2014年9月30日火曜日

プレスリー

お仲間のMさんのブログを見ていたら、メンフィスが出てきた。メンフィスで思い浮かべるのはプレスリーとの結びつき。
急に彼の声を聞きたくなった。YouTubeからCan't help falling in loveを引いてみました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=5V430M59Yn8  いい声だなー

Wise men say Only fools rush in But I can't help falling in love with you
Shall I say Would if be a sin If I can't help falling in love with you
Like a river flows Sorely to the sea Darling so it goes Some things are meant to be
Take my hand, Take my whole life,too For I can't help falling in love with you
For I can't help falling in love with you
彼が亡くなったのは1977年。丁度、滞米中の出来事だった。印象深く記憶に残っている。メンフィスで生涯を閉じた。42歳。

2014年9月22日月曜日

中学生13人の女声合唱;素晴らしい!!!

YouTubeで音楽を探してたら、出くわしました。URLはhttps://www.youtube.com/watch?v=Fd-TO7F4__4です。 演奏&指導者の力量に感動しました。声の量も揃い方も。第一曲目のピアノをもう少し抑え気味にしてほしかったが。 特に年齢的にマッチしていることもあるでしょうが、最後の赤とんぼは秀逸です。お金払っても生の演奏を聴きに行きたい演奏。

2014年9月21日日曜日

ブァロットン展@三菱一号館美術館

9月20日に二重橋駅近くの三菱一号館美術館に、ブァロットン展を見るべく行って来ました。9月23日までなのでギリギリでしたが。19世紀中ごろから20世紀初期に生きた画家の展覧会。絵心などない私の言、何の批評の力もないのですが、私は少なくも春に見たバルテュス展より楽しみました。
冷たい炎の画家と言うのですが、私はそれほどその感を持ちませんでした。寧ろ、「裏側の視線」と言う表現に、何故かストンと腑に落ちる感じを持った次第。線がはっきりしていてコントラストの人という印象を持ちました。黒白の木版画もなかなか面白く、下の「怠惰」という題のついた木版画(写真はパンフレットから頂戴)、しばらく見入りました。また、示していませんが「突風」と言う黒白の木版画にも惹きつけられました。特に砂塵の向こう側で、慌てて逃げようとするネコの姿を丸みを持った白黒の曲線の縞模様だけで表現しているのが面白く、しばらく立ち尽くしました。

ブァロットンは浮世絵などを集めて日本の絵の研究もしていたようですが、右上の絵は「月の光」と題する絵ですが、ふと琳派の絵をチョッコット思い浮かべ、印象深く残りましたね。写真はクリックすると大きくなります。

三菱一号館を含むビル群の中庭にはレストランが幾つか面していて、美術館の2,3階の窓から中庭を眺めることが出来ます。人々がレストランの内や外(中庭のテラス席)で昼食をとっていましたが、窓から眺めると何処かヨーロッパの街角を見ているようでもあり、ヨーロッパの街角の絵を見てるような気にもなりました。日本の都会の街角の変貌ぶりを改めて感じました。

2014年9月20日土曜日

Suicaで乗ったら振替輸送の対象にならない;知ってました?

知りませんでしたねー、SuicaやPASMOで乗車すると振替乗車の対象にならないとは。
本日鶴見まで往復。相模原からJR横浜線で東神奈川まで行き京浜東北線で鶴見に行くつもりでSuicaを使って乗車した。トコロが菊名で電車は運転見合わせ。桜木町で信号に不具合があって止まっているとのこと。急ぐ方は振替輸送を実施しているので利用するようアナウンスしている。時間を約束していたので菊名から東横線で横浜、そこから京浜急行で京急鶴見に行くことにした。
鶴見に行きたいがSuica利用なんだけどと申し出たら、さあこちらへどうぞ、と東急線の改札口(さっきまで閉じてた改札口をわざわざ開けて)に導かれ、それでいけますからと言う。他に何の説明もない。何か違和感を感じたが、Suicaの情報に特別の印でも入るんだろうと思って、東横-京急で京急鶴見に行った。しかし横浜と京急鶴見でちゃんと正規の運賃が引かれている。すぐJRの鶴見駅に行って抗議。
「済みません、チャージでお金を引き落とす方式については振替輸送の対象に出来ないのです」との一点張り。「菊名でそんな説明はなかった。ただどうぞと言ったきりだった、説明があれば対処の方法もあるではないか。」と抗議しても無駄。そこで、あなたの上司に抗議したいから呼んでくれと言ったら、それは簡単に受け入れられ、赤い太線のついた帽子をかぶった駅長か助役らしき人が現れた。「実は、SuicaやPASMOの利用は乗車券を買って乗車されるのと違い、改札を入った時点ではまだ契約は完了しておらず、どちらにおいでになるかわからない方式です。お降りになる地点で契約が成立終了するので、振替の手続きが不可能なのです。」
なるほど、そういうことかと、思った。しかし、事前の説明がなかったのは問題なのだと思って聞いていたら、「今回。菊名でちゃんと説明しなかったようなので、他社線に乗ってお支払いになった分を現金で一旦お返しします。そこから、菊名から鶴見までJRで乗車を続けられた場合の残り分を差し引かせていただきます。」とのこと、つまりはJRで鶴見まで行った費用に払い戻してくれた。「今後、その点をご留意ください。」という言葉を背に、約束のところへ急いだ。まあ220円ぐらいだったが、家から相模原へ出るバス代ぐらいは取り戻せたことになった。
後で神さん曰く「貴方もまともに怒るようになったのねー!」だと。決してそんなことはないのだが。確かに今よりズーット穏やかなやり方だったと思う。この頃、理が通らなかったり、どう考えても変な事を目の当たりにするとひどく腹が立つ。

それにしても今日はついていなかった! ほぼ1時間半後の帰りの電車も鶴見駅で運転見合わせにでくわして、随分と待つ羽目になった。

2014年9月13日土曜日

公園の遊具_3:県立相模原公園、市立麻溝公園

県立相模原公園;ここは広々として家族ずれが休日を楽しむ姿をよくみます。テント張ったりして・・・・・。ボール遊びをする一家、バドミントンをする人たち。空も広くって、緑が一杯。椅子を持ってきて、読書としゃれ込んでいる、優雅な方もおいででした。のんびり時を過ごすにはうってつけの素晴らしい所です。
その一隅には森の木展望台と名付けられた構築物があります。遊具でもあるらしいですが、森の木展望台の周辺、およびちょっと離れたところにも、カラフルな遊具が数基しつらえてありました。なかなか面白いものもありました。よく考えてあるなと思います。 以下数枚の写真を載せましょう。どの写真もクリックすると少し大きく成ります。




上の写真の遊具も下の写真の遊具も、いくつかのタイプが一体化されています。
面白い着想のようでもありますが、小さい子向けと大きい子向けが混在しているようで、
同時に使うときに何か起こらないか、気になるところでした。もう少し考えればいいのに。
麻溝公園はロープが主題なのかなと思うほど、ロープで作った遊具がかなりありました。先ず林の中に、木とロープを組み合わせた、いわゆる、フィールドアスレティック様のものが準備されてました。左の写真はそれを案内している看板です。
別のところには、一体型の遊具がありました。日本の遊具づくりのポテンシャルは高いなーと思いました。


小さい子用と思しき一体型の遊具(下左の写真)
そしてこども動物公園、ポニーに乗ることもできます。
こうやって見てくると、日本における、公園の遊具の製造レベルは高いものがあるなと思います。随分立派です。しかし、もう一つ大事なことは、それをどのような構成にするか、そして配置するか、つまり公園とそこに置く遊具が作り出す場をどのような場にするのか。将来を担う子どもがここで一つの社会活動を始めるわけです。どんなものをどのように用意するということは実は重要ではないでしょうか。前者をハード、後者をソフトになぞらえることにすると、ハードは立派だけど、ソフトはもう少し考える余地があるなと思いました。Qさんが紹介されたフランスの公園では年齢別の整理がされているとのこと。安全性の保障があります。だけど私はもっと大事なことがそこにはあると思いました。安全であれば小さい子に対しても、親が、過剰に手を差し伸べる必要がなく、小さい内から親に頼らないで、独立心が醸成されると思います。他者を慮る心も早くから醸成されるように思います。安全性のための柔らかい地面、球戯場とそうでない所とを分ける努力など、ソフトは改善の余地ありと思います。予算の獲得は大変でしょうが、将来の社会を思うなら、お金はかけても十分に価値のあることと思います。

2014年9月12日金曜日

公園の遊具_2;鹿沼公園、渕野辺公園

比較的遊具が特徴的な所を訪ねて見ました。今朝、用事で東京に行くついでに大分前に孫を遊ばせた鹿沼公園に寄ってみました。子どものためだけの道路が公園に準備されています。9時半からの開園なのについたのが9時で、誰もいませんでした。幼児には豆自動車、小学生にはゴーカート、ミニカート、2輪車(補助輪付も可)が貸し出されます。なかなか広々としてよくコオーディネートされています。道路は舗装です。小学生が走る道路はそれでもいいでしょうが、幼児のための区域は考えた方がいいでしょうね。以下の写真全てクリックすると大きくなります。


踏切もあります。そして、開園前、職員の方が遊具の修理をしていました。
D51の展示も。珍しかったのはジャングルジムがありました(下)
以前に取材していた、渕野辺公園は以下のようです。


木製の遊具は大きい子には素晴らしい人気の遊具と思いました。私も乗って見たくなる。
でも小さな子は親が付き添ってないと、危険でしょうね。滑り台は小さい子用でしょう。
県立相模原公園、市立麻溝公園は次に続きます。

2014年9月10日水曜日

落葉松 夕方ズーット聴いていた

落葉松(からまつ)作詞:野上彰 作曲:小林秀雄;落葉松には時期的にちょっと早いかもしれませんが、聞いたらやめられなくなって、沢山の人の演奏を聴いてしまいました。その中で、バリトンの大西 宇宙(Takaoki)さんの歌唱、声もとても気に入ってしまいました。
YouTubeから頂戴しました。アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=pTFxLwXJH0Q

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる
落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる 私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる  私の乾いた目がぬれる

落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる  落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

2014年9月5日金曜日

もう一つの思い出;父が幼い時に覚えたシリトリ

母が教え給いし歌を思い出していたら、急に父が時々、”唱えていた”シリトリが思い出されてきた。何せ彼が子供の時に教わったとのことで、東京がではなくだった時の事。尋常小学なんてのも出て来ます。
最後のところまで行けるかどうかわからないが、思い出せるところまで。と思ったら、どうやら最後まで行けました。ほぼ一世紀前の話です。

世界で名高い日本国 国旗は日の丸ひーらひら ラッパで進むは兵隊さん 参謀本部は麹町 町は大きい(ボールドのところ訂正しました。匿名さんのコメントに感謝)東京市 教師と生徒は仲が良い 宵から眠るは怠け者 獣を飼ってる動物園 園芸大好き花が咲く 桜の名所は吉野山 病は口よりご用心 尋常小学3年生 歳暮が済んだらお年玉 玉乗り軽業面白い 白いところに黒いふち チンチンオアズケ良く出来る 出来る隣に出来ない子 今度の清書は二重丸 丸い十五夜おつきさん 散々マケルは歳の市 1,2,3,4体操場 万歳叫ぶは決勝点 天狗の剣術山の中 中だけ食べたいお饅頭 10の10倍100になる 鳴子で逃げるは村雀 雀のお宿はやぶの奥 臆病びっくり青ふくべ 勉強しだいで出世する するする入るはそばうどん どんどんぴーひゃら音楽隊 たいそう綺麗な花電車 シャボンで大きな球を吹く 福助頭は重かろう 家老大石内蔵助 スケート励むは寒い内 家では私のお母さん 3時がなったら帰るかと 戸口のところで待ってはる。 終わり。

最初のところなかなか思い出せなかったけど、それを越えたらほぼスラスラ。最近のことはすぐ忘れちゃうのに~~~!! ところどころ記憶が不確かなところがありますが、シリトリのところは間違いないでしょう。さんが3回出て来ますが、父がこう言っていたのは確かだと思います。良くまー思い出せたなー。
それにしても、死語となった言葉もあるし、軍国調だし、出来る隣に出来ない子 なんて今言ったら大変なことになりますね。 でも、昔はこのような配慮で子どもたちが助け合ったのでしょうね。今のギスギスが残念無念。
尋常小学3年生が、お年玉は可愛いけど、歳暮を知っていたのでしょうかね?なぜ、あおふくべ(青瓢箪)が臆病びっくりなのか?疑問もありますね。

わが母の教え給いし歌

歌の内容は;老いた母が私に歌を教えてくれた時、なぜか母は目に涙を浮かべていました。そして今、さすらいの旅の子どもらに、楽器を弾いて歌を教える私の頬に涙が伝うのです。
Songs my mother taught me;ハイドゥークによるチェコ語の詩からドボルザークがドイツ語に訳し、曲を付けた(1880年)《ジプシー歌曲集》作品55の第4曲。
私にとっては、実は母がしばしばハミングしていたのが記憶の端に残っていて、とても懐かしいのです。私にとっても母が教え給いし歌。今日久しぶりに何人かの演奏を聞きました。
ロシアが生んだ素晴らしいソプラノ、アンナ・ネトレプコの歌唱をYouTubeからもらいました。 アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=jnSVPkFLXx0
チェコ語は知りませんが、ネトレプコはチェコ語で歌ってるのかな?ドイツ語や英語ではないみたい。

付録;カリタ・マッティラ(フィンランド)の歌唱アドレスはhttps://www.youtube.com/watch?v=8jXQZG9DDRM よかったらここをクリックしてみてください。 素晴らしいです。

2014年9月1日月曜日

公園の遊具;散歩道に沿って

子どもの遊び声と周りの社会とのかかわりがこのブログや天晴笑ころ人語の8月版で話題となった。そのかかわりで、お仲間のQさんがニース便りに児童公園・フランスを紹介された。子ども公園の遊具や安全への気配りが紹介されていた。それを見て、フランスにおける子どもを見る目の暖かさ、きめ細かさに驚かされた。流石に、少子化に悩み、それを克服した国だけのことはあると思ったし、喉もと過ぎても熱さを忘れずに、今も着実に立派な環境を守り続けていることに、うならされた気がした。特に小さい幼児と、3歳ぐらい以上の子ども用の遊具が別にあるのは素晴らしい。安全という視点もあるが、それ以上に、その安全性に起因することではあるが、小さい子どもも自由に遊べることを保障している点である。親はそっと見てるだけで手を出さないで済む。子どもは自分で考え遊んでいる気になれる。早いうちから独立心を育くむと云う視点があるのではあるまいか。

ところで、よく公園に出かけていくが、遊具のことを殆ど気にしてなかったなと思い、ちょっとだけ、小規模公園やいくつかの公園の写真を撮ってきた(怪しいお爺さんと見られたかも)。今日は散歩コース上にある公園を取り上げよう。多分、他の地区でも同じような状況かと思う。
(1)先ずは猫の額ほど面積の、街角にある公園で、例として私が住むマンションの傍にある、一応、相模原市が管理していることになっている公園。この程度の公園は市内かなり多く点在している。滑り台(木製の外枠)、鉄棒、強いバネ付の動物の乗り物、砂場といったところで、ここで、小さな子も遊ぶし、かなり大きな子がボール蹴りもやるといった具合。小さい子も大きい子も同時に勝手に遊んで、ハラハラなんてとこは見てないが。小さい公園だから、時間的に住み分けるしかないのでしょう。滑り台は一つしかなく、かなり大きな子仕様。小さな子には親がぴったりついて介添えしないと危ない。小さい公園では仕方ないかもしれない。この手の公園には球技禁止の看板が出ている場所もあった。

(2)3分近く歩くと、市営住宅群があり、その傍にも市の公園があった。以下の写真クリックすると大きくなります。
 
ブランコと滑り台プラス登ったり降りたりできる遊具が一体となった遊具が設置されていた。滑り台は覆いがあって途中から落ちないような設計になっている。保護し過ぎの感がないではないが、よく出来ている。右の写真の背景の広場は球戯が出来るようになっている。フェンスはない。

(3)更に4分ぐらい歩くと、大変ユニークな公園があった。遊具なしの市立の公園。3mぐらいの網のフェンスに囲まれた球技専門の公園。野球やサッカーをしている少年たちをよく見かけた。これは住み分けが出来ていて良いなーと思います。
 

(4)散歩コース最後は横山公園。野球場、陸上競技場、プール、テニスコートが鎮座する大きな公園、ナノにナノに子供向けの遊具は貧弱だった。 遊具ではないが、プール近くには、木々に囲まれたピクニックエリアがあり、若い親子が集うのをよく見かけた。遊具はちょっと離れたテニスコートの脇に。ブランコや
小さな子向きの滑り台と登り降り出来る一体化した遊具、バネ付の動物の乗り物だけである。小さな子供を連れたお母さんたちが集うのをよく見かけた。
ここもボール遊びができるエリアと隣り合っていて、何のフェンスもなかった。 小さい子供向けの遊具だけが設置されている点は何でもいいからとにかく設置しましたというよりはましだけど。横山公園はこのあたりの拠点公園と言ってもいいところだけに、もう少しバラエティーがあって、それこそ年齢別用のものを設置したらいいのにと思った次第。 ここまで見て来て、地べたはコンクリではなかったが、フカフカでもない土面でした。子どもは転ばないものというのは無理な話で、転ぶものという発想は取り入れてもらいたいですね。

これでは貧弱だなもっと整備が出来たところがあったのではと考えをめぐらして、そうだ、渕野辺公園、県立相模原公園。市立麻溝公園に気付きました。次回はこの3つの公園から取材の報告を載せます。

驚いた 15x3+5回完投そして決勝戦まで

驚きましたね。全国高校軟式野球選手権大会の準決勝で中京高と崇徳高の戦い。ボールが硬式より軽いとはいえ、両校のエースが4日間15x3+5=50回を譲らず投げ合った。それまでゼロ行進。軟式野球での点の取りにくい説明はあったが、それにしても4日間連投で50回を投げぬくって・・・。絶句です。10回以降は1点も与えられない状態となるのですから。それが50回まで!!結局、中京が50回の表に3点を入れて勝った。ここまで来ると凄い精神状態になるのでしょうね、ちょっと休んだだけで、引き続き行われた決勝戦にも勝ち、中京は優勝してしまった。その強靭な精神力と体力に敬服する。
準決勝で負けた崇徳高のチームが決勝では中京の応援席で中京を応援したという話までおまけが!!報道を見ていてジーンとくるものがあった。
両チームの選手、特に50回を投げぬいた中京・松井、崇徳・石岡の両投手に賛辞を送りたい。