2011年10月30日日曜日

今日のNHK日曜美術館

今日のNHK日曜美術館(9:00-10:00)は舟越保武を取り上げていた。途中からだったが、端正で美しい、(特に女性像)造形美に感激して見ていた。晩年、脳梗塞を病み、そして克服されたが右手の自由を失われた。番組の終わりの方では、それでもなお且つ粘土像に取り組み、(そのころの活動の様子は、随分前にTVに放映されたことを思い出す)作品から作ったブロンズ像が紹介された。両手が自由であった時の作品とは随分と違う。
左手だけで作った、ゴルゴダという作品は十字架に架けられたイエス・キリストがテーマの首像であるが、私には、込められたものの中に”苦悩”という印象が残った。その数年後に作られたというゴルゴダIIという作品が出てきたとき、ゴルゴダに対して持った印象は吹っ飛び、言い表しようのない感動に揺り動かされた。じーっと見てるうちに画面の像がにじんできてしまった。
NHK日曜美術館のwebページの最後の所にその像は出ています(クリック可です)。多分、来週の日曜日の夜8時から再放送があるだろう。もう一度見たいし、是非本物を見たいと思った。

2011年10月28日金曜日

十本調子篠笛も

もう一つ計画してた十本調子篠笛も作成し始めてしまった。これは八本調子より一音高いもので、最近購入したアイリッシュ・フルートと同じD管。音色など比べて見たいと思う。また八本調子より上の調子の笛を作るのも初めてで、どんなものになるか楽しみ。七本調子の笛は、コルクと和紙で頭部の反射壁の固定、管頭部の詰め物もおわり、十本調子の笛と一緒に仕上げをやろうと思う。

2011年10月27日木曜日

七本調子篠笛も作成開始

作りかけたままだった八本調子篠笛。桐油を管内に塗り、その後、管の内外に透明のカシューを塗って、内部も外も細かい紙ヤスリで仕上げた。もう一度カシューを塗るつもり。左の写真の上部の笛が八本調子篠笛(クリックすると大きくなります)。

気が乗るとドンドンやってしまうのが私の常で、念頭にあった七本調子篠笛の作成に取りかかった。管の内側は太くて長めのお菜箸に両面テープを巻いてその上にカミヤスリを巻き付け、管内部をけずり、さらう。外も紙ヤスリで削って、ガスコンロで水分を抜くべく焙る。1年外で干して、2年ほど室内で陰干ししてた竹だけど、焙ると、表面に汗をかいていた。そして七本調子の歌口と指孔を空ける工作を新たに始めた(上の写真の工作箱に載ってるのがそれ)。音叉一本が頼りだが、八本調子篠笛より半音低いドレミファ笛になっている。仕上げた時どんな音を奏でてくれるか楽しみだ。

2011年10月25日火曜日

10月も下旬なのにツクツクボウシが鳴いた

今日も暑かったが、また姥沢に出て、桐油を塗った笛の試し吹きに行ったら、ツクツクボウシが鳴いてるのを聞いてびっくり。10月13日にはアイリッシュ・フルートを試してるときにミンミンゼミが鳴いて(クリック可)驚いたが、今日のツクツクボウシはもっと驚いた。1匹だけなので聞きづらいかもしれないが、耳をすましてお聞きください。

2011年10月23日日曜日

八本調子篠笛の再度作成

また、新たに八本調子篠笛を作っていた。少しは良く鳴る綺麗な笛を作りたいという願望なのだが、容易ではない。作っても笛がたまっていくのはそれはそれで問題。高い笛を買うほどではないが、ちょっと楽しんでみたい、練習してみたいと言う方がおられたら、差し上げたいと思っていた。今度、もらって下さる方がおられるとの報に、作成に拍車がかかった。今日、姥沢で試し吹きをして、これならこれまでより少しは良いかなという感じである。
後は、桐油を管内に塗って乾かし、仕上げに、管内外に透明のカシュウを塗って乾かし、1500号の紙ヤスリで滑らかにする。どんな鳴り方をするか楽しみだ。

2011年10月21日金曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:6

サテ最後です。朝、貸切の赤い二階バスに乗ってザッと中心部を周り、午後フリータイムという予定だった。
ロンドンの中心街の感じは全部を見たわけではないが、なんとなく雑然とした感じを受ける。オリンピックを控えてのいろんな工事が営まれているからかもしれないが。
一方、下の動画にも注意してると見ることが出来るが、街の随所にゴミ収集ボックスが設置されている。

こういった、社会資本の充実が、イギリスのみならず、ヨーロッパ各国で見られるのだが。
二階バスに乗ったからだろうか、道路が狭っ苦しく感じた。運転手氏もたいしたものである。
ウエストミンスター寺院では、床にいろんな有名人の墓誌が埋め込まれている。科学関係の所には勿論ニュートンの墓誌があった。分野ごとに墓誌がまとめて床にはめ込まれていた。これらを踏んで移動するのだが、いつもその都度、思うのだが、何となく変な感じがする。

大英博物館は入場無料である。注意するべきは、スリ達もまた多いということ。夢中になって見ていると・・・・って、実は私、狙われてたらしい。添乗員氏が”気をつけて”って大声で言ったら、パット逃げて行ったとのこと。
あまり時間がなかったし、午後フリータイムに再度見に来るつもりで、ザット見て出ることに。
主だった所を、グルっと周って、久しぶりに中華料理店で昼食。バスガイドさんも一緒で、楽器店が直ぐ近くにあると教えてもらった。
昼食後、そんなに近いならと、お目当てのアイリッシュ・フルートを探しにでかけた。ソーホー地区の直ぐそば。ところが、お目当てはそこにはなく、あと1.5kmぐらい歩いた先の店には必ずあると言う。そこへ歩いて行くことにしたのがまずかったのかもしれない。
旅行中に杖デビューした、背の君はその後、杖なしを通したが、来る前に忙しくてヒアロルン酸を膝に入れてこなかったことを悔やむことになった。私も出発直前まで落ち着いて準備してる余裕がなく、取るものも取りあえず出てきた感があり、少し疲れ気味だった。
それはともかく、到達した店にアイリッシュ・フルートはあった。左は品定めする私。気にいったのは高すぎた。もう少し安目のrose woodのものを購入することにした。

買った物は3本に分かれていて、使う時には右のように組み立てる。右には自作の八本調子の篠笛と比較した。指孔の間隔が篠笛よりずっと広い。柔らかいとても良い音を奏でるが、指技はかなり練習しないといけない。

一休みして、元に戻って、他のいろいろの買い物を済ませたころには、二人はかなりくたびれていた。それでも、大英博物館に戻ろうと歩きだしたのだが、背の君は足を引きずっている。これはいかんと、タクシーをやとって、ホテルに戻った。私はフルートが買えて満足だったが、午後のフリータイムが有効に使えなかったのは残念。帰国後に娘にもったいないと言われる始末。
ただ、最後には美味しいものを食べようと思っていたので、ここはいいですよと教えてもらった、宿近くのフランス料理のレストランに二人で出かけた。ミディアムレア―に焼いたラムステーキは実に美味しく、鱈からとったというスープ、ワインともども堪能した。(付け合わせのほうれん草のソテーはともかく、フレンチフライが二人分一皿にドーンと出てきたのはいただけなかったが)。

今度の旅は湖水地方でのんびりして、疲れを癒やせればと云う思いがあったが、やはりそれほどゆったりしたものでもなかった。そしてロンドンフリータイムの不満足。でも、レストランで楽しんだのだし、終わりよければ、すべて良しとするか???

2011年10月19日水曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:5

再開。後2回で終えます。
泊った宿はTewkesbury park hotelというゴルフ場付きのホテル。朝明けると、左上のような景色が窓から眺められる。日本でゴルフ場がやたら多く、里山が破壊されてることに腹を立ててる私だが、この景色は許せる。
お定まりの朝食をとり、8時15分には出発、バースに着く。まさにお風呂である。1-2世紀ローマ支配下の時、駐屯したローマ人の保養地だったのだろう。18世紀に発掘されて、今でもお湯が湧き出している。今は見学だけで入浴はできない。中では、発掘品、復元模型やコンピューターグラフィックスの映像展示もあり、当時の様子が垣間見えて興味深かった。


お湯が湧き出してる様子。外に出ると、ストリートミュージシャンが中国鍋をひっくり返したような楽器で不思議な音楽を奏で、歌っていた。お鍋の底はどうなっているのだろう。またまたお定まりの昼食をとりにレストランへ行く。その途中に見た、縫製ミシンの陳列(右)。懐かしさに立ち止まる。母親がペダルを踏みながら縫物をしてくれてたことが、ふと思い出された。

この後、ウインザー城を経て、ロンドンに到着した。ウインザー城はその外観からも見てとれるように、まさに昔は、立てこもって一戦構え得る城であった。ロンドン防衛の拠点だったらしい。後に宮殿として使用されるようになった。女王もしばしば滞在するとのこと。ヒースロー空港に降りる飛行機がドンドン上空を飛んで行く。








衛兵氏、迷惑そう

2011年10月13日木曜日

横山公園周辺にて

10月15日に上溝中学で地域ふれあいの集いという催しがあり、我々は20人の中学生を対象にラジオ製作を行う。作成されたラジオの感度調査に上溝中学の理科室を訪問して、確かに受かることを確認した。
終わってから、私は横山公園をぶらぶら、球場で青学大と国士舘大の軟式野球の試合にしばらく引っかかって、それから
姥沢で久しぶりに笛の練習。買ったばかりのアイリッシュ・フルートの音だし練習をしていたら、ミンミンゼミが鳴き出してびっくりした。確かに暖かったが、10月13日でも鳴くんですねー。

2011年10月12日水曜日

閑話休題 朧満月


満月と云うのでベランダに出て見たら薄く霞がかかって、これが春なら朧月夜状態。

10月16日は曇りのち晴れらしい。月見の寄り合いうまく晴れてくれるかなー。降水確率30%というのが気になるが。

2011年10月9日日曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:4

”私、汽車の中の写真撮ったわよ”と背の君。見たら、椅子が映ってる。でも私の間抜け顔も。ちょっと細工して左に載せます。椅子の生地はやはりどこかイギリス調。右上辺りに薄く黄色の矢印の先がライトで、棚に挟まれている。右図はライトを直接映してます。これで下を照らしてくれるようです。真昼間なので明るさは分からない。レールは広軌でしょう。

さて28日は、2泊したケンダルのケント川の畔のリバーサイドホテルを発ってもと来た方へと移動することになった。
先ず、訪れたのはウエッジウッドビジターセンター。広々とした農村風景の中に忽然と現れた。そこで昼食だが、その前に陶磁器の絵付け作業などを見学。”もう増やさない!”を合言葉に、タダ見るだけの二人。娘一家の誰かに小物をと思ったらしいが、丁度昼休みで、実演する部屋が閉まっていて、果たさなかったよう。
予定通り買い物なしで、コッツウォルズへ。先ずは川の水辺が綺麗な”バートン・オン・ザ・ウォ‐ター”へ。見たような所と思ったら。Nさんが氏のブログ上で紹介された所。水がゆったり流れる浅い川に、鴨が遊んでいる。緑の木々が美しく映る。

あまりの暑さに背の君は衣類を探す始末。私はアンティークの店に入ってみたが、アイリッシュ・フルートは置いてなかった。ここは45分はちょっと短かったなと思うが、次へ。次はバイブリ-村。詩人ウイリアム・モリスが”イングランドで最も美しい村”と言ったと紹介された。
夕暮近かったが、村で唯一のホテルの壁にアイビーがびったったりで、とても美しい。

ぶらりと、村を一周。リスが我々を観察していた。
この日は以上で暮れて、コッツウォルズの何処かのゴルフ場のホテルで一泊となった。ゴルフのコンペティションでもやるのか、現地の団体が泊っていた。

2011年10月7日金曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:3

27日の後篇です。昼食の後、ハーヴァースウェイト(英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:2に載せた地図中南端にある)へバスで移動、そこからSL列車で細長いウインダミア湖の南端にあるレイクサイドへ、そこから今度は船でウインダミア湖を中ほどまで北上、ボウネスで下船して、再びバスでケンダルへ戻った。


9月末ではあるが、とても温かく、それでいて澄みわたった景色を車窓からも、船の前の方のデッキででも堪能でき、とても清々しい思いがした。
SL列車に乗るのは何年ぶりなんだろう。記憶をたどるも、最後が何時だったか判然としない。ヤレヤレ!

船上のデッキで飼い主の膝の上で不安そうなワン君、実際不安なんだそうです。Bownessに着いて歩きだしたらすごい勢いで飼い主を引っ張って船から離れようとして、その必死のさまは笑いを誘いました。本犬にしたら、笑い事じゃなかったでしょうが。

白鳥もいたが、雁がえさをもらおうとたむろしてました。

夕食はホテルでなく街のレストランでというので期待した。私は鮭のムニエルだったかを選んだが、あまり変わり映えしなかった。それでも、頑張って残さなかった、いや残せなかった。

2011年10月5日水曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:2

27日は朝から暖かった。それ以後、イギリス滞在中は温かいから暑いに変わって行くぐらいで、すっかり冬支度で出かけて行ったので、着るもの対策に追われるしまつ。私は長そでシャツの腕まくりをしてそのまま通してしまったが、連れ合い殿は途中で衣類を買ったり大変だった。

さて、宿の位置は地図中の右下のケンダルにある。朝、宿からバスで、地図の上方真ん中にあるグラスミアへ。この村はワーズワースとゆかりが深く、彼が住んだ家とその周辺を少しばかり散策した。


左はワーズワースが住んだ家、その周辺には下のビデオに載せたが、スレート壁やスレート屋根ぶきの家が建ち並んでいる。なかなか重厚な感じがする。近年スレートは高騰したそうで、建材としては大変高くなったとか。建築現場で白壁の外に薄いスレートを貼りつけているさまを見て、その切実さを垣間見た思い。

そこから、少しバスで動いて、ハイキングの出発点に。丘を越えてグラスミア湖という小さな湖(英語ではlakeでなくって、Grasmere Water)を半周するハイキングに。膝を痛めた我が連れ合い殿は遂に杖デビュー。

地元の人たちが思い思いの姿でやってくるのとすれ違う、気楽に挨拶する人、黙ってすれ違う人、いずこも同じである。

ハイキングを終えて、今度はピーター・ラビットの作者として有名なベアトリクス・ポッターが住んだ家を訪問。家の中が撮影禁止で残念なのだが、著者はピーター・ラビットやそのほかの動物の家族に、この家の中に登場させていて、部屋の中の様子、家具、窓、階段の欄干などが本の中の絵と対応づく。唯一出入口の写真だけ、比べて見よう。

姪だったか、親戚の児に読ませることが本来の目的で、それゆえ自分の家を舞台にした。想像力をかきたてさせることを狙ったのでしょうか。

昼食後、午後は地図中南端にあるハーバースウェイトへバスで移動、そこからSL列車でレイクサイドへ、そこから今度は船でウインダミア湖を中ほどまで北上、ボウネスで下船して、再びバスでケンダルへ戻ったが、これは続編へ。

2011年10月3日月曜日

英国の湖水地方とコッツウォルズを巡る旅:1

体力的にも、それに何よりも資金力的にも段々陰りがでてきた我々、あと一度くらいかもしれないのだが、私は時間的に余裕がなくって、計画は立てない、そのくせあっちこっち飛び回るのじゃなくって比較的ゆったりとした旅なら良い。なんて贅沢なこと言ってるので、今年はなしかなと思っていた。ところが、わがつれあい殿、イギリス湖水地方をゆっくり過ごす小人数構成のツアーを見つけてきた。執念には敬服した次第。そうなりゃ、お伴つかまつらねばなるまい。

出発前に、前泊したホテルで、我々としては少し高めの和食を取り、これでしばらく郷に入りては郷に従うことに決め、機内食から和食への未練は断つことにした。その航空機会社はバージン・アトランティック。キャビンアテンダントはほとんど日本人で、すっかり拍子抜け。でもなかなか行き届く人たちで快適だった。

サテ目的地、湖水地方は地図中、中ほどの黄緑色に印をつけたあたり。氷河が形成した地形に湖水が点在する。ここで比較的ゆっくりするのだが、最初は強行軍だった。
25日昼前に成田を発ち、12時間のフライト、我々にとっては真夜中だが、現地時間は16時ころロンドン着。機中でどれだけうまく寝れるかが勝負。でもうまく眠れず、眠気と戦いながら約3時間バスに揺られストラットフォード・アポン・エイボンという村(ロンドンから約160km)の、かなり良い宿に投宿。我々の水準から行くとかなり高水準。
機内食を2回もこなしてるので、途中のドライブインでサンドイッチとジュースなど軽いものを買ってちょっとだけお腹を満たして寝ることに。

車窓から見る景色、翌日も右のような羊や牛がのんびりと草をはむ景色を見るのだが、それにしても広々している。山地らしい山地がないのが、日本との大きな違いかもと思っていたが、この国、貧富の格差も大きいようで、金持ちが土地を沢山抑えているらしい。

ついこの間、ロンドンで起こった騒動もムベなるかなである。

26日はストラットフォード・アポン・エイボンでシェークスピアの姉さん女房アン・ハザウェーの家(左の写真、かやぶき?建てつけがー・・・、寒かったろうなー)、シェークスピアの生家、シェークスピアが葬られてる教会を訪れ、その後約310kmのドライブで一路、湖水地方のケンドルの街へ向かった。