7月13日;ストラスブールへの列車が出る東駅近くに宿を移しました。
この日は移った宿に荷物を置いて、日本人向けの観光バスでベルサイユ宮殿に。この種の観光地は一つ見れば、あとは似たようなものばかりという確信を強めました。ベルサイユは金ぴかが強くって、悪趣味の印象が強い。敷地の広大さはさすがと言うところでしょう。
7月14日;革命記念日(日本で言うパリ祭)で市内の交通はマヒしちゃうらしく、我々は観光バスでモンサンミッシェルへ日帰り旅行。映画の広告で見たことありのシルエットが車窓から見えた時は嬉しく納得でした。
近づくと、なんとなく江の島を連想しました。城塞の門があるのが江の島と違いますが、入ってしまえば坂、石段、その両脇にお土産屋さん食べ物屋さんとまさに江の島。江の島は弁天さんを祀ってますが、モンサンミッシェルは天使、聖ミカエルを祀っている。モンサンミッシェルは防衛の拠点と言う意味もありました。江の島は頼朝が籠ったという話は読んだことがありますが、多分鎌倉防衛の拠点の意味はあったでしょうね。ここはフランスの江の島と結論しました。
名物に美味いものなしと言いますが、弱いリンゴ酒シードルと食べるフワフワのオムレツ、ふれこみのほどのことはなく、ナーンダの印象。
それより、往路休憩で寄った小さな村、ボーモン村、がラプラスの生誕地と知り、写真を撮りました。ガイドさんはフランスのニュートンと紹介していました。科学上の寄与の仕方と言う点では必ずしも良い形容とは思いませんが、偉大な数学者にして物理学者です。量子力学誕生以前において、数学のみならず天体力学の研究など多大の寄与をしました。独自な発見も含めて、科学を発展させた巨人の一人。もしラプラスが量子力学の誕生の場にいたとしたら、どんな反応を示したのか興味深いものがありますが、その数学上の寄与は大きく広がりをもちます。
共通点としてニュートンもラプラスもともに、後に政治に手を染めますが、その点では大したことはやっていません。ラプラスが住んだ家が面した通りには、彼の名がつけられていました。
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