2011年3月31日木曜日

Ave Maria by Caccini

ここのところ、時間と心に余裕が出来るとアベ マリアばかり聴いている。特にカッチーニの作と言われるアベ マリアの曲想の美しさは心に響く。
ラトビア出身のソプラノInessa Galante(クリック可)の歌唱は珠玉の演奏と言っていいと思う。高音部でのピアニッシモは素晴らしい。

ジャズとクラシックの協奏もなかなか素晴らしい。二つ
Yolanda Rhodes(クリック可)の歌唱とDenyce Graves (クリック可)ともに綺麗だ。

おととい、たまにはと背の君と近くのレストランへ出かけた。ピアノを演奏している。イージーリスニングのクラシック曲を弾いていたが、その中でグノー、カッチーニ、シューベルト、マスネーのアベ マリアを4曲立て続けに弾いてくれた。誰かがリクエストした様子もない。ピアニストも弾きたい気分だったのだろうか。
Julian Lloid Webberが奏でるチェロ版(クリック可)もなかなかいい。

p.s.Inessa Galanteが歌うマスネーのアベマリア

2011年3月27日日曜日

空中の塵の拡散予測は気象庁で出来るはずなんだけど

日本のお役所という所は前例がないとなかなか動かないとよく言われる。確かに前例があると、責任を”前例”に押し付けて(”前例”に従うことが適切であると判断する事の責任は何処かへ置き忘れて)安心してやれるということがあり得よう。だけど、進歩というものは何時も前例を破ってこそ生まれるのではないだろうか。
前例にこだわっているということは、多分、自分が責任を持つからやれと、部下に言える人がいないのだと考えられる。

最近、友人から、ドイツの気象局が福島第一原発付近の大気中の塵の拡散に関するシミュレーション情報が出てるとURLを教えてもらった:http://www.dwd.de/

時折覗きに行くが、情報は徐々に増えている。今では6時間おきぐらいの間隔での拡散の変化の様子を一両日(表示期間も変わるみたい)にわたって情報も表示している。(クリック可)

仲間のMLにドイツ気象局のURLを紹介して、日本の気象庁でもやってくれるかもしれないと記したのだが、お仲間のS氏が以下の事を知らせてきた。S氏の知人が気象庁に問い合わせたら、放射能関係は管轄外なので、文科省に聞いてくれと言われた。さらに火山噴火による噴煙情報は気象庁が出してるが、と食い下がったら、放射能を測定してないのでという返事だとか。更に文科省に聞いたら、他の形で情報を出してるので、それを見てくれという返事だったそうである。日本発のこの種のシミュレーション情報を私は知らない。
ドイツ気象局の情報は放射能の大きさを表示してはいない。福島第一原発付近の塵の拡散だけを追っていて、火山噴火の噴煙拡散の情報とほぼ同等と考えられる。

日本の気象庁はドイツ気象局のやってることと同等、或いはそれ以上の事が出来るポテンシャルを持ってるはずなのに、やらない。高価ではあるが、高速で大きなコンピュータを使える事の価値を国民に知らせる絶好の機会なのに。

結局は自分が責任を持つからやれと部下に対して言える人、決断する人がいないのだろう。折角の能力が生かされない。その意味において”無能”な集団なのです。本当に残念なことながら。
(勿論そうじゃない方々もおられる。一事が万事ではない。元消防署長をされた方が、あの現場で働けと命じなければならなかった後輩たちに思いをはせておられたことを忘れがたいこととして心に刻んだ。)

日本の教育の場では知育に多くのエネルギーが注がれてきた。しかし、指示に従って見事に仕事が出来るだけでなく、自分で深く考える力を持つ人、置かれたその場その場で、寄ってきたる結果に責任を持って判断し実行する決断力を持つ人々をもっともっと沢山育つよう力を注がねばならないと思う。それをおざなりにしてきた教育システムの真っただ中にいたことに忸怩たる思いがある。

2011年3月19日土曜日

つまり、ナマスを吹いたんだ

少し大げさだよ言いながら、背の君の言う通りのいで立ちで、東京は目黒区にお墓参りに出かけた。私の持ち物は中ぐらいの大きさのザック。その中に、家の中にとってあった賞味期限ぎりぎりの乾パン一缶、クラッカー少々、お茶を入れたプチ魔法瓶(?)彼女と私のカーディガンとベストそして本一冊。長津田駅で昼食をしたときについでに買った豆パン2個。彼女は小さなザックにやはりプチ魔法瓶、水を入れた小ペットボトルと折りたたみ傘や何やかや、おまけに歯ブラシ(大笑い)。
帰宅難民になった時の備えと言うが。二人ともザックを背負って、彼女は更に通常のバックを肩にかけ、ならんだ姿は可笑しかったろうなー。彼女は小旅行のつもりで、と言うが。そのときすでに難民のイデタチじゃないか!

お墓は背中側が1mぐらい高くなっていて、ちょっとおさえが弱い感じであったので、何か異変が起こってなければいいがと言う危惧があった。行ってみれば、杞憂にすぎず何事もなし。お墓を綺麗にしてお花と水とお線香を手向けて帰ってきた。

ほら見て御覧、てな顔をしてると、午後7時前に茨城で地震、相模原も少し揺れた。もうちょっと強くて、もうちょっと時間的に早く起これば、帰宅難民だったかも知れんぞよ、と言いたそうだったけど・・・。

2011年3月18日金曜日

皆で睨んでやろう、買占め見たら

怒りの絵文字付きで家内からのご注進メール”コメ袋を3個抱えて帰って行く人を見た”。「そういうのはあんたの怖ーい顔でにらんでやれ」って返事したら、”バスの中からではね”。しばらくして”ライフでは一家族一袋”として売っているそうな。そうしないと自粛できないとしたら、それもさびしいが、でもやっぱりエラーイ。

パンは買いに行ってもほとんどない。我々はパン食が多い。何を思ったか我が背の君、強力粉と鍋でパンを焼いてくれた。堅めで歯ごたえはかなり強い。まるですごく分厚くてかたいナンの感じ。形も食感も全く違うような気がするが、昔々、戦後間もなく母が焼いてくれたパンを思い出した。あの時は、ふくらし粉を使って膨れあがっていたが、なんだか発想は似てるように感じた。

本物のパンとは随分とおもむきが違うが、口にできることと作ろうという発想に感謝しつつ。
(写真は遠慮して)

2011年3月17日木曜日

疎開?

もうすぐ新しい命を迎えようとする甥が西の方への移転を考えているという。人の親になるという責任感がそうさせるのだろう。私もまだ早いなと思いつつ、実は娘が孫のことで相談に来るような事があったらどうすべきかと考えていた。
西の方と言っても国土は小さい、収容能力は限られている。何らかのコントロールは必要のはずである。私はもうぼちぼち推定寿命の90%近くを活かしてもらったことになるので、いざとなっても、もう動かなくってもよいと考えている。しかし、孫たちの世代には手当を要することになるかもしれないと思っていた。

先の大戦の時には、私は親と一緒に疎開した。もう少し早く生まれていれば集団疎開の一員だったかもしれなかった。時代が違うから、同じような形態にはならないであろうが、まさか孫達の身の上に自分の異常体験を照らしてみることになるとは思ってもみなかった。答えはまだない。

p.s. 被災地の方々の関西への避難が検討されてるとの新聞報道。こういううコントロールが大切と思う。うまくいくことを願う。

2011年3月14日月曜日

日本列島

2年半前にこのブログ上に日曜講演会 丹沢山地の地質 (青池寛博士){クリック可です}と題して記事を書いた。これは相模原市立博物館の講演会で、丹沢山塊の成り立ちを主題に、伊豆半島の成立とフィリピン海プレートの日本本土への衝突についての講演だった。
地球は実は13個のプレートに覆われていて、それらがひしめき合って、プレート上の陸地が移動すると言う学説が定説となっているようだ。日本列島はユーラシアプレート、北アメリカプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの4つがせめぎあう複雑なところに造られた列島だそうである。
樺太、北海道、東北地方は北アメリカプレートの上に乗っていいて、今回の大震災の引き金が引かれた場所は、太平洋プレートが北アメリカプレートの下に東から沈み込むところだったとのことである。
フィリピン海プレートは南から北へ沈み込み、ユーラシアプレートは列島の西側から東へガンと押している。フィリピン海プレートの活動も活発らしい。日本列島は絶えずプレート運動による圧力にさらされている。
今回の地震で日本列島は2.4mも動いたのだそうで、そうなると列島全体のバランスが崩れ、地震や火山の噴火活動が活発化しそうだ。心せねばなるまい。東北・関東大震災に引き続いて起こった新潟・長野の地震は専門家も否定しなかったことから見て、関連のある現象と見て良いのではあるまいか?
我々はなんと危なっかしい所に生きてるんだなーと思った次第。
しかし、見方を変えると、このプレート群の衝突が日本列島の山並みや渓谷、火山の山容などがおりなす、美しく豊かな自然を造りだしているとも言える。
人々は長い年月の中で自然現象がもたらす悲しみや喜びを受容し、文化を育み継承していくのだろう。

失われた命への深い哀悼の意を心に刻みつつ。

p.s.;3月14日午後10時30分ごろ静岡県東部でM6(震源深さ10km)の地震。遂にフィリピン海プレートにも及んだか!

2011年3月13日日曜日

哀悼を捧ぐ

未曽有の災害。多くの方が亡くなられたと。非命に倒れられた方々に心からの哀悼の意を捧ぐ。

アベマリアとともに、祈るのみです。

Ave Maria
1) Schubertによる(クリック可) B. Bonneyの歌唱とともに(変更しました)

2) Cacciniによる(クリック可) I. Galanteの歌唱とともに(変更しました)
最後の一節が切れてますが同じI. Galanteの歌唱(クリック可)イメージがとても綺麗。

3) Mascagniによる(クリック可) K. Battleの歌唱とともに

4) Gounodによる(クリック可) J. Normanの歌唱とともに

各国からの救援隊。足手まといにならずに、何かをしたいと思う。