淵野辺に引っ越しました。それはそれとして、
荷物を整理していたら北海道にいたとき購入した下の句歌留多の「取り札」、否「取り板」が出てきました。 チョット写真でお見せします(クリックすると大きくなります)。多分開拓時代、厚紙に書いて札を作るなんてことはできなかった事は想像に難くない話で、板っぺらに書いて取り札を作ったのでしょう。 その名残が今なお板に書いているのだと思います。ただ北海道では風習としては読みあげは上の句からなんてことはせず、いきなり下の句を読んで下の句を取るのが普通と聞きました。一部のことかもしれません。ただ私はこれは本土文化への反骨がそうさせたのじゃないかなんて想像しています。
わざわざ下の句歌留多としたのはそのことからです。難読ですぞ!誰です?「身をつくしても 逢はむとぞ思ふ」なんて簡単じゃんっていうお人は!
競技会ではこの板が飛びます。そして板を取られた人は畳を叩いて悔しがる。なかなか勇壮です。
ところで、この板を取り札にして、上の句から読む小倉百人一首大会をやりたいなんて人がいたら考えようかな。面白そう。これだと沢山覚えてる人が必ずしも勝とは限らないのでは?
荷物を整理していたら北海道にいたとき購入した下の句歌留多の「取り札」、否「取り板」が出てきました。 チョット写真でお見せします(クリックすると大きくなります)。多分開拓時代、厚紙に書いて札を作るなんてことはできなかった事は想像に難くない話で、板っぺらに書いて取り札を作ったのでしょう。 その名残が今なお板に書いているのだと思います。ただ北海道では風習としては読みあげは上の句からなんてことはせず、いきなり下の句を読んで下の句を取るのが普通と聞きました。一部のことかもしれません。ただ私はこれは本土文化への反骨がそうさせたのじゃないかなんて想像しています。
わざわざ下の句歌留多としたのはそのことからです。難読ですぞ!誰です?「身をつくしても 逢はむとぞ思ふ」なんて簡単じゃんっていうお人は!
競技会ではこの板が飛びます。そして板を取られた人は畳を叩いて悔しがる。なかなか勇壮です。
ところで、この板を取り札にして、上の句から読む小倉百人一首大会をやりたいなんて人がいたら考えようかな。面白そう。これだと沢山覚えてる人が必ずしも勝とは限らないのでは?
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