2012年9月28日金曜日

スロベニア・クロアチアの旅_2 (概観とスロベニア)

9月15日、午前11時15分に成田を発ち、空路ウイーン―>クラーゲンフルトそしてバスでスロベニアに入ったことはスロベニア・クロアチアの旅_0で述べたが、その後の旅は食ってはバス、食ってはバス、食っては寝の連続で、また好き嫌いなく何でもおいしいと食べてしまうので、帰り着いたときは2kgも増えていた。
それはともかく、左図の地図中(クリックすると大きくなります)にグリーンで示した経路で、旅の大部分はクロアチアで過ごした。風景、旧市街を見る旅だった。どれだけ国をまたがったかと云うと、スロベニアの後、クロアチアに入り、アドリア海沿いに南下、途中でほんの一部だけ、ボスニア・ヘルツェゴビナが楔のように海辺に出てくるのを通り越して、またクロアチアに入ってドブロブニクで2泊、その間に半日だけ、その南のモンテネグロに入ってのコトルを訪れまた元来た道を戻り、途中から北上して、ボスニア・ヘルツェゴビナに入って、モスタルを訪れ、またクロアチアに戻って北部のプリトブィツェ国立公園(中国の黄龍みたいなところ)、クロアチアの首都ザグレブをまわっての旅だった。以上概観。

ここでは、スロベニアの綺麗なブレッド湖周辺の景色とスロベニアの首都リュブリヤ―ナの写真を動画に編集してみた。ブレット湖ではエンジン付きのボートは一切禁止で、中にある島へは手漕ぎボートで渡る。ここの出身者が種目名は忘れたが、オリンピックの手漕ぎボートで金を含むメダル取得者3人だったかを輩出しているとか。水の色が素晴らしくきれいな湖だった。
このブレッドには2泊したがその間に首都リュブリヤ―ナを訪れた。新市街と旧市街を分ける川は小さかったが観光船が走る。そして川岸にはオープンカフェが並ぶ。スロベニアはハプスブルク・オーストリアの支配を長い間受けただけあって、東欧圏ではあるが、どことなく中央ヨーロッパにいるような感じがした。

ブレッドを発って、クロアチアに入る前におとずれたのが、ポストイナ鍾乳洞。ヨーロッパ最大級のもだそうなのだが、内部は撮影禁止。右図のようなトロッコ列車で内部まで行き、その後大規模な洞内を歩いて見て来て又トロッコ列車で戻ってくる。そのトロッコ列車、くねくね曲がった線路をかなりのスピードで走り、大きな石筍等を見ながら進むのだが、まるでインディ―ジョーンズの世界。注意してないと岩盤に頭をぶつけそう。スリリングなひと時。内部の徒歩コースもかなりの高低差を歩く。疲れた人にはショートカットが出来るようなコース設定がなされていた。我々は勿論、ガイドが率いる全コースを歩いた。ひざを痛めてる背の君はちょっと大変だった。徒歩の最後、列車に乗る直前にコンサートホールと名付けられた広場に出る。本当に演奏会を開くこともあるらしいが、ここは撮影可。一部を3枚の写真を重ねてワイド写真のようにしてみた。

動画を除く写真3枚はクリックすると大きくなります。  

2 件のコメント :

サカイ さんのコメント...

スロベニア・クロアチアへ行ってらっしゃったのですね。
私も2009年の丁度今頃行きましたが、美しい風景と共に、近年まで続いた過酷な紛争の傷跡が印象に残りました。
ポストイナ鍾乳洞は私が行った当時は内部でも写真撮影できましたが、今は禁止ですか。多分、フラッシュ禁止を守らない人が多いせいでしょうね。美術館などでもそういう所が増えているようです。
トロッコ列車は本当にスリル満点でした。日本は自己責任が通用しにくい国ですから、あれは無理でしょうね。

権兵衛 さんのコメント...

トロッコ;あの運航スタイルは、本当に日本ではまず考えられませんね。
サカイさんが戦車の展示があったと言ってられ他の覚えてますが、今回は見ることはなかったです。ポストイナ鍾乳洞の外にトロッコが展示してあったわけですが、以前は戦車が展示してあったとか。

宮崎駿がこの辺を取材して、作品を作ったとか。ナウティカと云う名のレストランがありました。