2021年11月16日火曜日

思い出の中の二刀流プロ野球プレイヤー

昨年93歳で亡くなった関根順三さん。日本球界の話だが、オールスター戦のファン投票で、投手と外野手の両部門で同時に第一位に選出された最初の人。
大谷翔平君のようにホームランバッターではなかったが、自分のヒットで勝利投手になったなんて話を読んだか聞いたかした記憶がある。
残念ながら近鉄(今の楽天の前身球団)と云う弱小球団に属したこと、ホームランバッターではなかったので、あまり目立たず、語り継がれていないが、ピッチャーで中軸を打つプレイヤーとして素晴らしいプレイヤーだなと思っていた記憶がある。川上の読売ジャイアンツ監督としてのV9の最初の年、彼はジャイアンツに外野手として招かれて、活躍した。そして引退後、幾つかの球団にコーチや監督として招かれ、多くの優れたプレイヤーを育てた。野球の殿堂入りを果たしている。
大谷君の凄さには到底及ばないように思うが、昔、こういう人がいたことを記憶しておきたいものだ。
私には野球界が二刀流を永い間封印してきたように見える。大谷君が二刀流をやるとチャレンジを始めたころ、やめときゃいいのに、何やかんやネガティブなコメントをした重鎮と目される人たちがいたが、だいたい、高校野球でピッチャーで4番バッターなんてことはざらにあること。このような才能の人が(強靭な体力を要するでしょうが)チャレンジしたらいいのではないかと思う。大谷君とその背中を押した日本ハムの前監督、栗山氏に敬意を表しつつ。

2021年10月20日水曜日

鉛筆まで消毒、そして持って帰る??

投票所で使う鉛筆を消毒して渡し、持ち帰るようにする?????
信じられません。鉛筆を消毒するための人件費、時間、鉛筆を投票者の人数分買う費用も無視できないほどの額のはず。無駄な金を使わないでほしい。鉛筆は共有し、使用後の手の消毒は各自がやるので十分ではないか!!!
こういうのは自己責任で良いのです。

2021年10月16日土曜日

「KYな人」

もう古臭い表現になってしまったが、「KY」という文字が人々の間ではやった時期がありました。「空気を読む」というやつです。いやなフレーズで、嫌いでした。まさに「同調」者のベタベタした感じがして嫌いでした。私は自分の名前(苗字ではない)にちなんで、E-メールアドレスなどに、KYを時々使います。気持ちは「空気を読まない」のつもりで。
現役の頃の話ですが、授業が終わってから良く質問に来る学生がいました。時にとても良い質問で、他の学生達も共有出来たら良いのにと思い、「良い質問だと思うので、他の人とも共有したかったね、質問は出来るだけ授業中にしてくれないか、他の人にとっても参考になると思うんだが。」と促したのですが、彼は拒否しました。目立つからいやだというのです。彼は空気を読んだのでしょう。でも社会の改善へのほんのちょっとした一歩にも寄与してくれませんでした。すごく残念な気持ちになったことを思い出しました。
子どもの世界のいじめも、同調者同士が群れて、群れに馴染まない異質な人を疎外し傷つけたりするということのようです。質的には上記の事と同じなのかなと思います。

我々の社会はどうも、異質を嫌う傾向が強いようです。でも異質は社会にとって、とても大切だと思うのです。異質な存在があると、多くの人が気付かない別の観点に気づく可能性が多くなるはずです。
何度か紹介したことですが、「アリの世界の話で、働きアリの軍団とは別に何処をホッツキ歩いている分からないようなはずれ者のアリがいる集団の方が、優秀な働きアリだけの集団よりも栄える」というコンピュータシミュレーションがあります。ホッツキ歩いているアリが、セッセとエサを運ぶ働きアリと無関係に新しいエサの在りかを見つけてくるというわけです。

少しづつ社会の様子は変わりつつあるようですが、少しでも早くオープンな風潮の社会になってほしいとつくづく思います。特にイジメによる悲話を聴くたびに強く思います。大人がオープンな心で接する社会を形作ろうと努力し、身を持って子ども達を教育していくしかないのではないかと思うのですが。

2021年10月7日木曜日

内橋克人 未来への遺言を視聴して

少し遡るが9月23日にNHKTVによる「追悼 経済評論家 内橋克人 未来への遺言」という25分番組がありました。氏の若いころからの活動の軌跡が25分に纏めてありましたが、幾つか心に残る言葉がありました。

「人間復興の経済学」、現在社会に吹き荒れている市場原理主義=新自由主義からの脱却です。社会がそう云うことが無理なく出来る状況で無いのに、自己責任という言葉が先走っていることに私自身腹立たしい思いがしていました。

「人間の命のために経済があるのであって、経済のために人間の命があるのではない」と表現されていたと思いますが、上の話と関連して印象に残る言葉でした。

「習熟し、深く知ることから、新たな発想、創造する力がでる」ネットを通して、一日毎に契約して、それ毎に仕事をこなす、一日契約社員の在り方への警鐘です。これは効率的かもしれませんが、習熟は失われます。そう云う社会状況は社会の実力を下げるだけといえるでしょう。このような形態が若い層に浸透していくことは大変危険で、未来社会の姿を思い浮かべるのが怖いぐらいです。

NHKが最後に選んだ言葉は
「頂点同調主義への警鐘」社会の先頭に立ってる人(頂点)の言うことへ疑問を述べる勇気が中々出ない、頂点へ同調してしまう心です。これは戦前に在って、この心の傾向が戦争へ突き進むことを許してしまったわけですが、果たして戦後今まで、変わっているでしょうか。戦後もずーっと頂点同調の傾向は相も変わらず我々の中に在ると思います。異議を述べることを恐れる心、異質であることを恐れる心、これを脱却しないと、もと来た道を歩むのではないでしょうか。
権力の側には立たず、何時も背筋の通った話をしておられた、内橋さんならではの重い遺言ですね。心して常に社会の在りように流されず、おかしいと思うことはおかしいと言う勇気を持たないといけないとつくづく思いました。そうしないといつまでたっても、日本人は学ばないと云うことになってしまうと思うのです。「戦争は嫌だ」と言うつぶやきはよく聞きますが、言うだけでは力にならないと思います。頂点に同調しない強さが問われているのだと思います。

さて、折も折、岸田新首相は「新自由主義からの脱却」を標榜しました。時機を得た発言とも言えます。ちゃんとやってくれるかどうか、池田勇人さんのようにちゃんとやるかどうか、我々はしっかり見張りましょう。

古い人の名前が出たのでついでに、池田勇人さんの少し後に首相になった佐藤栄作さんは退任するとき、記者会見をして、自分の実績、経済的繁栄を誇りつつ、それでも社会にある不満に苛立ち
「繁栄の中の貧困感」と社会の状況を評しました。私は違うと瞬間に思いました。人々の心はちっとも豊かになってない。佐藤さん間違ってるよ、「貧困の中の繁栄感」だよと思いました。
岸田さん、「人間復興の経済学」を実践してくれますか?

2021年10月3日日曜日

首相がまだ決まってないのに!

衆院は未だ開かれてなく、首班指名も行われてないのに、TVの速報で「xxxx氏のyyy相での起用が固まる」なんてやってる。自民党総裁は決まったのだから、首相も決まったようなものだけど、でも未だ正式に決まったわけではない。なのに、yyy相内定とはこれいかに???
自民党の中で、総裁が首相になったら、xxxxさんがyyy相を担当すると、決めるのはおかしくないけど、表に出すことではないと思う。決まったようなものではあっても、緊張感はしっかり持ってやってもらいたいように感じる。自民党の奢り、弛みはちっとも改まってないし、それを容認して放送してしまう、TV局の緊張感のなさにも困ったものだ。
けじめと云うか、慎みと云うべきか!

2021年9月28日火曜日

ブレークスルー

最近メディアでブレークスルー感染なる言葉が流行っていて、すごく戸惑っている。
ブレークスルーって元の英語で書けば、breakthrough、何か困難や障害を突破する事を表す。 例えば研究開発において、前に進めなくなった状況に、新たな局面を見いだせたようなときに 使うものと思っていた。
ブレークスルー感染とは何ぞやと思って、ネットで調べたら、新型コロナウイルス感染症においては、ワクチンを接種して、十分な免疫が獲得できた後でも感染する可能性があり、それを「ブレークスルー感染」と呼ぶのだそうである。
そうか、私はbreakthroughの主語を人間にのみ固定していたが、医学の世界では、ウイルスさんを主語に考えたのか。ウイルスがワクチンの防御網を打ち破って人を感染させることを指して言ってるのか!でもなー、breakthroughって画期性を感じる肯定的な感覚で使いたいのに、ウイルスさんに軍配をあげるようなことに使ってほしくないなー。
我々の仲間内で、この頃やたらにカタカナ語が横行してる事への違和感が語られた。昔、戦時中に、敵性語なる言葉で、敵の言葉、英語を用いることが憚られた時期があったが、そんな感覚で言った話ではない。なぜ、「ワクチン接種済み感染」てな直截な表現が出来ないのだろうか。確かに 「ワクチン接種済み感染」とか「ワクチン接種後感染」と言っても、ウイルスに軍配を上げる言葉だけど、医学界はブレークスルー感染なる言葉で誤魔化したいのかなーなんてかんぐりたくなる。
後記)英語でもbreakthrough infectionと立派に使われているらしいですね。「打ち抜き感染」と訳してるそうです。

2021年9月5日日曜日

内橋克人さんのご冥福を祈る

 あの訥々とした語り口をしばらく聞かないなと思っていたら、昨日9月4日の新聞に内橋克人さんが亡くなられたとの報道があった。亡くなられたのは2021年9月1日とのこと。
 派手さはないが、市民の視線からみた、辛口の経済社会時評が氏の中心課題だった。活動してきた分野は全く違うので経済社会分野の内容には触れないが、基本的な物の考え方に共感することが多かった。
 少なくも私よりは先輩の御年齢だったはずと思って記事をよんだら、89歳でいらしたとのこと。その御年齢ならこれは受け留めねばなるまい。
 氏の一貫した生き方を心に深くとどめたことだった。

2021年6月22日火曜日

図の代わりに動画を見る本。行きつく先は?

理科で遊ぼう会は昨年はコロナ禍のために、感染数が少なくなったあいまにだけ講座開催という具合で、活動が縮小されました。余った手作り教材の無料配布、メールやZoomなどを通した相談、先生用の演示教材の寄贈などが主な対外的活動でした。そういう活動の中、設立して12年目に入ったことだし、これまでに開発し蓄積して来た手作りの教材の紹介、作製法などを中心にした本をまとめ自費出版しました。A5版182頁、会員の探求心と好奇心の結晶ともいうべき内容が詰まったものになりました。
 出来上がった中身を虚心に見ると、かなりマニアックで、技術的な専門用語も多く、私たちのような活動をする、或いはしようとしている方たちには参考になるかもしれません。一応備忘録版としました。でもその範囲だけにとどまってはもったいない。小学校の先生、かなり元気の良い子ども達が手に取って見ようという気になるぐらいまで行かないとやった甲斐がありません。是非相模原だけでなく、全国の多くの方に読んでもらいたいという思いがあります。会員の中にも学校の先生はいますが、会が強く連携している小学校の先生にも読んでいただいて、意見をもらいました。
リップサービスもありましたが、表現を平易に、一つひとつの文章を短く、一行の文字数ももうちょっと少なく、教材の作成準備よりも使い方が前面に出た方が良い、等々。中でも目を引いたのが「児童一人が一台のタブレットを見ることが出来る時代ですので、要所に動画のQRコードを入れることで、読みながら動画を見ることができます」目からうろこでした。一枚の静止画よりもずっと多くの情報がつまっています。
例えばプチプチで浮沈子の節の中で次のようなQRコードを図や写真の代わりに埋め込むという具合です。どんな教材を使うかという情報の他に、私達がどのように児童に接しているか、どんな使い道があるか、示唆を与えるという意味で静止画よりは情報に富んでいます。

 そんなこんなで、表現は平易になど先生方から頂いたアドバイスを取り込み、ところどころに動画のQRコードを入れ、A5版ではなくB5版に切り替えて新たな本の作成を始めました。

 どんなものが出来るのか楽しみだなー、QRコードの取り込みはどんなふうに受け入れられるのかなーと考えていた時、フト思っちゃったのです。活字離れの憂慮が語られている現在ですが、いつか、動画のQRコードが並んでその間に接続詞とか、動画と動画の間を結びつける短文が散見されるリーフレットが出版物の主流になってしまう時代が来るのだろうかと。子供向きの絵本の話から、大人も見る動画本!!!

2021年6月19日土曜日

絵本って何歳まで?

子どもが小さかった時、絵本をずいぶん買って見せました。 ブルーナの「うさこちゃん」とかいろんな絵本は私にも記憶が残っています。
子どもは最初はそれこそ、指をさしながら、うーとかただ音を発する だけだったのに、そのうち言葉を発っしてしゃべるようになり、発育を確認できて 喜んだものでした。絵本の効用は疑う余地はありません。

デモです。小学校の1年生用ならまだしも、高学年用の教科書が絵本みたいだったら どう思います?新しい教科書を見て、私はショックを受けました。
見たのは理科の教科書ですから、実験や想定する状況を図示するのはまあ当たり前ですが、それにしても、図や写真が多く、文章が少ないのです。
設計図や概観図のような静止情報は別にして、起こってる事象を理解するための図や写真は起こってる事象の中の一つのカットでしかありません。勿論そのカットを見て想像力を働かせ考えさせることはできるでしょう。どんなカットを選ぶか、著者の心映えの所業となりますが、ドンナに精選された図であっても、それは著者の持っているイメージです。読者はその図に代表されるイメージにその後も引きずられることにならないでしょうか?

文章を読んで自分でイメージを浮かべ考えることは、自分で考え、自分の言葉で表現する、ひいては独創性を養うに通じて、とても重要ではないかと思うのです。そして、自分で表現する力をつけることも、独創性を発揮するのにとても重要だと思うのです。

勿論図や写真は大づかみにパッと情報をつかむのに重要であることは確かです。でも過ぎたるは及ばざるがごとしで、高学年用の絵本のような教科書は改善の余地があるなーと思いました。絵本のような教科書を見た後、欧米のように皆で議論する場があれば別ですが、何時だったか書いたように、そうゆう機会は少ないようです。

もっと危惧するのは、動画のQRコードだらけで、文章らしい文章なしの時代が来るかもしれません。次号に述べたいと思います。

2021年5月30日日曜日

問 XXを代入せよ。「XXの、XXによる、XXのためのオリンピックゲーム」

リンカーンは言った、「人民の、人民による、人民のための政治」素晴らしい言葉だ。
愚鈍な私は思う、今の日本の姿は「政治の、政治による、政治のための政治」としか言いようがないと。

さて表題のXXだが、今の日本では私には政治を代入するしかない(XX=政治)。しかもそれが、政治の政治による政治のための政治しかできないどうしようもない連中によってである。国民の半分以上がオリンピック開催を止めてくれと言っても頑迷にやるという。

私は今回は素直に中止すべきと思う。そして虚心にオリンピックとは何ぞやと問うことから再出発してはどうだろう。クーベルタンの提言で始まった近代オリンピックはもうクーベルタンの精神から遙かにどこか遠くに行ってしまっている。

それだけじゃない、本格的なラグビーやサッカーの最高峰はワールドカップに設定され、ラグビーは7人制とかいう小規模なゲーム、サッカーに至ってはトップクラスは出ない形の参加である。つまりはオリンピックはラグビーやサッカー界からは見下されている。振り返れば他の分野だってワールドカップあるいは世界選手権が開かれるのだ、それでスポーツ界のトップクラスの闘いは見ることが出来るし、スポーツは十分に発展するだろう。
オリンピックは単なるお祭り騒ぎなってる。それもアスリートそっちのけで、金儲けの話ばかり。アスリートが単なる陳列棚の商品のように見えちゃうオリンピックはいらないような気がする。
今のような形はやめて、「アスリートの、アスリートによる、アスリートのためのオリンピック」からやり直してみてはどうか。でもどうせ、こすっからい輩が、金儲け話を盛り込むことは目に見えているが。一息つくのも一興と云うものである。

2021年3月7日日曜日

公民館が閉館継続。必要なことには冒険も!

今日、用事があって市民活動サポートセンターの器具を借りて作業をした。終わった後、ちょっと一休みとマックへ寄ってみて驚いた。席は殆ど埋まっていて、教科書や参考書を開いて勉強してる少年少女が多数いる。公民館のオープンスペースでよく見た姿だ。そうか気の毒に公民館を追い出されたんだ。
 こんな密な状態で、しかも決して静かではない。勉強には決して好条件とは言えない場所に仲間と勉強する場所を求めざるを得ない人たちがいるのだ。パブリックスペースで「疎」のところを多くすりゃ、それだけ別のパブリックスペースは「密」の度が超すぐらい分かりそうなもんだが、「公民館は開かない。」
 こういう生徒たちに限って良いから、公民館を使わせてやりゃー良いのに!使いたくもない言葉だが、「密」だって全体から見れば緩和される。公民館が「疎」の極致でありさえすれば、他所に「密」の過剰を作ったってかまやしないわけではない。一体行政というモノには合理性というものが働かないのか!不要不急とは思わないけどな。
 先着人数を限り、静かに使用する事を条件に少年少女に使わせることぐらい考えたらよいのに!公民館は教育委員会のもとにある組織の筈だが。

2021年3月5日金曜日

吉田博展@東京都美術館


電車に乗って東京へ行くというのは久しぶり、コロナ禍の最中、少々冒険と思いましたが、思い切って上野まで行ってきました。
素晴らしい作品の数々。これが版画かと思うほどの描写、風景の中で光が織りなす自然の豊かな表情、水面の揺らぎ、感動の連続でした。チケットの背景は「剣山の朝」。朝日をあびる剣岳、モクモク昇る雲、手前の山影の中の未だほの暗い山小屋周辺。壮大で繊細でした。人と人の間から、覗き込むようにして見ることもなく、ゆったり、じっくり、楽しく過ごせました。

シニア割りで1000円。見なきゃ損!というか、冒険して良かった!

2021年2月25日木曜日

公僕;国民の召使。

公務員は公僕という立場。国民の召使である。
にもかかわらず、国民にこっそりと、ある特定 のグループの接待を受ける。これ何事かと叱責を受けるのは当然、 減給なんてナマッチョロイ。 主人たる国民の待遇に不満なのだろうから、他所へ行って給料をもらへば良い。
さっさと辞めて、 接待を受けたところへ行けば良いのである。

2021年2月24日水曜日

相模原:一週間ごとの新規感染者数と感染経路不明者数の減少

期待したほど急激な減少はしなかったけど、かなり減っています。そしてクラスター、濃厚接触による新規感染者の把握はかなり行き届いていて、感染経路不明者の割合も減って、かなりコントロールされているようです。
以下のグラフで青は一週間毎の新規感染者数、赤は感染経路不明者数です(昨年末からのデータを取り込みました。)

2021年2月6日土曜日

IOCが不問に付したって

IOCは森氏が謝ったから(本当に謝ったのかどうか不明だけど)、まあ形だけかもしれないのに、IOCはもう問わないと表明した。それを良いことに、政府も何事もなかったようにしたいらしい。でも、このままなあなあとやってしまっては森氏や組織委の問題ではなく、日本そのものが世界の笑いものになる。分かってるのだろうか。
<追伸>
日本国内が静まったって、冷笑を世界から浴びるのに、「井の中の蛙、大海を知らず」なのかなー。島国根性がまだ消えないのか、なんて思いたくないが。

2021年2月5日金曜日

ふーん。余人をもって代え難い!!

軽口で言ったつもりなんだろうが、御自分のまずい発言はすぐ世界中に拡がると云う自覚が無いのだろうか。問題発言の多い人だけど、自分の立場に責任感が全く感じられない。今度の今度は全く
ア・ウ・ト・デ・ス
おまけに
ア・キ・マ・へ・ン
もう84歳になろうという老人。いつ身罷るかどうかわからないような年齢。自分自身で、いつでも自分の替わりが出来る人を育て、組織委員会の中に入れておくべきだし、組織委員の中にその覚悟をしている人が無くってどうするの?と言いたい。森氏にも組織委員も全く責任感が欠如している。
私は、ああ、又か、と思ってる程度だけど、大会の準備運営に現在多大のエネルギーを注いで下支えしている人たち、選手として参加を目指す人達、ボランティアを引き受けようとした人たちをひどく傷つけた。物理的に傷つけてはいないが、心のところで大きく傷つけた。撤回なんて事が効くはずはない。人をひっぱたいて、「撤回」と叫べば何事も無く終わるでしょうか?終わるはずがないでしょう。それと全く同じことです。
本当に余人をもって替えがたいのだろうか?スポーツ界はそんなに情けないの? 人が変われば、同じようにやれないのは分かっているので、その人に見合ったやり方でやればよい。等身大で良いはずです。それでも替わりましょうという人が無いなら、組織委員全員が辞めたらいい。何とかする気概も責任感もないのだから、私達には能がありませんと、辞めたらいい。組織委員がゼロで、骨を拾う人が無ければ、オリンピック・パラリンピックを辞退するしかない。情けないけど、あの人を組織委員会会長に据えて実施するよりましのように思う。

2021年2月1日月曜日

相模原:一週間毎の累計新規罹患者数&予測?

相模原市が発表する毎日の新規罹患者数を一週間ごとに累計して表を作っています。
相模原市も東京から小田急線、京王相模線、横浜から横浜線、相鉄線で繋がっているからでしょうか、1月初めごろはすごい勢いで増え、罹患状況の数は少ないけどパターンは東京など大都市と同じでした。((下の写真(グラフ)をクリックすると大きくなります。))

緊急事態が宣言されて10日経った、1月18日にピークになり、その後の減り方は著しいです。もし、この調子で続行出来れば、2月中旬には一週間の新規罹患者数は50を切るんじゃないかとなんとなく期待できそう。緊急事態の継続が言われてますが、どれくらい頑張れるのでしょうか?

2021年1月17日日曜日

井戸塀

政治家は
  昔井戸塀
    今食い逃げ
国会で100回以上嘘ついても、行政府の最高給をもらい逃げして、今は立法府の一員でいる人がいる。
こんなんで、立法府は人を罰する法を作る資格があるのですかね。

井戸と塀しか残らなかった、などと云うことまでしてくれとは言わないが、政治家の劣化が叫ばれたままになっている。こんな状態に誰がした!
一義的には国会議員を選ぶ我々国民であることは間違いないが、しかしである、ジャーナリズムはもっとしっかりしてくれないかな。政治に負けず劣らず劣化してるのではないだろうか。
政治家との間の緊張感を強めてほしいもの!

2021年1月1日金曜日

もらった年賀状から

通り一遍の字句の隙間にちょっとした添え書きをくれるのは嬉しいもの。少し若い友人から
「仕事はリモートで効率的になってきたが、人材育成は効率化とは対極なので、今の流れが長期化すると困ったことになる。」と、心配していました。

毎年ひどい悪筆で判読するのに苦労するのだが、一つ年上先輩は「研究は私事、教育は公事」の言葉と共に、昨春,96歳で亡くなったF. Dysonの言葉を紹介した。曰く
「初等教育が最も高級」だと。Dysonは量子電磁力学の完成という功績を残しただけでなく、理論物理学における多くの重要な寄与をし、SF作家に幾つかの示唆を残している。
先輩はさらに続けて森嶋通夫の言として「Oxbridgeの秀才は初等学校に就職する、Thatcher以前は。」サッチャーさんの効率主義がオックスフォード大やケンブリッジ大の秀才卒業生の就職動向を変えてしまったのかな?
先輩続けて言った。「世阿弥の花伝書もそうです。」???初心忘るべからずかなー。
さらに続けて、ワーズワースの詩の一節として「The child is father of the man」、ピカソの言として「若くなるには歳をとらなければならない。」