2015年12月30日水曜日

試食黒豆;黒豆ヨーグルトで

黒豆を炊いてくれた。待ちきれずに試食。まず、殆ど毎朝少しづつ食べるヨーグルトにかけました。題して黒豆ヨーグルト。以前にも紹介したかも。さしずめコメンテーターなら、ほんのりとした汁の甘みと、まろやかな黒豆の食感と・・・・というのでしょうが、兎にかく、うまいです。

2015年12月27日日曜日

春への助走

2015年も暮れようとしています。昨夕ふと西の方を見たら、丹沢の山々の稜線がくっきりと見えていました。「あっ!夕暮れが少し遅くなったな」という印象を持ちました。そう、冬至南瓜を食べましたもの。冬至は過ぎたのです。陽の射す時間は徐々に長くなっていくんですね。
年が明けてもしばらくは厳しい寒さが続くかも知れませんが、季節は確実に春に向かって助走を始めました。問題だらけの私たちの生活環境も春に向かって走り出したいものです・・・・。平和に向かって。

2015年12月16日水曜日

電車の中でフトかいま見た機械に使われる将来の人間の姿

昨日は青葉台往復。長津田から渕野辺までの横浜線の中で、座って本を読んでいたのだが、ふと目を挙げて周りを見ると向い側の座席7人中5人がスマホだか何だかをいじっている。エエー!と思って車中を見回した。約70%ぐらいの乗客がそんな調子である。連絡をしてる?何か記事読んでいる?ゲームしてる?自分だって本を読んでいたのだから偉そうには言えないかなーと思いつつ、スマホの便利さにつられて、コンナニ多数の人が、移動の最中も寸暇を惜しんで、使ってる状況を見て異様な感じがした。便利に使ってる積りかっも知れないが、何だか使わされてるんじゃない?使わされてるならまだいいが、どんどん機能が増すにつれ、人間がスマホに使われる(遊ばれちゃう)なんてことになりそうなことを、ふと思ってしまった。
将来、ロボットが便利に使えるようになった、その後に、いつか人間がどんどんロボットを使うようになって、いつの間にか、こんな感じで、結局人間が使われるようになるのかもしれないなー、なんてぼんやり眺めていた。

2015年12月13日日曜日

横山公園の紅葉

昨日横山公園に寄ってみました。山茶花が満開で初冬の感がありますが、でももみじ銀杏の紅黄葉がとてもきれいでした。以下の画像、クリックすると大きくなります。

2015年12月10日木曜日

かけた情、受けた恩

昨日9日の朝日新聞”ひと”欄に、92才になるお年寄りが取り上げられていた。
先の戦争でビルマ(現ミヤンマー)に従軍し、生き残り、帰国。ゼロから始めて、懸命に働いて一応の財を成したのち、ビルマに慰霊に出かける。大変な覚悟だったろう、食料、家畜を徴発し、田畑を踏み荒らした日本軍の生き残りとして行ったのだから。
しかし行く先々で温かく迎えられたという。その方は感銘を受けたのでろう、それ以来、私財を投げうって、「ビルマ奨学会」を作り、ミヤンマーから日本へ来た留学生や現地の若者の支援をし続けているとのことである。一個人としてこのようなことをすること自体、大変なことだが、紹介されたその方の言葉が心に残る。
支援を受けた若者たちの反応は人それぞれだったらしいが、その言葉は「かけた情は水に流して、受けた恩は心に刻む」。私が若い時に受けた言葉を思い出しながら読んだ。私が思い出した言葉は、大変世話になった方にお礼の気持ちを伝えたら「そんなに価値を認めてくれるなら、僕のことはいいから、今度は君が他の方にしてあげてほしい。」40年ぐらい前に聞いた言葉だが忘れ得ない。未だに受けた恩程の事は出来てないのだが。

2015年12月8日火曜日

ゴーギャンとポン‐タヴァンの画家たち展@パナソニック汐留ミュージアム

6日日曜日、パナソニック汐留ミュージアムで開催されている、ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展を見に久しぶりに都内に出かけた。

株屋さんを止めて、家族とも別れパリからブルターニュのポン=タヴァンへ移ったゴーギャンの活動を中心に、そこで出会った画家たち、特にベルナールとの相互作用が紹介されていた。ゴウギャンというと、私はタヒチの女性を描いた独特の絵が頭に浮かんできてしまうが、初期の作品は印象派の雰囲気をたたえた作品がいくつかあったし、ポン=タヴァンで影響し合った画家たちとの作品と比べながら、楽しむことが出来た。下は二つとも、コペンハーゲンの新カールスベリ美術館所蔵の作品だが、左の絵は「玉ねぎと日本の版画のある静物」絵の右上には浮世絵が描かれている。右の絵は「ブルターニュの眺め」<部分>。(クリックすると少し大きくなります。)
 
へー、こんな絵も描いたんだーという印象で、楽しめました。
展示された74点の作品中、ゴウギャンの作品11点、ベルナールの作品10点、その他多くブルターニュで活動した画家の絵が展示されている。

2015年12月5日土曜日

息を吹き返した24年間使った椅子


24年前に買った食卓と椅子4脚、気に入っていて今も使っている。特に椅子の座り心地がよくって取り替える気がしなかったが、布のカバーがボロボロ、特に縁のところは擦り切れて、残念だけど取替えるかなんて思っていた。
11月21日午後に紅葉を見に行こうかと相模湖から藤野、山並み温泉とまわって帰ってきた。紅葉は大方が左のごとくで、たいした収穫はなかったが、途中で立ち寄った家具の工房で収穫があった。いろんなものを見ながら、工房の人と話している内にカバーの布を張り替える修理をしてくれるという。新たに買うより安いし、お気に入りが息を吹き返すのは何とも嬉しく、布地を選んで修理を頼んだ。翌日町田にあるお店から工房に行くついでに人が寄ってくれて、先ず2脚を持って行った。昨日その2脚の修理が終わって戻ってきた。
 
色あせ、擦り切れたカバーが活き活きとして、しかもふかふかと座り心地も改善してご満悦。背中のところの木部の塗料が剥げかかっていたところもきれいに直っていた。月末には残りの2脚も戻ってくる。

21日はそんな収穫があったが、やはり紅葉も見たいと、翌日、昭和記念公園に出かけた。iPadをカーナビ代わりに使った。昭和記念公園は人で混んでいたが、まあまあ楽しめた。
  

2015年11月22日日曜日

勇気あるイスラム教徒の女性


パリのテロ事件に関連して今日のニュース番組のなかで見た感動的なシーン。
死者を悼んで集まっていた人々の前に、真剣で居ても立っても居られない様な面持ちの女性が立っている。胸元に掲げる紙には何か書いてある。
解説では、その紙を見せながら、自分はイスラム教徒であること、自分の心はここに集まる人々とともにあり、亡くなった人々を共に悼む旨を告げていると報じた。集まっていた人々は彼女が話している間は、何かバリヤーを張って聞いている様子だったが、そのうち、1人がイスラム教の女性の肩を抱き、そして人々は一塊になった。多分このイスラム教徒の女性がその行動をとるには、大きな勇気を要したであろう。その勇気とそして融け合っていく心が抱き合う人々の塊として見た時、深い感動を禁じえなかった。
QQさんがご自身のブログに紹介されたアントワーヌ・レルスさんの対応やこのイスラム教徒の女性の精神が広がることが報復の連鎖を断ち切る大きな力となるはずと思う。

東アジアに住む人々の間にある、過去の歴史に関わるわだかまり、怨念も、相手がそうするなら、それに報いてやろうとするのではなく、あくまでも心を通じ合えるような努力が民衆の中で広がることがとても大切なのではないだろうか。相手がどんな態度を取ろうとも。

2015年11月19日木曜日

不知火型の横綱土俵入り


大相撲の横綱土俵入りは、大雑把に言うと雲竜型と不知火型の土俵入がある。鶴竜は前者を、白鵬と日馬富士は後者を採用している。 私は子どものころから不知火型が好きだった。

羽黒山の豪快な不知火型の土俵入りが素晴らしかったと聞くが、残念ながら羽黒山を見たのは引退相撲の時。そのあと、不知火型の土俵入りを したのは吉葉山だった。この型の土俵入り、両手をサッと開いて、さあどこからでも来いと云う感じの豪快さが好きなのだ。だから、短命だったが、吉葉山は好きなお相撲さんだった。

不知火型で土俵入りを採用している白鵬が猫だましをやって物議をかもしている。相撲が勝負だけのスポーツという位置づけなら 私は何も言わないし、イイんじゃないと云うんだけど。

さあどこからでもかかってこいと云う土俵入りをしておいて、その後で猫だまし・・・。私も違和感を感じる一人です。

2015年11月17日火曜日

ルパブリック(リパブリック)広場@パリ


4年前の7月、ルパブリック広場から歩いて5分くらいの安宿に泊った。広場に面したレストランで夕食も一回とった。 道に置いた椅子には、老若男女、飲み物片手に喋ったり、本を読んだりしていた。
今度もそんな状況下の暗転だったろう。急に人生を遮断されてしまった多くの方々に哀悼の心を捧げる。

人をあやめる事によって、いったい何が得られるのか、世界の視界が晴れやかに見えてくるとでも云うのだろうか。馬鹿な!

2015年11月1日日曜日

出る杭打つ奴ぶっとばせ

ラグビーの日本代表がイギリスで行われたワールドカップで善戦し、メディアをにぎわした。騒ぎがひと落ち着きして、今頃、ワールドカップ関連記事中に、「出る杭を打つ」なんて文字を見た。久しぶりに目にしたフレーズのような気がする。
ジョーンズヘッドコーチ(HC)が就任したころは、ミーティングにおける選手たちは皆下を向いていたという。「物言えば唇寒し・・・」なんて状況があったらしい。出る杭の強力な打ち手がはびこっていたのだろう。
ジョーンズHCのもと、選手たちは自分の意見を言うようになったらしい。その最たる者が五郎丸選手とのこと。氏のものすごい鍛錬に耐え、選手たちが自信を持ったことも大きな意味があったであろう。南アフリカ戦最後の場面、ペナルティーキックでゴールを奪い3点獲得して引き分けに持ち込める場面で、ジョーンズ氏は引き分けをの意見だったが、選手たちはペナルティーキックではなく5点とれるトライに挑み、遂に勝ってしまった。失敗するかも知れない、その時は負けになる、でも勝利を目指してやりぬくんだと、決めたのは選手達であり、それをやりぬいたことは素晴らしいことだと思う。もし成功せず、負けたとしても引き分けねらいの作戦より、選手には大きなものが残ったであろう。勝ったのだからなおのことだ。
ところが、ジョーンズ氏は日本ラグビー界の古臭い体質にあきれ果て、日本代表を去る。ジョーンズHCの不在のもと、選手たちは出る杭を打つ奴らをぶっ飛ばせるだろうか?選手達の本当の正念場はこれからなのではないだろうか。是非是非出る杭を打つ奴等をぶっとばし本当の活力をもたらしてほしい。今度の成果が一過性のものとならないためにも。

ところで出る杭を打つって久しぶりに目にしたと書いたが、本当は日本の社会全般に、そんな状態がはびこっているのではないか? 日本の政界も似たようなと言うよりもっとひどい状態にあるような気がする。自民党内は「物言えば唇寒し・・・」というか、それを過ぎてあたかも「大政翼賛会」のような体を呈している。正常な状態になれるかどうか鼎の軽重を問われる時は近い。克服できないなら、これをぶっ飛ばさねばならない。選挙が待ち遠しい。日本の有権者も正念場を迎えることになる。

2015年10月31日土曜日

おお!やく みつる 氏

ここにコピーを載せたいぐらい。某紙に載った、やく氏の風刺漫画。漫画は首相と思しき人が座ってテレビを見ている。その横顔はちょっと複雑そう。でも彼は拍手をしているが、喝采ではないような。テレビには辺野古阻止!!、辺野古建設反対!のプラカードが踊り、おジイとおバアが・・・・・。
題して「沖縄のおジイ、おバアも体を張って・・・--- 一億総活躍社会とはこれか」。
座布団何枚あげようか。

2015年10月30日金曜日

10月6日:ドライブ=>支笏湖=>千歳&帰途

最終日、千歳で返却することにしてまた車を借りる事にして、荷物をレンタカー会社に預け、もう一か所行きたいところへ出かけた。
北大の付属植物園。入園して少し北へ行くと、芝生の広場があり、そのはずれに紫ブナがドーンと頑張っている。私はどういうわけか、この木が好きで、植物園に行けば必ずこの木の傍に行き、しばしその木陰で一休みする。今回もそうすることにした。緑が目に染みる。
写真はクリックすると大きくなります。



上の写真左は出入り口直ぐ北にある、おおフキ(秋田蕗)、右は出入り口近く南側の地域で多種の松が集められている。

さて、レンタカーして札幌の南、真駒内から道道512号札幌支笏湖線をたどって支笏湖へ。前は中央バスが走っていたのに今は路線が廃止されている。登ったり降りたりの丘陵地帯を走り恵庭岳の裾に出て支笏湖にいたるこのコースが好きで、バスがないならしかたないと車を借りた。紅葉には早かったが、とても気持ちの良いドライブだった。
湖畔から眺める恵庭岳(左)と樽前岳(右)。写真をクリックすると大きくなって、両方の山が水蒸気を吐いているのが見えます。恵庭岳は頂上の右側ほんの少しですが出ています。樽前岳はドーム中央部分から出ています。恵庭岳の左側の斜面は札幌オリンピックの際に、滑降競技に使われましたが、今は元の原生林に戻っています。
借りた車。快適でした。 積丹の時もそうだったが、特に必要はなかったのだけれど、ちょっと興味があってカーナビを利用した。入力し直して現在位置を問うとチャン正しく知らせる。GPSを利用してるのだろう。これで、実はレンタカー会社は貸した車がどこにいるか把握できるのかもしれない。それはともあれ、ちゃんと運転者のドライブ技術まで監視しているのには恐れ入った。積丹の時も、今回も目的地に着くと、「スピード変化の少ない、安定したアクセルワークで、エコドライブでした。」と出て来た。裏返せば、なんの面白みもないツマラナイ運転をしてたなと言う事になる。余計なお世話でもある。
夕刻千歳発の飛行機で帰って来た。下左、白老付近の海岸線でしょうか、右上の方に雲の上に羊蹄山がちょっと頭を出しています(クリックしてみてください)。下右、渡島半島(函館付近)が右手に、下北半島(尻屋崎付近)が左手に見えている。

2015年10月28日水曜日

10月5日;ポプラ並木付近で


午前中、植物園に行ってみたら月曜日は休み。道庁あたりをぶらぶらして、昼食時には、連れあい殿も旧交を温めに、私も元同僚と落ちあった。彼が予約しておいてくれたレストランへ。同じ研究室にいた者同士、対立したこともあったが、歳を経て、じわっと兄弟のような気分がわいてくる。窓から、ビルのジャングルの感が強くなった札幌が展開している。西岡のグリーンが後退した感じだった。右の奥に見える山は支笏湖の傍にある恵庭岳。写真はクリックすると大きくなる。
午後は北大へ。親しかった方々を訪ねて、しばらく話しをしてきた。スタッフとなって戻ってきている教え子とも会えた。安心して帰れる。
2004年の台風では、札幌市内の町のあちこちで木々が倒れ、大変な騒ぎだった。(そう、あのときは人間ドックで病院内にいて、そんなに激しい風が吹いたとは気付かず、外に出て、木は倒れている、道路の信号は止まってしまって、そろそろと車を走らせて帰ったことを思い出した)
北大のポプラ並木もかなりやられて寂しい事になっていたが、その後どうなっているか見に行って来た。並木としてはまだまだみすぼらしいけど、新たに植えた若木が徐々に育っている。

ポプラ並木の傍で、青色の花の群落を見た。なんて言う名の植物なんだろう。
ついでに、ニワウルシの種とナナカマド.写真はクリックすると大きくなります。

2015年10月24日土曜日

閑話休題;ビデオ版理科で遊ぼう会@エフエムさがみ


7月2日に放送のエフエムさがみの「エコde行こう相模原」に出演したことはこのブログでもふれたが、その後、相模原市商工会議所の都市産業研究会がエフエムさがみに持っている「一緒に考えよう 相模原の未来 日本の未来」にも出演し、10月10日に放送(10月11日に再放送)された。
都市産業研究会がホームページに放送内容をビデオ化してアップしてくださった。7月2日分も放送内容のCDをいただいたので、音声をDLして会の活動状況を写した写真を使って、スライドショーと音声を合体したビデオを作成理科の会のホームページにアップした。ちょっとご覧に入れてみたい。

先ずは7月2日分の「エコde行こう相模原」

都市産業研究会の了解を得たので、アップします。もしよかったら視聴ください。「一緒に考えよう 相模原の未来 日本の未来」10月10日放送(10月11日再放送)

2015年10月19日月曜日

10月4日:ドライブ=>積丹岬、余市、赤井川、小樽

日曜日だ。札幌へ行ったら是非もう一度行きたかったのは積丹半島の積丹岬(神威岬ではなく)。レンタカーして積丹岬へ。初めてカーナビ付き車を運転。札幌北部から高速に乗り小樽まで、小樽市街を通過して塩谷、余市、・・・入舸へ。入舸は積丹半島北側の岬、積丹岬にある。ここの島武意海岸(ニセコ積丹小樽海岸国定公園の一部)がとても好きである。崖の中腹をくぐるトンネルがあって、それを通り抜けて崖を下ると、海岸に降りられるのだが、残念なことに、工事中とて海岸に降りることはできなかった。どの写真もクリックすると大きくなります。
しばらく景色を眺め、お腹がすいたので帰路に、美国、古平には街道沿いに沢山のお寿司屋さんがある。美国でその一つに入り、豪華なちらしずしと新鮮なさんまの刺身を堪能。
そして古平を経て余市へ。連れあい殿飲める口じゃないのに盛んにニッカの工場見学をしようとのたまうので、寄り道した。右は竹鶴氏の業績を紹介。復元された旧宅近辺にあった木の実を紹介しよう。下の右の写真はナナカマド。七回もかまどにくべても燃え切らないことから付いた名前との説が流布されているが真偽のほどは知らない。赤い実は羆の好物。
下二つの写真、左からエゾノコリンゴ、オンコ(イチイ)。実は焼酎に漬けて果実酒に良くあうらしい。
試飲室があったのだ。連れあい殿は運転できない。それをいいことに彼女はシングルモルトの良い香りを楽しんでる。私は甘いリンゴジュースで渋い顔。悔しいからその対比の写真は載せない。

余市からは来た道をたどらず、海岸線から離れて、赤井川村を経て小樽へ抜けるルートをとった。10年間に砂利道も舗装され、くねくね曲がってた部分が直線になってしまってたり。カラマツ林はどこへ行ったのだろう。(景色が変わっていて気が付かなかったらしい、調べるとちゃんと現存していた)
冷水峠を越えて小樽の領域に入り山道を下り、小樽の東側に出てくる。つずら折れの道に差し掛かったあたり、毛無山中腹に展望台あり、写真を撮った。左は夕日を浴びた小樽市街。港の向こうは祝津。赤岩と言うロッククライミングの名所がある。右、毛無山から増毛を望む!手前の街は朝里。石狩湾の向こうに微かに海岸線が見える。浜益とか増毛、そしてその後ろに暑寒別山系が見えるはずなのだが。
こんな具合で、ドライブと景色を楽しんできた。
夜はジンギスカン鍋をつつきに出て、帰りはぶらりと歩いて宿へ帰った。大通り公園では沢山テントを張って何やら祭。蜂蜜をいっぱいつけたソフトクリームをシェア―しながら華やかなテレビ塔のデコレーションを眺めた。

2015年10月17日土曜日

10月3日;函館=>札幌

北海道旅行話に戻ろう。
朝早く起きた。ホテルの窓から港が見えてイカ釣り船が停泊していた。前夜の海鮮料理、特にイカ刺しが思いだされる。雨が降っているが、大荒れの予測に反して穏やか。
写真はクリックすると大きくなります。スーパー特急北斗で札幌へ移動する。列車が函館を出るころは晴れ間が多くなっていた。列車は大沼、倶知安、洞爺、東室蘭と、噴火湾をぐるーっと周って、登別、苫小牧、千歳、札幌へ行くのだが、なんで噴火湾と名づけられたんでしょうね。この湾は一大カルデラの縁をなしてるんじゃないかなんて思って、地球物理の先生に尋ねたことがある。大沼の傍には秀峰駒ケ岳、洞爺湖の南、海に接するように有珠山や昭和新山、洞爺湖の北側にはニセコの火山群、東には登別だってある。だけど、彼曰く、自分は火山学の専門ではないが、聞いた話では噴火湾がカルデラである証拠は見つからないらしいよ。同じような疑問を持って調べた人があるようでした。
大沼駅の手前、小沼の向こうに見える駒ケ岳、登別を過ぎて苫小牧に近づくと見えてくる樽前山、いずれも車窓からの写真。

ほぼ半世紀前に上野を発って、青函連絡船で北海道に渡り、早朝の列車で(当時はディーゼル列車だった)大沼あたりのちょっぴりエキゾチックな景色に感動したことを思い出し、ノスタルジックな気分にひたった。
どうしても、百年記念塔周辺が又見たくって、新札幌で列車を降り、百年記念館(現博物館)を尋ね、その後百年記念塔のあたりをぶらぶら。塔はやはりかなりさびてました。再び新札幌から列車で札幌の宿に入った。夜は連れあい殿は昔のサークル仲間と、私は高校、大学が同じで、同じ職場で同僚として働き、同時に退職した友人と夕食を共にした。数年ぶりに会う彼はほとんど変わってなかったが、この頃、日ハム(野球チーム)が負けると、何とも癪に障るんだと言う。現役の時からは想像もできない言を聞いて、「へ―!君から、そんなことを聞くとは思わなかった」と、歳をとったことを確認した。私も少年時代、オリオンズファンだった。 私も、千葉ロッテマリーンズがソフトバンクに敗退したことを悔しがってる。

2015年10月16日金曜日

変だよ・・・・(2)


市との協働事業3年間、そして市と市民協働の基金ゆめの芽の支援3年間が終わり、来年度から理科で遊ぼう会の事業は新たな段階に入る。来年度の活動の助成を受けるべく、いろんな機関への応募書類を調べているが、ふーんとうなっちゃうことにぶつかる。

謝金が一つの関心事なのだが、ある助成団体の説明に
「外部講師、ボランティアへの謝金はOK」とあった。これなら会員への謝金も払えるのかなと思って読み進むと、 「会員の交通費はよいが、会員への謝金はNO」とある!はぁァーーーー!である。変じゃない?と電話をかけてみた。

曰く「そのボランティアというのは、例えば学生さんに頼んで、会の活動を支援してもらうようなケースです。」そこで、我々は児童一人一人の理科実験の教材を手作りで作って、数人で学校などの授業へ持って行って、1人が5-6人の児童の実験を支援しています。これをボランティアと言わずして何と言うのでしょうか?と問うた。
「はあ、会員はこの場合のボランティアではないんです。」つまりは、受益者負担をとって、それを謝金にあてろということなのでしょうか?
だけど、学校にはお金がない。児童から集めるのも、給食費すら大変なのに、学校にそれ以上の雑事を背負い込んでもらう事は期待できない。

いや、そもそも、われわれの事業は子ども達の現在の成績向上とか、受験突破支援をねらったものではないのです。この実験を経験した子たちの中から、2,30年後に、1人でも多くの子が、自ら進んで新たなことに取り組む人に成長してくれること、我々が提供する実体験が、子ども達がいつか独自に頑張る人へ育つのに、背中を押すであろうことを願い、その揺り籠であろうとする事業なのです。受益者は児童個人と云うより、未来社会が受益者だと言いたい事業なのです。

直ぐに結果が見えると期待できる事業なら、個々から受益者負担をもらっても良いかもしれないが、未来社会への貢献を願っての事業。それも、我々が募集をかけて実施する事業ではないのです。なぜなら募集をかける場合、どうしても、親の意識が高い家庭の子が主な対象となってしまう事になる。そこから外れた子の中にだって、将来貢献する人に育つポテンシャルを持っていてもおかしくないのです。学校へ行く所以はそこにあります。

こういうものは、自腹切ってやりなさいと言うのでしょうか?「はあ今のところは、制度がそうなっているので、私としては、会員への謝金はダメとしかお答えできません。」が返って来た。何とか少しでもメンバーにやった甲斐を感じてもらいたい、少しは報われた感じを持って活動を持続してもらいたいと願う代表としては、絶句しかなかった。

アアそれじゃ、幹部4人ぐらいが別の会を作って、残りの方をボランティアとしてお願いするケースはありかなと考えたが、姑息過ぎるよねー。代表としては、やはり正々堂々の手を考えるしかない。思案投げ首をしている。直ぐに役立つ事を求めない、未来志向の、未来への投資をしてくれる基金は無いものか?

追伸
残念な話を知りました。上に書いた話をしたら、即座に、そりゃそうだよ、内部の謝金が不正の温床だからと。

2015年10月14日水曜日

変だよ・・・(1)


ある懇親会での事。
2年前に小学校の先生を退職され、現在も現役の先生達を補う役で、まだ小学校へ行っておられる、ある先生と並んでビールを傾けながら話した。来年からはもう学校へは行かないとさびしげである。よくよく聞いたら「もう、本当に、やる気を失った。」と言われる。彼は本当に子ども達の事をよく考えた良い先生と思ってるだけに、驚愕した。

理由たるやこうである:ある学校で、勉強をちゃんとやらない子がいて、どうしてなんだろうと思っていると、同級生達は「塾では熱心に勉強しているよ。」と言うのだそうだ。「そうなら、学校でもちゃんとすればいいのにネ」と言ったら、子ども達は何と言ったと思います?と彼は私に問うた。「だって、学校にはお金を払ってないけど、塾にはお金払ってるんだもん。」だそうである。唖然を超えた。親の顔が見たい!も超えた。その親達を一列に並べて、全員にビンタを食らわしたい気分!

今の小学生達の親たちは世代的には娘とほぼ同じか、少し若い人たち。娘は何と言うか聞かねばなるまい。

10月2日函館


札幌に行ってきた。折角北海道に行くのだから、函館のイカをもう一度食べたいと、羽田発で函館に飛ぶ。函館空港は初めて。宿に荷物を置いて、五稜郭へ。実は初めての訪問。
五稜郭内に再建されている奉行所、中は佐渡の奉行所と似たり寄ったり。図面を写した写真の灰色部分が再建されていて、黄色部分は遺構のみ。
掘は一重かと思ったら、内側に空堀があった。土塁も高く構築されていた。五稜郭の外に塔が出来ていて、五稜郭を一望できた。形状など、工夫を凝らした構造だなと思うけど、敵に囲まれてしまったらどうにもならんだろうなと思う。松前藩との連携をしっかり持っていたんだろうけど、幕末期はちょっとしか抵抗できなかった。

一旦宿に引き揚げて、函館駅近くの海鮮居酒屋へ。どうしても新鮮なイカ刺しが食べたかった。海が荒れたのでちょっと高かったが、こればっかりは頑張って食すことに。少し硬かったが、胴と足の部分も刺身に。お店の人の勧め方が上手くって、ついでにズワイガニの刺身も。
歳の割には食い過ぎですな―。北海シマエビ、そして鰈の唐揚げまで。鰈の唐揚げは懐かしい。なにせほぼ半世紀前、北海道に渡って最初の一年は下宿生活だったが、そこの夕食のごちそうと言えば、鰈の唐揚げだった。懐かしくってつい全て食べた。満腹。
歳を顧みず、ついつい・・・・。