2011年6月10日金曜日

四国にて1

実は、6月8日から11日帰着の予定で四国を旅してます。
8日お昼頃松山空港着。午後松山の真ん中あたりから道後まで歩くプログラムに参加、と思ったら我々だけ。9日午前中松山城の本丸を見せてもらい。午後中村まで移動:松山-((特急列車))-宇和島(ここは残念ながら素通り)-((バス))-宿毛-((列車))-中村。
10日午前中四万十川で舟遊び11時ごろ特急列車に乗って高知へ。この移動で四国は山また山の土地で、昔は移動が大変だった事だろうと思いました。今でも宇和島から中村へ移るのに列車を使うと遠回りで、バスの方が良いという具合でした。

初日の松山-道後walkをかいつまんで。この町はまさに「坂の上の雲」一色でした。




左上の写真は松山-道後間を走っていた列車を引っ張っていた機関車が展示されてました。この町そして高知では路面電車が今も活躍しています。坊っちゃん列車と称して、上のような機関車を模した列車も走っていました。右上は秋山兄弟生誕地にある道場の庭に建てられた兄、好古の騎乗銅像。城の搦め手側にある徒組の居住区にありました。陸軍大将を退いて後は、松山で中学校の校長をされたとのこと。
中左:道後温泉の湧き出し口に使った湯釜が道後温泉の直ぐそばにあった湯築城址北側に展示されてました。中の右;子規展が行われてました。そして5番目の写真;道後の街の入り口にからくり時計塔があり、人形が姿を現して時を告げるとのこと、その足元に足湯があって、若い人たちが一休み。

再び秋山兄弟生誕地の写真です。今度は弟の秋山真之のこと。左の写真はその胸像で上の兄の騎乗の像に対峙して立っています。そしてこの部屋に真之の揮毫が掲げてありました。真之は兄より先に49歳で逝去しました。感銘を受けたのは兄、好古が次のような内容のことをいっておられたということでした。:”弟に関して兄として誇るべきことは何もない。しかし、ただ一つだけ申し上げたいことがある。それは弟は常に日本のことだけを考えておったということです。”胸に迫るものがありました(兄の弟への哀惜の念もふくめて)。

5 件のコメント :

木の実 さんのコメント...

道後温泉、35年位前に行った事があります。
空港から歩かれたのですか?
凄いですね。
四万十川の景色、綺麗だった事でしょうね。

QQ さんのコメント...

>日本のことだけを考えておったということです。

そんな人が今の日本に現れるのを期待するのは無理でしょうか?
なぜ、 そんな人が生まれなくなってしまったのでしょうか?

権兵衛 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
権兵衛 さんのコメント...

QQさん

教育。緊張感。視野。(日本のためだけでなくってもよくって、世界、宇宙でもいいのですが、大きなスケール)

若者たちが”坂の上の雲”を目指して活き活きとしていた時代に学ぶことは良いですが、気をつけないとね。
戦争せずに、平和ボケからどうやって脱却するか。

(あの計算機予算問答で”2位ではだめでか?”発言ですが、ボケもいいとこで、1位を狙っても世界中がしのぎを削っているのですから、実際には遅れをとる可能性の方が多いわけで、最初から2位狙いでは結果は知れてます。世界を相手にしのぎを削った事がない方なのでしょうね。もっと工夫した発言が出来たはずと思っています。)

権兵衛 さんのコメント...

木の実さん

いえいえ、松山の街の中から道後までです。我がかみさん、膝を悪くしてるので無理はできません。それでも、松山城、高知城の天主の最上階まで行くもんですから、降りるときはハラハラしました。
四万十川は直前の雨のため濁っているとのことでしたが、悠然たる水の流れはとてもいいものでした。後で紹介します、