2009年12月31日木曜日

冬の雲間

昨夜まで三晩、町内会の防犯防火の夜回りをしました。昨晩はほぼ満月。オリオン座のそばにいて、オリオンの三つ星がぼんやりしか見えませんでした。シリウスはさすが負けてませんでした。こんなときしか夜空を見なくなっちゃったんだなーと、しげしげと見ていました。

今朝は晴れていたのですが、ほんの一時でしたが、昼間急に曇り、南の方の雲の様子が今にも雪となりそうなふんわりした垂れ下り方。陽光は雲間からちょっと漏れてるのみ。

久方の 光さし来る 雲間には
 冬将軍の 忍び寄るらし (権兵衛)

なんちゃって。下手の横好きです。


本年は忙しくなってしまって、ブログ更新もままならなくなりました。来年も同じかも知れませんが、気がつくことがあれば書いていこうと思います。
皆さまにとって、よいお年となりますように。

2009年12月19日土曜日

おもちゃ病院:上溝南子どもセンター


これまで不定期に年2回だけ開院されていた、上溝南子どもセンターでのおもちゃの病院。今月から偶数月の第3土曜日に定期的に開院することになりました。
今日は数件のおもちゃが来院しました。
右の写真は、待ち望んでいたような光景。おもちゃ医師の前に沢山の子供たちが修理の様子を覗き込んでいます。これぞ、おもちゃ病院が望む光景です。液漏れでだめになった電池をつけたままのおもちゃも来院。「電池はね、お猿さんと違って、お尻が赤くなっちゃうとダメになっちゃうんだよ」なんて話しながら直してる好々爺医師。
12時に病院を閉じて、子供クラブの児たちからキャンディーをプレゼントされて、おもちゃ医師達は相好を崩して帰ってきました。

2009年12月12日土曜日

新しい相模原アクリル淡彩スケッチ100景

という、加藤忠一氏の個展が市民ギャラリー(相模原駅のところ)で行われている。同氏とは初めて面識を得たが、ちょっとしたことで、かなり前から互いに名前を知り合う関係にあった。今日会場を訪ねて、絵を見せていただいた。すぐに乾いてしまうので、大きな絵は描けないとのことだったが、水彩画とは似ていて、つやというか、どこか違う。
絵を見ながら進むと、おや、どこかで見たようなという景色がどんどん出てくる。それもそうだった、仲間のNさんやOちゃんがたくさん紹介して下さった写真の景色と重なる。
油絵から転身してアクリル淡彩を考え出したとのこと。ご興味あればご覧になってはいかがでしょう。

2009年12月4日金曜日

結露の季節:網戸の効用(2)

今朝はしばらくぶりに窓に結露しました。11月20日に当ブログに、網戸が前にある窓と、ない窓で結露の仕方が違うと報告しました。もう一度その写真を左に載せます。クリヤーな右の窓の前には網戸があり、左の窓にはありません。
お仲間の一人から、気になるので、網戸の位置を逆にしたらどうなるか、検証して!と注文がつき、なるほどなるほどと網戸の位置を変えて待っていました。

下の写真は今朝撮った写真で、今度は左の窓の前に網戸があり、右の窓の前に網戸がありません。
11月20日と条件(室内外の湿度差、温度差)は同じではないでしょうから、定量性を持った議論はできませんが、はっきりと傾向の差は出ましたね。
なお、写真中、横向きの桟の下は両方とも曇って見えますが、これは曇りガラスですので差が見えません。紛らわしくってすみません。

2009年12月3日木曜日

姫路城

姫路城が改修のためすっぽり覆われてしまうらしい。改修後の姿も楽しみだが、再見できるかどうか分かったものでもない。(西の丸の建物の改修はすでに始まっていた。)いい時に来たもんだと、じっくり眺めてきた。千姫も西の丸に住んだという。その西の丸からの天守閣の眺めが格別である(写真左)。

天下人になる直前の秀吉がまずここを本拠とするつもりで城を増改築、山側にあった道、山陽道?、を曲げて、姫路を通るようにし、城下町の形成を図ったとのこと。その後、家康の意を受けた池田輝政が大改築を行った。江戸時代に入ってからは徳川家の重臣中の重臣や親藩たち、本多、松平、榊原、酒井が入れ替わりでこの城を預かった。西国に対する備えの前線拠点という意味があったのだろう。


本丸、天主閣に至るには、下から螺旋状にぐるぐる回らないといけないようにできていて、急に門のところで狭くなったり。まあ取り巻かれてしまえばおしまいだろうけど、簡単には落ちないように設計されている。

世界遺産という事であるが、天主の窓の前にある格子(?)はコンクリだった。長い期間の保存を考えると、いたしかたないのかな?

内堀の外の西側にある好古園もなかなかいいお庭で楽しめた。写真をクリックすると大きくなります。

西国霊場第27番書写山円教寺

姫路は西国霊場第27番書写山円教寺へ。Tさんがこのお寺の訪問記を記しておられたような気がするが、間違いかも。姫路駅から北西にバスで約30分、終点からロープウェイ、窓からの紅葉がなかなか素晴らしかった。山頂駅付近に和泉式部のことを書いた看板がだいぶ出てたが、和泉式部とのかかわりが強いらしい。
山中を走るマイクロバスで(つれあい殿が足を痛めてなかったら、ロープウェイ山頂駅から歩いたのだが。マイクロバスでは・・・・・)京都の清水さんのような舞台式のお堂のそばに到着。お堂では般若心教を唱えるグループがあり、私も後ろでそっと暗唱。

そこから奥へは徒歩。お坊さんたちが寝起きしたという食堂(”しょくどう”でなくって”じきどう”だそうで)。このお寺の縁起絵巻を前日まで展示していたとのこと、残念。毛筆で書いた和泉式部の歌をあーだこうだと”解読”。仏像群、鬼がわらなどが展示されている。武蔵坊弁慶とのかかわりもあるとかで、ほかにも沢山お堂があるが、ここから引き返した。
深山の中のお寺、修行をするにはもってこいのような所で、霊場と云うに相応しいような気がした。

2009年12月2日水曜日

倉敷

岡山に用事が出来たついでに、倉敷と姫路に寄って3日間の旅をしてきました。N700ののぞみに初めて乗りました。車窓から見た紅葉がとてもよかった。
まずは倉敷から。お昼に食べたびっくり寿司。まっことびっくり。ちらし寿司の真ん中にジャンボ巻き寿司。巻物の真ん中には沢山のお魚が鎮座してて、お皿にとってほぐして食べました。酢の効き方はほんのりで、醤油というか、たまりはほのかに甘めでした。江戸前の酢の効いたお寿司になれた人には、たよりないかもしれないと思いましたが、素材の豊富さに、大満足でした。


大原美術館は学生時代に行った時、棟方志功の作品が沢山展示されていた記憶があるのですが、ほんの少ししかなくって、それはちょっぴり残念。でも児島虎次郎がヨーロッパを歩いて集めた作品から始まって、その後の収集の結果はとても素晴らしく、堪能しました。本館正面玄関では二つのロダンの彫刻がが迎えてくれました。

児島虎次郎記念館も良かったですよ。


運河のそばの大原邸の白壁に沿ってもみじがとてもきれいでした。


写真をクリックすると大きくなります。

2009年11月23日月曜日

下荻野のノリタケ工場と直売店


厚木は下荻野にあるノリタケの工場が名古屋に撤退するそうで、工場の前にある直売店も閉店セールをしています。覗きに行こうと出かけました。ボックスという売り場とパレットという売り場があり後者はちょっと高級感があるものを売っています。今はボックスで閉店セール。20%オフ(中には50%オフのも)で売っていました。沢山のお客さんで混雑していました。パレットは12月1日から閉店セールだそうです。

店の中のレストランでランチを取ろうかと言って出かけたのですが、沢山のお客さんの待ち行列。すっかり諦め、食器をちょこちょこと買って、帰路の途中、ファーストフードの店で済ませて帰ってきました。

写真をクリックすると大きくなります。

2009年11月20日金曜日

結露の季節:網戸の効用

結露の季節となりました。これから毎朝、結露拭きサービスは私のお仕事。
気がつきましたか?写真の右側はクリヤー、左側は結露で曇っています。右側は布巾使用後ではなくって、右側は拭く前からクリヤーです。
その差は何か?右の窓の前には網戸があるのです。この傾向は他の窓でも同じです。前に網戸がある側の窓は曇っても、網戸のない窓より、結露の仕方はぐっと少ないのです。(注;写真に見える斜めの網の目の線はガラスの中に埋め込まれている線で、写真では問題の網戸の網は見えてません)
網戸は全くの透け透けなのに、ちゃんと網戸の外の外気と網戸と窓ガラスの間の空気の間に界面を作って、外気とは違う空気の層をつくってるのでしょうね。
冬山スキーの時、網シャツを着て洋服の下に空気の層を作って保温効率を良くしようとしますがね。
それにしてもあの透け透けの網がね~。

2009年11月17日火曜日

Num lkキー

パソコンいじって、どこをどうしたかわからなかったのだが、急にmを押すと0、j,k,l,u,i,oを押すとそれぞれ、1,2,3,4,5,6と入っちゃう。Fnキーを押しながらこれらのキーを押すともともとの文字が出てくると云うような事になってしまった。
どうやったら元に戻るのか分からず、にらめっこしてたが、痺れを切らしてパソコンメイカーの相談口に電話した。待たされるんだよね~これが。8分待って、対応した人に症状を告げると、こともなげに、多分右上の方にあるNum lkキーを押してしまったのでしょう。もう一度そこを押してください。元に戻ります。
チェックをする作業を入れても20秒かな。ううう~~~~んでした。

2009年11月16日月曜日

笛仲間:中津川フィールド


日曜日にmixiの笛作り仲間数人が中津川フィールドに集まって、竹を取ったり、おいしいトン汁やらお稲荷さんやらをいただいて、楽しく数時間を過ごしました。温かい日和で何ともくつろいだひと時でした。
TさんThank you very much!!

Qさんがオカリナを吹いて、自作の笛もみせてくださいました。仕上がりが奇麗。
M&Tご夫妻も興味を持って参加され、Tさんが横笛尺八に挑戦。最初吹いてもスースーだったのに、すぐにこなし始めました。どうやらTさんが作り出しそう。

中野から参加のwakyuさん、自分で龍笛を作ってられるのですが、実にきれいな音で吹いてくださいました。
私が作った龍笛モドキも実に美しい音で、音程もあってると言ってくださったので、これは一安心。だけど吹く力はダンチ。ほんのちょっと上達したと思っていたのですが、もっともっと精進しないとネ。
wakyuさんは”竹取りがこんなに楽しいとは”と言いながらメジャーで測って龍笛作りに適当と思われる篠竹を沢山取って、にこにこ顔で帰られました。

2009年11月5日木曜日

灯台もと暗し

6月だったか、お仲間のQQさんが携帯で携帯探しの川柳を
ご自分のブログに載せてられたが、私もやっちゃいました。

そこで狂歌で

携帯で わが携帯を 探さんと
呼べば鳴ってる 胸ポケットで

ひどいものです・・・・ネ!

2009年11月3日火曜日

ベランダでホトトギスが咲いた


昨年、ご近所の方から、いただいたホトトギス。強いから咲きますよとおっしゃってたが、夏のベランダの暑さにやられて萎れた時もあったのに、咲きました。好きな花です。

2009年9月13日日曜日

引き出物

姪の結婚式の後にいただいてきた引き出物を、アイデアだな~と思いますので紹介します。
左の瓶づめがそうで、中身は杏子のマーマレード。ただの杏子のマーマレードではなく、新郎のお母さんがバッハウ産の杏子を使って作ったマーマレードです。ラベルにはそのお母さんが描いた花の絵、そして、新婦・新郎の名前、次に杏子のマーマレードであることが書いてあり、下に産地バッハウが表記されてます。上に巻いたきれはしとリボンは新婦が準備したものでした。
心温まるおもてなしの一つのような気がしました。まろやかないい味でした。

左の札は披露宴に置いてあった、席の札で、ここにも新郎のお母さんの絵がそえてありました。新しい家庭のありようが垣間見えるようで、嬉しくいただいてきました。

2009年9月9日水曜日

Jungfraujoch

Kleine Scheideggで1時間ぐらいぶらぶら(左、そこからのアイガー北壁の眺め)しながら高地ならしをしました。実はこの地点はあまり高いとは言えないので、暗示作戦。
Jungfrauです。ヨーロッパで一番高い山。Kleine ScheideggからJungfraujochへ別の登山電車に乗ります。よくぞ開けたな~と云うトンネルの中を電車は力強く登りました。

Jungfraujochは次の写真のMönchとJungfrauの中間にある肩の部分にあたりますが、そこからのAletsch氷河の眺め。荘大です
Jungfrauの隣の山Mönch
1時間半いただけで下へ降りました。その辺がいいとこと云う判断です。Kleine Scheideggまで降りて来たら、今度はマラソンのゴール風景が待ち構えていました。Interlarkenから片道でこの地点までひたすら登る42.195km。かなり過酷なレースです。背の高いヨーロッパ人らしい人が記念写真を撮ってたので聞いたら5時間ちょっとかかったとか。日本人も可成り参加してたようです。2,3の人と挨拶しました。Kleine Scheideggから一緒になったドイツ人は途中で棄権したとかで、かなり具合が悪そう。電車はゆっくり走る。本人は具合悪さをこらえている様子。タクシーで病院に行くと言って、グリンデルワルドの一駅手前で電車を降りて行きました。
最後に夕方宿のベランダからアイガーの横に見た夕日に輝く雪山です。

翌朝7時49分グリンデルワルド発の電車に乗り、InterlarkenとBernで列車を乗り換えて、チューリッヒ空港へ10時50分に到着。13時発の飛行機で帰途につきました。

旅の最初は親族のめでたい結婚式に出席、あとはふらりと出た旅の体でした。最初はマッターホルンだけで帰ろうという計画だったのですが、計画の段階でJungfraujochまで延ばすことにしました。せっかくスイスまで行くんだから、と云う意味のほか、実は我々にとって身近な者の足跡をたどる旅路の一部でもありました。

2009年9月8日火曜日

ベルン&グリンデルワルド

9月4日マッターホルンをもう一度見たいと思いましたが、早めに汽車に乗りました。予定をちょっと変えてスイスの首都ベルンを見たいという気が起こったのでした。車中で4人で向かい合う席に私たちと25,6歳の眼のくりくりっとした可愛いドイツ女性と席が一緒になりました。さて何を話そうかと考えてるうちに、連れ合い殿が口火を切りました。彼女は自分の英語力なんか全く気にしない。聞きたければ何とかして聞きたい、話したければ何とかして話したい人で、これが彼の人の特質と認めてるのですが、今回もヒエーと云いたくなるような英語で何とか相手を巻きこんでました。
ドイツ人女性はチューリッヒ空港からベルリンに帰るとか。仕事をしてるようですが、1週間休暇をとってツエルマット周辺を歩いてたとのことです。ゆったりした余裕を感じましたネ。途中ベルンを経由してチューリッヒの方へ向かう列車に乗り換えたのですが、われわれは荷物が多かったので列車の1階にいて連れ合い殿を座らせて私が立っていたら、2階に行った彼のドイツ女性わざわざ2階が空いてるよと、呼びに来て、荷物を運び上げてくれる親切。又しばらく3人で話していました。ベルンでそのまま汽車旅行を続ける彼女と別れましたが、わざわざ1階まで下りて来ようと云う彼女を制してその場で別れました。なんだかやさしい日本女性を見てるようなウエットさに驚きを感じました。
左はベルンの旧市街の中央通り、石畳の道にトロリーバスが走ってます。向かいは時計塔。雨が降ったりやんだりでした。その中央通りにアインシュタインが住んだ家が博物館のような感じで、保存されてました。アインシュタインは実力がなかなか認められず、この街にあった特許局で働いていたのでした。

特許局の仕事は氏の力からすれば、退屈なものであったに違いありませんが、家庭を守るため働き、右上の写真に見える部屋で、特殊相対論を作り上げたのでした。窓の下からは市街のざわめきがきこえたでしょう。いろんな資料が簡単に手に入る研究室でもありません。議論をする相手もなかったでしょう。こんな環境下であの理論を作ったのかと思うと、ここが聖地のように思えて、なんとも立ち去り難い感動を覚え、しばしたたずみました。
ベルンの駅で、サンドイッチと飲み物を買って立食。うんとケチケチ旅行です。それから汽車に乗って雨模様のグリンデルワルドへ。宿のベランダの目の前にアイガー北壁がそびえていて、何とラッキーなこと。
翌朝は打って変わって晴れてきました。朝の内の雲間のアイガー
Grindelwaldから見た雲の上のJungfrauです。
Jungfrau jochへの登山電車の中継駅Kleine Scheideggからの眺めを。アイガー北壁と、アイガー氷河が見えてます。

写真はクリックすると大きくなります。

2009年9月5日土曜日

ツェルマットにて

31日夕刻にウイーンに戻り、一泊。翌、空路チューリッヒに戻りそこに一泊しました。チュウリッヒでは、夕食後に中央駅を通ったら、その広場で懐かしいバンドの演奏が行われていました。ABBA 99 revivalband.我々もしばしの間、聞いていましたが、ヨーロッパでは根強い人気があるようですね。



翌朝、チューリッヒからツェルマットへ。途中から氷河急行に乗り換えました。日本にも昔上越線んで見かけた、アブト式のレールウェイを運行する様なところもありました。車窓からの眺め。



ツェルマットには夕方着きました。翌日は登山電車で3089m地点Gornergratまで登りました。先ずはマッターホルンです。雲がかかっていてなかなか姿を現しません。私たちは高山病が気がかりだったのですが、やはりかかったようで、時々頭がフラッときたり、おならを連発したり、食欲がなかったり。しかし沢山の氷河や氷の荒々しい景色に、普段見ない迫力を感じた次第。その様子をアップします。お疲れヨーゼフたち、そして山隗と氷河の迫力。



ここに2時間いたのですが、連れ合い殿がはすっかり調子を悪くしてしまったので、一旦下に降り、軽く昼食をとって、今度は2288mぐらいにある別のポイントSunnegga paradiseに出かけました。ここはマッターホルンの展望台。しかし頭隠して・・・・です。夕方近く諦めて帰ろうかと思ったころ。少し隠れてますが、ほぼ姿を見せてくれました。





このあと、グリンデルワルドに寄ってアイガー、ユングフラウヨッフォを眺めて帰ります。

2009年9月4日金曜日

バッハウ渓谷とバイセンキルヘン

ポスト結婚式の行事とて、新郎の両親が住むバイセンキルヘンに招待されて、伺いました。この地はドナウ川の最も美しい地域と言われるバッハウ渓谷の中ほどにあります。
ウイーンから汽車でクレムスまで行き、そこで大修道院を見学。補修されたものですが、なかなか立派でした。おカネを出すと修道士が展示物の説明をしてくれるのですが、われわれは自分で読んで、分からないと、仲間に説明してもらって、なんとか済ませました。

クレムスからドュルシュタインまでドナウ川下りです。水量は豊富で、緩やかな谷間の流れに船は身を任せるようなゆったりした運航でした。
その夜は新郎の両親宅で、ささやかな宴。ワインテーストのあといろんな話をし、私は持参した自作の笛で越天楽(新番)を吹きました。お祝いのつもりで。まあまあの出来でした。

ウイーンはこれで3度目ですが、いつも思うことは、ドナウ川の流れが濁っていて、どうして「美しき青きドナウ」なのかと疑問を持ち、また今回の川下りでも、周りの景観は素晴らしいのですが、川面に関しては以前と同じ印象を持ちました。














しかし、翌朝、渓谷の丘の上から見下ろしたドナウの川面は違って見えました。もちろん空が晴れていたからですが、まさに「美しき青きドナウ」でした。見るところから見ればそうなのだな~と思ったことでした。
午後はホイリゲに呼んでもらい、ワインで軽い夕食を共にし(私たち夫婦はイノシシニクのパテとソーセージ)、途中で大変申し訳なかったのですが辞去して、一足早くウイーンに戻りました。

近くのバス停まで二人の姪たちが”笛のおじさん”と”着物のおばさん”を送ってくれました。これからずーっとヨーロッパに住む姪たちが強く生きて行ってくれるよう願いながら手を振りあいました。