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2017年11月23日木曜日

Dmitri Hvorostovskyが逝った

2017年11月22日、彼は逝ってしまった。55歳。世界は素晴らしいバリトン歌手を失ってしまった。 Ettore Bastianiniも若くして去ってしまったが、Hvorostovskyまでが。 まだまだ沢山の素晴らしい作品を残すはずと思っていたのだが。こんなに才能に溢れた人がこんなに早く逝くなんて!
Dmitri Hvorostovsky at the Met;<https://www.youtube.com/watch?v=Mt7wYGysu0Q>

2016年2月29日月曜日

オペラde歌声喫茶

2月28日に鶴見のサルビアホール(約500人収容)で「オペラde歌声喫茶」という催しがありました。主要出演者はいずれも鶴見在住の演奏家でロベルト・ディ・カンディド(Robert di Candido ブラジル出身、イタリアで学んだ藤原歌劇団トップテノール、ドラマティックな役どころ向きです。日本語堪能)、ヴィタリ・ユシゥマノフ(Vitaly Yushmanov ロシア出身、ドイツで学んだ新進気鋭のバリトン、もちろん日本語堪能)、田中雅子(ソプラノ、私の先生)、木村舞美子(ピアニスト、ベルリンフィルとの共演など)凄いメンバーでした。出来るだけ多くの人にオペラに親しんでもらいたいと、鶴見区の企画委員会が鶴見に住む素晴らしい演奏家に働きかけて出来た演奏会、この豪華な出演者で1300円、(私は1000円の割引券を購入)主催者も驚く完売満席でした。
さて、プログラムは前半、ソリストの歌で、先ず田中さんのソプラノ独唱;イタリア歌曲”くちづけ”、”私が街を歩く時”(オペラ;ラ・ボエーム)、”私の愛しいお父さん”(オペラ;ジャンニ・スキッキ)と続く。田中先生の思いが伝わるほどの素晴らしい歌唱だった。(写真はクリックすると大きくなります。)
次はオペラ;アンドレア・シェニエの中でかたき役のバリトンの歌”国を裏切る者”。久しぶりに聞くこの素晴らしい曲、優しい顔のヴィタリさんがとっても憎々しげに歌っていました。次は”誰も寝てはならぬ”。荒川選手がトリノオリンピック、フィギュアスケートで金メダルを取った時の曲。ロベルトさんが真っ赤な顔をして(誰かがゆでだこみたいな顔なんて形容していたが)すごい迫力で歌いあげた。両方とも素晴らしい。その後、ヴィタリさん”私の最後の日”(オペラ;ドン・カルロ)、ロベルトさん”星は光ぬ”(オペラ;トスカ)、ヴィタリさん”ドンファンのセレナード”、ロベルトさん”オー・ソレ・ミオ”そして、ヴィタリさん&ロベルトさんの二重唱”我らの胸に友情と希望を”(オペラ;ドン・カルロ)と続いた。数千円出してもいいような演奏会。
後半が歌声喫茶のような形式。会場に飲み物を持ち込めないが、ホワイエには飲み物が用意されている。まず会場から二人の方が舞台に上がって、女性の方が”この道”、男性が”花”を歌ってワンポイント・レッスン。女性の方は田中さんが、男性の方はヴィタリさんが夫々ワン・ポイント・アドバイスをされ、その後、会場の方も一緒に歌った。
次はロベルトさん中心に会場から何人か壇上に上がってサンタ・ルチアを歌う。そして、田中さんがヴィリアの歌(オペレッタ;メリー・ウィドウ)これには鶴見市内の合唱団中心に構成された特設合唱団がバックコーラスとして参加。私も田中先生の依頼があって参加した。そして、コーラスと会場の皆さんも一緒にオペラ;アイーダの凱旋行進曲中トランペットが吹くメロディー(サッカー応援歌で有名)に歌詞をつけたものを歌った。これで終わりなのだが、アンコールにオペラ;椿姫の中の乾杯の歌をソリストが歌って、その中の合唱部分を合唱団、会場の人々で歌ってお開きとなった。
初めての試みだろうと思うが、大成功。またこんな機会が期待できそう。

2015年7月18日土曜日

ドゥマゴでデジュネ&エリック・サティとその時代展@ブンカムラ


12日(日)東光寺にお墓参り。お墓掃除をして、折角近くまで来たしと、渋谷は東急ブンカムラへ足をのばした。
着いたのは昼食のころ、ブンカムラの中のドゥマゴのテラス席でデジュネを楽しんだ。田舎風パテとキッシュロレーヌ サラダ添え(ランチタイムは スープ・コーヒー付き)をとった。隣でやっているエリック・サティとその時代展のチケットがあればこのメニューに限って、20%割引。それを知った連れ合い殿、後で見るつもりだったサティ展のチケットを早速買いに行ったのは言うまでもない。
ドゥマゴのテラス席、中々良い雰囲気。そしてSIESTAというアコーディオンとバイオリンのアンサンブル。

「異端の作曲家 エリック・サティとその時代展」以下クリックすると大きくなります。
モンマルトルで作曲家活動を始めたサティと同時代の画家たちとの交流が見える展示。ところどころでサティの曲が流れる。普通の美術展とはちょっと違う面白い展示だった。8月30日まで。

2015年7月17日金曜日

Hが出たのだ!


昨日、田中先生のもとで、挑戦中のスペイン語の歌、GranadaとW. GomezのAve Mariaをトライしたが、あまり調子よくなかった。本日の小沢教室で心して声のトレーニング。5月に「B(ベー)がでた日」に紹介した、Mathilde MarchesiのThe Art of Singingを使った反復練習だが、普段気を付けてることに加え、お尻の筋肉をグッと引き締めることにも注意を払い試みた。なんとBの半音上のHが余裕をもって出たのだ。もう半音上は遂にHigh Cが待っているのだ。まさか、まさか、こんなに早く出るようになるとは!歌の流れの中でスーと出るようになるには更なる訓練が必要だが、無理と思った曲にも挑戦できるかも知れない。
50分で大腿部側面が痛くなってきた。先生曰く「それ正解です。」力仕事なのだ。

2015年5月19日火曜日

B(ベー)がでた日


今日は、青葉台で小沢先生のボイストレーニングを受けた。3月25日の演奏会のころから高音の時の力が抜ける感じがあったので、今までやっとだったGisを越えて、Aそしてその半音上のBに挑戦しようと考えていたところだった。
Mathilde MarchesiのThe Art of Singingを使った反復練習だが、首の後ろ側から後頭部にかけて音が鳴ってる感覚がする。小沢先生がBが出てますよ、と仰る。今A,今Bと云いながら、時に一緒に声を出して下さる。それに引っ張られるように声が出た。あっさりと無理をせずにAそしてBが出た。Hはちゃんと出たかどうか疑問。その半音上のhigh Cを要求して、つぶれて自信を失うといけないので、high Cはやめたとのこと。
Aはそのうち何とかなると思っていたのだが、その上のBがなんだかあっけなく出た。50分の練習時間はあっという間に終わり、さあ、これから豊かなBが出るよう頑張りましょうということで終わった。Bが出れば、本格的なテノールの歌がかなり歌える。願わくは体力の衰えの遅からんことを。

2015年4月27日月曜日

~ 丘の上の ~ そよ風コンサート@イギリス館(横浜、港の見える丘公園)

私の歌の先生の一人、田中雅子先生と、発表会の時には必ず伴奏してくださる浅沼敦子先生の演奏会が、横浜の港が見える丘公園にあるイギリス館で開催された。60人のこじんまりとした、手作りコンサート。でも落ち着いたたたずまいの良い会場。いつかここで演奏できたらと思うようなところ。上の写真も下の写真もクリックすると大きく成ります。
お二人は仲が良く、いつか合同でイギリス館でコンサートをしようと話しておられたとか。午後2時からとても楽しい一時だった。
浅沼先生はここで是非モーツアルトを弾きたいと思っていたとのことで、前半はお二人ともモーツアルトの作品を集められた。田中先生がコシファントッテの、岩のように動かずに、を歌う前に一芝居、意外や芝居っけのある方とは知らなかったなー。
10分休んで、後半に。ここでまたまたサービス。浅沼先生が、「普通の演奏会場だと、ベルが鳴って開始となりますが、ここにはベルはありませんので、ベルの代りに、ちょっと長いですが、今来日中のポール・マッカートニー氏のhere,there and everywhereを弾きます」と言われて、弾いてくださった。以前、チェンバロでビートルズの曲を弾いてくれたのを聞いたことがあるが、お好きなのだろう。そして、ショパンの二作、ノクターン 遺作とアンダンテスピアナートと華麗な大ポロネーズを弾かれた。開始する前に、この二曲は、映画、戦場のピアニストで弾かれた曲だと紹介、その感動的なシーンの話をされた後、大変な熱演だった。
田中先生は八木下さんが作曲された 二曲とご自分が作詞作曲の「お・と・し・ご・ろ」という曲。なにせご自分の年齢を告白の上、合唱団の仕事など増えたと忙しそうな日々を歌い、二番になると、息子が結婚して可愛いお嫁さんが来て、そのうえ孫まで出来てと、今の先生の幸せそのままを歌い上げてるんだけど、とても爽やかで楽しい曲。(「お・も・て・な・し」の仕草を取り入れたのは言うまでもない)そして最後に両先生が好きだという、マスカーニのアベ・マリア。
それで、終わらず、アンコール。田中先生はムゼッタのワルツを歌い、浅沼先生はユーモレスクを弾かれた。そして皆で朧月夜 を歌ってお開きとなった。実に良い一日だった。
浅沼先生からは「また来年、AMO発表会では伴奏するから準備怠り無いようにね」と言い渡されちゃいました。

2015年4月13日月曜日

AMO声楽教室発表会2015.3.25


T先生が指導されるAMO声楽教室、毎春、発表会を催して3回目となる。今年は3月25日だった。前2回は二俣川のサンハート音楽ホールで行われたが、今年は鶴見のサルビア音楽ホール。サンハート音楽ホールと同じくらいの規模(全席100名)のこじんまりしたよく響くホール。
プログラムは左の写真(写真をクリックすると大きくなる)。回を重ねるにつれだんだん充実しつつあるように思うが、今年は先生が指導される合唱団の一つ(女声コーラス)も参加して、ロッシーニの猫の二重唱を歌った。この曲は2人による2重唱が普通の演奏スタイルだけど、こんなスタイルも面白いなーと思った。
私は緊張が強かったためか、演奏会の直前に不調になり直前練習時に上手く歌えないようなことになったりしたが、当日3日前に解決策に気付き、安心して当日を迎えた。家族とお仲間6人が見届けて下さるなか、何とか歌い終えることが出来た。

先ず先陣を承って、歌ったのはレオンカバッロのマッティナータ(Mattinata(朝の歌))。夜に恋人の窓辺で歌うのがセレナータ。マッティナータは朝、早く出ておいでと歌う曲。 20代になったつもりで歌うっきゃない。(もしよかったらここをクリックください)

もう一つの曲は落葉松。きれいな曲で飛びついたのだけど、すごい難曲と気づいた時はもう遅く、演奏会に突き進むしかなかった。実際の舞台では最初の難関をクリアして、ほんのちょっぴり気が緩んだか、一瞬途切れてプッツンしそうになったけど、 何食わぬ顔して切り抜けました。下線部をクリックすると歌唱に到達できますが、年寄りの冷や水でもいいやという方、聞いていただけますか?
お忙しいでしょうに、態々鶴見まで聞きに来て下さった6人のお仲間さん達、そのうえビデオまでとって下さったQさん、有難うございました。励みになりました。頑張って、次回はもっと上達した歌を披露したいと思います。

2014年12月5日金曜日

ベスビオ山、ポンペイ、ソレント半島

忙しい日々が続いてアップがなかなかできませんでした。イヨイヨ後半に入って、ナポリを離れポンペイ、ソレント半島そしてソレント半島の南側のアマルフィ―へと旅程が進みました。
左地図の真ん中に赤のマル印がありますが、ここがポンペイがあったところで、紀元79年のベスビオ山の大噴火によって発生した火砕流によって埋まってしまったとのこと。丁度、山頂とポンペイの距離が山頂とナポリの距離とほぼ同じなので、大噴火があったときにもし火砕流が西北西に向かって居たら、ナポリが埋まり、ポンペイが生き残ってたかもしれないような関係にあります。
ポンペイは海から見ると少し奥に入っていますが、当時は運河が傍まで作られていて商船が横づけされ、船乗り、商人たちは先ず港傍の公衆浴場でお風呂を浴び、階上の娼館で一時を過ごし町に入ったとか。娼館の壁にはいろんな形の快楽の図が描かれてあり、それは実はメニュウで、いろんな言葉の人たちがやってくるので、彼らは図を指さして・・・・・と、まことしやかに説明してました。
さて風呂を通り過ぎて、町の中に入るには立派なトンネルをくぐるようになっていて、警護が厳重だったことを思わせました。中に入ると町の構成がとてもシステマティックで、整然と作られていたことがしのばれ、驚きました。
ソレント半島の眺めは実にきれいでした。
後は動画で、バックの曲はフニクリフニクラ、さらば美しきナポリ、帰れソレントへ。
アマルフィ―についたころは疲れがピークに達していて、ホテルに着くなりばたんぎゅー。夕食まで寝てしまい。街の散策が出来ず、連れ合い殿に怒られること!。アマルフィ―のホテルは町はずれの、ほんのちょっと岬のように突き出した崖の上にありました。昔修道院だったところを改修したもので、なかなかの風情。有名人が沢山来訪したようで、沢山の人々の写真がはってありました。

2014年11月12日水曜日

遥かなりサンタ・ルチア

若い時から何時かは訪れたいと思って居たナポリに来ました。遥かなりの感があります。
サンタ・ルチア港、昔はナポリの出入り口、その近くにあるホテルに泊まりました。朝食は最上階で、そして屋上からの素晴らしい眺めを得ました。サンタルチア港から、ベスビオ火山、ソレント半島、カプリ島の眺めをフォトフィルターを使って繋いでみました。光の加減で見づらいところもありますが、以下に示します。クリックすると大きくなります。

地図もクリックすると大きくなります。左上にナポリの街、すぐ右にベスビオ火山(風向きが逆だったら、ナポリがポンペイに代りに埋まったのですね。真ん中下の半島がソレント半島、そしてその先にカプリ島です。

Santa Lucia luntana(遥かなるサンタ・ルチア)という歌があります。この曲はアルゼンチンに移住したナポリっ子が故地を懐かしんで書いた曲で、それがナポリ民謡として受け入れられたとのこと。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イタリアやスペインから多くの人がアルゼンチンなど南米に移住しました。Addito a Napoli(さらばナポリ)も移住する人の気持ちを歌ったもののようです。ナポリのサンタ・ルチア港からも沢山の人が出航して行ったのでしょう。
出発地はジェノバだけど、アルゼンチンの移住成功者の家へ家政婦として出稼ぎに出かけた母をマルコ少年が追い求める話、「母を訪ねて3千里」はその頃の話です。
20世紀初頭には北米にもイタリア人は沢山移住して、広い分野で活躍しています。ナポリターナということになっている、カタリ・カタリで始まるCore 'ngrato(つれない心)はそんな移住者の一人カルディルロが作曲して、メトロポリタン歌劇場に出演していたカルーソーに献呈したものと聞きます。
サンタ・ルチア近辺での写真を動画にしました。着いた日の夕食、前菜、主蔡を夫々とって分け合ったのですが、量が多いのには閉口しました。でも残さなかった。三つ子の魂生きてます。
ナポリ民謡を歌ったらこの人だなーと思う、ジュゼッペ・ディ・ステファノが歌う、Santa Lucia luntanaとともに。

2014年10月16日木曜日

歌を習うってことは体育会系に類することと見つけたり

一昨日と今日、先生Aと先生Bのボイストレーニングを受けた。アプローチは全く違うのだが仰ることは共通してると感じている。だけど、新段階に入ったのか、両先生の言われることがほぼ同時にきつくなってきた。
芸術的な趣味のつもりだが、今は体育会系の訓練を受けてる感じ。
先月から始めた「落葉松」、今日も受けたが、この曲は難しいし、奥が深そう。以前に引用した曲です。
音符の長さを正確に歌うことからやっているが、数学的正確さなんてことを言う人もいるとか。しっかりきれいに歌えるようになりたい。

2014年9月30日火曜日

プレスリー

お仲間のMさんのブログを見ていたら、メンフィスが出てきた。メンフィスで思い浮かべるのはプレスリーとの結びつき。
急に彼の声を聞きたくなった。YouTubeからCan't help falling in loveを引いてみました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=5V430M59Yn8  いい声だなー

Wise men say Only fools rush in But I can't help falling in love with you
Shall I say Would if be a sin If I can't help falling in love with you
Like a river flows Sorely to the sea Darling so it goes Some things are meant to be
Take my hand, Take my whole life,too For I can't help falling in love with you
For I can't help falling in love with you
彼が亡くなったのは1977年。丁度、滞米中の出来事だった。印象深く記憶に残っている。メンフィスで生涯を閉じた。42歳。

2014年9月22日月曜日

中学生13人の女声合唱;素晴らしい!!!

YouTubeで音楽を探してたら、出くわしました。URLはhttps://www.youtube.com/watch?v=Fd-TO7F4__4です。 演奏&指導者の力量に感動しました。声の量も揃い方も。第一曲目のピアノをもう少し抑え気味にしてほしかったが。 特に年齢的にマッチしていることもあるでしょうが、最後の赤とんぼは秀逸です。お金払っても生の演奏を聴きに行きたい演奏。

2014年9月10日水曜日

落葉松 夕方ズーット聴いていた

落葉松(からまつ)作詞:野上彰 作曲:小林秀雄;落葉松には時期的にちょっと早いかもしれませんが、聞いたらやめられなくなって、沢山の人の演奏を聴いてしまいました。その中で、バリトンの大西 宇宙(Takaoki)さんの歌唱、声もとても気に入ってしまいました。
YouTubeから頂戴しました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=pTFxLwXJH0Q

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる
落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる 私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる  私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

2014年9月5日金曜日

わが母の教え給いし歌

歌の内容は;老いた母が私に歌を教えてくれた時、なぜか母は目に涙を浮かべていました。そして今、さすらいの旅の子どもらに、楽器を弾いて歌を教える私の頬に涙が伝うのです。
Songs my mother taught me;ハイドゥークによるチェコ語の詩からドボルザークがドイツ語に訳し、曲を付けた(1880年)《ジプシー歌曲集》作品55の第4曲。
私にとっては、実は母がしばしばハミングしていたのが記憶の端に残っていて、とても懐かしいのです。私にとっても母が教え給いし歌。今日久しぶりに何人かの演奏を聞きました。
ロシアが生んだ素晴らしいソプラノ、アンナ・ネトレプコの歌唱をYouTubeからもらいました。 アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=jnSVPkFLXx0
チェコ語は知りませんが、ネトレプコはチェコ語で歌ってるのかな?ドイツ語や英語ではないみたい。

付録;カリタ・マッティラ(フィンランド)の歌唱アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=8jXQZG9DDRM よかったらここをクリックしてみてください。 素晴らしいです。

2014年4月10日木曜日

英雄は戦争にでることで、自己から逃避する;イーゴリ公

本日、新宿ピカデリーで上映されている、「イーゴリ公」(メトロポリタン歌劇場のライブビューイング)を見てきました。この歌劇はボロディンの遺作でしかも未完成であったものを、リムスキー=コルサコフとグラズノフの手により完成されたもの。
今回のディミトリ・チェルニアコフの新演出は幕が開く前に”英雄は戦争にでることで、自己から逃避する”が英文で幕に映し出され、るとこらから始まる。南方から圧迫するポロベンツ人(韃靼人)を討つとして今のキエフ付近を支配していたイーゴリ公は勇んで出陣し、破れ、捕虜となる。真っ赤なケシの造花が舞台一面に咲き乱れるなかで、繰り広げられる、虜囚の身となったイーゴリ公の状況が、うつつと頭の中の幻想を織り交ぜて描かれていた。実に合唱が多い。よく知られたポロベンツ人(韃靼人)の踊りもこの幕で演奏される。いろんな演出版がYouTubeには載っているが、ここはせっかくなのでMET版=https://www.youtube.com/watch?v=qT5nhpyEmrcを; 話は、イーゴリ公留守中の事件や、その後イーゴリ公の故地がポロベンツ人に攻め込まれる。ポロベンツ人から逃れたイーゴリ公が帰国し、再建に立ち上がるという、まあよくある話ではある。作者はイーゴリ公に終幕近くに、功名心に駆られて、飛び出してしまったと語り、ロシアの諸公に力を合わせて外敵に対抗しようと歌わせている。ロシア、ウクライナから優れた歌手を呼んで作ったこの歌劇、なかなか素晴らしかった。タイトル役のバス・バリトンのアブドラザコフはさすがだった。ウクライナのソプラノ;オクサナ・ディーカ(上品な美しさが心に残る)、来期はMETでカルメンを演じることになっているという、メゾソプラノのラチヴェリシュヴィリなどなど、主役級がわきを固めてなかなかのものだった。

2014年3月9日日曜日

”かけがえのないこと” & ”勇気100%” 更に "あすという日が"

今日のテレビ朝日の番組「題名のない音楽会」は楽都、郡山からでした。浪江町出身の民謡歌手と子供たちの演奏もとても印象に残りました。また福島出身という加藤茶が30年ぶりとのことでしたが、ドラムをたたいていました。
郡山市立朝日が丘小学校の特設合唱部も出演したのですが、”かけがえのないこと” と ”勇気100%”の演奏はとても上手でした。私には、笑顔いっぱいに歌う歌詞を聞きながら、この子たちの洋々たる未来が見えるようでもあり、また素晴らしい将来が開けることを願ったことでした。そして、多くの人々が明るい気持ちになれたことと思いました。
出演したことが学校のHPにも出ていました。
http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710020&frame=weblog&type=1&column_id=743145&category_id=8068
です。

これとは別に、仙台市立八軒中学校の吹奏楽合唱部が"あすという日が"を歌っているのにネット上で出会いました。とても良い曲ですし、嬉しくなる演奏でした。
https://www.youtube.com/watch?v=Nz0V7XGLKj4
に出ていました。

2013年12月16日月曜日

先生の演奏会@シルク博物館(横浜)

ボイトレを受けている小沢先生が横浜市民広間演奏会の一員として参加する演奏会がシルク博物館イベントホールで行われました。他にサックスの田村さん、電子ピアノの北村さんの3人による若手演奏家による演奏会。サックスのラテンものもなかなかいいです。人の声には一言多い家内も小沢先生の歌には満足の体。楽しく過ごせました。

帰路、港に出ると大きな船が停泊。飛鳥IIでした。見ている間に出航していきました。右上に白い月が見えます
少し寒かったけど、よく晴れていて、港の象徴的なビルも、夕日を照り返していました。
写真はクリックすると大きくなります。

2013年9月26日木曜日

久しぶりに横笛尺八

昨日、雨が降る横山公園のあずま屋で久しぶりに横笛尺八を吹いてみました。さぼりありあり。 又少しやって見るかなー。1尺6寸版、春の海を吹くには最適らしいが、この分では覚束ないな。

2013年9月18日水曜日

姥沢でヒグラシを聞いた

陽が少し傾き始めた頃、笛を4本持って姥沢へ散歩に出かけた。作ってから日時が経ってしまっている笛の調節を兼ねて、吹く練習も。
持参したヤスリで歌口、指孔を少し削って調節。赤い花白い花、野菊、おぼろ月夜、・・・・・。 しばらく吹いていないので運指を忘れている。
さあ帰ろうかなと思う少し前から、なんとヒグラシが鳴き始めた。何年振りに聞くんだろう!! 少なくとも去年も一昨年も聞いてない。数匹が呼応して鳴いていたようだった。カナカナを聞きながら帰り支度。

笛の写真は下3本がハ長調のドレミファ笛(八本調子篠笛)、一番上がそれらより半音低いロ長調のドレミファ笛(7本調子篠笛)。一番下のは初期につくったもの。

そうだ、サトウハチローの童謡の詩 ♪夕方のおかあさん を思い出した。記録しとこっと!
カナカナぜみが とーくでないた 
ひよこのかあさん うらきどあけて
  ひよこをよんでる ごはんだよ 

やっぱりおなじだ おなじだな

2013年4月27日土曜日

恐竜になったつもりで! 背中で息をして!

私の歳を半分にしてもちょっとお釣りがくるほどお若い、ボイストレーにングをお願いしている先生は時に難しい注文をする。
2月の時には、身体の両脇にスピーカーがあるつもりでそこから声を出してと言われて、イメージすることがなかなか大変だった。

つい先日5月23日には、足を前後に軽く開いてと言われた。これはすぐできるのだが、面喰ったのはしっぽが長い恐竜になったつもりで、と言われる。その上で背筋の姿勢について言及された後、練習開始。「ハイ背中で息をして」エエ――と思いながら背中に意識を置いてると、本当に背中で息をしてるような感覚になる。ふむふむ不思議―。
胸のあたりに大きなかごを持ってるつもりで―とか。

でもでもである。だんだん声が自由に出るような気になる。本当に不思議。
O del mio dolce ardorを歌ったとき不満が残った部分が簡単に無理なく量を伴って声が出た。姿勢が大事なんですねー。