2016年5月7日土曜日

鑁阿寺(足利氏居館祉、100名城の一つというのだが)

桐生駅で簡単に昼食をとって、電車に乗り、足利に再度戻る。足利氏居館跡を訪ねてみることが目的だったのだが、駅を降りて調べたら市立美術館で「画家の詩、詩人の絵―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」という題名の日本人作家の展示をしているとの報に接し、ちょっと寄ってみた。美術館に入ったところで呼び止められ、八ッと見たらなんと、現役時代、隣の研究室の同僚だった。私より3年後に定年退職し、千葉に戻ってきていたのだが年賀状をとりかわすだけだった。彼は館を出るところだったので、互いに挨拶して別れたのだが、なんと10年ぶりの再会。あまりの偶然にびっくり。
展示はこんな角度の見方もありかと思い、興味深かった。でもやっぱり棟方志功の作品には惹かれる。正岡子規、北原白秋、草野心平などに交じって高村光太郎も詩人の作品の中に入っていた。特別展示室で関連企画として、「連画のいざない」という一連の作品の展示があった。連歌ではなくて連画。これもちょっと面白かった。
あんまりのんびりもならず、歩いて足利氏居館祉たる鑁阿寺へ。四方は小さな堀で囲まれ、その内側には土塁が積まれている。鎌倉時代に成立した豪族の居館の跡といった形だが、館を思わせる建物はなく、中央に鑁阿寺の本堂がある。実は足利家第二代当主、足利義兼が館を、改めて鑁阿寺としたらしい。つまり早い段階からもう館の意味は失っていたらしい。前述したように足利氏自体は鎌倉幕府が確立するころから鎌倉に移ってしまったのであろう。それでも、100名城の一つに数えられているのは、堀と土塁が当時の構造を知る痕跡として価値があるのかと思われる。わずかに足利氏と結びつくものは北の端に御霊屋と云うのがあって、室町幕府15代の将軍たちの木造が安置されているという。
小山ー高崎を結ぶ両毛線には昔、湘南電車と呼んでいた車両ではないかと思うが、沢山走っていた。

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