2011年5月27日金曜日

タイサンボクが咲きだしました@横山公園

数本ある横山公園のタイサンボクの内3本に各一輪づつ花が咲いてます。まだあの甘い香りが漂うまでには至ってません。つぼみをたくさんつけてますので、これからしばらくは楽しめますよ。

2011年5月20日金曜日

エリーナ ガランチャ(Elina Garanča)

この前のブログにアンナ ネトレプコとエリーナ ガランチャのホフマンの舟歌の2重唱を紹介したが、私エリーナはその内キット世界最高級のメゾソプラノと呼ばれるようになると確信してる。
歌唱は既にネトレプコを上回っていると思うし、これから歳を重ねて声に深みが増すだろう。
それにこの美貌、既にオペラやその他の演奏会に引っ張りだこで、経験を重ねてドンドンレベルアップしていくことだろう。
記録しておきたくなったので、4曲引用しよう。
1)アベ マリア2曲
W. GómezによるAve Maria:2007年に於ける演奏。https://www.youtube.com/watch?v=nuSZ9nkxrgk に出ています。 歌い終わったガランチャの目がうっすらとうるんでます。信心がそうさせるのかな?、それとも、音楽の美しさに感激したのかな?

P. MascagniによるAve Maria とても美しい演奏:2008年のクリスマスににViennaでの演奏。https://www.youtube.com/watch?v=Yoo5uM-pDT4 に出ています。

2)やはり、メゾソプラノとなればカルメンのハバネラを(クリック可です)。
 
3)男声歌手が歌うことが多いララ作曲のグラナダ(クリック可です)。

2011年5月18日水曜日

地球の夜の姿(日本の夜の姿)

今や超高空から地球の姿を撮った写真は容易に手に入るようになった。昨夜、地球の夜の姿だけに特化したのを見つけた。You Tubeで歌のビデオクリップを見ながらたどり着いたクリップを紹介したい。ホフマンの舟歌の2重唱に合わせて地球の夜の姿を映し出してくれる。最初の約50秒間歌手のロシア出身のソプラノAnna Netrebkoの写真、ラトビア出身のメゾソプラノElina Garancaの写真が続きますが、そのあとは地球の夜の姿です。

ここをクリックしてみてください。

ヨーロッパの人口密度が高いのは予想通り。驚くのはナイル川沿いの長距離にわたる明るさ、砂漠地帯ゆえ、川沿いに人が密集してるのでしょう。そして南北朝鮮のギャップ。

それにしても日本の関東から北九州までのベルト地帯の凄い明るさは際立つ。人口密度、経済状況を反映してるともいえるが、それにしてもこんなにしてまで、電力を使って光を垂れ流す必要があるのでしょうか?
私は、地球の外に向かって、もう少し慎ましく、静かな夜を演出したい。

当代のスター歌手二人流石です。私、Elinaの声とルックスにシビレてます。Anna Netrebkoも美形の人。もう少し若い時はもっとかわいかったです。もしその方たちの歌う表情、姿に興味のある方はここをクリックなさってはどうでしょう。リハーサルまたは録音風景だと思います。

2011年5月17日火曜日

横山公園のスズラン_H23

例年のことですが、今年も横山公園の運動場の北側の所にスズランが咲いて、北の香りを届けてくれています。そばを通ると、ほんのりとした微香性の甘い香りが漂よいます。


上の写真をクリックすると大きくなります。

タイサンボクのつぼみも大きくなっています。もう少しで開花です。

2011年5月10日火曜日

姥沢でケーナ奏者に会った

中国笛をまねて作った横笛のテストをせんものと姥沢へ出かけた。せどむら橋を渡るころから、姥沢の方から笛の音が聞こえる。奥の方のあずまやに先着さんがいました。
縦笛で、聴いたことない曲を吹いてます。近ずいて、こんにちわと声をかけた。こんにちわと応じたのは好青年。ケーナの練習だった。横笛を見せて、笛談義に入る。グループを作って主にアンデスの曲の演奏活動をしているという。長ーいケーナや、なんて言うのか忘れたが、長さが違う空洞の筒を並べてつなげた楽器も見せてくれた。そして木製のあちらの横笛も。吹かせてもらったり、私の笛を吹いてもらったり。ああこうやって、笛の出来栄えをテストするのか、というヒントをもらいました。
一時楽しく時を過ごしたが、邪魔をしてはいけません。姥沢を一回りして帰ってきました。

1月30日に紹介した中国笛をまねした笛です。中に桐油を塗り、そのあと中と表にカシューを塗りました。

2011年5月6日金曜日

オランダ美術展はしご

フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展@Bunkamuraザ・ミュージアム、そしてレンブラント光の探究、闇の誘惑@国立西洋美術館をはしごした。

フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展は渋谷の東急百貨店本店のそばにある文化村で今月22日まで。絵画は油彩のみ、ルーベンスやレンブラントの作品も含んで、17世紀オランダの作品約90点の展示。お互いの影響の様子が見えてなかなかおもしろかった。フェルメールの作品は”地理学者”と題する絵のみ。17世紀のオランダは海の覇権を獲得した大航海時代。地理の研究も盛んだったのだろう。同時に、当時作られた地球儀、天球儀、ヨーロッパやアジアの地図の展示もあった。

レンブラント光の探究、闇の誘惑は上野の国立西洋美術館で6月12日まで。ほとんどレンブラントの作品。”版画と絵画 天才が極めた明暗表現”という副題がついている。展示された約120点のうち油彩は10数点ぐらいで、ほとんどが幾つかの手法で描いた銅版画。いろんな黒をつかって、明暗を表現するが、ただただ驚く。他の人がなかなか真似することが出来なかったとのこと。また西洋紙のみならず、中国紙、和紙を使って研究した。小さい作品からB4ぐらいの大きさの作品まで。
普段なかなか見ることが出来ない作品集。堪能した。版画に特化しているが、おすすめの展覧会。

2011年5月5日木曜日

シミオナート一周忌

今日は丁度シミオナートの一周忌。今年1月に二回シミオナートを取り上げたが、再びシミオナートを偲んで。
いろいろ物議を醸すNHKだが、素晴らしい文化事業をやってくれた。戦後漸く人々の生活が安定し始めた頃、昭和31年(1956年)にイタリヤ歌劇団を呼んできた。
今でこそオーケストラの演奏が出来て、しかも同時に舞台で歌い演じ、バレーも出来る奥行きのある立派な劇場が国内にいくつかあるが、当時は全くなかった。それでも挙行された。
「オペラハウスもないとこなんて」と某超有名歌手は来なかったなんてこともあったらしいが、イタリアの国宝的歌手と言われたメゾソプラノのシミオナートは来てくれた!そしてNHKが招いたイタリア歌劇団は昭和51年までの間に8度におよぶ。その内前半4回にシミオナートは来ている。かかわった演目と役どころは
1956 アイーダ(役アムネリス)、フィガロの結婚(役ケルビーノ)
1959 カルメン(役カルメン)
1961 アイーダ(役アムネリス)、カヴァレリア・ルスティカ―ナ(役サントゥッツァ)
1963 イル・トロヴァト―レ(役アズチェーナ)、セヴィリアの理髪師(役ロジーナ)
このうちの幾つかの片鱗は1月の当ブログ偉大なメゾソプラノ シミオナート(Giulietta Simionato)に引用した動画からも見ることが出来る。
1956年、1959年は東京は東京宝塚劇場や産経ホール、大阪では宝塚大劇場、2年目は新たに出来た大阪フェスティバルホール、1961年の3回目から、上野に出来た東京文化会館と大阪フェスティバルホールで行われた。
1956年当時は私は中学3年生、まだ関心を持っていなかった。母が話題にしてた事を思いだすのみ。
1959年には、シミオナートがカルメンのタイトルロールを演じているのをテレビで見た。マリオ・デル・モナコがドン・ホセで、この二人の素晴らしい声に圧倒された。
1961年には大学生になっていた私は何とか頑張って切符を買うことが出来たが、デル・モナコとテバルディーのアンドレア・シェニエで、シミオナートの舞台は二つともテレビで観劇。
1963年に念願かなって、やっとシミオナートの舞台(セヴィリアの理髪師)を生で見聴きすることが出来た。シミオナート53歳。気品あふれる舞台は忘れがたい。
セヴィリアの理髪師でのシミオナートの演奏をYou Tubeからバスティアニー二(バリトン)とミッシアーノ(テノール)との重唱(クリック)シミオナートによる詠唱(クリック)を引用しよう。
1965年、シミオナートは55歳でサッと引退してしまった。最高の状態で引くという美学なのだろう。引退してからは後進の指導をされたらしい。昨年あと1週間生きれば100歳の誕生日を迎えるという5月5日に他界された。

2011年5月2日月曜日

ちょっとだけ御岳山へ

何年振りだろうか、多摩の御岳山に行ってみることにして、川尻ー47号線ー高尾を越えてー46号線、そしてあきる野辺りから国道411号線へとたどった。ところで、秋留野という立派な地名をどうしてひらがな表示にしちゃったのかな―。秋留野の方が、なんと風情を感じさせることか!
多摩川の右岸を上流方面へたどり、国道411号線は畑中で左岸へ移るが、我々は分岐する45号線にのってそのまま右岸を行く。
お腹がすいてきたなーと思っていたら10割そばの看板、路地といってもよい狭い道路にいざなわれて普通の民家風のお宅に。そこで食した、辛み大根のおろしそば、美味かった。背の君はとろろそば。実はその前に、車が沢山止まってた街道沿いの蕎麦屋さんに入ったのだが、混んでて注文聞きに来るのも遅いので、さっさと切りつけて出てきてしまってよかった。
御岳山ケーブルカー最大斜度25度とのこと、あとリフトを乗り継いで展望台へ。躑躅がとても綺麗だった。うす曇りで遠望はきかなかったが、所沢の西武球場は肉眼でも見ることが出来た。
ぶらぶらして、帰りには、わさびの菜っ葉を少々買って、ほぼ同じ道をたどって帰ってきた。