空港から那覇の町を通りぬけ、首里までモノレールが走っている。モノレールを建設するにいたった話:戦後、焦土と化したところに、とにかく人が住む家を建てる必要があり、都市計画もないままどんどんすすんでいった。その結果は狭いしかも連携の薄い道路網ができる。公共交通はバス、タクシー。そこでレール路線も検討に入ったが、道路や家屋がそんな状態にある故、地表は難しい、次に考えたのは地下鉄。ところが、地下は不発弾だらけで、危険で掘れない。その結果モノレールに落ち着いたとのこと。あの戦争の影が落ちてるんですね。
ひめゆりの塔、記念館:知覧特攻記念館を訪れた時と同じ印象を持った。彼女らの慟哭は強く胸に迫る。しかし、彼女らを、そのような境涯に押しやった人々にも慟哭があるだろうに、そういう慟哭は一切聞こえてこない。
一家全滅してしまった家があった場所はそのままで、家は建てられていないという話。
平和の礎、その地から眺める太平洋と波に洗われる断崖。
歴史と云うものは跡が必ず残る。そしてその後の事象の出発点。決して消え去り得ないものなのであろう。
4 件のコメント :
美味しい物を沢山食べてこられましたか?、沖縄本島はまだ一度も行った事はありませんが一度は行って見たいと思っています。
沖縄戦では沢山の民間人が犠牲になって、本当に痛ましい事です。
この事を何時までも忘れない様にしたいものです。
楽しい旅を続けているようで、羨ましいですね、一度ソーキそばとやら食べてみたいですね、美味しそうです。
権兵衛さんが参加しなかったので、星が丘公民館HP委員会は、ご婦人が少なかったでしよぉ~(笑)。来月は23日(木)ですのでよろしくお願いです。星が丘副館長が本庁に移動になりました。
菊池さん
いくつか印象に残る食べ物ありました。モズクの天ぷらなんてのがあって、エッと思いましたが、案外美味しかったです。
旧海軍の太田中将について調べてみたくなりました。
おがちゃん
昨夜遅くに帰ってきました。ソーキそば、美味しかったですよ。
中さん
済みません、疲れててすっかり頭から抜けていました。
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