佐渡はいろいろ興味があるのですが、我が相模の国ともかなり深いかかわりがあるのご存知ですか?
鎌倉時代,横山党の一族の海老名氏はまさに海老名に拠っていましたが、その一族本間氏は依知に本拠を持っていました。その中の本間能忠は北条氏の一族の大仏氏に仕えていました。その大仏氏が佐渡の守護に任ぜられ、結果、本間能忠が守護代として佐渡に赴き(1185年)、後大きく栄えた佐渡本間氏の祖となったとあります。
また、和田の乱(1205年)で敗れ、敗走した横山党などの人々の一部は佐渡まで逃れたとあります。そして承久の乱によって、京の都側が敗れ、順徳上皇が佐渡に流されるわけですが、勢いを得た鎌倉幕府は沢山の地頭を佐渡にお送り込んでいます。藍原氏(相原付近にいた)、土屋氏(平塚が本拠)、渋谷氏(綾瀬が本拠)等だそうです。そんなわけで神奈川の真北にある日本海の大きな島は実は歴史的に見て、相模とは深いかかわりがあるのでした。帰ったらチョットだけ旅行記を書きます。