2008年6月9日月曜日
鹿児島(3) 桜島
シリーズの最後です。最終日は朝8時50分からJR定期観光バスで鹿児島中央駅を出発。市内はそこそこに桜島にフェリーで渡り桜島を一周してまたフェリーで帰ってきました。朝8時過ぎで、陽射しも強くないのに日傘をさしているご婦人をずいぶん見かけます。雨でもないのに傘をさすのは降灰か痛いほどの陽射よけとか。多分陽射が強いことを予見したのでしょうね。西郷さん像で始まって大久保さん像で終わるスライド15枚を、もしよければ御覧下さい
鹿児島では西郷さんはやはり特別で、バスガイドさん初めから最後まで”西郷先生”でした。つくづく思ったことは島津斉彬という人の素晴らしさで、人材を育てるのに思い切ったことをしたことに尽きます。2番目のスライドのモニュメント「若き薩摩の群像」は国禁を密かに破って、ヨーロッパに留学した若者たちの像で、オランダ商人グラバーが協力していました。バス観光の後、空港へ移動する前に「維新ふるさと館」に寄ったのですが、西郷、大久保のみならず、ずいぶん沢山の人たちが官民いろんな分野で、明治をリードしたことが分かります。感嘆の念を禁じ得ませんでした。バスはまず鶴丸城の前を通過して城山へ向かいました。鶴丸城と言ってもいわゆる城の形を取らず、館の形だったそうで、人をもって城となすの考えから来るとのこと。城山からの眺めは靄のため遠望は利きませんでした。西郷さんが最後に立てこもった洞窟(スライド3右側)は城山からの帰路にバスの窓から見ました。次に寄ったのは鹿児島の北東に位置する仙巌園。殿様の別邸とのことで、居間から正面に桜島が見えます(4)。それを借景としてと説明されたのですが、京都のお寺の借景を見慣れた者には、エエー!と一瞬思いました。こだわりのなさは大胆で面白く、スケールが大きいです。5番目も仙巌園の殿様の居間のある館。(6)は仙巌園にある反射炉跡でここで大砲も作りました(7)。8番目以降が桜島です。鹿児島港のあたりから桜島を包むあたりは実はカルデラ状をなしていて、桜島は内輪山の意味を持つそうです。桜島はたびたび爆発して溶岩が流れ出し大変だったようですが、8)溶岩に埋もれた鳥居が顔を出しています。9)桜島南側の景色;大正の溶岩流のなごりは緑がかってますが、昭和に出来た溶岩流の跡はまだ茶色っぽい。10)押し寄せてきた溶岩のなごり。11)飛んできた巨大な噴石。12)桜島を後にする。13、14)維新ふるさと館そばで見たマメ科の変わった木;カイコウズ(ナンバンアカアズキ)15)大久保利通像(西郷と袂を分かって明治政府にとどまるが、西郷死後1年とちょっとで暗殺される。西郷からの手紙を身につけていたとのこと)。
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10 件のコメント :
何年か前に行った、鹿児島、桜島が観られ懐かしかったです、特に溶岩で埋まった鳥居の前では写真も撮っていましたので。
熊本城に行った時に現地のガイドさんが清正様と何時も様を付けていました、熊本を発展させてくれたとの思い入れがあるのでしょうね。
大分出身ですが鹿児島弁は難しいです。考えて見ると九州は7県全部違う方言がありますから、それだけでも面白かったのではありませんか。
方言を聞いていると故郷を思い出します。所で相模原には方言ってあるのですかねぇ~(笑)。
おがちゃん
火山爆発による溶岩と火山弾のすごさを改めて知った次第です。活火山のすぐ傍に生活する人々は北海道の有珠山のそばの人々かと思っていましたが、鹿児島のような大きな都市がこのような活火山の目と鼻の先にあるんだと、改めて思いました。
菊池さん
その土地その土地で、偉人という方は、忘れがたい、いや忘れてはならない人々なのでしょうね。
中さん
大分ですか。九州は各地に特徴があって興味深いです。
鹿児島の言葉は凄く特徴的です。灰も蝿も’へ’だそうです。「今日はどこかへ行った」の’今日は’は’きは’というそうです。ただ会う人たちはアクセントにこそ特徴はあっても、容易に理解できる話し方でした。
大きな西郷さんが、あんなに小さな洞窟に?
丸に十の字の、小原はぁ桜島、あっよいよいよいやさっとっ って言う歌に有る登り旗ですね?
カイコウズ(ナンバンアカアズキ)って言う
花、アメリカンデイゴで沖縄の県花です。
もう直き、咲き始めますよ。
最後までお天気で良かったですね。
らっこさん
沖縄の歌に「デイゴの花・・・」といった歌詞の歌があったと思いますが、これでしょうか。全く知りませんでした。傍に近づいて、アッ!、マメ科の大木だと思って写真を撮りました。
歴史の史跡めぐり良いですね。私はいつになったら行けるかしら。
楽しませて頂きました。
大の歴史好きで特に江戸時代は大好きです。
歴史のあるその場所には足を運べませんが、今度しっかりした歴史書を購入して読んでみたいです。
写真からその場所がゆったりと時間が流れている様子がうかがえました。
将来一度は行ってみたいものです。
はっちさん
全くの雑駁なものでお恥ずかしいです。実は薩摩は江戸中期から良いお殿様がでて、幕末の活躍の礎を築いているようですね。地の利もあったでしょうが、鎌倉期から始まって、幕末まで続いた島津家の歴史を追うのも面白いかなーと思った次第でした
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