2011年7月26日火曜日

ワシントンナショナル・ギャラリー(国立新美術館にて)

((左;モネの絵))
乃木坂にある国立新美術館でアメリカのワシントンナショナル・ギャラリーから、改装時の貸し出しの機会に、引っ越してきた印象派・ポスト印象派の美術展を見に行こうと我が家の美術観覧担当大臣が誘う。どうしてアメリカ?と思ったが行ってみてとっても良かった。ヨーロッパからアメリカに、印象派の絵を勉強に行くなんて現象があったらしいが、どうしてこんなに沢山の印象派やポスト印象派の絵がワシントンナショナル・ギャラリーにあるのか、いぶかりながら見ていたら、3階の講堂で江崎聡子さん(東工大、世界文明センター、フェロー)の講演があり、お話しを聞いて、納得した。
((右はマネの絵))

講演を極々簡単に述べると、アメリカ富裕層出身のメアリー・カサットが印象派が活動するフランスの画壇に飛び込み、ドガとかマネ等と交流し自身画家として活動するが、ちょうどそのころ(19世紀末)アメリカは大変豊かとなり、金持ちが、投資的な意味も込めて絵を買い集めた。アメリカに公的な美術館が出来る機運にもあった。そこでカサットがいい絵を紹介する役割を果たした、とのこと。作品を借りるにあたって、ワシントンナショナル・ギャラリー側の条件がカサット作品を多く展示することだったとか。
左はゴッホの薔薇の絵。
展示期間は9月5日まで。お勧めです。写真はクリックすると大きくなります。

お隣の部屋では毎日書道展もやっていました。その中で、”宇野雪村の美”という特別展だけ見てまいりました。7月31日まで。立ち寄った感じの観覧だったが、素晴らしかった。私の固定観念をすっかりぶち壊していただきました。

2011年7月19日火曜日

なんと、たおやかな!

なでしこジャパンと云う名称を新聞で見るようになったころだったか、女子サッカーの国際試合をテレビ観戦したことがあった。大変失礼ながら、日本チームに、この人本当に女性?と思うほど、動きが際立った選手がいた。米国でプレイ後、帰国してそれほど時が経っていない澤選手だった。
あれから数年たったが、女子W杯決勝はテレビで始めっから最後まで見た。今度は澤さんだけが特別に際立つようなこともなく、全員によるすごい試合を見せてもらった。

試合後のトロフィーを持って飛び回る選手たちの姿は感動的だった。でも、もっとジーンとくるシーンがあった。澤選手が、個人表彰を受け、金色の”靴”を手にした時の姿だった。金の”靴”を受け取って、FIFAの幹部と握手する間はとてもにこやかだったのに、横にずれて写真を撮る段階になって、カメラの方列の方に何かは言うが、笑顔は消えていた。夢を実現して、その上個人の最高の賞を得て、喜びを表現してもいいのに、どうしたのかなと思っていたら、横から彼女の肩に手がかかった。別の色の”靴”を受けたワンバック選手だった。ワンバックは澤の肩を抱き背をかがめ柔和な顔をしている。多分こうすれば澤が柔らかな表情をすると思ったのではないだろうか。澤はと云うと喜びを奥にしまったままの姿だった。思いを馳せているのだ、自分を育ててくれたアメリカのサッカー界の代表的な選手、しかも互いに認め合う相手の心に。
言葉は交わさなくっても、たがいに通じあうのだろう。美しいものを見たと思った。滞米3度、どんなに実力があっても、苦闘することもあったろうし、苦悩することもあったろう。そしてその間に培ったものはサッカーの枠を越えて大きいものであったに違いない。それを垣間見せてもらったような気がした。インタビューに答える姿もとても素晴らしい、力ずよさと優しさに満ちたものだった。

2011年7月12日火曜日

面白い統計

グーグルのブログも去年の5月から閲覧に関する統計が取得できるようになり、時々見ている。私がひそかにほくほくとしてた事の一つは2008年8月に一生懸命調べて、自説を含めて書いた郷土史の記事"雄龍籠山の金毘羅社と川尻八幡宮そして横山荘”(クリック可)の閲覧回数がずーっとトップだったことだった。
ところが、ほぼ同じころにアップした"分解のすすめ (自転車屋さんにもらったベル)"(クリック可)の閲覧数が今年になって、どんどん増え、今では去年の5月から数えて291回で、第2位の上記の横山荘の記事の閲覧数210を断トツで抜いてしまった。すぐ身の回りにあるものだから、こんなもの見るより、自分で分解すりゃいいのにと思ってしまうが、記事の中味はYou Tubeに載せた分解の様子を示す動画が埋め込まれていて、どんな歯車をどんな風に組み合わせて使い、自転車のベルがどう鳴るかが分かるようになっている。
これをアップした理由は、自転車のベルの蓋を使って、電池で鳴らすベルの廃仏利用版を作ろうと、蓋を外したら、下の部分をそのまま捨てちゃうのはもったいないと思ったからだった。アップした頃は、自転車を柱か何かにぶつけた拍子に、ベルがはずれちゃってどうやって直していいかわからず、ネットで調べたら、この動画に出会った。どうもありがとうという、見ず知らずの人からメールをもらい、まあ役に立って良かったと思ったのだが。この閲覧繁盛ぶりはいったいどういうことなのだろう?
左は自転車のベル分解の動画に関して、You Tubeから得た閲覧者の年齢・性別分布を示すデータである。対象はYou Tubeユーザーのみで約1500件が対象。
棒グラフの薄いブルーが女性、濃いめのブルーが男性で、横軸は年齢、13-17歳、18-24歳、25-34歳、35-44歳、45-54歳、55-64歳、65歳以上に分かれている。男性の閲覧数はこんなものかと思う。55-64歳で減るのはきっと最も忙しい年齢、「こんなもの見てられるか」てなものであろう。面白いのは女性である。35-44歳の所まではどの年齢帯もほぼ同じ。所が45-54歳で急に4倍近くになる。子育ても一段落して、いろんな社会活動をされる年齢層である。子供たちの指導支援に携わる方たちが見ておられるのだろうか?それとも、突然変異で、急に閲覧者が増えたのはこの辺にかかわりがあるのだろうか?よくわからない。55歳以上になるとぱたりとほぼゼロになる。これもよくわからない。誰か「こんな事じゃない」という分析ありませんか?

2011年7月9日土曜日

はやくも梅雨明けとのこと

昔は、7月上旬とゆうと、梅雨明けはまだかいなー、あっ雷さんがなった!などと、梅雨明けはまだかまだかと待ったものだが、もう梅雨明けとのこと。あんまりじめじめもせず、梅雨があったっけてな感じでしたね。
今日は山の神さまのお伴で、新宿で買い物。外へ出るとサザンテラスあたりも、暑かった、暑かった。暑さを口実に入った洋品店で、ご自分とお嬢様のTシャツを物色されている間、冷房の利く店内の椅子に座って、わたしゃ読書。
そのあと、渋谷から東横線で都立大駅で降りて大施餓鬼法要が厳修されているお寺さんへ。卒塔婆をいただいて、お墓のクリーンアップ。
暑さがひどかったのか、具合がわるくなった方がおられたようで、救急車がお寺の前に止まっていました。今夏は大変なことになりそう!

墓石拭く スポンジ熱く 夏木立

2011年7月1日金曜日

責任と言う言葉 : 国の責任、大臣の責任

海江田経産大臣は国が責任を持つからと、原発の再開を促した。その時、素直に思った事はいったいどんな責任をとるつもりなのだろうか?ということだった。
案の定、今日(7月1日)の天声人語で、同じようなことに言及していた。

福島原発の問題に関して国はどんな責任を取ろうとしているのか?今やってることは対処療法的なことであって、責任をとっているというようなものではない。
世が世なら、大臣はじめ原発を推進した人たちは切腹して国民に詫びなくてはならない状況の筈である。それぐらいの緊張感を持って、やるべき性質のことだ。

海江田大臣が国の責任と言った時、本当にそれ相当の緊張感を持って言ったのであろうか?何かあったら、国が適当にうまくさばいてやるから、地方の首長は”責任”に思い悩まなくってもいいよ、とでもいうような調子だったのではないかと疑いたくなる。そうであれば、住民を守る義務を負う首長も何と軽い判断力か!ということになるが。

責任と言う言葉、軽々しく使ってほしくないなーという思いである。

第二次世界大戦に関するA級戦犯の中の唯一の文官、広田弘毅のことが、本に書かれた文章を通してのみ知る人であるが、なぜか思い出された。

2011年6月28日火曜日

野中広務氏の言葉

社会が混乱し、それにまつわるいろんな事象にかまけて忘れかけていた事に、国旗、国歌にまつわる処罰問題がある。6月28日の朝日新聞の争論と言うページに”君が代起立条例”が取り上げられ、野中広務氏と橋下徹氏の意見が掲載された。前者は条例にX、後者は条例にO。
野中氏と言えば、今は引退しておられるが、あるときは自民党、国政において中心的な働きをした人である。いろんな評価があるであろうが、私には氏が発した今も忘れない、一言がある。どういう問題を議論していたのかもう覚えていないが、「大政翼賛会のような事になってはならない」という趣旨の言葉だった。当時の権勢意のままに政治を手繰っていた自民党の重要人物の言葉だっただけに、忘れないのだが、このページにおいても、一貫した氏の意見を読むことが出来た。
一方、条例を推進する、橋下氏の議論はルールを軸にし一見目をひくが、実は底の浅い議論のように読んだ。

野中氏の意見は”「起立せなんだら処罰する」なんてやり方は権力者のおごり。教育者を処罰してまで従わせようというのは、国旗・国歌法の制定に尽力した者として残念です。”で始まる。国旗・国歌に関する法的根拠がないことが論点となって、教育委員会と教職員組合の板挟みとなり、ある高校の校長が自殺した。当時の官房長官として、氏は義務や罰則のない「国旗は日章旗とする」、「国家は君が代とする」という二つの条文からなる法律を作った。
野中氏は学校で国旗・国歌を教えて自然に浸透していってほしい、が、強要する筋合いのもんじゃない。各地の教育委員会が起立する、しないで教職員の処罰を繰り返していることを不本意と思っていると述べている。

実際、日本はアメリカ合衆国のように多民族が集まって暮らす国の場合と違っており、無理やり国旗に向かって起立させなきゃならない社会的事情があるのかどうか、自然に郷土愛が育まれて行くような教育は重要のように思うが。

昭和の初期の暗い戦争の時代に強く裏切られた思う人たちの中には日の丸・君が代にたいして、負の感情を抱く人がいることに、野中氏は思いをはせる。氏の中には、あの戦争の暗い記憶、国民が一色に染め上がってしまうようなことに対して、受け入れがたいものがあるようだ。「大政翼賛会のような事になってはならない」の発言と一致している。

野中氏は”日本人は一色に染まりやすい。小泉改革の時も、民主党が政権をとった時も、国中が熱病に侵されたようになってしまった。分かりやすい敵をつくり、徹底的にたたいて支持を広げるポピュリズム政治がはびこる土壌がある”と指摘する。
氏の議論は政治と教育にも及ぶが、それは置いておこう。

最後に、この条例に対して”決して些細なことだとは思はない。誰が立たなかったかチェックするなんて、そんな社会は嫌だねえ。橋下さんは発信力の強い人だけに、日本全体が悪い方向に変わって行かなきゃいいがなと心配してます。”と結んでいる。
全く同感です。こういう混乱した時期だからこそ、このご意見は大変重要と思ったしだい。

2011年6月22日水曜日

京への期待、ソフト開発者への期待

前首相が首相時代にのり出して、事業仕分けで凍結された予算を復活させた、ス-パ-コンピュ-タ-京、来年完成予定だが、今年の段階でダントツの世界1位の処理速度を実現して見せた。日本の技術力に改めて大きな喜びを感じた。でもまだ手放しで喜んでいるわけにはいかない、これからはこのマシンをどのように活かすか、もう既に十分な準備をしていることであろうが、各研究分野における科学者、ソフトウェアー開発者の力が試される。世界にはすぐに、京を追い抜くぞという開発が進捗しているのだ。

計算機の処理速度には当然、電流の速さもかかわる。しかしこの速さはどんなに抵抗の小さい物質を作っても、光の速さを越えることはあり得ない。一つの処理機には自ずから限界がある。限界を越える手法として沢山の処理機を並べて同時に処理する並列処理が考えられ、今のスパコンはどれも基本的にはこの手法をとる。

もし、一つの処理機で与えられた分担処理が他の処理機の計算処理と無関係に処理しきれるなら、タダ沢山並べればいいじゃないという事になるが、一般にはそんなわけにはいかない。一つの大きな計算問題、例えば気象の問題で、地域を切り取って一つ一つの処理機になすべき計算処理を分担させるとしても、一つの地域に関して、他の地域の情報なしには正しい計算は出来ない。処理機の間のコミュニ‐ケーションの速度とコミュニケーションをとるべきタイミング(例えばある処理機の計算が終わり、データを受け渡すまでに、他の処理機の待ち時間の長さが著しいと、並列処理の効率はひどく落ちてしまう)が大問題となる。処理機の間のコミュに‐ケーションの速度は計算機開発の側にゆだねられるが、後者は如何に効率良い算法(アルゴリズム)を用いて、処理プログラムを書くかということに尽きる。

計算機科学の各分野(気象だけでない、宇宙、天文、医薬品なども含むいろんな物質科学、生命科学、等々多岐にわたる)に従事する研究者のアルゴリズムに関する研鑽、開発力に大いに期待したい。処理プログラムが出来れば、それをどんな問題を対象とするかを計画して、計算を実行する人たちの存在も勿論重要になる。しかし、よりよい成果がどれだけ早く取り出せるか、言わば井戸を掘る人達(処理プログラムを書く研究者、ソフト開発者)の発想力にかかっている。

3,4年前になってしまうが、ある分野の、ある方法に関して、計算処理理論を作り、実際に並列処理プログラムを書き、その問題については世界最速のプログラムを書いた者として、若い人たちの活躍に期待し、胸躍らせている。