支援授業の事を思い出した。6年生対象の「ビタミンCたっぷりなものは?」と云う実験講座で、子どもたちはビタミンCが豊富なものと云えばレモンで、色は黄色で、酸っぱいという、一般に流布してしまっている間違ったイメージをすっかり打ち砕かれる。
子どもたちは自分で実験、発見する体験の他に、「皆が言ってることだからとか、有名な人が言ってるから」という理由だけで信じてしまってはダメで、自分で確かめることの大切さを学ぶのだが、その講座のリード役をしたQさんが最後に「青い目、茶色の目」という話をした。米国の一人の先生が、差別とはいったいどうやって発生するのかということを児童に体験させた話である。我々が行った理科実験の授業の中身とは直接関係ないけど、とても時宜を得たものだったと思うのでここで紹介したい。
その報告は理科で遊ぼう会のHPに載っています(クリックしてください)。そして「青い目、茶色の目」の内容はQさんの9年前のブログに紹介されていました(クリックしてください)

今般、米国の学校などで起こった差別の現象は、決して子どもたちだけから起こったのではなく間違いなく、親たちに発しているものであろう。その国の教育の状態が浮き上がってくる。そして悲しいことに、日本でも、最近横浜での福島から避難して来た子のいじめ報道のなかで、いじめられた子の家が補助を貰っているんだろうと、いじめの種にされたと指摘された。これも、親の問題であろう。補助を受けていることを種に攻めるなんて発想は子どもたちだけで考えられるものではあるまい。親たちに避難するに至った人たちの窮状に思いをいたす想像力すらないことに、もう何とも言えない悲しさを覚える。これは教育の問題だと。学校での教育、親たちがいる社会の在り方、親たちが育った家庭の教育の問題。
このトンデモない親たちのもとにいる子供たちを救い出すにはどうしたらいいのか。社会をただそうとする沢山の発言と行動がもっともっと必要に思う。

2016年11月15日火曜日

スーパー十六夜月

土曜日夕刻6時ころとっぷり暮れた空に、満月ではないけど随分大きく見えるお月さんだなーと思っていました。昨日、月曜日の月はスーパー満月だったとか。残念ながら曇っていて見ることはできませんでした。
今夜はうす曇り、あまり寒くないし、夜の10時ころ外に出てみたら、ほぼまん丸の大きな十六夜月が薄雲の向こうから光を投げかけていました。

忙しさにかまけて、随分とさぼってしまいました。また折にふれ書くかな。

2016年10月9日日曜日

黒部峡谷鉄道;トロッコ列車

合間を縫って、少しせわしなかったけど、立山の方に行ってきました。2016年10月2日、雨の予報でしたが、晴れて。朝早くに家を出て、北陸新幹線で宇奈月温泉まで直行、お昼ご飯過ぎにはトロッコ列車の宇奈月に到着していました。新幹線恐るべし。宇奈月温泉に一泊したのですが、その前にトロッコ列車で鐘釣まで、しばしの間景色を楽しみました。 景色だけだと、テッチャンのNさんが、列車の特徴など示してよって言いそうなので、連結器の写真を写してきました。
鉄路のそばには片方に、コンクリートの壁があるのですが、実はその裏側に人一人が通れる程度の幅のトンネルが出来ていて、冬季間はダムのチェックや鉄路のチェックのために歩いて登るのだそうです。空気抜きの穴が開いていたり、外に出入りできるようになっていたりでした。鉄路を作るのも大変だったでしょうが、このトンネルを作るのも大変なことだったろうと思いました。ダムを作る、鉄路を作る、そのためのいろいろの仕組みを作る。

2016年8月29日月曜日

夏の終わりに II(高田橋の花火)

27日は夕方ある会合があって、市の中心部に出かけたが、雨がぽつぽつ降ってこようというような状況なのに 高田橋に向かって行くバスは混んでる、いかにも見に行くといったいでたちのカップルも歩いていく。ホー実施するのですかと思って見ていた。 会合が終わって帰宅したのが7時40分。高田橋の花火がまさにフィナーレ直前の様子。ちょっと動画を撮っておくことにした。

夏の終わりに I (白馬村にて)

8月中旬に孫娘(高2)を連れて3人で白馬村へたったの一泊小旅行。カラッと晴れることはなかったけど、多分杓子岳のではないかと思うが雲間に雪渓が見えていた。何とも気持ちいい景色。ロープウェイに乗ったり、リフトにも乗って冬ならスキー場をブラーっと歩いて、しばし良い空気を吸って吸って、リラックスのひと時。

花は時期を過ぎてたけど、ギボウシとシモツケソウ
白馬村和田野の森教会と菊池哲男山岳フォトアートギャラリーが中々いい雰囲気のところにあった。中の雰囲気もちょっと。


2016年8月14日日曜日

楽しいタクシー

12日朝早く、出立して一泊旅行。駅までタクシーを頼みました。約束の時間にマンションの玄関のところになんだか派手な絵を描いたタクシーがお出迎へ。白い車体に絵が一杯です。道々運転手さんに質問すると。会社のそばの小学校の児童に絵を描いてもらったのだとのこと。会社所有の車の内一台を選んで頼んだのだそうです。
中々楽しい企画ですねー。会社の地域へ根ざそうという心意気でしょうか。タクシーを降りて急いで撮らせてもらいました。下手な写真で済みませんが、子どもたちの絵は、運動会の様子があったり、相模川のこいのぼり(?)があったり、楽しいです、クリックすると大きくなります。

2016年8月8日月曜日

プチプチとゼムクリップで浮沈子

ある公園で行うイベントに関して、子ども達はかなり考えないとうまくいかない、電気や各種の工具もいらない面白い企てはないか考えることになり、仲間と相談して、右に示したような緩衝材のプチプチとゼムクリップで浮沈子を作るという事を考えた。
使う道具はピンセットとハサミだけ。簡単ではないゆえんは、プチプチには空気が入っていて水面に浮いてしまうが、 ゼムクリップを付けるとおもりとなる。そのうまいバランスを見つけて浮沈子を作るわけである。折角だからプチプチからは、何かをイメージしてその形を切り出しても面白い。
下は簡単な一例であるが。
中学生最後の頃になると、一応この現象を説明するのに使う原理、法則を学ぶはずだが、小学生はどうだろう。

2016年7月26日火曜日

単にスポーツっていうけれど

リオオリンピックを巡って、国ぐるみのドーピングが賑やかである。選手の健康が損なわれることがないよう薬で体を作り変えるようなことはさせないという配慮と聞いた。
そのような配慮を離れても、薬の力で差をつけるなんておかしなことのように感じる。だけどである、薬で差をつける事を排除してもである、今のスポーツは選手(プレーヤー)がおのが努力の成果だけを競っているのだろうか?と疑いたくなる競技種目はかなりある。
冬の種目からいこう。スキーは板やワックス技術が大きく効くと聞く。選手とコーチだけでなく、ワックス担当者の判断が勝敗に大きく効くと聞いた。こうなると選手は自分の技量だけで競うのではなく、自分の周りのスタッフの力で戦っていると言っていいのではないだろうか?スキーのジャンプ、スケートでも同じような用具の差が重要となりそうである。
夏の競技だって、走る競技だと靴の差。泳ぎだと水着の差が大騒ぎとなった事があったが、今はどうなのだろうか?用具に強く依存する競技種目はかなりあるが、このような場合の競技力ってのは何なのだろうかと思ってしまう。用具を供給する企業の技術力に強く依存することになりはしまいか?なんとなく、ドーピングとどう違うの?と疑問を呈したくなる。
そこに商業主義が入り込んでくる余地を与えるし、国が絡むと技術力のある国、或いは富んだ国の選手が有利となる。なんだか面白くない話である。
スポーツは政治に利用されやすい。特にオリンピックの種目になると、国の威信をかけるという事があるからだろうか、採用種目にも国の力が影響しているようである。こういうことも排除したいものである。 いっそ、用いる用具は統一規格にする、国旗は一切掲げない。選手個人が個人の力を比べあうことにしてはどうだろうか?これ、原点に戻ることではないだろうか。

2016年7月22日金曜日

ポケモンGO

あ~~~!水は低きに流れる、の一語に尽きる。
作ったやつは頭は良いのだろう。だけど、愚か者だ。
「街中で道路上で歩きながらゲームをする」ことは何を意味するか。 想像力の無い、愚か者だ。

2016年7月15日金曜日

今更2/3論議

選挙が終わって、改憲勢力が2/3に達したといって、マスメディアでも騒いでいるが、今更の感がある。
もっと早くから、普段からやらにゃーならなかったこと。昔の新聞やラジオはずいぶんと国民を啓発する、啓もう活動をきちんとやってきていたが、極論するようではあるが、今や愚民化活動に重きをおいているようにすら見える。

参院選の前から、新聞やTVのアンケートの結果が出ていたが、憲法論議よりも経済を重視して投票するという人たちの数が多かった。 私は日本国民も、そこまで落ちたかと思った。つまりは形而上の事より形而下の事の方が大事というのだ。
憲法はいったん決まれば、そう簡単に変えることはできない。経済は施策によって変わるもの、有限の物をどう分配するかという話。要するに何処を膨らませて、何処をへこませるかというような話で、憲法のような問題に比べれば小手先の事なのだ。
参議院議員の任期は6年もある。目先のことを判断基準にして選んではいけないのだ。
「人はパンのみにて生くる者に非ず」、今の物質礼賛社会では死語となってしまったのだろうか。

参議院というのは衆議院のチェック機関だという。でも、いまや、ミニ衆議院と化し、チェック機能など働かないようになっている。私が選挙権を得たころでも、参議院は政党色が濃かったけれども、議員の自分たちの立場に対する見識は高かったように思う。決して衆議院が参議院より優位にあるなどという意識はなかったし、チェック機能は少しは働いていた。少なくも今のような参議院の姿は意味がない
参議院の前身は貴族院で、民衆から選ばれる衆議院に対して、貴族院があり、貴族院が当時の体制を急激に変化させないようなチェック機関だったのだろう。 今の衆議院は、民衆から選ばれるといっても政党に縛られた連中から選ばれる。いっそのこと、そのチェック機関としての参議院を機能ならしめるために 参議院から政党を一切締め出し、政党に何の関係もない人しか立候補できないようにしてはどうだろう。そんな気がしてきた。 政党人にお金で釣り上げられないような仕掛けはつけないといけないが。

2016年7月10日日曜日

投票の出口調査;でたらめを教えれば面白いのに!

今TVで、参院選投票所の出口調査を基に当選確実を議論している。なんで、出口調査なんてことをするのかわからない。
数時間後には結果が判明するのだから、人件費をかけて調査する理由がない。そしてその結果に元ずく当落予測の放送のエネルギ―の無駄。 調査をし、放送をする理由があるとすれば、お祭り騒ぎをしたいだけとしか思えない。もう一度言うが、放っておいたって結果は出るのだ。馬鹿としか言いようがない。

NHKでは調査対象の70%が出口調査に応じたという。その内の10%が自分の投票と異なることを答えれば、予測にずれが出るだろうになー。
日本人は正直だから、ちゃんと答えちゃうのだろうな。
私は自分の投票を他人に言うつもりは全くない。一度聞かれたことがあるが、その時は無視した。今度聞かれたら全く違うことを 言おうと手ぐすね引いてるのだが、残念ながらその機会は未だない。

2016年6月28日火曜日

女川町の英断に再び賛辞。

震災復興にいろいろの試みを聞いたが、最も心に残ったのは”還暦以上は口出すな”という 女川町の決断だった。勿論年とった人たちのアドバイスはきっと大きな役割をはたしているだろうが、若い人たちを伸ばす絶好の機会ととらえたものであろう。若い人たちの躍動が目に浮かぶようだ。

それにしても、イギリスの選択は若い人たちが頭を抱え込むという、悲惨な結果になってしまった。勿論、選択は正しいのかもしれない。しかしそうなるとしても、長い時間の果てにしか見ることはできないのではないだろうか。
年寄りは、自分たちが若かったときを思い、長く生きてきた経験を生かし、若い連中の考えに寄り添って、欠けてる点を補うような行動をとるべきなのではないだろうか。自分たちが居なくなっても、この世界の持続に責任を持って生きていくのは若い連中なのだから。先の短い人々が、先の長い人々の希望をしぼませてはいけない。

国民投票というのは大変重いのですね、上記のようなことの他に、つくづく思ったのは、国論を二分するような事態で、国民投票に向かうというのは大いに問題だとおもった。そのような事態には、何方か一方を選ぶとどのような事態が起こるかといった、長い長い議論が必要で、客観的で深い洞察の後に、機が熟してくるまで、国民投票は待つべきだなーと思いました。

2016年6月25日土曜日

易しく、分かりやすい話

「あの人の話は分かりやすくってよい」ということをしばしば聞く。そういう時、内容によるのだが、私はその人の話を注意深く聞くか、無視するかどちらかを選択する。

分かりやすいということ、それは、多くの場合だが、込み入ったことは省き、易しい言葉で、搾って話してくれることが多い。そんな場合、重要な情報をそぎ落としたり、時に正確さを失ってしまうことが往々にして起こるものだ。

易しい言葉でわかりやすい話というのは用心を要するのだ。複雑で重要な問題ほどそうである。

さっと聞き流してもいい程度の内容ならいざ知らず、重要な問題ほど、回りくどくっても、正確に話そうとする人の話の方が信頼できる。分かりにくくっても、質問は許されるはずと思うからである。

2016年6月24日金曜日

愚かさの連鎖

都知事おろし、何だったのでしょうね。なーんも残らなかった。

マスコミは都民、いや国民大衆を煽り
大衆は何が最も大事かといった冷静で深く掘り下げた議論を目の当たりにすることもなく、踊らされ
都議は、問題点を深め掘り下げることなく、都民の怒りだけを気にして、都知事に引導を渡す
都知事は頭の良い人なのだが、賢くなかった。愚かだった。

残ったのは都知事が辞めたという事実だけ。是正するべきところはなーにも手を付けることがなかった。 伏魔殿を切開手術するチャンスは消えた。 問題点を掘り下げ、是正すべきは何かを議論し、その後に都知事の去就を議論すべきだったのに。

衆愚政治ここに極まれり。こういったとき、一番気を付けなければいけないことは煽動者の出現への目配りと引っ張りまわされないような落ち着きではないだろうか。

願わくば、参院選にせよ、都知事選にせよ、賢い選択がなされんことを。

2016年6月16日木曜日

ヤマアジサイ

娘が一泊していった。結婚して22年だろうか、一人で里帰りするのは初めて。かみさんがなんとなく嬉しそう。
15日は小雨模様だったが、3人で相模原北公園へアジサイを見に行った。
私はヤマアジサイが好きで、公園の雑木林近くに展開しているヤマアジサイ群の写真を多く撮った。
右の花は名前を忘れてしまったが、ヤマアジサイの仲間。
どの写真もクリックすると大きくなります。

シチダンカと白富士
甘茶と天城甘茶
伊予でまりと紅でまり
以下はヤマアジサイではないが、日本で生育されたアジサイとのことで、ダンスパーティー(そういえばQさんのブログにも載ってましたね)と花火
煙の木(スモーク・トゥリ―)がアジサイ広場のそばで雨の中で煙っていました。
煙の木はウルシ科なのだそうです。南欧~ヒマラヤ~中国に分布するとか。開花後に羽毛が樹冠を覆うそうです。 さて、蜘蛛君は雨にもめげずジッと虫の訪問を待っておりました。

2016年6月15日水曜日

こんなことでいいのだろうか?感情論は排除すべきです。

舛添さん辞めるのですね。致し方なしと思います。真摯という言葉を使いながら、対応に真摯さが足りなくて墓穴を掘ったような気がします。
しかし、マスコミの報道の在り方には釈然としないものがありました。
まず、最初のうち盛んに、”せこいせこい”と言い、これが問題であるかのように言いました。でもこれが本質的に重要なことでしょうか、せこいから問題なのでしょうか?単なる感情論であり、問題の所在に触れていません。知性の欠如としか言いようがない。
次に海外出張の旅費の問題、ホテルの扱いが気になりました。確かに市井の人の海外出張から比べれば、あきれるくらい高額です。しかし彼だけが問題なのでしょうか?猪瀬前都知事、石原元都知事と比べてみる必要があるのではないでしょうか?或いは他の府県の知事と比べてどうなのでしょう?この種の問題をえぐりだすためにも、舛添さんだけの事なのか、それとも一般に知事という人たちの旅費が高過ぎるのか、明確にするチャンスのはずでした。もっと客観的に報道すべきであったと思います。
マスコミは本当に真摯な努力をしなくなりました。そして煽ることしか考えてないのかと思うほどです。

加えていうなら、舛添さんの発言なので確認できてはいませんが、同氏の子供がマスコミの人に追い回されて泣いて帰ってきたとか。これ本当だったら言語道断。もし何か質問があったとしても、質問する場所、環境について十分な配慮があってしかるべし。舛添氏が知事をやめる前に、このような人物はマスコミの世界から消えるべきです。

2016年6月1日水曜日

スジクロチョウ?

本日、夕方3時半ころ、横山公園の築山のところで見つけました。モンシロチョウよりはかなり大きく アゲハチョウよりちょっと小さい感じです。スジクロチョウかなと思ったけどどうでしょうね? お尻のあたりに橙色の紋があります。

2016年5月29日日曜日

深い感動

5月25日の朝日新聞のオピニオン&フォーラムというページに、オバマ大統領の迎え方と題して、塩野七生さんへのインタビュー記事が載った。
ヨーロッパにいて、歴史を考え、またアジアの様子をじっと見ているはずの塩野さんの意見は確かに傾聴に値する。塩野さんは、オバマ大統領に謝罪を求めず、無言で静かに迎えることが謝罪を声高に求めるよりも断じて品位の高さを印象づけることになると指摘し、「『米国大統領の広島訪問』だけなら、野球でいえばヒットに過ぎません。そこで『謝罪を求めない』とした一事にこそ、ヒットを我が日本の得点に結びつける鍵があります。」と述べた。得点かどうかは別にして、私も心からそうなるとよいと思った。謝罪の言葉を求め、そしてそれを引き出しても、大きなものが残るか、それよりも重い物をオバマ氏が担って、将来に向かって何かをする決意を新たにしてくれれば、ずっと明るい気持ちになれると思った。しかし、いくら政府がそうなるようセットしても、メディアがそれに協力しても、被爆者やその子孫の人々がどう思いどう行動するか、市井の民の一人としては、それを黙って見つめるしかない。
平和公園での行事は静かに始まり、静かに終わった。オバマ氏の言葉と表情から、将来へ向けて、力強いものを感じた。最初から最後まで、デモンストレーションのようなものを見ることはなかった。あったとしても、メディアがわざと取り上げなかったのかもしれない。でも、あったとしても小さな規模のものであったことであろう。多くの被爆者の方々はオバマ氏の言動を静かに見つめておられたと私は受けとめている。
オバマ氏が去った後の会場の映像を見ながら、私は深い感動を禁じ得なかった。70年の間の被爆者としての活動の中には、心の激しい状態もあったことであろう。心の底に塊のようなものを残しながら、活動が被爆者自身のためだけでなく、非核という世界平和の運動へと向かって行ったかのようである。そして、被団協の坪井氏がオバマ氏と握手する姿に心の底にある塊が昇華していくのを感じた。

2016年5月25日水曜日

城山発電所(揚水発電所)の見学

一週間前に理科で遊ぼう会とおもちゃドクターの会の会員で、以前に当発電所に勤めていた方の肝いりで、二つの会の有志で見学をさせていただいた。場所は以前に当ブログで紹介した津久井の雄龍籠山の中腹というか、頂上直下にある施設で、津久井湖のダムの発電所ではない。 何が面白いかというと、ここは左図(クリックすると大きくなる)にあるように雄龍籠山の裏側にある城山湖(図中左)の水を下の方にある津久井湖(図中右)に向かって落としてその勢いで発電機を回して発電するが、城山湖には水源がない。そこで電力が余っている夜に、余った電力を使って津久井湖から城山湖に向かって水を戻してやることで水を再利用するという発電所だ。ただ、発電所として稼働するのは、夏季と冬季に合計38日という説明だった。ではほとんど開店休業かというと、そうではなく、相模川、中津川系と玄倉川、早川系のダムによる水力発電所、愛川の太陽光発電所の全県営発電所の監視、制御、給電業務を行っていて、発電総合制御所の役割を果たしている。
さて、見学だが、雄龍籠山頂上直下の建物からエレベーターで230mぐらい下まで降りて、そこから始まった。橙色の装置が発電機、4台並んでいて、前二つがH社、後ろ二つがT社製。ボランティアの方が説明してくださる。
発電電動機;発電機であると同時に揚水の際には電動機(モーター)として働く。三次元プリンターを使って作ったというモデルで説明。太い銅線が用いられる。
水の出入りのコントロール。
こういった大きな装置を動かす、油圧の機構など面白く聞いた。揚水の際のモーターの始動に際し、圧力をかけて水位を下げてモーターの回転の勢いをつける話など。