2008年9月18日木曜日

合戦の作法


本日、あじさい大学の歴史教室では武家の出現のお話だった。坂東における平氏、そして源氏の関係、鎌倉の結びつき。武士団武蔵七党など私には大変面白い話題だった。最初に配っていただいた、合戦の作法はじっと見てると大変興味深い。

1)軍使の交換(牒というのは、同格の間に交わす文書);いよいよ戦わざるを得なくなった時の、いわば果たし状

2)氏文 (牒にしたがい相まみえて);戦をする正当性、自軍の強さ、家柄の主張など、読み上げる(言葉合戦)

3)矢合;鏑矢を用いる(ヒューと音がするらしい)開戦の合図

4)射撃戦;一人の武士はほぼ30本、うちあった後は

5)白兵戦;刀や槍(白い武器)を使うので白兵戦;誰が先に敵と白兵戦を始めたかも論功行賞の対象だったので、先陣争いは華々しかったようですね。
一騎討ちでは、馬をひいたりする徒歩の郎党は非戦闘員で主人の刀が折れ対すると、別のを供給する役だったとか、思わず笑い!

リーダーが作法を守らないと、軍の士気が下がったとか。そういえば、源義経が、平家の船の漕ぎ手を矢で射させたら、味方の梶原景時が作法にないことをすると、怒ったとか言ってましたねー。


ところで、これ見て、思うに、
今ではそうではなくなったみたいだけど、一昔前のヤクザさんの出入りは、形はちょっと違うが、案外武士の戦の作法を踏襲していたのですね~。果たし状の交換、始める前の言葉戦、そしていきなり白兵戦、素人さんには手をださねー。今じゃ、素人さんに手を出すわ、いきなりズドン・・・

6 件のコメント :

匿名 さんのコメント...

 興味深いお話ですねぇ~。昔からの作法が
残っていると重みを感じます。作法通りが少なくなった昨今、このような強烈な作法を
見直すのも一考かも知れません。

権兵衛 さんのコメント...

中さん
文化水準と云うものを考えてしまいます。

武士が出現したころの話ですが、源義家(八幡太郎義家)が前九年の役で、安倍貞任を衣川で追い詰めた時、逃げる貞任に向かって「衣のたて(舘)はほころびにけり(縦糸のほころびとかけている)」と云うと、貞任「歳を経し糸の乱れのくるしさに」と上の句をかえす。

義家はいい歌が出来たとばかり、追うのをやめたといいます。今じゃ、逃げる相手の背中に、衣の・・・・なんて云わずに飛び道具が飛ぶだけですね~。

相手を倒すだけだったら、今の方が合理的でしょうが。倒すと云う意味をすごくよく考えてるような気がします。

取った将棋の駒を生き返らせて使うのも、日本独特の文化ですね~。

匿名 さんのコメント...

合戦に作法があったとは知りませんでした。
勝てば良いだけでは無かったのですね~。

権兵衛 さんのコメント...

菊池さん
作法と言うものを大変大切にしていたらしいです。作法から外れると全軍の士気が下がったとのことでした。
お茶などもかなりめんどくさい作法があるようですが、意味を聞くとなるほどと思うことがありますね。

匿名 さんのコメント...

武士道の文書をキチンと読んだ事は
なかったです。
とっても面白く読ませていただきました。

義経が非業の最期を遂げたのも、
合戦の作法の数々の違反(?)に
頼朝が危機感を持ったのかも、といつも
思っていたことがヤッパリな、ですねえ。

平家を裏山から駆け下りての
抜打ちで攻めた一の谷合戦しかり

その、一の谷合戦の古戦場は、我家から
近い須磨海岸の直ぐ近くに位置します。

この浜に立つたびに、滅亡へと漕ぎ出していった平家が偲ばれます。

現代の世相は、抜駆け、騙しは、
政治家の常套手段であります。

民の危機感の一票をバカにするなかれ!

権兵衛 さんのコメント...

トントンさん
確かに信じられないようなことが起こりますね~。