8月20日 朝日新聞 オピニオン欄(第13面) 「米国から日本を見つめる歴史家 キャロル・グラックさん」 と題してインタビュー記事が載っていた。
深い理解がないまま日本を取り巻く事象に右往左往する海外メディアの日本理解の浅さを女史は指摘していた。なるほどと思ったが、その後ろに続く、所謂歴史認識に関連した広い視野からの発言が大変興味深かったし、重みを感じた。
女史によると、歴史認識の問題が世界中で顕在化したのは、EU統合にあたって、ホロコーストがヨーロッパ共通の記憶となり教育も行われたのであって、今に始まったことではない。日本のまわりで歴史認識がうるさく言われるようになった背景に、次のようなことがある:日本が太平洋戦争後、米国の庇護下にあって、アジア隣国との間で戦争の記憶に関してなにもしないですまされていた。敗戦後70年たつというのに「戦後」という言葉が語られるのはどれほど、居心地のいい時代だったかともいえるのではないか。それが、冷戦の崩壊を通じて、日米関係だけが唯一の重要な国際関係ではなくなり、アジアと向き合わなければならなくなった。日本政府が戦争の記憶と正面から取り組まなければならなくなった。本当は敗戦直後から向き合わなければならなかった問題を先延ばしにしてきた、今頃になって対応せざるを得なくなっているのだと。
「謝る」のが正しいかどうか考えねばならないが、やったことはちゃんと認めるべきだと私は思う、ほっかむりをし続けるべきではない。そして若い人たちにも正しく伝える事こそが将来に間違いが起こらないためにも必要と思う。
「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いにしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分達の話す日本語は海外では全く理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンに直ぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」という女史の言葉にも傾聴に値する。
首相の内向き発言ばかりが目立つこの頃にうんざりし、首相たるもの世界の中の日本をどうするかということにこそ力を込めてほしいのに。鎖国の時代ではないのですから。
女史は更に、安倍首相より危険なこととして、日本を含む、東アジア諸国の若者の間に見られる、互いに抱く嫌悪感、ヘイト・ナショナリズムを指摘する。将来を考えるとき確かに危険なことだ。今の指導者の思慮深い、将来をも見つめた、落ち着いた言動が非常に大事ではないだろうか。
憲法改正に関しても、「仮に今、憲法改正に着手したら政治のエネルギーを吸いつくしてしまうでしょう。中韓や東南アジア諸国との関係をどうするか、世界でどんな役割を果たすべきか、そんな課題がやまずみだというのに」と疑問を述べている。
現憲法のもたらす問題点は常に頭に置いておかねばならないが、改定を考える余裕がないほど、日本は複雑な構造を持つ国際社会の真っただ中に置かれている。容易なことではないように思うが、女史は日本にグローバルプレーヤーたれと言う。世界の中で他国が難しくっても、日本にはできるようなことを探るべきなのだろう。
独創性と賢さが求められる。
なお8月22日には第11面に「歴史認識 解決を探る」と題して、国家の謝罪を研究してきたジェニファー・リンド准教授のインタビュー記事が載っていた。これも考えさせられる。
ヨーロッパでどのように乗り越えたのか、学ぶべきことは多い。