2008年12月31日水曜日

大晦日に

横山公園より、暮れゆく相模原の2008年です。


相模のもののふ 和田氏 その2を続けて書くつもりでしたが、ちょっと重すぎるので間をおいてまた来年に書くことにしました。

5月に開始した、気まぐれなブログを見ていただき、そしてコメントをいただきありがとうございました。
これからも、子供たちと理科・工作で遊ぼう、郷土史、笛、花・樹木など興味のおもむくままに書いていきたいと思います。自己流ですが、笛作りにはちょっとばかりのめり込みました。来年は是非、尺八らしきもの、龍笛らしきものを作りたいと思っています。プラスティックの尺八を買って、しばらく練習していたのですが、1週間ぐらい前から、どうも音らしいものが出るようになりました。是非、尺八もどきを作って吹いてみたいと思っています。

決して楽観できない日々が待ち構えていると思いますが、健康に留意し、たじろぐことなく前向きに行きましょう。

2008年12月30日火曜日

相模のもののふ 和田氏 その1

10月29日に永井路子著の”相模のもののふたち”を紹介し、三浦大介義明と三浦党のことをふれた。(ここをクリックしてください)
三浦党は半島周辺の海運をおさえた大きな動員力をもった集団であったが、その棟梁、三浦大介義明は「剛毅と冷静な判断力」を持つ「鎌倉時代の幕開けを飾るにふさわしい人物」と永井路子さんは評価されている。そして、その”冷静さ”が嫡男(実は次男、長男が若くして死んだため)義澄、その子義村に受け継がれ、”剛毅さ”が、若くして死んだ長男義宗の子、和田義盛に受け継がれたと書いておられる。

和田義盛(左写真「相模のもののふたち」より)の父、義宗は始め三浦の重要拠点、海の城塞、怒田城を任された。その後、鎌倉の東南、杉本城(今の杉本寺があるところ)に拠って杉本太郎義宗と名乗った。この杉本城、紛争が絶えなかった鎌倉党(大庭、梶原氏など)に対する三浦党の最前線と位置づけられる。つまりは義宗の「勇猛さ」を物語っているといえよう。義宗は若くして亡くなったので、三浦の嫡流は義明の次男義澄の系が継ぎ、義宗の長男、義盛は三浦半島の相模湾側にある和田に拠って和田義盛を名乗り、この地域の開拓を行った。杉本城はと云うと義盛の弟義茂が継いでいる。(三男義秀の項は間違ってました)

和田氏は嫡流ではなかったが、三浦党の中で非常に重要な集団であったばかりか、鎌倉幕府が開府した後は義盛が侍所の別当(いわば長官)を担い、本家をしのぐ勢いであった。三浦党が源頼朝に重用されていたことは確かで、例えば頼朝が征夷大将軍に任じられた時、勅使から辞令を受け取る大役は義澄が担っている。
和田義盛は積極果敢の人であったらしいが、時に私情を前面に出してしまう面もあった。その意味で本当に侍所の別当に適任であったかどうかは疑問の余地があるが、所司(次官)に性格が正反対ともいえる梶原景時を配したあたり、頼朝の絶妙の人事と永井さんは云う。実際、幕府を開くのに欠かせなかった数ある豪族達の棟梁の中から侍所の別当を選ぶのもなかなかの困難があったであろう。別当人事は旗揚げに敗れて安房で合流した時の約束と云うことになっている。頼朝と云う人は聡明な人であったらしい。和田義盛は平家討滅戦のみならず、奥州平泉の藤原攻めにおいても活躍している。

鎌倉幕府は開府以後も豪族間の勢力争いは絶えなかった。それでも頼朝がトップにいる間は抑えが効いていたが、その死後は弱小集団北条が政治権力を握っていく。外戚北条時政の政治的陰謀によって次々と有力武士団が葬られた。頼朝の妻、北条政子と弟義時は父時政には一線を画したが、頼朝の子供たち頼家も実朝も頼朝が示した”源氏”の坂東武士団に対してなすべき役割、その位置づけを理解せず、結局、母、政子と義時が力を発揮することになった。
しかし、北条が本当の意味で政治権力を確立するには、鎌倉のすぐそばの三浦半島にがっしり根付いて、動員力絶大の三浦党の排除が必要だった。北条の優れた指導者、義時、その子泰時、その孫時頼の代の間に三浦党は追い詰められ滅ぶ。その手始めが和田合戦であったといえよう。

明日に続きます。

2008年12月28日日曜日

目黒区八雲の東光寺

昨日、お墓の掃除に目黒区八雲にある東光寺へ行きました。
このお寺、曹洞宗の禅寺で、吉良氏菩提寺と説明があり円に二引両の紋が山門についていました。吉良氏と云えば足利将軍家の庶流ですので、円に二引両と云う紋が使われていました。
東光寺を開いた吉良家は実は世田谷吉良と呼ばれていました。吉良家はもともと三河に根を張り東条吉良、西条吉良に分かれて吉良の庄を支配していました。南北朝時代に東条吉良の一部が北畠氏を中心とする南朝勢の抑えのため奥州探題として東北に行き、同じく奥州探題だった斯波氏の勢いに負け、武蔵に戻り、世田谷城(豪徳寺)に拠りました。関東では鎌倉公方、関東管領に次ぐ地位にあったようです。
世田谷吉良家の菩提寺は豪徳寺付近にもあるのですが、東光寺には西側の丘の上に3基の宝篋印塔があります。
私の子供時代は、欅の大木が沢山あって、夏には蝉取りをして遊んだのですが、夜はうっそうとした森のせいで傍を通るのが薄気味悪かったことを思い出します。今はずいぶん切ってしまって欅がぽツンポツンとあるだけで残念な状態です。ただ非常に立派な銀杏が山門の傍に頑張っています(写真上:今の銀杏、下:夏の銀杏)

とうの世田谷吉良家は戦国大名にはなり得ず、小田原の後北条に組み込まれ滅びます。ただ江戸時代になって、たぶん源氏の流れを重視されたのでしょう徳川家の旗本にとりたてられ名が残ったようです。世田谷出身の吉良と云う人に会ったことがありますが、その当時は由緒ある名前だな~ぐらいにしか思はなかったのですが、もしかすると世田谷吉良の末裔だったかもしれませんね。

そうそう、本題はお墓掃除でした。二人で草をむしり、石を水で拭いて、花を生け、線香を手向けて帰ってきました。帰り道、二子玉川を渡る国道246号線の橋の上から、少し傾きかけた太陽の光を浴びた見事な富士山を見ることが出来ました。

2008年12月23日火曜日

JAXA相模原キャンパスの展示

今日、奥方について買い物に出た帰り、淵野辺公園の傍を通りました。OさんのブログにJAXA相模原キャンパスにロケットの実機が展示されてると案内されてたのを思い出し、公園のすぐ傍のJAXA相模原キャンパスを訪れました。

守衛さんからもらったパンフレットを添付します。
30.7メートルのM-Vロケットの実機は迫力がありました。M-3SIIロケットの原寸模型も展示されてます。パンフレットに映ってるロケットはM-3SIIロケットの原寸模型のようです。

今日は休日なので展示ロビーは閉まっていて人工衛星の模型などを見ることが出来なかったのですが、これは再度試みる価値ありと思いました。

2008年12月22日月曜日

ラックスキット 

自室の整理をしていたら、懐かしいものが出てきました。26年前にキットを買って組んだアンプLUXKIT A1033の組み立てマニュアルです。4半世紀前に作った真空管式のアンプですが、今も働いてくれています。あまり酷使していないからでしょうか。写真左の下の部分がそれです(上はDENONのCD装置)領収書兼保証書も挟まっていました。80800円でした。随分安く上げた気分が残ってますが、どうなんでしょ。それにしてもダイエーがキットを売ってたのですね~。レジャータイム課が発行しているのが面白いです。(もしかすると、電気屋で買うより、ダイエーで取り寄せてもらった方が安かったのかもしれません)




今売ってればいくらぐらいかと考えたが、そんなことありえないか、何せ真空管式だから。目次と裏側の配線の様子。マニュアルから採取です。とにかく未だに働いてくれる、いかつい顔をしたカワユイアンプです。

面白がる方もおいででしょうから配線図をのせます。私は組みましたが、良くは分かってません。まあ出来あいを買って聴くより、自分の労力をつぎ込んで安くあげたという、まっ!組み立て家具を買ったのと同じ意味あいです。



当時は既に真空管が得にくくなりつつあったことは確かです。そして上等の半導体式は凄く高かった。真空管式は安での半導体式より、比較的安価でよいものが得られると云う判断はありました。
画像をクリックすると少し大きくなります。
p。s。 http://wwwonce-on-a-while.blogspot.jp/2013/12/luxkit-a1033.html にもう少し大きく見える配線図を載せました。

2008年12月21日日曜日

お隣の柿の木に鳥の群れが

ここのところ屋内に、自分の版図を広げ過ぎ、領土的に連れ合いさんが不満を持ちそうで、ここ数日身の回りを整理しています。今日も北側の部屋で頑張ってると、「鳥よ!」とのたまうので、窓から外を眺めると、お隣さんのお庭の柿の木に鳥が群がって柿の実を啄ばんでいます。柿の木は3本あるのですが、この1本だけに群がっています。他の2本とどう違うのか私にはわかりませんが、鳥はちゃんと区別できてるようです。一羽がピーと鳴いたと思うと、急にパッと飛び立って電信柱に鈴なりに。ちょうどカラスが二羽通り過ぎたのでした。また再び同じ木にもどって啄ばんでいました。
鳥の種類は何だかわかりません。

本の整理、昔からの研究資料の整理、「子供たちと遊ぼう」のために頂いたり、買った材料の整理・・・・まだまだ忙しいのですが、そのさなか、ホッとする一場面でした。

2008年12月20日土曜日

追伸:子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)纏め

纏め、ある意味で報告書の意味を持つと思いますが、の中身を見ていただいた方がやったことをよりよく伝えられると思い、実施に参加して下さったもう一人の方の了解を得てpdf形式のファイルを公開しようと思います(ここをクリックしてください)
オリジナルとは表紙のマンション名がぼかしてある点と著者名がハンドル名に替えてある点が違います。

ご意見などいただけると、今後に役に立つと思うのでよろしくお願いします。

題材はほかにも準備中ですが、こんなものは如何といったアドバイスも大歓迎です。

高学年の子たちに対する内容も当ブログの6月に触れています。あわせて見ていただけるとありがたいと思います。

2008年12月18日木曜日

子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)纏めを作りました

時々経過を報告していた、「子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)」の某マンションでの実施は12月5日で終えましたが、その纏め”遊んだことを記録しておこう”を作りました。左図は表紙です(ちょっと変えてますが)。今回はお仲間のTOさんとの合作です。写真が多数入ってますがA4で6ページです。書いていくと、反省点が浮き彫りになり、今後行う実施に役に立ちそうです。

低学年の子供たちには難しい内容を含んでいましたが、面白い、不思議、どうしてだろう、といった印象が強く残ってくれることを祈っています。実施においてもこの観点を意識して問いかけ、纏めもそんな点に留意して作りました。これで、一段落となりました。

これを子供たちや「遊ぼう」のメンバーに配りました。実施の場所探しの際のデモンストレーションにも使うつもりです。
雰囲気も伝わらないかも知れませんが、記録に含めた写真の一部をのせます。写真はクリックすると大きくなります。




2008年12月15日月曜日

中津川フィールド そして 遺跡調査開始

中津川フィールドに行って、Wさんと遺跡調査。鎌倉時代に遡るのだろうか?大変楽しみである。急がずゆっくりとやっていくことに。

お昼にはとれたてのなめこ(写真上左)で、なめこ汁をいただく。アウトドアでの、おにぎり、おでん、なめこ汁。とても美味しい。そのうえ我家へも、なめこのお土産をどっさりいただいた。
フィールドの中を巡回してみたが、川原で、ちょっと物騒なものに行き当たった。イノシシらしい(写真上右)。畑は荒らされていなかったが、川を渡ってやってきて、土をひっくり返して帰って行ったのだろうか。気をつけるにこしたことはない。
夕方4時ごろ、帰宅へ。中津川フィールドも冬の様相をきたしていた。
写真をクリックすると大きくなります。

2008年12月13日土曜日

富士見子どもセンター おもちゃの病院

相模原市中央にある富士見小学校の北西に隣接して富士見子どもセンターがあります。ちょうど小学校を隔てて逆側に中央公民館があります。偶数月の第二土曜日午前10時から12時まで、当子どもセンターでおもちゃの病院が開院されます。本日も開院され、私はここへは初めての登院しました。ドクターになっても良いという方が見学にこられ、仲間に入られる模様。サポセンへ行って、この組織を知ったとか。
今日は4件のおもちゃが持ち込まれました。中には、音はするけど回転していたものが動かないというのがありました。可能性としてはいろいろ考えられますが、まず調べるのは電池。案の定、電池の起電力が落ちてました。電池を入れ替えれば動くことを確認して帰って行かれました。他に2件は治癒して持って帰られましたが、残念ながら1件は治療不可。もう一件はベテランドクターが半田ゴテで悪戦苦闘。時間が来たからどうぞ帰って下さいと促され帰ってきたが、どうなったかな~。

私は、センターの職員の方に「子供たちと理科・工作で遊ぼう」について説明して、少しデモもして帰ってきました。

2008年12月10日水曜日

柊 はたまた 柊木犀

上溝本町でみかけました。柊の花それとも柊木犀?微香性の良い香りを醸しておりました。写真をクリックすると大きくなります。

グーグルと、ともにモクセイ科。柊木犀は銀木犀と柊の雑種で柊の花と同じような白い花を咲かすそう。

葉のギザギザ度:金木犀はほとんどすべすべだが、金木犀< 銀木犀 < 柊木犀 < 柊 (ギザギザ)

開花時期も 金木犀 → 銀木犀 → 柊木犀 → 柊

とある。柊木犀の開花時期は10月末から11月初め頃らしいので、多分、柊ではないかと思うのだが。町の街路にあるのは、柊と云うより柊木犀が多いとか。ハテサテ

2008年12月9日火曜日

長池公園

多摩の尾根幹線そばのグリーンウォークモールの傍に長池公園があります。電車だと京王堀之内か南大沢からバスか歩きで楽に行けます。

12月7日は我が連れ合い殿の誕生日(そう、宣戦布告の日)。彼女がサークル活動で知ったレストランで昼食を一緒にどうだという。それは長池公園のすぐ傍、見附橋、のところにあるランチ&カフェ専門のところで、隣で結婚式もできる建物を持っている:LA BETTOLA da Cortona。LA BETTOLA da Ochiaiは銀座にある有名なイタリアンレストランなそうで、シェフの落合氏が時たまここにも来るとのこと。件のCortonaの方はイタリアの田舎町のレストランといった雰囲気に仕あげてあると見た。
7日(日)は避けて8日(月)にお伴つかまつった。オードブルとパスタ+デザート&ワインで1人、2000円也。特別だからまーいいか。おいしかったです。とても。
我々は1時半からの予約にしたが、早番の11時半の方に予約すべきでした。1時半までにメニュウの一部が品切れになっちゃうので。

食後、長池公園を散歩。谷戸を抱える里山からなり、田んぼが作られてました。雑木林も続き、小山田緑地に負けない散策地帯です。木瓜が咲いてました。

池でカワセミに出会い、下手ですがなんとか撮りました。真ん中にいますが分かりますか? クリックすると大きくなります。

2008年12月7日日曜日

橋本台リサイクルスクエアー(おもちゃの病院)と相模原北公園

本日、橋本台リサイクルスクエアーで、おもちゃの病院が開催され、ドクター見習いの私も参加した。私も一台直すことが出来た。ベルトコンベア式の装置で何かを上に運びあげる玩具。動かないと云う。スイッチを入れるとモーターは動いてるようだ。たぶん歯車の障害と思って分解すると、はたしてプラスティックの歯車が割れてモーターの動きが伝わらなかった。病院側のストックの歯車を二つ交換。軸の太さに合わせて歯車の穴を少し大きくするのに苦闘したが、何とか直せた。歯車2個分の代金100円なり。坊やの「ありがとうごじゃいましゅ」でこちらの疲れ吹っ飛ぶ。上の写真は会場の後片付け風景。


帰りに相模原北公園に寄ってみた。Oさんがブログの中で案内されている通り、なかなか綺麗だ。冬空のもとの丹沢の山並みのながめもなかなかのものだった。寒かったせいか、人影はまばらに見かけるのみで、それも池の周辺が目立ったくらいだったが、若人はサッカーの練習を元気に楽しんでいた。

写真はクリックすると大きくなります。




おもちゃの病院でのひとコマ:お隣の席のドクターのところにお孫さんのおもちゃをもちこんだご婦人。おもちゃは部品の問題で治らなかったのだが、よもやま話をして帰られた。家のいろんな故障を直してくれていたご主人を最近亡くされたとのこと。いろいろ”不便”ですと何気なく言われた。正直なところでしょうね~。あとで、お隣の席のドクター私に「・・・・さん。道具!道具!」。うんうん。
でもふとその後で、これをわが身に置き替えて、私が残っちゃったらと考えてしまった。普段から料理のみならず、頼らず、進んでいろいろやらないとね・・・・・。((やれてないのによう言うは(どこからか聞こえてきそう)))

2008年12月5日金曜日

子供たちと理科・工作で遊ぼう(低学年)終了

私と同じマンションに住む小学生低学年を対象とした、”理科工作で遊ぼう”は全部で6回で一応終了しました。今日は
1)先週始めた反射式プロジェクターを完成させること。
2)http://wwwonce-on-a-while.blogspot.com/2008/07/blog-post_07.html に載た自転車のベルを分解してみようでした。歯車の仕組みを理解しようということです。
以下2枚は、牛乳パックを切り取って、内側にアルミ箔を貼り、レンズ系の取り付け穴を作ったところ、と組み上げたところです。(クリックすると大きくなります)



光学系を取り付け、後ろから懐中電灯を取り付けたところです。

子供たちそれぞれの懐中電灯、ルーペ持ち寄りで、一人ひとり作りあげました。簡単にその原理(凸レンズの機能の説明はまだ無理と避けました)を説明して、思い思いに描いてきた絵を夫々の映写機で映して、リンゴだ、ウサギだ、サンタクロースだ、天使だ、サッカーボールだ・・・・と当てっこをして楽しんでいました。光がどんなふうに当たるのか、理屈が分かった子は何人だったかわかりません。分かんなくっても、不思議だな~、面白いな~と皆が思ってくれたら、と念じつつです。

これで疲れてしまって、もうおしまいにしたいと言い出すかもしれなかったのですが、ベルの分解をやるかいと水を向けると、ヤリタイヤリタイと云うので、やってごらんと、ベルを二つ渡しました。ドンドンやって歯車を全部はずした子、上蓋を外すだけで、やめてしまう子様々でした。歯車の理屈の理解はそれぞれだったと思いますが、ベルのノブを1回まわすだけで、一番上の金具が何回も廻って、リリリンとなるようになっていることは分かったと思います。

今夏、上級生シリーズの方に参加していた、小6の少年が助手として参加してくれ、さらにサークル活動から珍しく早く帰ってきた、連れ合い殿まで、いつの間にか入ってきて、子供たちと遊び始め、思ったより早く終了できました。

最後に、みんなで写真を撮って、解散しました。来年からはこの活動をマンションの外に出すことが課題であり、抱負でもあります。

2008年12月2日火曜日

夕暮の横山公園(08_12_2)



久しぶりに横山公園を散歩。上溝中学から横山公園にかけてとてもきれいでした。どこも、去年より鮮やかな感じですね~。










横山公園のイルミネーションの準備が出来てましたが、必要ですかね~。

人気がほとんどなかったので、新しく作った横笛、八本調子をちょっと試し吹きをしてみました。まあまあの音です。次にはもっといい音色のを作りたいものです。