2013年1月13日日曜日
年賀状から_2 (活断層のこと)
オーストリアの姪の嫁ぎ先の親から弟に来た挨拶状に、”前にだめだった人(政権を投げ出した人)が、再度党首になって、しかもその党が選挙に圧勝するって??”と不思議がっていたと弟が語っていた。確かに不思議に思うでしょうね。私もあの圧勝ぶりには信じられない気持だった。
私へ来た年賀状の中に、別の不思議を綴ったものがあった。年頭の挨拶文のあとに続いた彼の文を紹介したい。
「日本は、活断層がなんでこんなに増えたんだろう、
しかも、この10年~20年の間に・・・・・・・
科学(技術)が進歩して、見えなかったものが見える
ようになってきた・・・ ということなのでしょうか
ほとんどの発電所敷地は'70代迄には決まっていたのですよ
フィードバックをどのようにかけるかの問題なのでしょうか」
私は全くの門外漢ではあるが、現場の映像を見、活断層かどうかの議論を聞いていると、見えなかった断層が最近になって急によく見えるような技術の発展があったり、問題の断層が活断層かどうか判断することが急に容易になったとはとても思えない。専門家の間でも意見が分かれたりするのだから、決して容易ではないだろうが、活断層だと云う判断が増えている事を考えると、推測ではあるが、かつての原発立地を決める際に、無視したり、或いは、別の判断基準があったのであろう。
原発の安全運転に全力を傾注し、悩みぬき、その結果、身体を壊してしまったこの友の言葉は非常に重い。「科学者は何をしてる!!」と叫んでいるようでもあり、悲痛なものを感じながら読んだ。
原発事故の後、メディアを通して識者、権威と言われる方々の多くの意見を聞く機会があった。中には背筋をピンと伸ばして傾聴するに値する意見もあったが、自分への利益誘導的なものや首をかしげたくなるような話もあって、まあ玉石混合という印象であった。所謂、権威あるいは識者と言われる人々の話といえども、そうしたものであると注意深く聞くことにしているが、専門は違うとはいえ、科学にかかわった個人として、もっと積極的に是は是、非は非と効果は小さくとも発言すべきだったかと、何とも重い気持になる。
一方で、こういった識者、権威と言われる人たちのなかに、原発の設置及び設置場所に関する意見を時の権力者に述べる人たちが居たはずで、時の為政者が原発立地の妥当性に関する意見具申者として為政者に取って都合のよい事をのべる人ではなく、真の意味で適切な人たちを選んでいたら、活断層が急に増えるなんてことはなかったはずだとはっきり言えると思う。
今更言うまでもないが、立法府にどういう人を送り込み、行政府を形作らせるのか、本当に大切だとつくづく思う。今の行政府、大丈夫だろうか?
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2 件のコメント :
前から思ってるんですが、日本の首相は、忙しすぎるのではないかな?
本を読む暇もない、夜中に酒をチビリチビリと舐めながら、
深々と考えこむって姿でも見せてもらえば、多少とも信用ができるが。
分刻みで、誰かに会うのが、仕事ではね。
J.F.ケネディなんか、お昼から、3時までは、お昼寝。
大統領、執務室に子供を入れて、遊ばしている写真なんかありましたね。
水爺さん
首相というポジションが官僚機構の使い捨ての権威の帽子となっているということがあると思うのです。本来は最終的には首相職が責任を持つのですから、わざわざ権威付けに首相を引っ張り出す必要はないはずです。首相以下の各レベルで、レベルに見合った責任をきちんと持って判断できるなら、もっと上の方は時間をつくって考えられるのですが。
もしそういうことが実現していれば、復興のスピードだってもっと早まったはずです。
責任をもって判断しないで済ます構造が出来上がっていることが国の体内に巣くう癌の一つだと思うのです。
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