2014年12月5日金曜日

ベスビオ山、ポンペイ、ソレント半島

忙しい日々が続いてアップがなかなかできませんでした。イヨイヨ後半に入って、ナポリを離れポンペイ、ソレント半島そしてソレント半島の南側のアマルフィ―へと旅程が進みました。
左地図の真ん中に赤のマル印がありますが、ここがポンペイがあったところで、紀元79年のベスビオ山の大噴火によって発生した火砕流によって埋まってしまったとのこと。丁度、山頂とポンペイの距離が山頂とナポリの距離とほぼ同じなので、大噴火があったときにもし火砕流が西北西に向かって居たら、ナポリが埋まり、ポンペイが生き残ってたかもしれないような関係にあります。
ポンペイは海から見ると少し奥に入っていますが、当時は運河が傍まで作られていて商船が横づけされ、船乗り、商人たちは先ず港傍の公衆浴場でお風呂を浴び、階上の娼館で一時を過ごし町に入ったとか。娼館の壁にはいろんな形の快楽の図が描かれてあり、それは実はメニュウで、いろんな言葉の人たちがやってくるので、彼らは図を指さして・・・・・と、まことしやかに説明してました。
さて風呂を通り過ぎて、町の中に入るには立派なトンネルをくぐるようになっていて、警護が厳重だったことを思わせました。中に入ると町の構成がとてもシステマティックで、整然と作られていたことがしのばれ、驚きました。
ソレント半島の眺めは実にきれいでした。
後は動画で、バックの曲はフニクリフニクラ、さらば美しきナポリ、帰れソレントへ。
アマルフィ―についたころは疲れがピークに達していて、ホテルに着くなりばたんぎゅー。夕食まで寝てしまい。街の散策が出来ず、連れ合い殿に怒られること!。アマルフィ―のホテルは町はずれの、ほんのちょっと岬のように突き出した崖の上にありました。昔修道院だったところを改修したもので、なかなかの風情。有名人が沢山来訪したようで、沢山の人々の写真がはってありました。

2014年11月21日金曜日

カプリ島&ナポリの街角にて

カプリ島の港近くから対岸を望む。対岸の左の方に白く見えるのがナポリ市街、右の山がベスビオ山。そして右の方にソレント半島が続くのですが、下の写真はソレント半島の先端部がカプリ島のすぐそばまでのびてきています。またまた下手ですが三つの写真を連ねてみました。半島の右側面がアマルフィーがある側です。雲が低く見ずらいですが、半島の右の方には、イタリー半島の長靴の先の方に続く陸地がぼんやりとですが、ズーット見えていました。写真はクリックすると大きくなります。
カプリ島では波が高く、残念ながら青の洞窟には入れませんでした。洞窟の中に入ったら船頭さんの代わりに歌ったらなんてけしかけていた、我が連れ合いさん、実はカナズチで洞窟へ入る際、小舟に乗り換えることをすごく恐れていました。つまり、乗り換えずに済んで、心からホッとした表情をして居りました。
カプリ島から再びナポリに帰り、午後は賑やかなところを散策。にぎやかと言っても安全なところなのでしょう、ひったくりをしそうなオートバイにも出くわさず、のんびり歩いてきました。
夜は、ホテルからあまり離れてないレストランで実においしいピッツアを4人で堪能。食後はその日は演じられてなかったのだけど、ちょっとだけオペラハウス(テアトロ サンカルロ)を見に行ったら、残念なことに、工事中とのことで覆いをかぶって居りました。

2014年11月12日水曜日

遥かなりサンタ・ルチア

若い時から何時かは訪れたいと思って居たナポリに来ました。遥かなりの感があります。
サンタ・ルチア港、昔はナポリの出入り口、その近くにあるホテルに泊まりました。朝食は最上階で、そして屋上からの素晴らしい眺めを得ました。サンタルチア港から、ベスビオ火山、ソレント半島、カプリ島の眺めをフォトフィルターを使って繋いでみました。光の加減で見づらいところもありますが、以下に示します。クリックすると大きくなります。

地図もクリックすると大きくなります。左上にナポリの街、すぐ右にベスビオ火山(風向きが逆だったら、ナポリがポンペイに代りに埋まったのですね。真ん中下の半島がソレント半島、そしてその先にカプリ島です。

Santa Lucia luntana(遥かなるサンタ・ルチア)という歌があります。この曲はアルゼンチンに移住したナポリっ子が故地を懐かしんで書いた曲で、それがナポリ民謡として受け入れられたとのこと。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イタリアやスペインから多くの人がアルゼンチンなど南米に移住しました。Addito a Napoli(さらばナポリ)も移住する人の気持ちを歌ったもののようです。ナポリのサンタ・ルチア港からも沢山の人が出航して行ったのでしょう。
出発地はジェノバだけど、アルゼンチンの移住成功者の家へ家政婦として出稼ぎに出かけた母をマルコ少年が追い求める話、「母を訪ねて3千里」はその頃の話です。
20世紀初頭には北米にもイタリア人は沢山移住して、広い分野で活躍しています。ナポリターナということになっている、カタリ・カタリで始まるCore 'ngrato(つれない心)はそんな移住者の一人カルディルロが作曲して、メトロポリタン歌劇場に出演していたカルーソーに献呈したものと聞きます。
サンタ・ルチア近辺での写真を動画にしました。着いた日の夕食、前菜、主蔡を夫々とって分け合ったのですが、量が多いのには閉口しました。でも残さなかった。三つ子の魂生きてます。
ナポリ民謡を歌ったらこの人だなーと思う、ジュゼッペ・ディ・ステファノが歌う、Santa Lucia luntanaとともに。

2014年11月5日水曜日

世界遺産の街;アルベロベッロ&マテーラ

左、アルベロベッロの建物トゥルッリ群。どんなものか目の当たりにしてみたいものと思って居ました。これは東地中海地域にオリジンがあるそうです。そして、もともとは円錐屋根ではなく円筒形をしていたとのこと、そしてお墓のためのものだったとか。それが今のような形になり、人が住むようになったのだそうです。17世紀になってアルベロベッロや南イタリアにも建造されるようになったのだそうです。
中がどんな風になっているのか、興味があり、見せてもらえるのかどうか、ガイドさんに尋ねたら、あるお宅で見せてくれるとのことで、見せてもらいました。中々簡素で、心地よく住めるような気がしました。但し、断捨離せねばならんでしょうね。 壁の厚さが2m-3mと言うのには驚きました。写真をクリックすると大きくなります

マテーラは旧市街のサッシ(洞窟住居群)が世界遺産の対象。アルベロベッロとは打って変わって、角ばったごつごつした家屋群で岩を切り出し洞窟状にした住居群の集まりでした。展示してあった部屋は同じ洞窟内に家畜も入れたような展示でエッと思いました。
アルベロベッロとマテーラの間は数十キロ程度だと思うのですが、こんなにも違う住居のありように驚きました。どういう文化的な背景の違いがあるのか?

ビデオにまとめてみました。
そうそう、マテーラの街角に、コンサートの広告が出ていて、連れ合い殿、目敏くアコーディオン奏者として有名なCOBAさん(小林靖宏氏)の名前を見つけて早速写真を撮ったのでした。

2014年11月4日火曜日

ナポリ周辺の旅I 概観

もうそろそろ年貢の収めどきかなと思うほど疲れましたが、ナポリ周辺を旅してきました。若い時に入れ込んだ、あの美しいナポリターナの数々を生んだ地域を是非見ておきたいと思ったのでした。
10月22日、午後1:30に成田を発って、ローマへ直行、そのあとすぐ乗り換えて、バーリへ、そこからバスでアルベロベッロへ行き宿泊。23日現地の朝から行動開始と、ちょっとシニアにはきつかったが、頑張ってみることにしました。ところが、ローマへの機中で発病された方がいて、医師を募って居ました。ローマに着いても、病人を救急車に移すまで、残りの客は機中に足止め、そのうえ乗り換え機のローマ出発が一時間遅れて、アルベロベッロに着いたのは現地時間夜中の2時近く。成田からは約19時間30分の旅でした。
翌朝からあるアルベロベッロ、マテーラを経てナポリ(2泊)その間にカプリ島へ行って、ナポリ、ベスビオ火山、ソレント半島の景色を堪能(波が高くて青の洞窟には入れずじまい。)、ナポリの旧市街をみたり、翌日はポンペイ、ソレント半島をぐるっと回って、アマルフィ―泊、翌日も景色を楽しみながら、ローマへ(2泊)ローマではB級グルメの食べ歩き、夕食をしながらカンツオーネを聴いたり。
残念至極だったのは、ナポリでも、ローマでも夜ゆっくりできた日は、オペラの演奏がない日だったこと。
まず概略をビデオに作って見ました。
アルベロベッロのトゥルッリは外観だけでなく、あるお宅が中までみせてくれました。広くはなかったけど、簡素でとても好もしいものでした。次回載せましょう。
カプリってギリシャ語でイノシシを意味するそうで、カプリ島にはイノシシがたくさん生息していたとのこと。
ナポリ、心を入れ替えたのでしょうか、きれいとは言えないが、聞きしに勝るなんてことはなく、ゴミ捨て場をもうちょっと整理すりゃ、普通のヨーロッパの町と云った感じでした。言われるほど汚くなかったです。
ローマの統一宮からの眺めはゴージャスでした。

2014年10月16日木曜日

歌を習うってことは体育会系に類することと見つけたり

一昨日と今日、先生Aと先生Bのボイストレーニングを受けた。アプローチは全く違うのだが仰ることは共通してると感じている。だけど、新段階に入ったのか、両先生の言われることがほぼ同時にきつくなってきた。
芸術的な趣味のつもりだが、今は体育会系の訓練を受けてる感じ。
先月から始めた「落葉松」、今日も受けたが、この曲は難しいし、奥が深そう。以前に引用した曲です
音符の長さを正確に歌うことからやっているが、数学的正確さなんてことを言う人もいるとか。しっかりきれいに歌えるようになりたい。

2014年10月5日日曜日

ボタン電池の危険

本日、久しぶりに橋本台リサイクルスクエア―で行われたおもちゃの病院に参加しました。理科で遊ぼう会に興味を持つ人がいないか探したかったこともありました。 そこで、相模原おもちゃドクターの会が作ったボタン電池の危険を述べたチラシが出来ていたのでもらって来ました。幼児による誤飲がかなり危険です。ご注意ください。

2014年9月30日火曜日

プレスリー

お仲間のMさんのブログを見ていたら、メンフィスが出てきた。メンフィスで思い浮かべるのはプレスリーとの結びつき。
急に彼の声を聞きたくなった。YouTubeからCan't help falling in loveを引いてみました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=5V430M59Yn8  いい声だなー

Wise men say Only fools rush in But I can't help falling in love with you
Shall I say Would if be a sin If I can't help falling in love with you
Like a river flows Sorely to the sea Darling so it goes Some things are meant to be
Take my hand, Take my whole life,too For I can't help falling in love with you
For I can't help falling in love with you
彼が亡くなったのは1977年。丁度、滞米中の出来事だった。印象深く記憶に残っている。メンフィスで生涯を閉じた。42歳。

2014年9月22日月曜日

中学生13人の女声合唱;素晴らしい!!!

YouTubeで音楽を探してたら、出くわしました。URLはhttps://www.youtube.com/watch?v=Fd-TO7F4__4です。 演奏&指導者の力量に感動しました。声の量も揃い方も。第一曲目のピアノをもう少し抑え気味にしてほしかったが。 特に年齢的にマッチしていることもあるでしょうが、最後の赤とんぼは秀逸です。お金払っても生の演奏を聴きに行きたい演奏。

2014年9月21日日曜日

ブァロットン展@三菱一号館美術館

9月20日に二重橋駅近くの三菱一号館美術館に、ブァロットン展を見るべく行って来ました。9月23日までなのでギリギリでしたが。19世紀中ごろから20世紀初期に生きた画家の展覧会。絵心などない私の言、何の批評の力もないのですが、私は少なくも春に見たバルテュス展より楽しみました。
冷たい炎の画家と言うのですが、私はそれほどその感を持ちませんでした。寧ろ、「裏側の視線」と言う表現に、何故かストンと腑に落ちる感じを持った次第。線がはっきりしていてコントラストの人という印象を持ちました。黒白の木版画もなかなか面白く、下の「怠惰」という題のついた木版画(写真はパンフレットから頂戴)、しばらく見入りました。また、示していませんが「突風」と言う黒白の木版画にも惹きつけられました。特に砂塵の向こう側で、慌てて逃げようとするネコの姿を丸みを持った白黒の曲線の縞模様だけで表現しているのが面白く、しばらく立ち尽くしました。

ブァロットンは浮世絵などを集めて日本の絵の研究もしていたようですが、右上の絵は「月の光」と題する絵ですが、ふと琳派の絵をチョッコット思い浮かべ、印象深く残りましたね。写真はクリックすると大きくなります。

三菱一号館を含むビル群の中庭にはレストランが幾つか面していて、美術館の2,3階の窓から中庭を眺めることが出来ます。人々がレストランの内や外(中庭のテラス席)で昼食をとっていましたが、窓から眺めると何処かヨーロッパの街角を見ているようでもあり、ヨーロッパの街角の絵を見てるような気にもなりました。日本の都会の街角の変貌ぶりを改めて感じました。

2014年9月20日土曜日

Suicaで乗ったら振替輸送の対象にならない;知ってました?

知りませんでしたねー、SuicaやPASMOで乗車すると振替乗車の対象にならないとは。
本日鶴見まで往復。相模原からJR横浜線で東神奈川まで行き京浜東北線で鶴見に行くつもりでSuicaを使って乗車した。トコロが菊名で電車は運転見合わせ。桜木町で信号に不具合があって止まっているとのこと。急ぐ方は振替輸送を実施しているので利用するようアナウンスしている。時間を約束していたので菊名から東横線で横浜、そこから京浜急行で京急鶴見に行くことにした。
鶴見に行きたいがSuica利用なんだけどと申し出たら、さあこちらへどうぞ、と東急線の改札口(さっきまで閉じてた改札口をわざわざ開けて)に導かれ、それでいけますからと言う。他に何の説明もない。何か違和感を感じたが、Suicaの情報に特別の印でも入るんだろうと思って、東横-京急で京急鶴見に行った。しかし横浜と京急鶴見でちゃんと正規の運賃が引かれている。すぐJRの鶴見駅に行って抗議。
「済みません、チャージでお金を引き落とす方式については振替輸送の対象に出来ないのです」との一点張り。「菊名でそんな説明はなかった。ただどうぞと言ったきりだった、説明があれば対処の方法もあるではないか。」と抗議しても無駄。そこで、あなたの上司に抗議したいから呼んでくれと言ったら、それは簡単に受け入れられ、赤い太線のついた帽子をかぶった駅長か助役らしき人が現れた。「実は、SuicaやPASMOの利用は乗車券を買って乗車されるのと違い、改札を入った時点ではまだ契約は完了しておらず、どちらにおいでになるかわからない方式です。お降りになる地点で契約が成立終了するので、振替の手続きが不可能なのです。」
なるほど、そういうことかと、思った。しかし、事前の説明がなかったのは問題なのだと思って聞いていたら、「今回。菊名でちゃんと説明しなかったようなので、他社線に乗ってお支払いになった分を現金で一旦お返しします。そこから、菊名から鶴見までJRで乗車を続けられた場合の残り分を差し引かせていただきます。」とのこと、つまりはJRで鶴見まで行った費用に払い戻してくれた。「今後、その点をご留意ください。」という言葉を背に、約束のところへ急いだ。まあ220円ぐらいだったが、家から相模原へ出るバス代ぐらいは取り戻せたことになった。
後で神さん曰く「貴方もまともに怒るようになったのねー!」だと。決してそんなことはないのだが。確かに今よりズーット穏やかなやり方だったと思う。この頃、理が通らなかったり、どう考えても変な事を目の当たりにするとひどく腹が立つ。

それにしても今日はついていなかった! ほぼ1時間半後の帰りの電車も鶴見駅で運転見合わせにでくわして、随分と待つ羽目になった。

2014年9月13日土曜日

公園の遊具_3:県立相模原公園、市立麻溝公園

県立相模原公園;ここは広々として家族ずれが休日を楽しむ姿をよくみます。テント張ったりして・・・・・。ボール遊びをする一家、バドミントンをする人たち。空も広くって、緑が一杯。椅子を持ってきて、読書としゃれ込んでいる、優雅な方もおいででした。のんびり時を過ごすにはうってつけの素晴らしい所です。
その一隅には森の木展望台と名付けられた構築物があります。遊具でもあるらしいですが、森の木展望台の周辺、およびちょっと離れたところにも、カラフルな遊具が数基しつらえてありました。なかなか面白いものもありました。よく考えてあるなと思います。 以下数枚の写真を載せましょう。どの写真もクリックすると少し大きく成ります。




上の写真の遊具も下の写真の遊具も、いくつかのタイプが一体化されています。
面白い着想のようでもありますが、小さい子向けと大きい子向けが混在しているようで、
同時に使うときに何か起こらないか、気になるところでした。もう少し考えればいいのに。
麻溝公園はロープが主題なのかなと思うほど、ロープで作った遊具がかなりありました。先ず林の中に、木とロープを組み合わせた、いわゆる、フィールドアスレティック様のものが準備されてました。左の写真はそれを案内している看板です。
別のところには、一体型の遊具がありました。日本の遊具づくりのポテンシャルは高いなーと思いました。


小さい子用と思しき一体型の遊具(下左の写真)
そしてこども動物公園、ポニーに乗ることもできます。
こうやって見てくると、日本における、公園の遊具の製造レベルは高いものがあるなと思います。随分立派です。しかし、もう一つ大事なことは、それをどのような構成にするか、そして配置するか、つまり公園とそこに置く遊具が作り出す場をどのような場にするのか。将来を担う子どもがここで一つの社会活動を始めるわけです。どんなものをどのように用意するということは実は重要ではないでしょうか。前者をハード、後者をソフトになぞらえることにすると、ハードは立派だけど、ソフトはもう少し考える余地があるなと思いました。Qさんが紹介されたフランスの公園では年齢別の整理がされているとのこと。安全性の保障があります。だけど私はもっと大事なことがそこにはあると思いました。安全であれば小さい子に対しても、親が、過剰に手を差し伸べる必要がなく、小さい内から親に頼らないで、独立心が醸成されると思います。他者を慮る心も早くから醸成されるように思います。安全性のための柔らかい地面、球戯場とそうでない所とを分ける努力など、ソフトは改善の余地ありと思います。予算の獲得は大変でしょうが、将来の社会を思うなら、お金はかけても十分に価値のあることと思います。

2014年9月12日金曜日

公園の遊具_2;鹿沼公園、渕野辺公園

比較的遊具が特徴的な所を訪ねて見ました。今朝、用事で東京に行くついでに大分前に孫を遊ばせた鹿沼公園に寄ってみました。子どものためだけの道路が公園に準備されています。9時半からの開園なのについたのが9時で、誰もいませんでした。幼児には豆自動車、小学生にはゴーカート、ミニカート、2輪車(補助輪付も可)が貸し出されます。なかなか広々としてよくコオーディネートされています。道路は舗装です。小学生が走る道路はそれでもいいでしょうが、幼児のための区域は考えた方がいいでしょうね。以下の写真全てクリックすると大きくなります。


踏切もあります。そして、開園前、職員の方が遊具の修理をしていました。
D51の展示も。珍しかったのはジャングルジムがありました(下)
以前に取材していた、渕野辺公園は以下のようです。


木製の遊具は大きい子には素晴らしい人気の遊具と思いました。私も乗って見たくなる。
でも小さな子は親が付き添ってないと、危険でしょうね。滑り台は小さい子用でしょう。
県立相模原公園、市立麻溝公園は次に続きます。

2014年9月10日水曜日

落葉松 夕方ズーット聴いていた

落葉松(からまつ)作詞:野上彰 作曲:小林秀雄;落葉松には時期的にちょっと早いかもしれませんが、聞いたらやめられなくなって、沢山の人の演奏を聴いてしまいました。その中で、バリトンの大西 宇宙(Takaoki)さんの歌唱、声もとても気に入ってしまいました。
YouTubeから頂戴しました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=pTFxLwXJH0Q

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる
落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる 私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる  私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

2014年9月5日金曜日

もう一つの思い出;父が幼い時に覚えたシリトリ

母が教え給いし歌を思い出していたら、急に父が時々、”唱えていた”シリトリが思い出されてきた。何せ彼が子供の時に教わったとのことで、東京がではなくだった時の事。尋常小学なんてのも出て来ます。
最後のところまで行けるかどうかわからないが、思い出せるところまで。と思ったら、どうやら最後まで行けました。ほぼ一世紀前の話です。

世界で名高い日本国 国旗は日の丸ひーらひら ラッパで進むは兵隊さん 参謀本部は麹町 町は大きい(ボールドのところ訂正しました。匿名さんのコメントに感謝)東京市 教師と生徒は仲が良い 宵から眠るは怠け者 獣を飼ってる動物園 園芸大好き花が咲く 桜の名所は吉野山 病は口よりご用心 尋常小学3年生 歳暮が済んだらお年玉 玉乗り軽業面白い 白いところに黒いふち チンチンオアズケ良く出来る 出来る隣に出来ない子 今度の清書は二重丸 丸い十五夜おつきさん 散々マケルは歳の市 1,2,3,4体操場 万歳叫ぶは決勝点 天狗の剣術山の中 中だけ食べたいお饅頭 10の10倍100になる 鳴子で逃げるは村雀 雀のお宿はやぶの奥 臆病びっくり青ふくべ 勉強しだいで出世する するする入るはそばうどん どんどんぴーひゃら音楽隊 たいそう綺麗な花電車 シャボンで大きな球を吹く 福助頭は重かろう 家老大石内蔵助 スケート励むは寒い内 家では私のお母さん 3時がなったら帰るかと 戸口のところで待ってはる。 終わり。

最初のところなかなか思い出せなかったけど、それを越えたらほぼスラスラ。最近のことはすぐ忘れちゃうのに~~~!! ところどころ記憶が不確かなところがありますが、シリトリのところは間違いないでしょう。さんが3回出て来ますが、父がこう言っていたのは確かだと思います。良くまー思い出せたなー。
それにしても、死語となった言葉もあるし、軍国調だし、出来る隣に出来ない子 なんて今言ったら大変なことになりますね。 でも、昔はこのような配慮で子どもたちが助け合ったのでしょうね。今のギスギスが残念無念。
尋常小学3年生が、お年玉は可愛いけど、歳暮を知っていたのでしょうかね?なぜ、あおふくべ(青瓢箪)が臆病びっくりなのか?疑問もありますね。

わが母の教え給いし歌

歌の内容は;老いた母が私に歌を教えてくれた時、なぜか母は目に涙を浮かべていました。そして今、さすらいの旅の子どもらに、楽器を弾いて歌を教える私の頬に涙が伝うのです。
Songs my mother taught me;ハイドゥークによるチェコ語の詩からドボルザークがドイツ語に訳し、曲を付けた(1880年)《ジプシー歌曲集》作品55の第4曲。
私にとっては、実は母がしばしばハミングしていたのが記憶の端に残っていて、とても懐かしいのです。私にとっても母が教え給いし歌。今日久しぶりに何人かの演奏を聞きました。
ロシアが生んだ素晴らしいソプラノ、アンナ・ネトレプコの歌唱をYouTubeからもらいました。 アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=jnSVPkFLXx0
チェコ語は知りませんが、ネトレプコはチェコ語で歌ってるのかな?ドイツ語や英語ではないみたい。

付録;カリタ・マッティラ(フィンランド)の歌唱アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=8jXQZG9DDRM よかったらここをクリックしてみてください。 素晴らしいです。

2014年9月1日月曜日

公園の遊具;散歩道に沿って

子どもの遊び声と周りの社会とのかかわりがこのブログや天晴笑ころ人語の8月版で話題となった。そのかかわりで、お仲間のQさんがニース便りに児童公園・フランスを紹介された。子ども公園の遊具や安全への気配りが紹介されていた。それを見て、フランスにおける子どもを見る目の暖かさ、きめ細かさに驚かされた。流石に、少子化に悩み、それを克服した国だけのことはあると思ったし、喉もと過ぎても熱さを忘れずに、今も着実に立派な環境を守り続けていることに、うならされた気がした。特に小さい幼児と、3歳ぐらい以上の子ども用の遊具が別にあるのは素晴らしい。安全という視点もあるが、それ以上に、その安全性に起因することではあるが、小さい子どもも自由に遊べることを保障している点である。親はそっと見てるだけで手を出さないで済む。子どもは自分で考え遊んでいる気になれる。早いうちから独立心を育くむと云う視点があるのではあるまいか。

ところで、よく公園に出かけていくが、遊具のことを殆ど気にしてなかったなと思い、ちょっとだけ、小規模公園やいくつかの公園の写真を撮ってきた(怪しいお爺さんと見られたかも)。今日は散歩コース上にある公園を取り上げよう。多分、他の地区でも同じような状況かと思う。
(1)先ずは猫の額ほど面積の、街角にある公園で、例として私が住むマンションの傍にある、一応、相模原市が管理していることになっている公園。この程度の公園は市内かなり多く点在している。滑り台(木製の外枠)、鉄棒、強いバネ付の動物の乗り物、砂場といったところで、ここで、小さな子も遊ぶし、かなり大きな子がボール蹴りもやるといった具合。小さい子も大きい子も同時に勝手に遊んで、ハラハラなんてとこは見てないが。小さい公園だから、時間的に住み分けるしかないのでしょう。滑り台は一つしかなく、かなり大きな子仕様。小さな子には親がぴったりついて介添えしないと危ない。小さい公園では仕方ないかもしれない。この手の公園には球技禁止の看板が出ている場所もあった。

(2)3分近く歩くと、市営住宅群があり、その傍にも市の公園があった。以下の写真クリックすると大きくなります。
 
ブランコと滑り台プラス登ったり降りたりできる遊具が一体となった遊具が設置されていた。滑り台は覆いがあって途中から落ちないような設計になっている。保護し過ぎの感がないではないが、よく出来ている。右の写真の背景の広場は球戯が出来るようになっている。フェンスはない。

(3)更に4分ぐらい歩くと、大変ユニークな公園があった。遊具なしの市立の公園。3mぐらいの網のフェンスに囲まれた球技専門の公園。野球やサッカーをしている少年たちをよく見かけた。これは住み分けが出来ていて良いなーと思います。
 

(4)散歩コース最後は横山公園。野球場、陸上競技場、プール、テニスコートが鎮座する大きな公園、ナノにナノに子供向けの遊具は貧弱だった。 遊具ではないが、プール近くには、木々に囲まれたピクニックエリアがあり、若い親子が集うのをよく見かけた。遊具はちょっと離れたテニスコートの脇に。ブランコや
小さな子向きの滑り台と登り降り出来る一体化した遊具、バネ付の動物の乗り物だけである。小さな子供を連れたお母さんたちが集うのをよく見かけた。
ここもボール遊びができるエリアと隣り合っていて、何のフェンスもなかった。 小さい子供向けの遊具だけが設置されている点は何でもいいからとにかく設置しましたというよりはましだけど。横山公園はこのあたりの拠点公園と言ってもいいところだけに、もう少しバラエティーがあって、それこそ年齢別用のものを設置したらいいのにと思った次第。 ここまで見て来て、地べたはコンクリではなかったが、フカフカでもない土面でした。子どもは転ばないものというのは無理な話で、転ぶものという発想は取り入れてもらいたいですね。

これでは貧弱だなもっと整備が出来たところがあったのではと考えをめぐらして、そうだ、渕野辺公園、県立相模原公園。市立麻溝公園に気付きました。次回はこの3つの公園から取材の報告を載せます。