2008年6月5日木曜日

鹿児島にて

こんばんは。当地での出費だけで済ますことが可能と言う計画が出来たので、思い切って4日の早朝に出発して、12時少し前には鹿児島空港に着きました。その足で指宿へ行き、一泊し、今朝、枕崎から知覧を廻って、現在鹿児島に居ります。初日と、本日知覧の特攻平和会館で強く感じたことを記します。4日朝は曇っておりましたが、安定した飛行の窓から富士山が雲から頭を出すのが見えました。鹿児島空港から指宿、山川への直行バスに。杉の植林が盛んであった様子が良く見えました。案外目立ったのが、槙の木で生垣や街路樹に使われていました。勿論ハイビスカス、ブーゲンビリアや色んなヤシの類も目立ちました。指宿の少し手前の今和泉でバスを降りました。そう、篤姫さんの生まれ故郷です。
ボランティアーのガイドの方の軽妙なお話を聞きながら約1時間半町を巡りました。もともとは熊本との境を固めていた出水(いずみ)島津家が途絶えたのを惜しんで、再興して立てた家が当時の”今”をかぶせて今和泉とし、知行地を指宿の近くに定めたそうで、屋敷跡は今和泉小学校になっていました。写真の階段は裏門から浜辺に出るところで、この石垣は実は更に2メートル下まであり、道に隠れてるのだそうです。この裏門の真正面の対岸に雲を深々と被った櫻島が見えてました。
篤姫のお爺さんの隠居所跡地には武家の子孫が今でも住んでおられるとのこと。田の神様を見たり、今和泉島津家の墓地を巡って今和泉駅に戻ると、ちょうど列車が着たので、乗って指宿まで。ホテルでは砂蒸風呂に入りましたが、暑さがジワーと体を包み、足の裏までカーとしてきて、大変気持ちがいい、しかし約10分強で逃げ出すことになりました。
今日は朝九時から出発したのですが、その話は別にして、知覧の特攻平和祈念会館で感じたことを鮮烈なうちに記しておきます。この会館に近づくにつれ、気持ちは重くなって行きました。中では会館の壁に沿って出撃者の顔写真と書き残されたものが、出撃の次数に従って展示されていました。そのほかに飛行機や軍装等々。最初の展示枠で、辞世の歌や遺書その他を読み進むにつれ、眼鏡に水溜りが出来、読むのが難しくなりました。純粋な気持ちで書かれたものと思うだけに、堪らないものでした。あと10数個の同様の展示枠は写真を見るだけにしました。深い感動を覚えたのは事実です。でもその後にこみあげて来たものは強い怒りでした。何の見通しも無いまま、ずるずるとなすところ無く戦争に入って行き、或いは煽り、果は御聖断を仰ぐまで明確な指針を出し得なかった、無責任極まる人達が、或いは一団が更にこのようなことまで命じていた。そのこともまた事実だと思います。この記念館の大切さを心に刻みましたが、外に出て、特攻平和記念館の写真は撮る気がせず、胸に深く納めることにして、その場を辞しました。

13 件のコメント :

匿名 さんのコメント...

一度は知覧の特攻平和会館へと行ってみたいと思っていますが、未だに行けていません。
過去の悲劇を二度と繰り返したくないものですね~。

匿名 さんのコメント...

鹿児島は私の故郷です。
でも、指宿とは反対側の10号線沿いです。
私の小学校は島津久光の居城「重富城」でした。

知覧では、武家屋敷は見ましたが特攻平和会館は。。。重くて。。。行きませんでした。

でも、権兵衛さんの湧き上がる怒りって今 必要な事かも知れませんね!
子供たちの世代も平和が続くよう願ってやみません。

匿名 さんのコメント...

鹿児島旅行中ですか、私も4年ほどま前鹿児島に旅して来ましたが、何処に行っても西郷隆盛の話が多かったような気がします、今はNHKの時代劇「篤姫」の人気で訪ねる人が多いと聞いていますが、桜島も観光バスで一周して来ました、鹿児島はいいところですよね。

匿名 さんのコメント...

川内に日帰り出張によく行きましたが、
観光では行ったことがありません。シニアに
なったらゆっくり行こうと思っておりましたが、機会がなくなってしましました。

 権兵衛さんおブログで我慢しときます(笑)

匿名 さんのコメント...

飛行機の中から見た雲の上の富士、素晴らしいです

雄大な桜島も圧倒されますね

砂蒸し風呂、終わった後は、身体中の余分な毒素が 総て取り除かれたような心地良さを味わえますね。

最近は、ボランティアガイドの方が居て下さって有り難いです

楽しんでいらして下さい


 

権兵衛 さんのコメント...

菊池さん
見方、気持ちの差はあるでしょうが、ここにあるのは、20代の方々の慟哭です。ないのが、懺悔による慟哭、あるいは批判の慟哭だと感じました。それらがあって初めて”平和”記念館ではないのかと感じた次第です。

匿名 さんのコメント...

>無責任極まる人達が、・・・・

昭和50年代前半かの作品で
この戦争の指揮官たちを土下座させるべく追って追っての旅をしたドキュメント
「ゆきゆきて神軍」・・この映画には衝撃を
受け今でも記憶に残っています。

ゼッタイ許さないですよねえ。
知覧を拝見されたらなをのこと、忘れてはならない、せめて語り継ぎたいものです。

権兵衛 さんのコメント...

まお♪さん
島津久光は斉彬の異母弟で、藩主にはなりませんでしたが、斉彬亡き後の薩摩で重きをなした人ですね。
凄く沢山の薩摩出身者が明治期の日本を指導したことに、圧倒される思いでした。

権兵衛 さんのコメント...

おがちゃん
西郷さんは特別のようですね。
桜島も一周してきました。白煙をあげてましたよ。

権兵衛 さんのコメント...

中さん
またスライドショーを試みます。3日間でしたが、充実していました。

権兵衛 さんのコメント...

らっこさん
指宿から鹿児島の帰りは、知覧ライナーというバスツアーに参加したのですが、2人だけの貸し切り状態。もしマイクロバスをチャーターしたようなもので、そうだとすると、5倍ははかかったはずでしょう。運転手さんの話も軽妙でした。

権兵衛 さんのコメント...

トントンさん
ご指摘の映画は知りませんでした。先の戦争が、もし”御聖断”で始まり”御聖断”で終わっていれば、ことの善しあしは別にして、完結はしていたろうと思うのです。しかし実際は、天皇の名を担いで既成事実を作り上げ、抜き差しならぬようにしてしまったり、確たる見通しもないまま煽ったり、脅したりして戦争へと導いた人たちが、今度はどう矛を収めるかという明確な指針も出せないまま、”御聖断”を仰いでしまった。情けないことです。こういったことは、ごまかさず明確にしておかないと、われわれは今でも危ういことだらけに囲まれているのだと思った次第です。
この前のドイツでのサッカーワールドカップの時、マスコミは確たる分析もないまま、好成績を出せるかのようなことを言って煽りました。あるスポーツ評論家が冷静な戦力分析をして、コメントを述べたら、それでもおまえは日本人かというようなことを言われたそうです。スポーツの祭典においてすら、われわれの危うさを垣間見た気がしました。

匿名 さんのコメント...

また驚く事実を、後日知ったのは
この「ゆきゆきて神軍」主人公こそ
現天皇皇后が、皇太子時代のご成婚パレードの馬車に投石した・・・あの人ということです。

そういえば、あのパレードにそんな事件ありましたよねえ。
このお方、指揮官を追う旅の撮影を許可したと驚愕し、また改めて、さもありなんの骨身に堪える怒りだったのだ、振り返った思い出を記しておきますね。