2010年7月29日木曜日

フランス安宿旅行9;オルセイ美術館、帰国へ

20日帰国の日。荷物をオペラ座近くのJCBラウンジに預かってもらって、オルセイ美術館へ。空港へのバスがオペラ座そばから出るので大変助かった。オフィスの方たちもとても親切で感じ良く、ホッとする所。
オルセイ美術館はセーヌ川を隔ててオランジェリー美術館の対岸にある。長い行列の後、セキュリティーチェックを受けて入場。残念にもNO photoだそうである。でも写真を撮っている人がいる。No photoだよって注意したら、"Yes I know"って言って平然と続けていた。これでは確かにお手上げ。
上の写真のように実に立派な建物だが、これはフランス南西部への鉄道ターミナル駅として作られたものが、使われなくなった後、曲折を経て美術館として改造されたとのこと。後期印象派を含めて印象派の作品を中心に多数収蔵されていて、実に見ごたえがあった。ちょうど日本の新国立美術館(8月中旬まで)にかなり貸し出されているにも関わらずだから、大したもの。
館内のレストランで昼食をとって、退出。写真をパチパチとって、JCBラウンジに戻り、荷物を受け取った。バスでシャルルドゴール空港へ向かい帰国へ。

事前に予約したころ(5月)と今とではユーロと円のレートがだいぶ変わっている。このシリーズの中に書いた、宿賃の額はクレディットカードの請求書を見ると予定より安くなっていた。リヨン駅そばのホテルはシャワーのみ朝食付き(凄く簡単でクロワッサンとコーヒー、牛乳くらい)、で1万円ぐらい。主要駅のそばだから仕方ないか。動き回るために移った安宿は、シャワーのみ朝食なしで、7200円ぐらい(訂正しておいた)。ストラスブールの快適なホテルは44ユーロ5000円弱だった(これも訂正)。
ひどい暑さも原因の一つだろうが、帰国して一週間してもまだ疲れはかなり残っている。このようなケチケチ旅行はぼちぼち終わりだろうか。

凄く忙しくなり。今年に入ってからこのブログ、滞りがちでした。コメントをいただいても、忙しさにかまけて、返事がすごく遅れてしまう失礼をしてしまったことがあり、コメントをいただくのを止めていました。
この旅に関しては、。”ケチケチ旅行”というのも、もしかして、独りよがりかもしれないような気がします。何かコメントをいただければ参考にさせて、いただきたいとも思いますので、いただけたらとコメント可能状態に切り替えます。ご意見ありましたらお願いします。

2010年7月28日水曜日

フランス安宿旅行8;再びパリ

7月19日朝TGVに乗ってパリにもどる。左の写真は切符検査のイケメン車掌。ハンティングをかぶっておしゃれです。宿に荷物を置いて直ちに、シテ島界隈散策に。革命の時には王族、貴族が、マリ―・アントワネットも、投獄されていたコンシェルジュリー、裁判所の一角にあり厳しいセキュリティーチェックを受けたが、中は陰惨な感じはぬぐえない。
隣の人気スポット、サント・シャペルでも厳しいセキュリティーチェックを受ける。コンシェルジュリーの入り口で連続の入場券を購入してたので比較的早めに入れたが、サント・シャペルのみの人の列はかなり長かった。中は一部工事中で、埃っぽいのに閉口したが、ステンドグラスはとても綺麗だった。

カフェで一休みしてノートル-ダム大聖堂へ。バラ窓がとても美しいが内部は撮影禁止。しかし守らない人が多い。係の人になぜほっとくの?って聞いたら。お手上げとのこと。下の写真左は大聖堂正面。右は裏の方からのセーヌ川越しの大聖堂全体の姿。

凄く暑かったので、レモン氷水(酸っぱさと冷たさで、頭ガンガン)を買い食いして、ポンピド―センターを外から眺め、午後7時ころになったので街角のビストロで夕食をとって宿へ戻った。
パリで試そうとして、結局、果たさなかったのが、牛のタルタルステーキ。生肉をみじん切りにして、オリーブオイル、塩、胡椒で味付けし、いろんな薬味と卵黄を添えた料理で、隣に座った人が食べてるのを2回も目撃した。食指が動いたが、そして、普通のビーフステーキはレアーを平気で食べるのだが、お腹が変調をきたしそうで勇気が出なかった。

フランス安宿旅行7;ストラスブール

町の中心からトラムで10分ぐらいのところにある、宿はツイン食事つき44ユーロ(5000円弱)。でも広くて快適で、朝食も極上ではないが、種類も豊富。地方都市のホテルは一般的に安いことに加えて、日本も含む自動車会社が軒を並べている地域性もあるかもしれません。
11時過ぎに新郎の親の家でブランチをいただき、午後、新郎新婦をのぞく甥や姪夫婦、弟夫妻らと町に出て、町に流れる川+運河を舟で遊覧。パリとは全く違う落ち着いたいい街で、私はすっかり気に入りました。
ドイツと国境を接する地域にあり、歴史的にはドイツ領になったりフランス領になったりで、今はフランス領として確立していますが、歴史を反映して、ドイツの雰囲気も感じられます。
今度はドイツの黒い森付近から入ってこの辺を歩いてみたいなーなんてふと思うのですが、もうこのような安宿旅行は無理だろうなと言う考えも浮かびます。

2010年7月27日火曜日

フランス安宿旅行6;結婚式

娘、甥、姪達5人の最後の独身者の結婚式。娘と甥はそれぞれ日本人同士の結婚をしたが、それより年下の姪達は皆、国際結婚。きっかけは留学。娘を遠くに離すについては二人の弟夫妻それぞれ勇気は要ったようでした。彼女らは国外に伴侶を見つけ、これからも遠く離れて暮らします。でも、情報通信網の素晴らしい発展と旅行も簡単に出来るようになった今日、水杯のような悲壮感もなく、皆(表面上は)ケロッとしています。
式は親の住まい近くの教会で、同志社大に滞在経験のある方の司祭で行われました。開式の言葉は、フランス語、ドイツ語、ついでタドタドシかったが日本語で(司祭は新婦にこの表現で分かってもらえるか?と尋ねたりしながら)語られ、心打たれるものでした。途中で歌われる聖歌、新郎の妹の独唱、証人たちの言葉(フランス語で語るものあり、日本語で語るものあり)式を進める人たちの一生懸命さが伝わる良い式でした。
着物はわが神さんが何とかかんとか着せました。案外さまになっていました。終わって教会の外で沢山記念写真を撮って、そのあと新郎の母親が吟味の末決めたというホテルへ移動。披露パーティーです。ホテルの庭で談笑しながらのアペタイザー。中に入ってテーブルに着いたのは午後8時を過ぎていたでしょう。(注追記:宇宙政治学を志す新郎のはからいか、テーブル名が面白かった。はやぶさ、かぐや、イカロス、あかり等がならんでいました。JAXAが打ち上げた衛星名ですね。
まず、二人の父親達の話から始まり、それからが長い。先ず手のひらぐらいと見まごうほど大きく厚さ8ミリぐらいのホアグラがドーンと出てきて驚く。そしてビーフステーキ、チーズ盛り合わせ、デザート、と進む間に、仲間によるpptを使った新郎の結婚前の様子や仲間たちが必ず式前に本人にやらせる街中でのどたばた劇(ロンドンまで出かけたらしく街中でラ・マルセイエーズを歌ってる様子(彼は愛国者であるとの話)を見せる)新郎新婦が自分の生い立ちを紹介するppt(最初の親の話と符合して心温まるもの)などが映され。盛り上がって行き、主采のビーフステーキが全体にわたって食べ進んだころ、新郎新婦が先ずワルツを踊り出しました。

そのうち、皆もぞろぞろ中に出てきて踊り出します。神さんもなんとなく踊りたそう。どうも膝の痛みはどこかへ行ってしまうらしい。私もつきあいました。下手だなーと文句を言ってます。そうこうしてデザートが出てきたのは午後11時を過ぎていました。マカロンが沢山くっついたケーキをカットしたものが配られたのはもっと後で、午前1時ごろ。午前2時には帰ろうかなと思っていたのですが、結局我々夫婦と新婦の友達二人がタクシーでホテルに帰り着いたのは午前3時半ごろでした。午前11頃の新郎の親の庭でのブランチまで眠ることになりました。
本当のお開きは皆朦朧としてたのかはっきり返事は聞きませんでしたが、多分午前4時ごろではないかと推測します

閑話休題;昨夜の雷さん

ぼちぼち雨がほしいですねー。相模原地方昨夕、しばしの間雷雲におおわれましたが、雨降らずでした。

豪雨でなくていいから、少し降ってくれないかな・・・
ほんの一時ザーッと降ったらしいですね、気がつかなかった

2010年7月26日月曜日

フランス安宿旅行5;ルーブル美術館=>ストラスブールへ

7月16日;シャワーの出方が変則、タオルはきちんと洗濯してあるがかなり古い、メインストリートに面していて夜もうるさい、ツインルーム1泊食事なし63ユーロ(7200円)くらい。それでもネットで事前予約で安くなっているらしい。階上には螺旋階段で上がるか、後から何とかつけたらしい螺旋階段の中央に作り込んだ扁平なエレベーターによる。このエレベーターは2人乗るのがやっとこさ。スーツケースも一緒となると、一人づつ上がることになる。こんなホテルだったがなんとか3泊頑張って脱出の日を迎えた。
荷物を宿に頼んでルーブル美術館へ。このガラスのピラミッド、ルーブル宮殿の中庭にあり、美術館の出入り口でもあり、その下にあるホールの採光の役も担っている。
内部での撮影は可、但しフラッシュ不可。クリアーな写真は私には難しかった。折角撮ったミロのビーナスも、モナリザもぶれている。低階層部ではミロのビーナスを含むおびただしい数の古代の彫刻物に驚かされた。イギリスとの収奪競争の成果と言ったら言い過ぎかもしれないが、まだ見ぬ大英博物館もものすごい数であろうから、この二国だけで一体どれだけ盗ってきてしまって(いや、良い状態に保存するために収容してくれて)いるのやらと、そっちの方に気を取られてしまった。
兎に角広いのでつぶさに見て回るのは不可能。ダイジェスト版の案内を見ながら見て回りました。拾い観です。フェルメールの刺繍する女なんかとても小さい作品なのでかろうじて到達できた次第。
それでも沢山見たなーと言う印象。ドレスの生地の質感が見事に描かれている、ポンパドール夫人の絵はパステルで描かれているのだとは知りませんでした。

最後にしばらく足をとめたピエタを(作者忘れちゃいました)左に載せます。館内のレストランで昼食をとり、ホテルに戻って荷物を引き取り、パリ東駅へ。ついてないことに、使った地下鉄の駅構内にはエレベーターもエスカレーターもない。つれあい殿は膝を痛めてるので、荷物の上げ下げ全部私。老骨には堪えました。
東駅からTGVでストラスブールへ、ホームには、義妹がその長男夫婦、去年ウイーンで結婚した久しぶりの長女夫婦を伴って来てくれて、我々はすっかり身軽になりました。弟の次女の嫁ぎ先の家近くのホテルに荷を置いて、庭での簡単な夕食に誘われる。さすがアルザス地方。ドイツ語、フランス語が入り混じり、それに英語と日本語が混じって賑やかなことでした。右の写真の右側の二人はフランス語を、向かい合った二人は英語を話してます。

2010年7月25日日曜日

フランス安宿旅行4;モネの睡蓮

7月15日;午前中セーヌ河畔のオランジェリー美術館を訪問。ここは主にモネの睡蓮の大作が集められ1フロアーを占めて展示されていました。カメラOKなので一部を撮影しました。午後観光バスでジベルニ-にある、モネが住んだ家(今は博物館となっていて、多数の浮世絵のコレクションが展示されていました。館内は撮影禁止なので写真は撮れず残念でしたが、多数の浮世絵は印象深いものでした)睡蓮の絵と庭の写真を混ぜてムービーにしてみました。

涼やかな美しい方が絵の前で記念撮影をされてました。これもまた一つの作品でしょうか。
オランジェリー美術館にはモネ以外の大家の作も展示され楽しめました。

2010年7月24日土曜日

フランス安宿旅行3;ベルサイユ、モンサンミッシェル

7月13日;ストラスブールへの列車が出る東駅近くに宿を移しました。
この日は移った宿に荷物を置いて、日本人向けの観光バスでベルサイユ宮殿に。この種の観光地は一つ見れば、あとは似たようなものばかりという確信を強めました。ベルサイユは金ぴかが強くって、悪趣味の印象が強い。敷地の広大さはさすがと言うところでしょう。
7月14日;革命記念日(日本で言うパリ祭)で市内の交通はマヒしちゃうらしく、我々は観光バスでモンサンミッシェルへ日帰り旅行。映画の広告で見たことありのシルエットが車窓から見えた時は嬉しく納得でした。
近づくと、なんとなく江の島を連想しました。城塞の門があるのが江の島と違いますが、入ってしまえば坂、石段、その両脇にお土産屋さん食べ物屋さんとまさに江の島。江の島は弁天さんを祀ってますが、モンサンミッシェルは天使、聖ミカエルを祀っている。モンサンミッシェルは防衛の拠点と言う意味もありました。江の島は頼朝が籠ったという話は読んだことがありますが、多分鎌倉防衛の拠点の意味はあったでしょうね。ここはフランスの江の島と結論しました。
名物に美味いものなしと言いますが、弱いリンゴ酒シードルと食べるフワフワのオムレツ、ふれこみのほどのことはなく、ナーンダの印象。
それより、往路休憩で寄った小さな村、ボーモン村、がラプラスの生誕地と知り、写真を撮りました。ガイドさんはフランスのニュートンと紹介していました。科学上の寄与の仕方と言う点では必ずしも良い形容とは思いませんが、偉大な数学者にして物理学者です。量子力学誕生以前において、数学のみならず天体力学の研究など多大の寄与をしました。独自な発見も含めて、科学を発展させた巨人の一人。もしラプラスが量子力学の誕生の場にいたとしたら、どんな反応を示したのか興味深いものがありますが、その数学上の寄与は大きく広がりをもちます。
共通点としてニュートンもラプラスもともに、後に政治に手を染めますが、その点では大したことはやっていません。ラプラスが住んだ家が面した通りには、彼の名がつけられていました。

2010年7月23日金曜日

フランス安宿旅行2;アビニヨン、アルル=>パリ

アビニヨンの宿だけは航空券を購入してもらった会社に予約を頼んだのですが、パリで泊った安宿と同じぐらいの程度の値段でシャワーもバスタブもまともで、これなら良い方じゃないかと思う内容。地方都市に行くと安くなるようです。
アビニヨンからは、南仏アルル地方をサット回ってくる自動車旅行。現地に住まわれる日本の女性の方のガイド。ホテルまで迎えに来てくれて、それからもう一組をTGVの駅まで迎えに行ってサテ出発。ゴッホの世界が見たかったのですが、ツアーの名前にはポンヂュガールの名があり、これはローマ時代の水道の橋で、あの頃の見事な建築技術の結晶がいまに残っているのをツアーの最後の方で見ました。下段が人が渡る橋、上が水道とのこと。
蝉の声がうるさくて気になります。どんな奴かと写真を撮りました。大きさヒグラシかツクツクホウシぐらいで透き通ったはね、鳴き声の印象は単調で「がやがや」言ってるような感じでした。このうるささが熱波と重なってくらくらするほど暑苦しかった。
こうゆうところで、ゴッホは病院に入ったりしながら暮らしてたのですね~。右下のような風景の前に左下の絵と解説が出てました(フランス語お手上げ)。

ゴッホが描いたはね橋は再建だそうですが残されてました。


ゴッホの”夜のカフェテラス”のカフェも残っていました。左の写真の左側の黄色い建物。やっぱり夜に来ないとね~。
来た時はちょうどお昼時で、せめてそこで食べようと思ったのですが、残念にも混んでいたのと時間の余裕がなかったので近くのカフェで軽く昼食。アボカドとチーズがふんだんのサラダ。なかなか良かった。
アビニヨンに戻り、夕食を買い込んでTGVに乗ってパリのリヨン駅に夜の9時近くにつきました。夏時間故明るいです。
リヨン駅に預けてあった2つのスーツケースに家内は小さめのリュックサック。私は年甲斐もなく大きいリュックサックをしょっています。

フランス安宿旅行1;パリ=>アビニヨン

7月10日出発21日帰着の旅行をしてきました。主な目的はパリに住んでいる姪の結婚式に出席のため。ただそれだけではと、山の神さん盛り沢山の計画を立ててくれて、豊かでない我々としてはケチケチ旅行とあいなりました。
11日から16日午前中まではパリの安宿を拠点に観光バスを利用したり、汽車で足を延ばしたり、美術館を見て歩いて、16日夕方にストラスブールへ移動、17日に結婚式、18日はストラスブールでのんびり、19日にパリにもどって市内を歩き20日午後8時発の飛行機で帰ってきた次第。
11日は午前中、日本人向けの市内観光バスに乗りましたが、この建物は日本で言うとちょうど鎌倉時代に建てられたもの、これは室町時代ですね、と言う案内に面白いなと思いつつ石の文化のもたらす意識とは、なんて考えながらバスに揺られてました。
大都市の割に空が広いなと思ったのは、高いビルがないからでしょう。眠気と戦いながらでしたが、市内の要所を知るには案外手軽な手だてでした。

午後TGVに乗って早速アビニヨンへ、ゴッホの世界に浸るのが我がパートナーの狙い。ただこれを遂行するには問題ありでした。主な荷物をパリのホテルに預けて行くつもりだったのですが、ホテルは12時間しか預からないといいます。テロの頻発以来荷物を預かりたがらないのだそうで、姪のパートナーが見つけてきてくれたリヨン駅の荷物預かり所(9ユーロで3日間預かる、荷物はきちんとセキュリティーチェックを行う)に二つのスーツケースを預けました。
アビニヨンはローマ教皇庁があった時もあるところで、城壁に囲まれた小じんまりした町ですが、行った時はちょうど世界中の大道芸の人たちが集まるフェスティバルが開かれていて、町は賑わっていました。
続きは次回に

2010年7月7日水曜日

試験管を使ったポンポン船

今年3月に市立博物館でポンポン船を子どもたちの遊びのプログラム入れることになった時、メカニズムが見やすいから試験管を使ったポンポン船を教材にしたいと思ったのだが、ガラスは危険と言うことで没になった。その時、お仲間からパイロセラムの試験管を少々いただいていたので、せめてデモ用のものを作りたいと考えていた。今日の午後ちょっと試してみた。

舵もついてないし、船体などいろいろ工夫が必要だが、試験管内で水蒸気が出来て、アルミパイプ後端から水蒸気が出て、水が入っていくのが分かりやすいのではないかと思う。多分パイプの太さを検討した方がいいかも。
燃料は和食屋さんなどで使う固形燃料のかけらを使ってます。

2010年7月3日土曜日

おもちゃの病院:横山子どもセンター

久しぶりに写真を撮ったので、おもちゃの病院横山子どもセンターからです。
おもちゃ”医師”が5人もそろって、誰も来なければ、とんだ事だねと思っていたら、二人の男の子を連れたお母さんが4つも持ち込んでくれて十分楽しめました。
左の写真の右の”医師”の陰に隠れてますが、このお母さんなかなか熱心で、しかもはきはきしていて、二人のおもちゃ医師のやり取りに加わってこうしたら、ああしたらと・・。我々の寸評;「そのうち自分でなおし始めるよ」でした。なかなか良いぞー!! 
幼稚園年中組と1年生にしてはしっかりしてそうで、しかもやんちゃ盛りの男児二人を育ててるんだから、コウナルカモと観察するのもまた楽しです。
右は別のお母さんが、カタカタ音がでなくなっちゃった手押し車を持ってきました。おじいちゃんたち楽しそうでしょう?なおったら、お母さんの歓声とともに、抱っこから降りた坊やが、カタカタと手押し車を押してにっこり満足げに歩き出しました。