2015年10月16日金曜日

変だよ・・・・(2)


市との協働事業3年間、そして市と市民協働の基金ゆめの芽の支援3年間が終わり、来年度から理科で遊ぼう会の事業は新たな段階に入る。来年度の活動の助成を受けるべく、いろんな機関への応募書類を調べているが、ふーんとうなっちゃうことにぶつかる。

謝金が一つの関心事なのだが、ある助成団体の説明に
「外部講師、ボランティアへの謝金はOK」とあった。これなら会員への謝金も払えるのかなと思って読み進むと、 「会員の交通費はよいが、会員への謝金はNO」とある!はぁァーーーー!である。変じゃない?と電話をかけてみた。

曰く「そのボランティアというのは、例えば学生さんに頼んで、会の活動を支援してもらうようなケースです。」そこで、我々は児童一人一人の理科実験の教材を手作りで作って、数人で学校などの授業へ持って行って、1人が5-6人の児童の実験を支援しています。これをボランティアと言わずして何と言うのでしょうか?と問うた。
「はあ、会員はこの場合のボランティアではないんです。」つまりは、受益者負担をとって、それを謝金にあてろということなのでしょうか?
だけど、学校にはお金がない。児童から集めるのも、給食費すら大変なのに、学校にそれ以上の雑事を背負い込んでもらう事は期待できない。

いや、そもそも、われわれの事業は子ども達の現在の成績向上とか、受験突破支援をねらったものではないのです。この実験を経験した子たちの中から、2,30年後に、1人でも多くの子が、自ら進んで新たなことに取り組む人に成長してくれること、我々が提供する実体験が、子ども達がいつか独自に頑張る人へ育つのに、背中を押すであろうことを願い、その揺り籠であろうとする事業なのです。受益者は児童個人と云うより、未来社会が受益者だと言いたい事業なのです。

直ぐに結果が見えると期待できる事業なら、個々から受益者負担をもらっても良いかもしれないが、未来社会への貢献を願っての事業。それも、我々が募集をかけて実施する事業ではないのです。なぜなら募集をかける場合、どうしても、親の意識が高い家庭の子が主な対象となってしまう事になる。そこから外れた子の中にだって、将来貢献する人に育つポテンシャルを持っていてもおかしくないのです。学校へ行く所以はそこにあります。

こういうものは、自腹切ってやりなさいと言うのでしょうか?「はあ今のところは、制度がそうなっているので、私としては、会員への謝金はダメとしかお答えできません。」が返って来た。何とか少しでもメンバーにやった甲斐を感じてもらいたい、少しは報われた感じを持って活動を持続してもらいたいと願う代表としては、絶句しかなかった。

アアそれじゃ、幹部4人ぐらいが別の会を作って、残りの方をボランティアとしてお願いするケースはありかなと考えたが、姑息過ぎるよねー。代表としては、やはり正々堂々の手を考えるしかない。思案投げ首をしている。直ぐに役立つ事を求めない、未来志向の、未来への投資をしてくれる基金は無いものか?

追伸
残念な話を知りました。上に書いた話をしたら、即座に、そりゃそうだよ、内部の謝金が不正の温床だからと。

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