アボカド君は葉が4枚となり、栄養が幹に回らないのでしょうか、伸びが止まりました。ボチボチ土に植える時期かな―。水栽培をしたヒヤシンスも楽しませてくれましたが、次の段階のようです。
今日の朝のTV番組で、小中学校での留年の話が話題になっていました。人を育てるということは容易なことではない。ましてやそのシステム作りは中々大変なことと感じます。
橋下氏は留年の議論に競争原理という言葉を持ち込みました。分かりやすいようですが、大人の目から見た効率主義にしか見えないです。教育は心の発育と切っても切り離せないと思います。考え方、それに伴う施策次第で、良くも悪くもなりそうな気がします。
一方で、今のように、どれだけ分かろうが、分かるまいが、トコロテン式に上級学年に上がる、というか、上げるというシステムも問題で、飛び級や留年のあるシステムがあってもよいと思います。ただそれをやるには、今の学校のシステムがあまりにも貧弱だと思うのです。
獅子の子落としという諺もありますが、たたかれても、それに負けずに伸びてくる人は確かにいます。しかし多くの人がそういう方法で伸びてくるとは思えず、その力を見ながら導き、刺激を与えることを通して、伸びていく人は少なくない筈です。適切な指導の仕方は一様ではないでしょう。
話を切り替えますが、小学校では一人の先生が全教科を教えることになっていて、これは無茶な話だと思います。低学年はともかく、高学年で学ぶ内容は、子どもたちが上級学校で学ぶことと結び付いているものが多く、進んだ内容を頭に置いて指導できるかどうかの違いは、特に専門性が高い科目ほど大きいと思います。しかし教師にだって、専門による習熟度の違いがあるのは当然でしょう。
実際に、私はシニアの仲間と、いろんな工夫をした教材を作って、小学校を訪れ、小学校では中々出来ない理科の実験、子どもたちが自分でする実験、を支援する事業を行っています。メンバーのほとんどが学校での教育経験はありません。私たちは教えるというより、私たちの好奇心や工夫する”遊び心”を子どもたちにぶつけ、子どもたちは体験を通して刺激され、自分で考え、自分で何かをやってみようとする気持ちがでることを期待して、実践しています。それをしながら思うことは、初等教育のシステムはもっとちゃんと考えるべきだなーということです。
初等教育における問題点は、留年の問題だけではないということ。広い視野と将来へのビジョンを持って議論してほしいということです。いかにして優れた教育者を出来るだけ多く確保するか、大切なことです。
自然資源の乏しい我が国は、人をもって資源としなければならないような状況なのではないでしょうか。人材の育成が将来の日本にとってすごく重要で、人材の”輸出国”になるべきではないでしょうか。
ところが、今のままだと、日本の若者が、”輸入”された外国人に使われるようになると思います。
最近ある電気製品量販店で、非常に優れた、外国人の店員に会いました。責任者として成長していくだろうことを予感させてくれました。もっと大きな会社で活躍していてもおかしくない人のように思いました。
人を育てることに、もっともっとお金を使うべきと思います。そのためだったら、乏しい思いをしてもかまわないと思うのです。
2 件のコメント :
おっしゃっていること、
分かるような気が致します。
鉄は熱いうちに打てと言いますネ。初等教育は実はとても大切なことのように思います。留年も方法のひとつ、科目別の担当教員も必要。そうする以上、手厚さも必要でしょう。
為政者が、自分が生きているうちに評価されたいと思う内はダメ。自分が死んだ後にやったことが評価されるようになると信じて夢を持って進んでくれるようでないと。
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