その滞在中、ある会議に出席する目的で、スイスと西ドイツの国境にあるコンスタンツという町に出かけた。旅程はコペンハーゲンからドイツ南西部のシュトゥットゥガルトに飛び、そこから列車でコンスタンツ。帰りはその国境にある大きな湖、ボーデン湖を船で渡って、リンダウから列車でミュンヘンの友人を訪ね、その後コペンハーゲンへ飛行機で戻るというもの。
表題のシュトゥットゥガルトで家政学を学ぶ学生とはシュトゥットゥガルトからコンスタンツへ行く列車の中で出会った。シュトゥットゥガルトの駅で列車に乗って空いているコンパートメントを探したのだが、随分混んでいる。やっと空いたコンパートメントが見つかったが10代から20代になりたてぐらいの女性が1人だけ居て、本を読んでいる。50歳のおっさんが入っていくのも気が引けたが、周辺は混んでいる。引戸を開けて座っても良いかと聞いたら、にっこり笑ってOKだったので、向い側に座った。暫くして、折角向かい合ったし、話してみようと思って、応えてくれるかどうか不安があったが、英語でどんな旅なのか聞いてみた。実家に帰るところだと英語が返ってきた。安心して、話が続いたのだが、高校を出たばかりで、今年からシュトゥットゥガルトで勉強している。日本でいうと短大か専門学校と云った感じに聞こえた。彼女がこれから帰る家のあるあたりのこと、私の旅のこと、日本のことなど話したと思うが、若い女の子と50代の東洋人男だけのコンパートメントが気になるのか、時々車掌が窓から覗き込む。日本の地図を見せて話始めると、彼女は私と並んで座る、すると隣のコンパートメントから若い男性が移って来て我々の隣に並んで座る。社会がちゃんと問題が起こらないように気を配っているのだなーと感心した。その内、彼が去ると、彼女は片目をつぶって肩をすくめて見せた。それは余談。
話の中で、彼女が言ったことに、未だに忘れないものがある。「ミュンヘンに寄るのなら、是非ダッハウへ寄るといいと思う。」ダッハウと云う所は政治犯の強制収容所があった所。第二次世界大戦でユダヤ人を多数収容して虐殺した場所の一つ。「ドイツ人の一人として非常に恥ずかしいことだが、ここで行われたようなことが、二度と起きないためにも、出来るだけ多くの人が見るべきと思う。」と言ったように記憶している。可愛らしい屈託のない笑顔を見せて話す子だったが、この時は真顔で俯き加減で話していた。コンスタンツの2駅前で降りて行ったが、コンパートメントを出て、振り返り、片足をチョットあげて両手を振ってから去って行った。他に何を話したか、忘却のかなただが、去り際の少女っぽいしぐさと、真顔で話した時の対照的な様子が、未だに忘れがたい思い出となっている。
ドイツでは、ちゃんと、包み隠さず教えているのだなーと、その潔さに感動した。
<追記>
チョットずれるが、知覧の特攻記念館を訪れた時、出撃した人達の遺書から伝わる慟哭に、いてもたってもいられなくなった。彼らが美化されているが、本当にそれだけでいいのか。彼らは死ななければ、人生を全うし、後でもっと建設的な働きをすることが出来たであろう。
本当は特攻を推進し、犬死同然のことをやらせた人たちの慟哭こそ展示すべきなのではないのか。それが無い。美化だけでは、二度と繰り返さないという誓いにはならない。