2日は大津から電車で彦根まで出かけた。彦根城を見学。この城は徳川家の家臣筆頭の井伊家の城。井伊直政は家康から、滅んだ武田勝頼の遺臣100人近くを託され、それをもとに赤備えの異名をとる軍団を形成したそうで、徳川四天王の一人。赤備えというのも、武田の有力武将、飯富(おぶ)虎昌らの赤備えにあやかったものとのこと。琵琶湖畔南部に構えて、京都以西ににらみを効かせたのでしょう。この藩は一度も改易を受けてないどころか、幕末の井伊直弼を含む、4人の大老(幕府始まったころの2代目、3代目を加えて6人という考え方もある)輩出している。
最初、石田三成が居た佐和山城に入ったが、すぐその手前に彦根城を作った。その彦根城の様子をチョット映してきた。
お城を出て西側にある夢京橋キャッスルロードに出たのはもう午後3時ごろ、ほとんどの食べ物屋さんが閉まっていた。かろうじて空いていたお蕎麦屋さんに飛び込み遅い昼ご飯。ざるそばがとても美味しかったが、+小鮎の天ぷら一皿とったら沢山あって、それが美味しくて、2人一皿で十分。もう一度行きたいぐらい。琵琶湖の鮎は大きくならないんですよと店の人が話していた。
駅まで帰るのにタクシーに来てもらったが、ほとんどのお店が2時半にしまっちゃうなんて、と話したら、「この辺りには、近江商人の商売っ気はなく、まあお武家さんやらお公家さん出身が多いのや違いますやろか」なんて話だった。
次の3日は近江八幡、近江商人発祥の地どっせ!
2 件のコメント :
彦根城ですね~
懐かしく拝見させていただきました・。
彦根城横にある 直弼の旧屋敷には行かれましたか?
世捨て人のように暮らしていた「埋木舎」ですが。
確か そこの庭の柳の木に直弼作の面白い句が掛かっていたなと思いだし、検索してみました。
「むっとして 戻れば庭に 柳かな」
人間臭い句ですね。
ここのすぐ横に美味しい料理屋さんがあったはずと検索したのですが、もうありませんでした。
素敵な店主さんはあの頃70代くらいで、
私たちの旅は20年近く前のことでしたからね・・・。
当然、埋木舎の前まで行ったのですが、当日はお休みでした。
兄が父の跡を継ぎ、他の兄たちはよそに養子に出たに直弼はそれもかなわなかった。
兄に取って代わらんとするような姿勢を見せれば、それは大変危険なこと。
ひたすら埋木舎で忍従、読書の日々だったのですね。それが兄の死から、藩主の座に就く、はては幕府の大老に。
一つの教訓的生き方かも。
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