2014年7月1日火曜日

なんと伝えるべきか

ゆめまぼろしのごとくなり・・という年齢超えて20年以上になる。この先もうそれほど長くない身にとって、自分はもう良い。この国で死ぬ。でも後は野となれ山となれとは言えない。

この国は、曽て軍部独裁の時期があった、一旦滅んで、再び立ち上がった。しかしこのままだと、再び独裁国家に戻りかねない。その前兆が「憲法解釈の変更」というとんでもない手続きが内閣によってなされようとしていることに見えている。
首相は長く考えていたことかもしれないが、これを国民が理解しているわけではない。内閣で解釈変更を決めてから国民に説明するというのは全くナンセンス。決める前に深い議論がなされるべきだ。まさに独裁者の手法ではないのか?
国を挙げての深い論議がなされないまま、憲法で定められた手続きを経ずに、国の哲学たる憲法が「解釈変更」という仕方で、変更されようとしている。中味の深い議論が広く行われないのも問題だが、手続きの仕方が大きな問題だと思う。

本音を言えば、もう直に、成年となる孫に向かって、本気で筋道が正しく行える国に作り変える気概があるならこの国に残れ、その気がないなら、この国を捨てる道も一つの道として考えろ。と言いたい。言うべきか言わざるべきか迷っている。
次世代に向かって何というべきか?将来社会に貢献する人が少しでも多く増えるよう、理科実験支援事業をすすめているが、私の迷いと矛盾して苦しい。日本と限らず、世界のどこかで貢献できればそれで良いと言えればそれでも良いのだが・・。

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