2018年4月20日金曜日

しもべであること

公務員はその地位によって、大小いろいろの権力を握っている。だけど忘れてはいけない。彼/彼女達は公僕であるということを。
各省庁の官僚のトップともなれば、自らの能力と努力を全開して上昇して来るのだろう。
だけど忘れてはいけない、トップもまた公僕であるということを。
上であればあるほど大きな権力を握るのだから、勘違いをせぬよう、公僕として、自らを戒めることにおいても、高い能力を持った人でなくってはいけない。
そういう人であればこそ、高い信頼と尊敬を得るのであろう。どれだけのトップたちがそのことをきちんと意識してるだろうか。

所謂大臣と呼ばれる人たちもまた公務員である。”大臣”という名前がいけないのではないかと思うが、勘違いしている人が多い。
昔は大臣(おおおみ)は天皇の臣下であった。今は大臣と呼ばれる人達は主権を持つ国民の臣下の筈である。
ただ、各省庁のトップとして、信じられないほどの重い責任を負ってくれているだから、何か問題があれば、全責任を負うと覚悟してなった人のだから、尊敬もされるのではないか。
地位の名称故に尊敬されているのではない。

この大臣達を選ぶのは総理大臣であり、その大臣達のほとんど多くは国会議員から選ばれる。 国会議員は各省庁の中で階段を昇ってくる人たちとは違う。
そう、忘れてはいけない、その人たちを選んでいるのは我々国民であるということを。 天に向かって唾することなのないよう、優れた公僕のトップたりうる人を選ばねば。

2018年3月13日火曜日

成人

20にもなって、成人式でバカ騒ぎをする。どう見たって大人とは思えない行動をする 連中が沢山いて、多くの人が眉をひそめてみている状況なのに、 何故、更に成人年齢下げるのでしょう。
微温湯の中で、甘やかされて育って、大人になれない連中に、さあ大人ですよと言って、自覚を促そうたって そうは問屋は降ろさなにのは20才の連中を見ていれば、わかるはず。 成人となる前に大人たる厳しい体験をさせて、ほんとに大人たる自覚を持たざるを得なくする 努力の方が大切でしょう。

2018年2月10日土曜日

見渡せば

今日、久しぶりに電車に乗って外出。
プラットホームを見渡して、おやま―

見渡せば スマホ操作の 人の波
   我が手そーっと ポケットにしまう

2018年1月25日木曜日

Speak out "Me too!" in 相撲

今度は春日野部屋ですか。尤もだいぶ前の事らしいが、時津風事件より後のこと。今頃出てくることに違和感があるが、公益の法人としては公表すべきことだった。
公益の法人という枠の中で、一企業としての大相撲協会とはどうあるべきか、あまり深く考えたのではなくって、どうごまかすかと苦心して来たのかなと思わざるを得ない。相撲文化は重要だと思う。だけど拳骨で守る伝統が公益の法人の中でまかり通っては、公益の名が廃る。
一度はガタガタになったっていいのではないかと思う、やられた経験者、Me too!、と声をあげるとよいと思う。大相撲協会の運営中心の全員の頭をクリーンアップするのに資すること大と思う。

大変難しいことかもしれないが、相撲道の伝統はしっかり守って、協会の運営はその時代の組織運営のあり方に即して実施すべきと思う。
いやいや、やりたい放題やりたいというのなら、公益の法人から離れて、おやりになったらいいと思うが。

2017年12月20日水曜日

横審メンバーの品格は?

委員長なる人の会見では横綱の品格に関してまるで人ごとのように話していた。品格が問題になるような人を横綱に推挙したのは横審ではなかったのか?
白鳳を横綱に推挙した横審のメンバーは今のメンバーとは違う。しかし、白鳳を横綱として推挙したのは横審という組織である。メンバーが違ったって、横審という組織の責任は消えない。そうでなくっては横審という組織への信頼感は全くなくなってしまう。
現在のメンバーは、そんな組織論の初歩が分からない人々ではないような気がするが。横審の責任には頬かむりを決め込んでいる。横綱の品格を論じるべき人々からなる組織としては如何なものかと云いたい。横審そのものを自ら戒める言葉があるべきだった。横審のメンバーの品格はどこへ行ったのだろうか?

追伸;12月21日の朝日新聞朝刊、19面に北村委員長が次のようなことを言ってるとの報道があった。
「横審には品性について調査する力量も権限もない。協会が(品性があると)判断した上で諮問しているのを前提に推挙している。日馬富士が品性がよろしくないという判断はできなかったし、立派な人物だという人がたくさんいる」
「成績は条件を満たしている、公益財団法人日本相撲協会がその品格を保証している。だから推挙する」と言っている。 これを了として、公益財団法人日本相撲協会の内部問題と言っちゃって良いのでしょうかね。「公益」という文字は外した方がスッキリするような気がしてならない。

2017年12月8日金曜日

AI技術発展の行方。子供たちは今

昨日は谷口台小学校でモーター作成の95分授業を午前中に二つ(2クラスに対して)行いました。子供たちの集中は途切れることもなく、全員のモーターが回りました。そしてなぜ回るんだろうという考察も。
今日も残り3クラスに対して、仲間が授業をやってくれています。私は午前中お休みをもらいました。午後、都合の悪い人のピンチヒッターで行くことになってます。

昨日の朝、授業開始前、午前8時に学校に集まって授業準備を始めましたが、一段落して理科準備室で一服の時間がありました。私たちと理科担当の先生と。
先生がフト言われた言葉が気がかりとなりちょっとした話が盛り上がりました。AIの発展の影響です。子供達が自分達が大人になった時、仕事があるんだろうか?何をしたらいいんだろうか?と話しているというのです。不幸な時代に突入しているのです。

私がComputerと出会った時は文字通り”計算機”でした。その発展によって、それまで出来なかった計算ができるようになっていき、ズット夢をみるような日々が続き、最後に、並列計算機プログラムを書いてそれまで出来なかった計算を可能にして、夢を見たまま現役を引退しました。全く幸せな人生だと思います。現役を辞めて、computerの”計算機”とは違う側面と戯れはじめたのですが、あれよあれよという間に、将棋では、人間が勝つ確率が限りなく小さくなり、その程度ならまだかわいいが、人間の仕事の代わりをするようになりつつあります。人間の生き方の問題にかかわり始めていると言っていいでしょう。

この辺で立ち止まって考えなくてわいけないのではないか。人の生き方に関して。そして人の環境のあるべき姿に関して。資本主義はそれを待ってくれないような気がするが。重大な局面にあるような気がします。もしかするとトランプなどという小物のやることよりずっと重大な問題なのかもしれないのだが。

2017年11月29日水曜日

はは、のんきだねー

この頃、テレビで気になるのが、ある一団体の内紛問題ばっかり。 スイッチを入れるとどこかの局でこれをやっている感じ。そうでなきゃ面白おかしい話ばっかり、 という印象である。
”蕎麦”の問題があるでしょうに、モリ・カケが!そして国際的な問題が! 我々を取り囲むいろんな環境(宇宙も情報も含む)の問題があるでしょうに。

昔は新聞等のメディアは大衆に対する啓蒙的存在であった。誰でもが喜んで 読んだり見たりしないことを前面に出して報道していた。
今や大衆の視聴率を気にして、骨のないふらふらした存在になっている。 大衆に媚びを売ってるのではないかと感じることもある。
こんなの沢山いらないねと言われないために、もっともっと守備範囲を広げて各局特徴を 出す必要があるのではないか?電波の無駄遣い、紙の無駄遣いと言われないために。