2017年12月20日水曜日

横審メンバーの品格は?

委員長なる人の会見では横綱の品格に関してまるで人ごとのように話していた。品格が問題になるような人を横綱に推挙したのは横審ではなかったのか?
白鳳を横綱に推挙した横審のメンバーは今のメンバーとは違う。しかし、白鳳を横綱として推挙したのは横審という組織である。メンバーが違ったって、横審という組織の責任は消えない。そうでなくっては横審という組織への信頼感は全くなくなってしまう。
現在のメンバーは、そんな組織論の初歩が分からない人々ではないような気がするが。横審の責任には頬かむりを決め込んでいる。横綱の品格を論じるべき人々からなる組織としては如何なものかと云いたい。横審そのものを自ら戒める言葉があるべきだった。横審のメンバーの品格はどこへ行ったのだろうか?

追伸;12月21日の朝日新聞朝刊、19面に北村委員長が次のようなことを言ってるとの報道があった。
「横審には品性について調査する力量も権限もない。協会が(品性があると)判断した上で諮問しているのを前提に推挙している。日馬富士が品性がよろしくないという判断はできなかったし、立派な人物だという人がたくさんいる」
「成績は条件を満たしている、公益財団法人日本相撲協会がその品格を保証している。だから推挙する」と言っている。 これを了として、公益財団法人日本相撲協会の内部問題と言っちゃって良いのでしょうかね。「公益」という文字は外した方がスッキリするような気がしてならない。

2017年12月8日金曜日

AI技術発展の行方。子供たちは今

昨日は谷口台小学校でモーター作成の95分授業を午前中に二つ(2クラスに対して)行いました。子供たちの集中は途切れることもなく、全員のモーターが回りました。そしてなぜ回るんだろうという考察も。
今日も残り3クラスに対して、仲間が授業をやってくれています。私は午前中お休みをもらいました。午後、都合の悪い人のピンチヒッターで行くことになってます。

昨日の朝、授業開始前、午前8時に学校に集まって授業準備を始めましたが、一段落して理科準備室で一服の時間がありました。私たちと理科担当の先生と。
先生がフト言われた言葉が気がかりとなりちょっとした話が盛り上がりました。AIの発展の影響です。子供達が自分達が大人になった時、仕事があるんだろうか?何をしたらいいんだろうか?と話しているというのです。不幸な時代に突入しているのです。

私がComputerと出会った時は文字通り”計算機”でした。その発展によって、それまで出来なかった計算ができるようになっていき、ズット夢をみるような日々が続き、最後に、並列計算機プログラムを書いてそれまで出来なかった計算を可能にして、夢を見たまま現役を引退しました。全く幸せな人生だと思います。現役を辞めて、computerの”計算機”とは違う側面と戯れはじめたのですが、あれよあれよという間に、将棋では、人間が勝つ確率が限りなく小さくなり、その程度ならまだかわいいが、人間の仕事の代わりをするようになりつつあります。人間の生き方の問題にかかわり始めていると言っていいでしょう。

この辺で立ち止まって考えなくてわいけないのではないか。人の生き方に関して。そして人の環境のあるべき姿に関して。資本主義はそれを待ってくれないような気がするが。重大な局面にあるような気がします。もしかするとトランプなどという小物のやることよりずっと重大な問題なのかもしれないのだが。

2017年11月29日水曜日

はは、のんきだねー

この頃、テレビで気になるのが、ある一団体の内紛問題ばっかり。 スイッチを入れるとどこかの局でこれをやっている感じ。そうでなきゃ面白おかしい話ばっかり、 という印象である。
”蕎麦”の問題があるでしょうに、モリ・カケが!そして国際的な問題が! 我々を取り囲むいろんな環境(宇宙も情報も含む)の問題があるでしょうに。

昔は新聞等のメディアは大衆に対する啓蒙的存在であった。誰でもが喜んで 読んだり見たりしないことを前面に出して報道していた。
今や大衆の視聴率を気にして、骨のないふらふらした存在になっている。 大衆に媚びを売ってるのではないかと感じることもある。
こんなの沢山いらないねと言われないために、もっともっと守備範囲を広げて各局特徴を 出す必要があるのではないか?電波の無駄遣い、紙の無駄遣いと言われないために。

2017年11月23日木曜日

Dmitri Hvorostovskyが逝った

2017年11月22日、彼は逝ってしまった。55歳。世界は素晴らしいバリトン歌手を失ってしまった。 Ettore Bastianiniも若くして去ってしまったが、Hvorostovskyまでが。 まだまだ沢山の素晴らしい作品を残すはずと思っていたのだが。こんなに才能に溢れた人がこんなに早く逝くなんて!
Dmitri Hvorostovsky at the Met;<https://www.youtube.com/watch?v=Mt7wYGysu0Q>

2017年11月10日金曜日

心温まる曲線、番外編  (面積)

心温まる曲線の後編において、以下の式が右のハートの形を表すことを示しました。
x2(y3 x2)=1.
(ここで、3x2=x2/3を表します。)
ふと思ったのです、このハート形の面積は半径1の円、右図の点線で書いた円の面積と等しくなる;すなわちπになると。暇人なんですね。
証明は簡単でした。ハート形の曲線の上側の式
3x2+√1 - x2 と、下側の式
3x2ー√1 - x2の差をとって、xに関して-1から1まで積分すればよい。
両者の差はまさに21 - x2となります。
1 - x2は半径1の円の上半分を意味しますから。その面積はπ/2
したがって、上のハート形の面積はπということになります。

どうも一般に、x-1以上1以下の範囲で、連続で有界な関数f(x)に関して、曲線
x2(yf(x))=1.
によって囲われる図形の面積はπということになります。

2017年11月8日水曜日

カードのダイヤはそんなに難しくないが

例えば一例ですが辺がちょっと内側に反らない、真っすぐの線だと
  s|y|+|x|=s,   0<s<1
sが1に近いほど縦横の長さが同じに近づき、sが1より小さくなるにつれ、縦長になる。 
ひし形が内側に少し反ることがあるけれど、その場合は、
s|y|+x2/3=s
或いは
s|y|+x4/5=s 
ぐらいでどうでしょね。勿論 0<s<1  
スペードやクラブは一つの式で表すのは難しそうだな。

2017年11月7日火曜日

心温まる曲線、後編 (解答編)

前編のアクセスが一日に一件ぐらいとなり、落ち着いてきたようなので、この辺で解答編を提示しようと思います。
左の写真は前編に示したもので、曲線を表す式が載っています。チョット込み入ってはいますが、単なる数式がどんな曲線をもたらすのでしょうか、左の写真をクリックしてください。解答が出て来ます。こんな心温まる曲線を描くのですね。

そこで、ちょっと解題してみようと思います。
与えられた式は
x2(y3x2)=1. (1)
(ここで、3x2=x2/3を表します。)
途中を省きますが、(1)式から次の式を得ます。
y = 3x2±√1 - x2.     (2)
この結果に基づいてプロットすればよいのですが、簡単な図解で答えを見ましょう。
(2)式を構成する 3x21 - x2および -1 - x2の図を描いてみましょう。
左図は3x2xの値がー1から1の間に対する振る舞いです。このグラフを図1としましょう。
<=図1

1 - x2-1 - x2は下の図に示すように夫々半径1の円の上半分と下半分に対応します。これらを図2と図3としましょう。

図2               図3
それでは、(2)式のうちの
y = 3x2+√1 - x2のグラフは図1と図2を足して作ることが出来ます。
y = 3x2ー√1 - x2のグラフは図1と図3を足して作ることが出来ます。
そこで、図1、2、3を同じ座標上に点線で表して、3x2+√1 - x2を黒の実線で3x2ー√1 - x2を赤の実線で表してみました。ハートマークになるんですね。

2017年11月4日土曜日

10月22日;紅葉の北大キャンパス II

残りです。写真をクリックすると多少大きくなります。

10月22日;紅葉の北大キャンパス I

10月22日、北大キャンパスの紅葉はきれいでした。時間はあまりないので、中央ローン、農学部前のローン、理学部ローンあたりのみ、巡ってきました。写真をクリックすると多少大きくなります。

2017年11月3日金曜日

心温まる曲線、前編(式修正)

10月21日-23日札幌に滞在しました。私にとって大事な方をしのぶ会が行われ、それに参加するためでした。
22日の午前中ちょっと時間があったので北海道大学の
キャンパスを訪ねてみましたが、紅葉がとてもきれいでした。理学部の本館だった建物(左写真)が博物館に変身してかなり整ったというので、ちょっと寄ってみることにしました。
自然史関係のみの展示がなされていたのとは違い、北大で行われている研究などの紹介を含め、かなり充実していました。
この博物館、ミュージアムショップがちゃんとあるのですが、いろんなグッズが並んでいる中、ふと、心温まる曲線を側面に描いたマグに気がつきました。勿論、売り物。大学のミュージアムショップもこんなことするのと思って手に取って、逆側の側面を見ると、
次の方程式のグラフの概形をかけ、
          x2(y3x2)2 =1

とあるのである。(左図)
へーこの式がこんな心温まる曲線を描くの、全く知らなかったなーと驚きました。
(なお、3x2は自分で作り出しているので、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、xの2乗の3乗根、x2/3を表しています)
直交したxy座標に、この式が満たす点(x,y)の軌跡はとても心温まる形になるのです。解答は一週間後にこのブログ上に後編として開示しますが、分かる方コメントに答えを書きませんか?


2017年7月24日月曜日

李下に冠を正さず

「李下に冠を正さず」を今頃持ち出したって遅いのではないか。「国民の疑念は尤もだ。自分にその観点が欠けていた。」と言ってしまった。
謙虚に言ったつもりかもしれないが、自ら首相の任に非ざるを認めてしまったことになる。

2017年7月2日日曜日

スピード違反

どうやら、このままだと、公道を自動車で走って、うっかりスピード違反してとがめられたとしても、撤回って叫べば許されることになっちゃうらしい。
防衛大臣が都議選のさなか特定の候補者名を挙げて「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」といったとのこと。注意をを受けて「防衛省、自衛隊、防衛大臣」を撤回したとのこと。撤回した以上まずいことをしちゃったと自覚はあるのだろう。だが彼女は防衛大臣、立派に公務員で、その人がその地位に依拠して、お願いしたいと言った以上、いくら撤回してもその言葉を飲み込むことはできない。立派に公職選挙法に違反している。撤回したからそれで消えるものではない。人の耳を通して鼓膜を振動させそれが神経系統を通して脳に記憶した人がいる以上消えない。やっちゃったのである。スピード違反を犯して撤回が効かないのと同じはずである。
これで何のおとがめなしなら、我々がうっかりスピード違反してとがめられたとしても、撤回って叫べば許されることになるべきではないだろうか。それほどめちゃくちゃなことが行われているのだと思う。 もし、公職選挙法のことをよく知らなかったので、ここは初犯だしご容赦願いたいと、地位にしがみつくのなら、少なくも弁護士資格は返上すべきと思う。

隗より始めよ

今度はマスコミ批判ですか。まあ確かにマスコミもその実力は批判されてもしょうがないほど落ちてるけど、 政権に鎮座する皆さん、まずは、隗より始めよです。 ずるがしこくっても、あまり賢そうな人がそろってるとは言いかねる内閣だから、こんな事を言って通じるかどうか知れないですね。もう少し詳しく言いましょう。

軽々しくものを言ったり、隠したり、逃げまくったりせずに、まず自分たちから透明性を高めて、実直に誠実に対応することから始める事。そうすれば、真意が伝わりにくいことなんてないでしょう。

2017年6月19日月曜日

ならず者党

ならず者が跋扈する党と化してしまった党。どうやって立て直すんでしょうネ。
まあそんなことはどうでもいい、我々が注意すべきは、別の党を選ぶとして、やってしまわれたことを前例としない真似しない党を選ぶことだ。

2017年6月3日土曜日

?!美しい国!?

上に立つものが、方向性を示して、「自分が責任を持つからすすめよ」 というのであれば、つまらぬ忖度など生じない。そうでないから、ガタガタと続く。見るに堪えない状態を作り出す。
これが首相が云った”美しい国”の姿か?呆れて、ナニオかいわんやである。
本来なら自分に強くかかわる者には厳しく対応せよと指示を出してこそ、”美しい国”のリーダーだと思うが。
それにしても、一向に支持率は下がらない、日本人も呆けてしまったのか?

2017年5月29日月曜日

北海道、下の句歌留多

淵野辺に引っ越しました。それはそれとして、
荷物を整理していたら北海道にいたとき購入した下の句歌留多の「取り札」、否「取り板」が出てきました。 チョット写真でお見せします(クリックすると大きくなります)。多分開拓時代、厚紙に書いて札を作るなんてことはできなかった事は想像に難くない話で、板っぺらに書いて取り札を作ったのでしょう。
その名残が今なお板に書いているのだと思います。ただ北海道では風習としては読みあげは上の句からなんてことはせず、いきなり下の句を読んで下の句を取るのが普通と聞きました。一部のことかもしれません。ただ私はこれは本土文化への反骨がそうさせたのじゃないかなんて想像しています。
わざわざ下の句歌留多としたのはそのことからです。難読ですぞ!誰です?「身をつくしても 逢はむとぞ思ふ」なんて簡単じゃんっていうお人は!
競技会ではこの板が飛びます。そして板を取られた人は畳を叩いて悔しがる。なかなか勇壮です。
ところで、この板を取り札にして、上の句から読む小倉百人一首大会をやりたいなんて人がいたら考えようかな。面白そう。これだと沢山覚えてる人が必ずしも勝とは限らないのでは?

2017年3月19日日曜日

公共リサイクルステーション

アメリカやドイツで、スーパーの一画にリサイクルステーションというか、ごみ集積の 場所が設置されていたものだが、今回あるスーパーの屋上駐車スペースにリサイクルセンターが 設置されていて、利用されているようでした。

ポイントシステムまで取り入れなくってもいいから、多くのスーパーで公共リサイクルセンターを設置するといいのにな。

2017年1月30日月曜日

ギャフン!!

わが連れ合い殿が参加している会に、高等学校で世界史の教鞭をとる方がおられる。その方の体験談。
その方、ある日、教え子に会われたそうな。その教え子曰く「先生のせいで、」と来たので思わず身構えると、「○○学校に教諭として就職できました。」当の世界史の先生「ギャフン」。その教え子さんxx大学の国文科を卒業したのだそうな。
言葉の乱れ、気になります。今日の朝日新聞の投書欄に、「お母さん」でなく「母」と言って、と云う記事があった。私も、自分の父母の事をお父さん、お母さんというのを聞いて、おいおいそれはないだろうと思ったことは何度かある。
それから、「・・・・させて頂く」という表現を矢鱈に聞くが、これも違和感がある。「・・・・してくれ」って頼んだ覚えはないけどなって言いたくなる。「・・・・致します」の方がどれだけすっきりして聞きやすいか。まだある。「待ってもらってもいいですか?」といった表現である。「お待ちください」或いはもう少し丁寧に「お待ちくださいませ」で良いのに。

2017年1月12日木曜日

成人式を迎えた孫に与えた文

成人式を迎えたのですね。今までの20年間が今後にむかってしっかりとした礎となっているよう願っています。
仮に80歳まで生きるとして、その4分の1を既に使ったことになります。今後の4分の3が幸多いものになるように、今までに獲得したものを踏まえて、自分の考えを明確にして、周りに振り回されないように、自分の道を進んでいってください。

このごろ、反知性の時代という言葉が聞かれます。トランプ のような人がその時代の空気をうまく利用している、象徴と して挙げられますが、日本にだって、いや世界的に見て 反知性主義が蔓延しているように見えます。

反知性は衆愚を導きかねない。衆愚は下手をすれば独裁 を生むでしょう。 君達若い人たちがシッカリと時代の空気をとらえ、反知性の 波に吞み込まれないように、衆愚という空気の流れに流されない ように頑張ってくれることを願っています。

20歳の誕生日を迎えた孫に

最初の孫が昨年12月に20歳の誕生日を迎えた。これから先は誕生日祝いとか、新年のお年玉とかいった類は一切渡さないつもりでいる。そこで誕生日祝い、そして成人式の祝いに、チョットだけ文章を添えることにした。

誕生日祝いに付けた文章の骨子は
これから、歳をとるにつれ、段々と重要な岐路に直面することが多い筈。何かを選ばねばならず、辛い思いや、悩むことが多い筈。でも、そこで逃げずにしっかり頑張ってほしい。というのは、死の直前にこの人生でもよかったのだと思えるかどうか?もしそう思えたらその人生は成功であろうから。

人生の岐路で、どの道を選択するのがベストかという事は誰も知らない。なぜなら、一つを選べば、残りは実現されず、比較するものはない。ただ一つの道筋だけ。
岐路において、どれだけ考え、どれだけ悩み、どう決断するか。その時どれだけ濃密な時間を過ごすかという事が、あとでその選択を肯定的にとらえられるかどうかと深くかかわる筈だから、逃げずに、しっかり頑張って生きていって欲しい。

孫からは思ったよりもしっかり自分を見据えて、歩んで行こうとしていることがうかがえる内容の返事が来た。どうなるか。

2017年1月7日土曜日

やっちゃった!

本日所用から帰ってきたらハガキが3枚ポストに入っている。1枚は何かの宣伝ハガキ。部屋に入ってまず一枚目を見る。古くからの親友K氏からの賀状。やっと今頃ついたかと文面を見ると、添え書きに曰く「宛先を書かずに出してしまい戻ってきました。すみません。」
ふむふむ彼もやるなと思って、二枚目を見ると、なんと目がテン。添え書きたるや、わが筆跡ではないか。ひっくり返せばノッペラボウ。添え書きの文面から判断して、どのタイプのグループ内の人に出したかはわかるが、誰だかわからない。
事の顛末をK氏に知らせようと電話したら、彼は留守で奥さん曰く「二人とも忙しいんですね。」いとも優しい一言。その内外出から帰ってくる連れ殿は何というか・・・。

2017年1月4日水曜日

作品

正月に久しぶりに弟と、好きだがあまり沢山は飲めない酒を口にしながら、いろんなことを話していた。フト話題にしてみたいと思っていたことをぶつけてみた。「本格的な物、本格的な事」についてだった。私たちが子供のころは歌謡曲だって、歌手の鍛えた声に聞きほれたものだけど、近頃はそのような本格的な歌がだんだん廃れ、例えば、まるで地声としか思えないような声の歌や、たまには調子が外れたって平気と言いたいような声がメディアに流れる。これ何なのだろうと。このような現象は歌だけではないように感じているが、歌は顕著に見えやすい。

「人々が作品を必要としなくなったのではないか」というのが彼の答え。心血を注ぐ、命を削って作った作品を必要としない、対峙する必要を感じない。というのである。そうなのかもしれない。
だけど有名美術館の引っ越し展示とか有名な画家の展覧会など決して人が少ないことはなく、昔の様に十重二十重の行列ができるわけではないが、会場は混んでいる。心配するほどでもないかと思わないではない。だけど、そうなると頭にもたげてくるのは、有名とは何か?ということ。有名ではないが、本格的な素晴らしい作品に人々が群がるようなら本物だけど。 有名な作品に群がるのは何に寄るのか?
本格的なるもの、重要な課題。

お雑煮

私の子どものころは雑煮というと、元旦は白みそ仕立てで、お餅以外に八つ頭と短冊に切った大根、三つ葉と削りぶしを少々かける。これは父方の家の雑煮。二日目は母方の雑煮で、すまし汁仕立て、餅の他には大根の短冊に切ったもの、ニンジンを花の恰好に切ったもの、なるとなど、カシワ(鶏肉)そして三つ葉が入っていた。母方の祖父の家では、本当はカシワではなくイノシシ肉で、都会に来てからはカシワに変わったのだと聞いた。
さて我が家のお正月、もうお節を作るのも疲れるシー、ということで、「いいよいいよ、もう簡単に済まそう」と言ったのですが、品数は減ったけど形を整えてくれた。お雑煮は、我が家では、元旦から白みそは重いという事で、すまし汁仕立ての物にしている。今年は友達からたくさんもらった銀杏が入ってた。ガラスの容器には絶品の黒豆と栗きんとんが入っている。黒豆は3ヶ日過ぎて残っても、ご飯にかけて食べるとこれまた美味しいので毎年の楽しみ。
そのほかに筑前煮が毎年の楽しみ。今年はこれにも銀杏が入っていた。お屠蘇は私が調整したが、一寸味醂がおおかったかな、甘めでした。
二日目はもちろん白みそ仕立て。以前は八つ頭のかなり大きな塊をそのまま炊いたのだが、今年は老人にやさしく、小さく切ってあった。
さて、今年もいろいろなすべきことが沢山ある。気持ちは若くをモットーに頑張ろうと思う。

2017年1月3日火曜日

夕暮れの富士山&蛭ヶ岳

府中の浅間山近くのマンションから見た富士山のシルエット。丹沢山系最高峰の蛭ヶ岳も送電線柱の傍に見えてました。
この地からダイヤモンド富士を見るには あと何日必要なのでしょうか。

2017年1月1日日曜日

亀が池八幡宮

初詣に北相総鎮守を称する亀が池八幡宮に詣でた。平成の大改修が行われ立派な社殿が出来ています。 更に鎮守の森を充実したものになるようです。

年頭に