2015年8月8日土曜日

新潟―佐渡―直江津#3(佐渡編1:砂金採りより大変だった)

佐渡も一日だけの計画。朝早く宿を出て観光バスに乗る。2か所に寄って、乗る人があればピックアップしてそれから観光というわけだが、それまでの間のガイドさんの話が面白かった。
佐渡は主に西日本、北陸の影響が強いが、あえて言うと本州の縮図みたいなところがあって、内部に方言があり、同じ佐渡の住人同士でも通じない言葉があったりするとのこと。京からの流人による、貴族文化、西の方や北陸との交易による町人文化、江戸期には幕府の直轄領となったために江戸文化も入っている。各地から金山に人が入ってきたはず。多種の文化が交じって独特なものがあるらしい。世阿弥が流されてきたこともあって、能がポピュラーな芸能として定着していて、能の催しがあると隣近所連れだって見に行ったりするなんて話もあった。
先ず、再建された江戸時代の奉行所へ。勿論金山の管理が最大の役割だけれど、町方を治めるのも重要な役割。奉行は常駐ではなく幕閣の重要人物として江戸に居たり、佐渡にも来たりだったらしい。実質的に取り仕切っていたのは二人の組頭とのことであった。お白洲も大中小3種類あり、小さいのは下級役人が処理する場所、中が組頭が取り仕切ったのであろう。一番大きい白洲に降りて筵に正座してみた。筵の下は石。均してあるとはいえ痛い!。こんなところに取り調べ中、正座って大変なことだ。
さて、掘り出した岩石からどうやって金を取り出すのか?もっこに入れて運んできた岩石をえり分けてから、カナズチの親分みたいので先ず砕き、それから石臼にかけ粉状にして篩にかけ水に浸けると、川辺で砂金探しの人達が金探しをする状態にようやくなる。そして、布を布いた斜めの樋に上から砂を水と共に流し、金は布に引っかかり残滓が下まで落ちる。これを2回ぐらい繰り返して、次の砂の塊を流すそうだ。砂金探しも気が遠くなる話と思ったが、これはもっと気が遠くなりそう。この後金の塊を作るまで沢山の工程があるわけだが、金鉱を発見した人の凄さを思った。金の塊が出来ることを示さなきゃ誰も信じない筈。執念と云うべきか、敬服の念を持った次第。

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