2009年12月3日木曜日

姫路城

姫路城が改修のためすっぽり覆われてしまうらしい。改修後の姿も楽しみだが、再見できるかどうか分かったものでもない。(西の丸の建物の改修はすでに始まっていた。)いい時に来たもんだと、じっくり眺めてきた。千姫も西の丸に住んだという。その西の丸からの天守閣の眺めが格別である(写真左)。

天下人になる直前の秀吉がまずここを本拠とするつもりで城を増改築、山側にあった道、山陽道?、を曲げて、姫路を通るようにし、城下町の形成を図ったとのこと。その後、家康の意を受けた池田輝政が大改築を行った。江戸時代に入ってからは徳川家の重臣中の重臣や親藩たち、本多、松平、榊原、酒井が入れ替わりでこの城を預かった。西国に対する備えの前線拠点という意味があったのだろう。


本丸、天主閣に至るには、下から螺旋状にぐるぐる回らないといけないようにできていて、急に門のところで狭くなったり。まあ取り巻かれてしまえばおしまいだろうけど、簡単には落ちないように設計されている。

世界遺産という事であるが、天主の窓の前にある格子(?)はコンクリだった。長い期間の保存を考えると、いたしかたないのかな?

内堀の外の西側にある好古園もなかなかいいお庭で楽しめた。写真をクリックすると大きくなります。

2 件のコメント :

匿名 さんのコメント...
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トントン さんのコメント...

日本にお城は数々あれど
国宝のお城はわずか4城

その筆頭の姫路城は、あの戦争の折、姫路一体が大空襲で焼け野原の折も、
運良く火災から
免れたゆえ、建造当時のほぼ姿とか

ボランティアガイドさんの説明を受けると
要所のその凄さが判ります・・です

トントン、ガイド説明受けたの?ですって?

ハイ、どこかのツアーさんがガイドさんつけてたのを、
後ろからご一緒に聞きながら・・・

途中から、あまりの説明の素晴らしさに
じっくり要所を見たくって・・気がついたら
はぐれちゃいました・・・です。