大打者榎本を初めて知ったのは、私が中学2年生の時だったと思う。祖父母の家近くの駒沢球場(東京オリンピックを期して運動公園となり、東京オリンピックではレスリング会場に当てられた)で行われた東映フライヤーズ(今の日ハムファイターズ)対毎日オリオンズ(今の千葉ロッテマリーンズ)戦だった。彼は早稲田実業を卒業直後で既にオリオンズの3番に座っていた。それ以来、何故だかわからない、榎本のそして彼がいるオリオンズの熱烈なファンになった。天邪鬼の私、皆が騒げば騒ぐほど、セリーグ、特に巨人は眼中に入らなかった。そして、段々理屈を付けるようになった。バッティングの構えとフォームがすごくきれいと言うか、張りつめた凛としたようなものを感じたのだ。彼は左投げ左打ち。私は右利きだったが、それ以来、左打ちに変わった。勿論草野球だが。彼のようなライナーが打ちたかった。打てた時は、嬉しくって、あとはどうでもよかった。
王を育てた荒川博の一番弟子。打撃の完成度から言えば、王(榎本の4年後輩)を上回っていたと荒川の弁。成績は問題ではなく納得のいく打撃が出来たかどうかだけが問題だったという。王の場合は巨人という、勝たねばならない球団にいたので、打撃法だけを追求するわけにはいかず、心ならずのこともあったろう。榎本と同じチームでプレーしたかったと、王が述懐しているのを見た。
ああ榎本、真剣を振りながら打撃法を追求した人。あの川上をして、自分より榎本の方が打撃の神様と呼ぶに相応しいと言わしめた人。川上、山内に次いで、31才の若さで2000本安打に到達(最年少記録)したという、求道者にして天才打者。私の若き日の星が又一人消えた(3月14日)。享年75歳。心からご冥福をお祈りする。
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