2012年6月24日日曜日

小山内裏公園

上高地ではありません。小山内裏公園の大田切池です。多摩境近くのスーパーにお供したついでに、ちょっと寄りました。公園のほとんどの地域は雑木林で、動植物サンクチュアリー。人は入れなくなっていますが、主に外側をぐるーっと回ってくることが出来、要所要所に休息が出来るようになっているようです。北側の真ん中あたりにビジターセンターがあって、バーベキューコーナーがあり、3グループが楽しげに過ごしていました。またビジターセンターの前には里山広場があり、若い家族連れが楽しげに過ごしていました。 水が湧き出し、大田川の源流をなし、大栗川と合流して多摩川に流れ込みます。
右は里山広場で見た、タイマツ草。コロコロのバンブービー(?)が2,3匹せっせと働いていました。
さて、”内裏”です。ビジターセンターに入って館員の方にその由緒を尋ねてみました。実はこの辺は、昔から落人が隠れ住んだ地域だそうで、その中に公家さんがいたとのこと。公園の東方にある内裏谷戸あたりに住み、当初は公家谷戸と言われたらしいが、そのうち内裏谷戸と呼ばれるようになったとのことでした。そういえば最近はずいぶん開発されてしまったが、小山田から長池公園あたりだって、平成の初めころは未だ、隠れ里のような雰囲気がありました。
緑豊かで、休息の場所として絶好。きっと紅葉の時期も良い雰囲気になるに違いありません。 お連れがあまり調子よくないようだったので、又いつか来ることにして、長居はせず帰途に就きました。

2012年6月17日日曜日

アフトン川の流れ練習@姥沢

姥沢で笛の練習。ようやっとつぎはぎ編集なく最初から終わりまで吹いたが、ダメ―。笛作りもまだダメ―。もうちょっと調整してまた挑戦しましょう。

2012年6月13日水曜日

セザンヌ展&エルミタージュ美術館展@新国立美術館

セザンヌ展の最終日だとて、絵画大好きの人にくっついて行って来た。めったにないことだが、高校の同期生と大学での先輩にばったり出会ったのは驚き。
それはさておき、セザンヌ パリとプロバンスと名打った展覧会。大作こそ来てなかったが、初期、風景、身体、肖像、静物、晩年と分けて整理して展示してあった。初期の作品には、絵具を盛り上げてナイフで削って描いた作品があるのを知って驚いた。サント・ビクトワール山を描いた絵がいくつかあったが、晩年に描いたという一枚はまるで水彩画のように見えて印象的だった。以上は既に終わってしまった展覧会であったが、2階の別の部屋で大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年と題した展覧会が7月16日まで開催されている。何度も足を運ぶのはどうもというので、ちょっときつかったが入場した。大美術館の集めた絵画の内、89点が、16世紀(ルネッサンス:人間の世紀)、17世紀(バロック:黄金の世紀)、18世紀(ロココと新古典派:革命の世紀)、19世紀(ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀)、20世紀(マティスとその周辺:アバンギャルドの世紀)と分けて展示されている。
比較的地味なものが多かったように思うが、巨匠たちの作品もかなり並び、楽しめた。レンブラントの「老婦人の肖像」、ベルネの「死の天使」に強く惹かれるものがあった。ピカソの「マンドリンを弾く女」は初期の作品らしいが、頭部はデフォルメされているが、座っている椅子や背景の書棚や本は一見してそれと分かるように普通に、描かれていて、大変面白かった。
終わったあと近くのデンマーク料理の店で、遅い昼食。スモー・ブローで軽くと思っていたら、私がイメージしてるタイプのは無く、残念。

2012年6月6日水曜日

言葉の大安売り;責任という言葉

”感動”という言葉が大安売りされて、何かというと”感動した”、と言う言葉を聞き、なんだか居心地が悪―イ思いをした時期があった。このごろ少し下火になっているようだ。
感動なんて心の底から揺り動かされた時に使うのじゃないかと思っていたからだ。でもこれは個人の心の中のことだから、まあそんなに気にすることもないと思う。
”責任”という言葉が簡単に使われているように思う。首相が、自分の”責任”で原発の再稼働を決めようとしている。首相は国民の負託を受けて、国の運営を行っており、その双肩には重い責任が掛っていることは確かだ。
しかし、彼が今”責任”を持って実行しようとしているのは、今後大きな問題が起これば、国を滅ぼしかねないことになるかもしれない原発の再稼働である。責任を持つと言っても、後で取り返す事が出来ることと、出来ないことがあるではないか!もし再稼働して、もしものことがあった時、彼はどんな”責任”を取るつもりなのだろうか!!
先の大戦の敗戦で、国を取り返しのつかないほど打ちのめされた状態に導いた、指導者達は、戦争犯罪者として裁きを受けた。
原発再稼働で、もしものことがあった時、彼にはどんなことが待っているのだろう?大事故が起こったとして、おそらく法に触れるということは無いだろう。しかし、大きな大きな不幸に国を導くことになる、彼どんな責任の取り方をすると覚悟して決定するのだろうか?
再稼働しない場合に国にもたらされるダメージが、再稼働して大事故が起こった場合のダメージと同じくらいであると言うのなら、話は別だ。だがそんな話は聞こえてこない。