2012年10月30日火曜日

錦秋@日光中禅寺湖付近(10月27日)

26日朝、日光へは行ったことが無い我が君にくっついて日光へ出かけました。相模原ー八王子ー大宮ー宇都宮ー日光の鉄路(JR)を利用して。
着いた日の午後は東照宮などにお伴。先ずは日光山輪王寺 大猷院へ。階段をきつく感じてしまう歳になってしまったようです。ここは徳川家光の廟所。お江の方、秀忠、家光の位牌が並んで祀ってありました。
そのあと、東照宮へ。 眠り猫のところから奥院に入れたので、背の君を置いて行ってきましたが、まあ階段のきつかった事、嘆きながら戻ってきました。日光の街中の紅葉はこれからの感じ。

翌日は現地の観光バスツアー、中禅寺湖、半月山往復、に乗りました。お客11人。乗ってから判明したのは、あるTV会社の取材記者が乗っていて、インタビューされる。背の君丁寧に対応するも、私少しそっけなく対応。取材拒否でカンカンに怒りだす人もいました。
本日朝9時ごろに放映だろうと聞いてたので、まあ背の君は映るだろうと思って見てたら、私まで映ってた。 もうこの歳になりゃ、どうでもいい事ですが。

行きは第二いろは坂をのろのろ登ります。上にいくにつれ、紅葉がきれいになって行きましたが、見とれていて写真を撮るの忘れました。中禅寺湖に出て視界がぱっと開けたところで、お客の若い女の子が、”あっ!ウミ!!”と歓声あげたので一同どっと沸いて雰囲気は和みました。
その辺までは視界もよく見えていたのですが、終点半月山に着いたら乳白色の霧の中。中禅寺湖周辺の錦のような光景は眺めることは出来ませんでした。帰りは中禅寺ー華厳の滝ー第一いろは坂経由で帰ってきましたが、下のビデオをご覧ください。紅葉はきれいでしょう。
帰路の鉄路は、東武線の特急に乗って大宮ー(埼京線乗り入れ)-新宿ー町田でした。

2012年10月13日土曜日

スズランの実@横山公園

横山公園では毎年5月に スズランが咲くが、今年も咲きました
花が咲きゃ、実がなるのが普通だが、スズランの実のことはすっかり気がつかないままでいました。
今年、あれっと気がついて、写真を撮ってきました。橙色した可愛い実でした。
写真をクリックすると、ちょっと大きくなります。

2012年10月7日日曜日

スロベニア・クロアチアの旅_7 (プリトブィツィエ湖群国立公園(世界遺産))

旅の終わりにプリトブィツィエ湖群国立公園を訪れた。滝あり、何段かになっている大小さまざまな湖沼からなっている。右図(クリックすると大きくなる)のA地点から始めて、大きな滝(B)に寄り、段々と上に歩いて行ってC地点から船でD、Eと渡った。奥にもっと綺麗なところがあるらしいが今回は半分だけ。でもとても澄んだ良い空気を吸って、ほどよく歩き、気持ちの良い森林浴だった。
この旅行の最後の晩はザグレブだった。
夕方近くに、ザグレブに着いた。ザグレブはクロアチアの首都。見所が多いのだが、今回は旧市街を少し歩いただけだった。何だか物足りなかった。東欧圏の首都巡りでも考えたいと思った。

翌朝早く発って、クラーゲンフルトへ。そこから飛行機でウイーンで乗り継いで帰国した。
かなりきつい旅程だったので、体は疲れたが、心は軽くなった。行く前かなり気持ちが重い状態だったからだろう。心も、目も洗われた感じがしている。

2012年10月5日金曜日

スロベニア・クロアチアの旅_6 (モスタル 戦禍の残る)

9月21日に海辺を離れ内陸に入り、ちょっとボスニア・ヘルツェゴビナに入ってモスタルを訪れた。この国はキリスト教徒とイスラム教徒がすむ国で、紛争時には宗教上のぶつかりでもあった。紛争時、確かこの国のことだったと思うが(モスタルかどうかは覚えていない)異なる宗教に属す恋人同士が(どっちがどっちか記憶はない)両宗教の人々が住み分けていた境界域で、二人とも撃たれて倒れているが、誰も助けに行けない。という新聞記事を読んだことが忘れられない。
モスタルは修復されたところと、悲惨な状態のまま残されたところもあった。 この街には古くからあった橋があった。時々テレビにも出るが、飛び込む競技と云うか度胸を競い合う行事が行われるが、この橋も粉砕された。水の中から破片を拾い上げ一部補って修復したと云う。下のビデオの中ごろに映るが、橋のたもとにDon't forget '93と書いた石が置いてあった。
出入国手続き:旅のさなか陸続きの国境越えを何度か経験した。どの国の人が、どの国から入出国するかによって取り扱いに少しの差があるようだが、観光のバスが続いたりすると随分待たされることもあった。最長1時間半待つことがあった。

通貨も複雑だった、スロベニアはユーロ圏オーストリアとの間の出入国のチェックはなかった。
クロアチアもユーロ圏に入ろうとしているが、今の通貨はク―ナ(KN);1KNは15円前後。
ボスニア・ヘルツェゴビナではマルカ(KM);1KMは約60円ぐらい。ユーロを使う事が出来た。

呑み助ではないんだが、見栄張ってかなり濃い赤ワインDingacを買ってきてしまった。正月に弟と呑むことになるのかな~。

2012年10月3日水曜日

スロベニア・クロアチアの旅_5 (アドリア海に沿って旧市街めぐり)

クロアチアはカソリックのキリスト教の土地。多くの教会、大聖堂を見た。またそれ以前のローマ帝国の皇帝の要塞宮殿跡も。世界遺産が3件。
城壁に囲まれた街。これが意味を持った時代には門限が厳しく設定され、間に合わないと翌朝まで外で待つほかなかった。そのための吹きっさらしの小屋みたいのも用意されていた。
モンテネグロのコトルの街も世界遺産。
これら観光地には、紛争の爪痕は目立たないほど修復されていた。修復、世界遺産保持といった面もある。それでも、小さな教会の壁の一方は穴があいていて、もう一方に砲弾が当たって石が砕けた跡があったりした。ドゥブロブニクの記録も想像するだに悲惨なものであったろう。20年以上たった今もその様子を聞くのははばかられるめんがあるようだ。

2012年10月2日火曜日

スロベニア・クロアチアの旅_4 (NAUTIKAと云う名のレストランもあった)

宮崎駿は旧ユーゴのあたりを取材して作品「紅の豚」へのヒントを得たとの話。 NAUTIKAという名のレストランがあったが、もしかして・・・。

私は旅行に出ると、その土地で出る食べ物は出来るだけ貪欲に食べることにしているが、今回お肉料理はそれほど美味しいとは思えず、お魚系がおいしかった。下の写真集には出てないがトロギールで食べたタラのフライも決して悪いとは思はなかった。 ビュフェ形式の朝食は、どこも似た内容ではあったが、パンも美味しかったし、ハム、ソーセージ、チーズ、野菜、暖かい副食も、果物もどれも美味しく、取り過ぎ、食べ過ぎの感があった。 以下では主に昼食(リゾットは夕食)の一部を写真に撮った。

街場ではマロニエ(西洋栃の木)の木をよく見かけた。マロニエのイガイガした皮をむくと、栗のような色形の実が出てくる。栗(マロン)とのかかわりが気になって調べたら、”マロンとは本来はマロニエの実を指したが、マロングラッセに使うマロニエの実をクリで代用したことから、クリのこともマロンと呼ぶようになったと言われる”とか。日本でも栃餅を食べますね。西洋では今は食用にはしないらしいが。

我々の仲間で、飛ぶ種が話題になっているが、これも西洋漆の一種だろうか、一つ一つがくるくる舞いながら落ちてくる。ひとかたまりで落ちていた。(クリックすると大きくなります)