2016年7月26日火曜日

単にスポーツっていうけれど

リオオリンピックを巡って、国ぐるみのドーピングが賑やかである。選手の健康が損なわれることがないよう薬で体を作り変えるようなことはさせないという配慮と聞いた。
そのような配慮を離れても、薬の力で差をつけるなんておかしなことのように感じる。だけどである、薬で差をつける事を排除してもである、今のスポーツは選手(プレーヤー)がおのが努力の成果だけを競っているのだろうか?と疑いたくなる競技種目はかなりある。
冬の種目からいこう。スキーは板やワックス技術が大きく効くと聞く。選手とコーチだけでなく、ワックス担当者の判断が勝敗に大きく効くと聞いた。こうなると選手は自分の技量だけで競うのではなく、自分の周りのスタッフの力で戦っていると言っていいのではないだろうか?スキーのジャンプ、スケートでも同じような用具の差が重要となりそうである。
夏の競技だって、走る競技だと靴の差。泳ぎだと水着の差が大騒ぎとなった事があったが、今はどうなのだろうか?用具に強く依存する競技種目はかなりあるが、このような場合の競技力ってのは何なのだろうかと思ってしまう。用具を供給する企業の技術力に強く依存することになりはしまいか?なんとなく、ドーピングとどう違うの?と疑問を呈したくなる。
そこに商業主義が入り込んでくる余地を与えるし、国が絡むと技術力のある国、或いは富んだ国の選手が有利となる。なんだか面白くない話である。
スポーツは政治に利用されやすい。特にオリンピックの種目になると、国の威信をかけるという事があるからだろうか、採用種目にも国の力が影響しているようである。こういうことも排除したいものである。 いっそ、用いる用具は統一規格にする、国旗は一切掲げない。選手個人が個人の力を比べあうことにしてはどうだろうか?これ、原点に戻ることではないだろうか。

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