2015年8月3日月曜日

新潟―佐渡―直江津#2(新潟編)


7月28日朝、相模原から新横浜ー東京を経て、上越新幹線でお昼前に新潟に着いた(下越の中心地、新潟と東京を結ぶのに上越新幹線とはこれいかに?)。新潟は元々良港であったが、栄えるようになったのは北前船が往来するようになった江戸期かららしい。いまや県庁所在地であるばかりでなく、本州の日本海側では一番大きな町となっている。
新潟に着いてすぐ、新潟市観光循環バス1日乗車券500円を買った。何度乗っても良いし、指定箇所の入場料は割引が効く。我々はバスに乗って公開されている新潟の豪商或は豪農の旧家3箇所をめぐることにした。
港町として栄えた新潟には曽て水路としての堀がはり巡らされていたそうで、一部復活されているが、大部分は埋立てられ、・・掘りという名は残っている。運転手さんが~掘と云う案内をしていた。北方文化博物館新潟分館前という停留場で下車。まずは昼食とぶらり歩いたら普通の民家に混じって左の写真のような古い洋館が街角に有った。堀がはり巡らされて居たころの名残だろうか。
昼食後、まず北方文化博物館新潟分館のすぐ近くの旧斎藤家別邸から見せてもらう。大正時代に栄えた財閥の別邸(迎賓目的)だったとのことで、庭は一階からの眺めのみならず二階から見下ろしてもなかなか立派なもので、東京にあった、江戸時代の大名庭園から選び抜かれた名石、石造物が持ち込まれているとのこと。写真はどれもクリックすると少し大きくなります。衆議院議員、貴族院議員を務めた齋藤喜十郎氏が建てたもので、往時の華やかさが偲ばれるというもの。
 
齋藤家はかなりの大財閥だったのだろうか、戦後GHQによって解体された。今は業種を分けて幾つかの会社に分れて引き継がれているという。
次はすぐ隣の北方文化博物館新潟分館。これは新発田の豪農伊藤家の新潟別邸だったが、戦後10年間文人、会津八一が住んだということで、八一の作品や居住の様子を伝える写真等が展示されていた。ここの庭は齋藤家のとは違って枯山水で、規模は小さい。
そこからバスでもう少し港の方に行って、北前船の時代館前で降りる。北前船の時代館は江戸後期から明治にかけて、米穀商、廻船業などで栄えた小澤家が平成14年に家屋群を新潟市に寄贈したとのこと。前の二つの家の庭とは趣の違う少しモダンな庭や、往時の町屋の様子をうかがうことが出来る展示で、漆器のお箸が出来ていく過程(竹の箸であるように見せる漆塗りによる節付けの技術など)が見えるような展示で興味深く見てきた。
鴨居に書けてある写真を見てオヤ見たことがあるお顔と思ったら、自民党田中派で重きをなした小澤辰男さん(晩年は新潟国際情報大学を作り運営に尽力されたとのこと)でした。

夕方、新潟港からジェットフォイルに乗って新潟港から佐渡の両津港へ渡った。エンジン音が煩いが、速い。普通の船では1時間半かかるのに対してジェットフォイルだと1時間で到着する。出発直後の港の風景と船の速さを動画で。

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