2015年12月16日水曜日

電車の中でフトかいま見た機械に使われる将来の人間の姿

昨日は青葉台往復。長津田から渕野辺までの横浜線の中で、座って本を読んでいたのだが、ふと目を挙げて周りを見ると向い側の座席7人中5人がスマホだか何だかをいじっている。エエー!と思って車中を見回した。約70%ぐらいの乗客がそんな調子である。連絡をしてる?何か記事読んでいる?ゲームしてる?自分だって本を読んでいたのだから偉そうには言えないかなーと思いつつ、スマホの便利さにつられて、コンナニ多数の人が、移動の最中も寸暇を惜しんで、使ってる状況を見て異様な感じがした。便利に使ってる積りかっも知れないが、何だか使わされてるんじゃない?使わされてるならまだいいが、どんどん機能が増すにつれ、人間がスマホに使われる(遊ばれちゃう)なんてことになりそうなことを、ふと思ってしまった。
将来、ロボットが便利に使えるようになった、その後に、いつか人間がどんどんロボットを使うようになって、いつの間にか、こんな感じで、結局人間が使われるようになるのかもしれないなー、なんてぼんやり眺めていた。

4 件のコメント :

ぽてこ さんのコメント...

電車の中では暇つぶしにゲームしていました(^^;)
現在はその電車も無い所に住んでますけど。

便利になり過ぎる事、ちょっと不安を感じます。
身体機能に差しさわりのある方の為の開発でしょうけど
車の自動運転。人間アホにならない?

私の知っている高齢者は、歩行が困難になり電動車いすにて外を移動する様になりました。結局家の中でも歩かなくなり、とても体が弱くなりました。

パソコンを友とする私は、漢字を読むことは出来ても、めっきり書けなくなりました。


反対に
火をつけて一時間しないと暖かくならない薪ストーブ。
炊飯土鍋にてガスで炊くご飯。
原始的だけど、とても心地良く生活しています。

・・・スマホゲームはやってますけど・・・

権兵衛 さんのコメント...

ぽてこさん、こんにちは。

私、便利は不便と言い続けています。不便という言葉はチョット
そぐわないかもしれませんが、有限の世界に、便利さ付加すれば
その裏には必ずネガティブなことが引き起こされている
(凸が出来れば、近くに凹が生じてしまう)と思うのです。

自動運転もそうですが、最近はチャキチャキのプロ棋士がコンピュータ
プログラムに負けてしまうようです。機械が負け知らずになると、
人間同士の勝負の動機が薄れて、将棋文化はどうなるのかな?です。

経済予測の能力もどんどん上がると、人間の経済活動はどんなことに
なるのか?

デモ、上のようなことはまだかわいい事だと思います。
人工知能の構築は多分人間の能力を包含して上回ることを狙うのだと
思いますが、果たして平和の裡にそんなものが作れるのかどうか?

人工知能は多分、科学的成果に基づいて人間が構築していくので
しょうが、果たして、科学的な手法で、人間は人間を理解することは
出来るでしょうか?私は出来ないと思っています。
もし無理やり、”人工知能”と称するものが出来ても、
人間の発揮する能力のある部分的側面に突出した、モンスターが
出来てしまうのではないでしょうか。

 
形而上の深い洞察抜きに、便利さの追求は不可なのではないかと
思っています。

現実に戻りますが、経済的観点から見ると、スマホにいろんな
付加価値を付けていくのは重要かもしれませんが
もっと、人間が活き活きと、生きていく人間重視の観点から
見ると、上記のようなことに夢中になってる人たちは、
不覚人のように見えてきます。

ぽてこ さんのコメント...

便利さの追求は、人の向上心に繋がっていますよね。
ただ、そこに儲けが深く関わり、問題を起こしている気もします。

人工知能の進化の先を題材にした映画ありましたよね。
あんな事も起こりうるのかしら。

権兵衛 さんのコメント...

過ぎたるは及ばざるがごとし、っていう事でしょうね。
向上心大切だと思いますが、向上心を向けるべき方向はすごく偏らないようにしないと。手を付けた方が良い他の方向は沢山ありそうですね。