2014年8月8日金曜日
どうして?困ったちゃん達
言葉に気を付けてなんて書いてられない問題です。
「よいこは、しずかにあそべます おおごえでさけばないでね!!」という看板が宮崎台駅近くの公園に貼り出されているとのことです(朝日新聞8月8日第2面)。
娘の住むマンションでも子どもの声がうるさいという苦情がシニア世帯から出されたと言います。
一体何を考えているのでしょう。うるさいかもしれないが、子供の元気な声が聞こえてこそ、明るい未来が期待できるというものです。ウルサイと苦情をいう人たちは自分が子供の頃どうだったのかも思えない、バカとしか言いようがありません。
少なくも私の年齢は、世が世なれば姥捨山に行く年齢。そうしないで済む社会に生きていることを深く思います。どうしても子供の元気な声を聞かないで済む、静かな余生を送りたいなら、老人村でも作って住んだらいいでしょう。
少子化云々という問題の中には、子育てが終わった世代が、子育て世代を暖かく見つめられるかどうかも含まれています。自分がいなくなった後の未来を大きな気持ちで見つめたいものです。
2014年8月3日日曜日
Rhodes島からの便り
パリに住む姪がエーゲ海の東に浮かぶロードス島から封書をよこした。中にはカードが入っていて、友人の結婚式に出席のために来ているとのこと。カードの写真が色彩豊かに家々の様子を描いているので載せる気になった。クリックすると大きくなります。
彼女も結婚して一女をもうけ、その子も二才になる。ちょこまかと動き回り、お転婆ぶりを発揮していて、大変と言いつつ、嬉しそうに近況を伝えていた。
最後に姪が娘の漢字で表した名前と自分の名前、そしてその連れ合いが、カタカナで我々が呼ぶ彼の愛称をしっかり書いていた。ほほえましくも、嬉しい便りだった。
最後に姪が娘の漢字で表した名前と自分の名前、そしてその連れ合いが、カタカナで我々が呼ぶ彼の愛称をしっかり書いていた。ほほえましくも、嬉しい便りだった。
2014年7月21日月曜日
夏休みに入ったのですね
作業の帰途に、横山公園で歩こうと寄ってみたら、駐車場は満杯。ちょっと待って入ることが出来た。
テニスコートと野球場はどちらも中学校間の競技会が始まりました。
カメラを持たずに出たのは失敗。元気溢れるプレイを見て、こちらも少し元気に!
上溝中の野球部は強いと聞いていたが、大澤中に6対0で大敗しました。
ニュースでは、梅雨明けと言っていましたが、じとじとからは解放された感じです。セミが鳴きだすのは何時だろう?
テニスコートと野球場はどちらも中学校間の競技会が始まりました。
カメラを持たずに出たのは失敗。元気溢れるプレイを見て、こちらも少し元気に!
上溝中の野球部は強いと聞いていたが、大澤中に6対0で大敗しました。
ニュースでは、梅雨明けと言っていましたが、じとじとからは解放された感じです。セミが鳴きだすのは何時だろう?
2014年7月1日火曜日
なんと伝えるべきか
ゆめまぼろしのごとくなり・・という年齢超えて20年以上になる。この先もうそれほど長くない身にとって、自分はもう良い。この国で死ぬ。でも後は野となれ山となれとは言えない。
この国は、曽て軍部独裁の時期があった、一旦滅んで、再び立ち上がった。しかしこのままだと、再び独裁国家に戻りかねない。その前兆が「憲法解釈の変更」というとんでもない手続きが内閣によってなされようとしていることに見えている。
首相は長く考えていたことかもしれないが、これを国民が理解しているわけではない。内閣で解釈変更を決めてから国民に説明するというのは全くナンセンス。決める前に深い議論がなされるべきだ。まさに独裁者の手法ではないのか?
国を挙げての深い論議がなされないまま、憲法で定められた手続きを経ずに、国の哲学たる憲法が「解釈変更」という仕方で、変更されようとしている。中味の深い議論が広く行われないのも問題だが、手続きの仕方が大きな問題だと思う。
本音を言えば、もう直に、成年となる孫に向かって、本気で筋道が正しく行える国に作り変える気概があるならこの国に残れ、その気がないなら、この国を捨てる道も一つの道として考えろ。と言いたい。言うべきか言わざるべきか迷っている。
次世代に向かって何というべきか?将来社会に貢献する人が少しでも多く増えるよう、理科実験支援事業をすすめているが、私の迷いと矛盾して苦しい。日本と限らず、世界のどこかで貢献できればそれで良いと言えればそれでも良いのだが・・。
この国は、曽て軍部独裁の時期があった、一旦滅んで、再び立ち上がった。しかしこのままだと、再び独裁国家に戻りかねない。その前兆が「憲法解釈の変更」というとんでもない手続きが内閣によってなされようとしていることに見えている。
首相は長く考えていたことかもしれないが、これを国民が理解しているわけではない。内閣で解釈変更を決めてから国民に説明するというのは全くナンセンス。決める前に深い議論がなされるべきだ。まさに独裁者の手法ではないのか?
国を挙げての深い論議がなされないまま、憲法で定められた手続きを経ずに、国の哲学たる憲法が「解釈変更」という仕方で、変更されようとしている。中味の深い議論が広く行われないのも問題だが、手続きの仕方が大きな問題だと思う。
本音を言えば、もう直に、成年となる孫に向かって、本気で筋道が正しく行える国に作り変える気概があるならこの国に残れ、その気がないなら、この国を捨てる道も一つの道として考えろ。と言いたい。言うべきか言わざるべきか迷っている。
次世代に向かって何というべきか?将来社会に貢献する人が少しでも多く増えるよう、理科実験支援事業をすすめているが、私の迷いと矛盾して苦しい。日本と限らず、世界のどこかで貢献できればそれで良いと言えればそれでも良いのだが・・。
2014年6月23日月曜日
漂流
日本丸。経済はうまくいってるように見える。押したり引いたり、いろいろの工夫があるように見える。だがその手法を憲法にまで持ち込むというのはどういうことだろう。
憲法は国民が持つ哲学を表すもの。その憲法の改定を必要と感じている人たちが少なからずいることは確かだ。そして、政権は真正面から改定をしようと試みた。しかし、そう簡単ではなかった。現憲法は与えられたものとはいえ、年月を経て定着しているのだろう。
その先に出てきた政権の行動が、一体どういう精神構造からきてるのかと思ってしまうのだが、そんならと、解釈変更という手を考え付いた。あまりにも姑息ではないか?
憲法は、経済と違って、結果オーライとはいかないものだ。国民が持つべき哲学をそんな姑息な手でいじくって良いものだろうか?もしこれが通ってしまうと、政権が変わると解釈も変わり得るわけで、国の基本的な考え方がふらふらと漂流し始めてしまいそうな不安に駆られる。そして、そんな国が他国から尊敬されるだろうか?
今日の朝日新聞の世論調査記事では、出来るだけ早く結論を出そうとする政権に、80%もの人が急ぎ過ぎだといっているという。なのに政権側は急いでいるようだ、あたかも、国民がサッカー・ワールドカップで沸き返っている間にやってしまおうとしてるかのように。
もっと哲学がしっかりしてる人たちなら、こんなあやふやなことはするまい。哲学があやふやな人達に政権運営を任せるのだからこそ、その行動に対する規範たる憲法でしっかり縛らなくってはならないのではないか?憲法に改定すべき点があると考えるなら、しっかり国民に訴えて、合意形成の努力をすべきだ。それも、国論を二分するような形ではなく。
我々国民もしっかり考えるべき時にあるのではないか?例えば第9条の問題。日本が戦争放棄の孤塁でいることの意味を深く考えねばなるまい。もっと積極的に、他国を説得して、軍縮、いや戦争放棄へと考え方を変えさせる努力をせずに孤塁を守れるだろうか?守る守らない、いずれにしろ大変なエネルギーを要することだと思う。
憲法は国民が持つ哲学を表すもの。その憲法の改定を必要と感じている人たちが少なからずいることは確かだ。そして、政権は真正面から改定をしようと試みた。しかし、そう簡単ではなかった。現憲法は与えられたものとはいえ、年月を経て定着しているのだろう。
その先に出てきた政権の行動が、一体どういう精神構造からきてるのかと思ってしまうのだが、そんならと、解釈変更という手を考え付いた。あまりにも姑息ではないか?
憲法は、経済と違って、結果オーライとはいかないものだ。国民が持つべき哲学をそんな姑息な手でいじくって良いものだろうか?もしこれが通ってしまうと、政権が変わると解釈も変わり得るわけで、国の基本的な考え方がふらふらと漂流し始めてしまいそうな不安に駆られる。そして、そんな国が他国から尊敬されるだろうか?
今日の朝日新聞の世論調査記事では、出来るだけ早く結論を出そうとする政権に、80%もの人が急ぎ過ぎだといっているという。なのに政権側は急いでいるようだ、あたかも、国民がサッカー・ワールドカップで沸き返っている間にやってしまおうとしてるかのように。
もっと哲学がしっかりしてる人たちなら、こんなあやふやなことはするまい。哲学があやふやな人達に政権運営を任せるのだからこそ、その行動に対する規範たる憲法でしっかり縛らなくってはならないのではないか?憲法に改定すべき点があると考えるなら、しっかり国民に訴えて、合意形成の努力をすべきだ。それも、国論を二分するような形ではなく。
我々国民もしっかり考えるべき時にあるのではないか?例えば第9条の問題。日本が戦争放棄の孤塁でいることの意味を深く考えねばなるまい。もっと積極的に、他国を説得して、軍縮、いや戦争放棄へと考え方を変えさせる努力をせずに孤塁を守れるだろうか?守る守らない、いずれにしろ大変なエネルギーを要することだと思う。
2014年6月12日木曜日
彦根
2日は大津から電車で彦根まで出かけた。彦根城を見学。この城は徳川家の家臣筆頭の井伊家の城。井伊直政は家康から、滅んだ武田勝頼の遺臣100人近くを託され、それをもとに赤備えの異名をとる軍団を形成したそうで、徳川四天王の一人。赤備えというのも、武田の有力武将、飯富(おぶ)虎昌らの赤備えにあやかったものとのこと。琵琶湖畔南部に構えて、京都以西ににらみを効かせたのでしょう。この藩は一度も改易を受けてないどころか、幕末の井伊直弼を含む、4人の大老(幕府始まったころの2代目、3代目を加えて6人という考え方もある)輩出している。
最初、石田三成が居た佐和山城に入ったが、すぐその手前に彦根城を作った。その彦根城の様子をチョット映してきた。
お城を出て西側にある夢京橋キャッスルロードに出たのはもう午後3時ごろ、ほとんどの食べ物屋さんが閉まっていた。かろうじて空いていたお蕎麦屋さんに飛び込み遅い昼ご飯。ざるそばがとても美味しかったが、+小鮎の天ぷら一皿とったら沢山あって、それが美味しくて、2人一皿で十分。もう一度行きたいぐらい。琵琶湖の鮎は大きくならないんですよと店の人が話していた。
駅まで帰るのにタクシーに来てもらったが、ほとんどのお店が2時半にしまっちゃうなんて、と話したら、「この辺りには、近江商人の商売っ気はなく、まあお武家さんやらお公家さん出身が多いのや違いますやろか」なんて話だった。
次の3日は近江八幡、近江商人発祥の地どっせ!
最初、石田三成が居た佐和山城に入ったが、すぐその手前に彦根城を作った。その彦根城の様子をチョット映してきた。
駅まで帰るのにタクシーに来てもらったが、ほとんどのお店が2時半にしまっちゃうなんて、と話したら、「この辺りには、近江商人の商売っ気はなく、まあお武家さんやらお公家さん出身が多いのや違いますやろか」なんて話だった。
次の3日は近江八幡、近江商人発祥の地どっせ!
2014年6月7日土曜日
京都=>叡山=>坂本
6月1日、新幹線で京都へ、大きめの荷物は駅で預けると大津のホテルに届けてくれる。すぐJRで東福寺駅へ、そこから京阪電車で出町柳へ。そしてケーブルカーで叡山を目指した。ケーブルカーに沿った谷筋にジャケツイバラが満開ですばらしかった。そういえば田代のジャケツイバラはどうしてるだろう。
ケーブルカーを降りてすぐに、ガーデンミュージアム比叡という施設。中には庭に草花が一杯で、その合間に絵が展示してある。それも印象派の絵だけで、陶板焼きにして展示してあった。陶板だから野外に置けるのだが、印象派の画家は野外に出て絵を描く傾向にあった、ならばその絵も屋内に置くよりも屋外で自然光の中で見るのが自然だろうということらしい。
到着がちょうど昼食時だったので、ミュージアムのレストランのテラスで昼食。 その日は梅雨入り直前の好天で、暑いくらいだったが、峰を超える、そよ風がとても心地よく、テラスに陣取ったのは正解だった。
花もきれいだったが、ジベルニーのモネの庭を模した睡蓮の池まで作ってあったりして、中々凝ったつくりになっていた。絵を見て歩くのもまた楽しい。
ガーデンミュージアムのもう一方の出口に出ると、バス停があって、延暦寺までバスで行ける。東塔付近だけに限ることにして、国宝殿、大講堂、根本中堂を拝観して坂本側に降りた。根本中堂は荘厳な感じをひしひしと受けた。
大津に2泊して、ぶらぶらして帰ることになるが、滋賀県に足を踏み入れたことがないという背の君は一つの念願を果たしたことになる。あとは新潟県のみと言っている。(そういうこだわりを持たない私は、にやにやと眺めながら、お供を楽しんでいる。)
ケーブルカーを降りてすぐに、ガーデンミュージアム比叡という施設。中には庭に草花が一杯で、その合間に絵が展示してある。それも印象派の絵だけで、陶板焼きにして展示してあった。陶板だから野外に置けるのだが、印象派の画家は野外に出て絵を描く傾向にあった、ならばその絵も屋内に置くよりも屋外で自然光の中で見るのが自然だろうということらしい。
到着がちょうど昼食時だったので、ミュージアムのレストランのテラスで昼食。 その日は梅雨入り直前の好天で、暑いくらいだったが、峰を超える、そよ風がとても心地よく、テラスに陣取ったのは正解だった。
花もきれいだったが、ジベルニーのモネの庭を模した睡蓮の池まで作ってあったりして、中々凝ったつくりになっていた。絵を見て歩くのもまた楽しい。
大津に2泊して、ぶらぶらして帰ることになるが、滋賀県に足を踏み入れたことがないという背の君は一つの念願を果たしたことになる。あとは新潟県のみと言っている。(そういうこだわりを持たない私は、にやにやと眺めながら、お供を楽しんでいる。)
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