それは左に示す、正応5年(1292)銘の板碑で、市内で確認されているものでは最古であるとのこと。市指定有形文化財(歴史資料)だそうです。主尊は折れて欠落しており、正応五年八月六日と刻まれていて、矢部義兼の追善供養に作られたという上矢部の板碑より古いことになる。
この板碑、もとは上溝本郷にあったものを昭和の初めに安楽寺に移したと云われている。本郷は現在の上溝駅の南、姥川と上段への段丘に挟まれた地域に当たる。
正応五年と云うと正応年間最後の年で、正応年間には北条の被官から御家人になった横溝五郎太夫が上溝の丸山(今の上溝中学から野球場あたり)に城を築いてこの地を治めた(相模原の史跡:座間美都治)とあり、本郷は久保が谷戸と呼ばれた谷戸と重なり、半農の武士たちの家がいくつもあったであろうと想像されます。この板碑はそんな人々の誰かの追善供養碑なのでしょう。(この板碑そのものは非公開とのことです)
以下は安楽寺の現在です。本堂は昭和58年に再建された由、こじんまりとした、静かなたたずまいのお寺です。真言宗のお寺で、空海の像が建っていました。
住所は神奈川県相模原市上溝592。 番田駅から鳩川を隔てて東方に位置しています。
7 件のコメント :
よさげな所ですねぇ~。今度行って見ます。多分周りは、走っているとは思いますが、覚えていません。又また興味の場所です。ありがとうございました。
中さん
最近自転車で廻られたところの近くですね。大規模マンションを建てている現場の近くです。
番田駅近くにあるお寺で 門の前に4体の地蔵がならんでいるお寺ですよね、寺は行った事がありますが、鎌倉時代の板碑があるとは知りませんでした、情報ありがとう御座います。
権兵衛さんのブログをみると、何時も勉強になります。
文化財位置図などもあるんですね~。
おがちゃん
あのお地蔵さんずいぶん古びたものですが、中には座ってると思しきものもあって、にっこりしちゃいました。
菊池さん
この地図は歴史の先生が下さったのですが、市はいろいろ用意はしてるのですね。
身近な我が町・・の歴史
辿ることで、街への愛着と、今こうして
生きている命の摩訶不思議さも思い至り
とっても好きな掘り起こしです。
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