2012年9月18日火曜日

スロベニア・クロアチアの旅_0

少し遡りますが、8月に入って、9月は後半には何もイベントはなく暇である事が判明。背の君が待って ましたとばかり、どこかえ出かけようと云いました。と云っても万全の計画を 立てて、出かけるゆとりはないので、ツア―で出かけようと云う事になりました。
それなら、個人旅行はチート不安な場所を選ぼうと云う事になり、ヨーロッパの火薬庫 、バルカン半島に足を踏み込もうと云う事にしました。
成田を9月15日の11時ころに発って、オーストリア航空のボーイング777でウイーンへ。 そこでは、全く休む暇なしで双発プロペラ機DASH8 でクラーゲンフルトへ飛びました。 オーストリア国内ですが、アルプスの南側で、静かな村みたいなところ。そこも休むことなく バスで、スロベニアのブレット(Bled)にむかいました。 クラーゲンフルトは細長い氷河湖の傍にあって、飛行機 が着陸する少し前あたりから、眺めは素晴らしく、遠く に雪をいただくアルプスも見え、
また着陸後バスからの 眺めも気持ちよいものでした。
途中、オーストリアからスロベニアへ国境を超えましたが、同じユーロ圏であるので、 出入国検査もなく、日本時間16日午前2時半、ブレットに着きました。 ここは湖がきれいな所です。

この地域、古代から民族大移動でいろんな民族が吹きだまった地域。 そのうえ、東ローマ帝国・オスマントルコ帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった支配を も受けたりして、多民族国家の時代が長かったことから諸民族が混在していました。
このため、ヨーロッパの単一民族による国民国家の概念に触れると、たちまち諸民族同士の争いが勃発したわけです。バルカン半島の民族問題が第一次世界大戦勃発の原因であり、第二次世界大戦後、チトーがこの地域をユーゴスラビアと云う連邦にまとめ上げたけれど、彼が亡くなると、内戦状態となり、これが収まった後も宗教・民族問題を多くのこっていることは記憶に新しいところです。
4,5世紀の民族大移動が未だに尾を引くと云う所に興味がありました。見ることが出来るのは、ごく一部ではありますが、楽しみにして、見聞を広げたいと思います。徐々に書いていきます。

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